暑い日に②

 ――陽の光が落ち込み始めた夕刻。
 コンコンと、部屋の扉をノックする音が聞こえる。

「……ん……あ、もうこんな時間」

 扉のノック音で先に目覚めたのはウィニエルだった。
 目覚めたばかりで、少し気だるい身体を起こし、窓の外を見る。
 夕日が見え始めると、昼間の厳しい日差しを優しく癒すように涼しい海風がウィニエルの髪を掬っていく。

 コンコン。

 再び扉をノックする音が聞こえる。
 視線をそちらに移したと同時に、

『……アイリーン、居るか? 俺だ、フェインだ』

 フェインの声も聞こえた。

「あ! いけない。フェインもう着いたのね、アイリーン」

 ウィニエルは隣で眠っているアイリーンを起そうと声を掛け、肩を揺するが、アイリーンは「んん……」と自分の肩に触れるウィニエルの手を払う。
 そして、気持ち良さそうに枕を抱きかかえて背を向けてしまった。

「…………」

 起きそうにないわね。
 それに、とても気持ちよさそうに眠っている。
 起こしたら可哀想だな。

 アイリーンの寝顔を見て、ウィニエルは仕方なく部屋の扉を開けて、フェインを迎える。

「え? ウィニエル!?」

「あ、あの……すみません……その、アイリーン、眠ってしまってて……」

 フェインは姿を現したのがウィニエルだったことに驚いたのか、一瞬目を丸くしていた。

「あ、そ、そうか」
「女性が眠ってる部屋に殿方を入れるわけには行きませんから、アイリーンが起きるまで、どこか別の場所で……」

 ウィニエルはフェインに部屋には入れられないということを伝え、別の場所での会話を提案する。
 一先ずフェインとウィニエルはアイリーンの部屋から出て、宿の廊下で立ち話をし始めた。

「……あ、ああ、構わないが……ウィニエル」
「はい?」

「それ……寝癖か?」

 フェインがウィニエルの頭を指差すと、飴色の髪の一部がふわりと不規則に流れ、いつもならきちんと均一にまとまっている髪が、少し乱れていた。

「えっ!? あっ、す、すみませんっ!! お昼寝していて」

 ウィにエルは慌てて手ぐしで髪の流れを正す。

「プッ。ウィニエル、君は昼寝が好きなんだな」

 フェインはウィニエルの寝癖がなんだか楽しくて、ウィニエルの頭を撫でた。

「え?」
「ほら、この間、俺の所で昼寝して行っただろう? …………」

 フェインはそう言うと、何を思い出したのか、はっとして黙り込んでしまった。

「あ、ああ、そういえば。すみません。いつもお昼寝してるわけじゃないんですよ?」
「……いや、いい。たまには昼寝もいいもんだ」

 ウィニエルの弁解に、フェインは笑ってみせる。

「は、はい……」

 ウィニエルは恐縮したように軽く会釈する。

「……そういえば、今日は翼がないんだな」

 フェインは今気付いたかのように、普段見下ろすことのない天使を見下ろし、告げた。

「アイリーンのお買い物に付き合ってまして」

 ウィニエルはフェインを見上げてふわりと微笑んでみせた。

「翼がないと、人間と変わらないな」
「そうですね」

 廊下で数人が二人の後ろを通り過ぎるので、二人は自然と宿のロビーへと足を運んだ。
 ロビーに出ると、籐で出来た土台にふかふかしたアイボリーのクッション素材が敷かれた二人掛けソファが置いてあった。
 フェインはウィニエルに座るよう促して、拳ひとつ分離れるようにして自分も隣へと腰掛ける。

「アイリーンと会うのは久しぶりだ」
「今日、明日と特に依頼はないんです。割と近い距離にお二人が居たので、久しぶりにお二人を会わせたくて」

「……そうか。気を遣わせたな」

 ウィニエルの言葉に、フェインは一時押し黙ってから返答した。

「……いえ、いいんです」

 余計なことしたかな?

 そんな風に思い、ウィニエルはフェインの横顔を見るが、特に複雑そうな表情を浮かべてはおらず、安堵する。

「そういえば、俺は今ここに着いたばかりなんだ。今日、明日ゆっくりしていいというなら、少し村を歩きたいんだが」

 フェインはアイリーンの話題を替えようと、村の散策を提案したのだった。
 アイリーンが悪いわけじゃないが、ウィニエルにアイリーンのことを話すと色々と詮索されそうで、更に、自分も言いたくないことも言ってしまいそうになる。
 それが嫌で反射的に話題を摩り替えたのだった。

「あ、はい。アイリーンも眠っていますし、お供しましょうか?」

 ウィニエルにフェインの心情などわかるはずもない。

「つまらないかもしれないぞ?」

 上手く話題を替えることができ、フェインは内心ほっとしていた。
 そうは言いつつも、ウィニエルは恐らく自分に付き合ってくれるだろうと踏んで、隣の彼女の顔を見る。

「構いませんよ。それに……、フェインと居ると新しい発見があるので勉強になりますし」

 フェインの視線に気が付くと、ウィニエルは小首を傾げてにこりと微笑み、飴色の後れ毛を耳に掛けた。

「……っ」

 細い指に絡む絹のような髪に花のような香りが僅かに香る、その仕草が妙に艶っぽく見えたのは、気のせいだったのだろうか。
 フェインは一瞬ウィニエルに見惚れてしまう。

「? どうかしましたか?」

「……っ、いや、なんでもない」

 ふぃっと、フェインはウィニエルから視線を外す。
 困ったような顔をして右手で顔を覆うと、床を見つめてしまった。

「……そうですか」

 ウィニエルはフェインの表情にわけがわからず、少しだけ落ち込んでしまう。

「……部屋から荷物を取ってくる。待っててくれ」
「はい。ではここで待ってますね」

 フェインはウィニエルに気取られないよう、そそくさと自分の取った部屋へと向かってしまった。

「……フェイン、どうしたのかしら……」

 一人ソファでフェインの背中を見送って、ウィニエルはロビーを見渡した。
 この宿屋は二階建て。
 二階部分が宿で、一階には受付ロビーと続きにカフェレストランがある。
 ウィニエルの視線の先にそのカフェレストランがあるが、そこから一人の青年が歩いてくる。

「一人?」
「……えっ!?」

 ウィニエルがそれまで景色として見ていたカフェレストランと青年が目の中に入り、驚いてしまう。
 話し掛けてきた青年は、中肉中背で肌が海で日に焼けたのか褐色で、茶色い髪の優しげな瞳を持つ、性格の良さそうな男性だった。

「綺麗なお姉さん、僕と一緒にどこか行かない?」
「えっ、あ、あのっ、どうして、私の姿っ!!」

「ん? 何?」

 ウィニエルはすっかり忘れている様だが、姿を現したままだったのだ。
 そして、どうやらナンパをされているらしい。

「そ、それに私、人を待っていてっ」

 勇者以外の人間から声を掛けられたのは随分久しぶりで、ウィニエルは驚き慌てふためいてしまった。

「……うん、知ってる。さっき見てたから。綺麗だなーって思って、つい声掛けちゃった」

「き、綺麗!? えっ? いや、あの、それよりどうして私の姿っ!?」

 声を掛けてきた男性は驚くウィニエルを余所に彼女の隣に腰掛けると、その白い手を取った。
 ウィニエルは相変わらず混乱したままだ。

「さっきのさ、髪かきあげた時の色っぽさに参っちゃって、一杯だけでいいから、何か奢らせて?」

 人懐っこい顔でにこにこしながら青年がウィニエルの手を握り、伺うように首を傾げる。

「いや、だから、私のすが……」

 ウィニエルは未だ混乱したまま、手を離すことすら忘れ、青年に問おうとしていた。

「……待たせたな、ウィニエル、行くぞ」

 いつの間に戻って来ていたのかフェインの声が聞こえると同時、ウィニエルの頭をこつんと小さく小突く。

「あっ、フェイン、はいっ!」

 フェインの合図に手を振り切って立ち上がる。

「あっ」

 青年が名残惜しそうにウィニエルを見上げると、

「……連れが何か?」

 フェインは冷ややかに青年を見下ろした。

「い、いや、何でも……」

 フェインの睨みに、それまで明るかった声のトーンが下がると、青年が愛想笑いを浮かべる。

「あ、あの、ごめんなさい。失礼します」

 ウィニエルは深々と頭を下げた。

「い、いや、また今度会えたら遊ぼうね」

 青年はウィニエルをよっぽど気に入ったのか、諦め切れない様子だった。

「えっ? あ、ええ」

 ウィニエルはよく考えもせずに返事をしてしまう。

「……ウィニエル!? 君は……ふぅ……」

 フェインが呆れたのは言うまでもなかった。

「本当!? 期待してるからね!」

 ウィニエルの返事に気を良くした青年は満面の笑みを彼女に贈る。

「ほら、行くぞ」
「え? え?」

 フェインがウィニエルの腕を引いて、外へ連れ出す。
 外は夕日が主役の時刻に差し掛かっていた。
 けれども陽の位置を見ると、随分と高い。
 まだしばらく日は暮れなさそうだ。

「……全く、君は……」
「……何で姿見えたんでしょうね」

 呆れ顔のフェインに尚も呆れた質問をするウィニエル。

「君が見せるようにしてるからだろう?」
「あっ! そうでした!! なるほど! すみませんっ」

 ウィニエルは、そういえば今姿を現したままだった。

 うっかりしていた!

 という自責の表情を浮かべると、フェインに謝る。

「……別に謝らなくてもいい」
「でも……フェインにご迷惑お掛けしてしまったし……」

 何かお詫びをしないと、と、ウィニエルはフェインを窺う。

 ふぅ。

 と、フェインはウィニエルに聞こえないように小さく息を吐くと、

「……この村に書物を扱う店はあるだろうか?」
「え?」
「……それに付き合ってくれれば、さっきのはなかったことにしよう」
「でも元々お付き合いするつもりでしたし……」

 ウィニエルはお詫びをしないと気が済まないのか、いまひとつ気乗りしない返事をする。

「……君は真面目だなぁ。それじゃ、もし買ったら荷物を持ってもらうってのはどうだろう」

 しょうがないので、フェインはウィニエルに荷物持ちを頼むことにした。

「はい! それなら喜んで!」

 ウィニエルは快諾すると、フェインと並んで歩き始める。

「歩くのは苦じゃないか? 姿を消してもいいんだぞ?」

 書店を探す道すがら、歩みをふと止めて、隣を歩く天使に声を掛ける。

「いえ、大丈夫です。今日はアイリーンと一緒に歩いていたので、少し慣れました」

 自分を見上げ、柔和に笑うものの、時折ふらつくウィニエルが危なっかしくて、フェインは腕を貸したくなるが、彼女が姿を現している以上、二人で腕を組み歩く様を誰かに変な誤解をされてもいやだと貸せずにいた。

「そうか、辛くなったら言ってくれ」

 せめて、歩みだけでもゆっくり合わせてやるか。
 フェインはゆっくり歩き出す。

「……フェインは優しいですね。ありがとうございます」

 ウィニエルはフェインが自分に合わせて歩く速度を落としたことに気付いて、嬉しさを隠せずにお礼をいう。
 きっと、フェインは何のことか気にもしないのだろうな。
 そんなことを思いながら。
 さりげない優しさができるフェインはとても素敵な人だと、ウィニエルは尊敬していた。

「……何がだ?」

 フェインはウィニエルが思ったとおり、何のお礼の言葉なのか理解してない様子だった。
 そして、ウィニエルが追いつける速度で歩き続ける。

 ほらね。
 フェインは思ったとおり、素敵な人。
 私の勇者達は皆それぞれ素敵な人なのだと、ウィニエルは勇者達を想うと誇らしく感じる。

「あっ」

 ウィニエルは足元の小石に躓き、前へ倒れそうになるが、フェインが咄嗟に腕を引き助けてくれた。

 「大丈夫か?」

 その助け方は慌てることもなく、しなやかで、まるで転ぶのを予測していたような身のこなし方だった。

「はい、ありがとうございます」

 ウィニエルはいつもフェインに頼もしさを感じていたが、こういうことがあると本当に関心してしまう。

「ウィニエル、どうやらこの通りに書店はないようだな」

 しばらく歩くが、書店は見つからずじまいだった。
 海を見れば夕焼けが随分と広がっている。

「そうですか……残念ですね。このままじゃ荷物持ちもできません……」
「ははは、構わないさ、読む本なら何冊か持っている」

 ウィニエルは時間がもうあまりないことを察して、自分の歩きが遅いのでフェインだけで行ってきてもらおうと、待つことにしたのだが、

「あちらの通りだったらあるかもしれませんよ? 私ここで待ってますから行って来て構いませんよ」

「……いや、そろそろ待ち合わせの時間だから酒場へ行こう」

 フェインも海の方向を見ると、それを断った。

「……お役に立てなくてすみません」

 フェインの役に立ちたかったウィニエルはしんみりして、頭を軽く下げる。

「いいんだ。君と歩けて面白かった」

 ウィニエルが頭を上げると、フェインは楽しそうに微笑んだ。

「え?」
「天使というのは翼がないと意外とバランスが取れないものだというのがわかった」
「は、はぁ……」
「……それに、君を一人放っておいたらまたさっきみたいな奴が来ても困るだろう?」

「え?」

 『あ、でも姿消せば……』と続けようとしたが、

「俺が傍にいよう。今君は人間と同じようなものだ。俺が傍にいれば他の連中は寄ってこないだろう」
「……あ、ありがとうございます……」

 その物言いはちょっと照れてしまいます……。
 フェインの申し出に、ウィニエルは頬をほんのり赤らめたのだった。

「あそこにある酒場が待ち合わせ場所だな」
「はい」

 二人は酒場を目指し歩き始める。
 酒場までは五十メートル程先、看板が遠目に見えた。

to be continued…

次へ

前へ

Favorite Dear Menu