――次の日。 俺は街を歩いていた。 依頼先へ向かおうと丁度街を出る所で、 「お兄ちゃん!! ちょっと待って!」 聞いたことのある声に背後から呼び止められる。 俺をそう呼ぶことが出来るのはリディア、たった一人の肉親である妹だけだった。 「ん?」 瞬時にわかった俺はその声に振り返る。 「……はぁっ……はぁっ……良かった。間に合った! はい、お兄ちゃんチョコレート。今日、バレンタインだから」 リディアが息咳切って走り寄り、俺の目の前に包装された小さな四角い箱を差し出した。 「え……あ、さんきゅー……って……リディアお前この街に居たのか?」 俺はリディアから箱を受け取ると、包装紙を破いて箱を開ける。 「うん。一週間前位から居るの」 リディアが答える中、俺は箱の中から様々な形をしたチョコレートの中から丸いチョコレートを手に取り、口に放り込んだ。 「ふーん……甘っ……」 妹の作ったチョコレートは俺には甘過ぎて、俺は慌てて飲み込む。 じっくり味わっていようものならすぐにでも虫歯が一つや二つ出来そうだったからだ。 「……何?」 刹那リディアの目が光ったような気がして、 「い、いや……?」 俺は寒気を感じた。 「……あれ? 天使様一緒じゃないの?」 リディアは俺の周りを見回す。 「え? お前こそ一緒じゃないのか?」 俺は妹に訊き返す。 「ううん。今日は無理だからって断られたの。てっきり、今日お兄ちゃんと過ごすんだって思ってた……じゃー天使様どこに行ったの? ……まさか別の……あ! お兄ちゃん! わ、私用事思い出しちゃった、もう行くね!! またね!!」 リディアは喋っている途中、俺が眉を顰めたのが目に入ったのか、言い終えると元来た道へ慌てて走り去って行った。 「あっ、おい!リディア!! 今のどういう意味だよ!?」 俺は妹の名を呼んだが妹は振り返らなかった。 「てっきり、お兄ちゃんと過ごすんだって思ってた」 「……まさか別の…………」 気になるのはこのワードだった。 「……何なんだよ……あいつ……リディアに何言ってんだ……? っつか、あいつ……嘘吐いてたのか……くそっ」 俺は街から出るのをやめる。気分が萎えてしまったからだ。 足は昨日泊まった宿屋へと向いていた。 あいつが嘘を吐いた。 俺にだ。 今まで嘘なんか吐いたことなかったのに、よりによって今日だ。 「……くっそぉおおお!!」 俺は宿の部屋のベッドの上で、妹に貰ったチョコレートを一気に口に放り込んで噛み砕いた。 甘い甘い、 俺はあいつに甘い。 結局いっつもあいつのペースに乗せられている。 「……くっそ……ウィニエルの馬鹿野郎!! 何で今居ねえんだよっ!!」 口の中で糖度の高いチョコレートが溶け始めていた。 俺の目から零れた液体が微かにしょっぱくて、チョコレートと混ざり合って変な味がした。 ……裏切り。 そう、これは裏切りってやつだ。 あいつ、やっぱ他の勇者の所に居るんだ。 俺、もう勇者なんか止めてやろうかな……。 やる気が失せたなー……。 そんなことを思いながら俺はそのまま眠りについた。 俗にいう不貞寝ってやつだ。 ああ……このまま寝たら絶対虫歯出来てるよな。 ……本当に、あいつ、何考えてんのかわかんねえ……。 ◇ ――あれから何時間経った? 「……フィン……グリフィン」 俺の頭上で声がする。柔らかい日差しが俺を包むように、その声は心地よくて。 「んん……何だよ……」 その声で俺は起きれやしない。 もっと耳元で聴いていたい。 でも。 「じゃあ……灯りを……はい」 声がした刹那、大量の光が皮膚を抜けて、目を瞑る俺の目蓋奥に衝撃が走った。 「っ!?」 俺はそのまま目を固く閉じ、手で目蓋を覆う。 「起きて下さい。もう時間がありません」 その声の主は俺の様子に構うことなく眠りに誘う声で起きろと告げた。 俺は仕方なく徐々に目を光に慣らせてから目蓋を開ける。 「っか、バカヤロ!! いきなり目の前に灯り持って来る馬鹿がいるかよ!?」 やっと視界が開けた俺の目の前にランタンがふらふらと浮いている。 「だって、部屋が真っ暗だったから……時間がないので割愛します。おはようございます、グリフィン。遅くなってしまってごめんなさい」 俺の視界にウィニエルが映っていた。 あいつはベッドの片側に居て、ランタンを床に置いて俺を起こそうと布団を剥がす。 「割愛って何だよっ!? っつか、寒っ!! 布団返せよ!!」 俺はあいつに剥がされた布団を引っ張る。 「え? ……わっ!?」 「え? うわっ!?」 ウィニエルは布団をまだ持ったままだったのか、俺が引っ張った布団と共に俺に倒れこんで来た。 「……うっ……」 俺はあいつの衝撃に鈍い痛みを感じる。 「痛たた……もー……グリフィン起きて下さ……」 ウィニエルは俺の両肩上辺りに両手を付いて、腕立てした形でふと止まる。 「…………」 俺はあいつの顔を見上げていた。 「な、何ですか……?」 あいつは俺の視線に固まったまま動かない。 ……というか、気が付いたら俺があいつの手を抑えていた。 「……別に……」 俺の顔にあいつの蜂蜜の髪が掛かって、仄かに甘い香りがする。 ……いつもより甘ったるい香りがしたのは気の所為か? 「……じゃあ、放して下さい。時間がありませんから」 ウィニエルは至極真面目な顔で告げた。 「……嫌だって言ったら?」 俺は引きつり笑いをしながら首を少し傾げる。 「何で嫌なんですか?」 あいつの表情は変わらない。 「……お前、嘘吐いただろ? 天使が嘘吐いていいのか?」 俺は冷ややかに目を細めて言い放った。 「う……。そ、それは……だから、割愛だって言ってるじゃないですか」 ウィニエルは俺から目を逸らして答える。 「割愛って何? わけわかんねえよ」 それでも俺はあいつから目を逸らさなかった。 「……のに……どうしたら放してくれますか?」 あいつが小さな声で何を言ったのか、始めの方はよく聞き取れなかったが、最後に言った言葉はよく聞き取れた。 「……んー……そうだな……キ……」 無理だとは思うけど、キスしたらー……なんて。と最後まで俺が言い終える前に、 「キスすればいいんですね。じゃ、はい」 心なしか、いつものあいつより早口だった気がする。 「なっ……んんっ!?」 俺の唇にあいつの柔らかい唇が重なる。 途端、俺の手は抑制力を無くし、あいつの手が解放される。 「……ん……甘っ……」 ウィニエルは一瞬眉を強張らせ、俺の力が抜けたのを見計らうと、俺から離れようと身体を起こした。 が、 「……っ……ウィニ……エルっ……」 俺は堪らなくなって、身体を起こしあいつの身体を抱き寄せる。 「あっ! ちょ、ちょっとグリフィンっ!? 時間が無いんですってばーっ!!」 ウィニエルの体勢はバランスが悪い上、今度は俺が力を混めている所為か、あいつの身体は俺から逃れられず俺がキスをしようとするとウィニエルは唯一自由の利く首を激しく振った。 「何の時間だよっ!?」 俺はあいつの顎を掴んで、俺の目と合うように固定する。 「っ……日付が変わってしまいますっ!!」 それでもウィニエルは首を振ろうとする。 「ああっ!? 何だよそれ!? お前が今日は来れないっつったんだろが!!」 俺はあいつの顎を放してはやらなかった。 より力を手に込めて、俺の方を向かせる。 「だって、知らなかったんですもん!!」 ウィニエルはこちらを訝しげに睨む。 「何が?」 「きょ、今日渡さないと意味がないって!!」 俺の荒っぽい言葉とは裏腹に視線があまりに冷ややかだったから、あいつは少し臆したように躊躇って告げた。 「何をだよ?」 俺の思考は今、目の前で俺に抱きしめられて身動きできないウィニエルをどうするか……ってことしか頭になくて、あいつが嘘吐いたことも、今日がいつだったかもすっかり忘れていて、 「……しょ、ショコラを……」 ウィニエルがおずおずと言っても全く気付きもしなかった。 だから、 「しょこら?」 無神経にも、首を傾げてあいつを挑発するように訊ねてしまう。 でも、あいつは、 「……はい。チョコレートのことです。グリフィンに作って来たんです。今日、バレンタインデーでしょう? 以前ティアに作り方は教わっていたんですけど、彼女のは甘過ぎるから、ちょっと研究しようと思って……ナーサに相談したら、“お酒入れたら?”って言われて。リュドラルに竜の酒を少し分けて貰いに行ってたら遅くなってしまって……」 一生懸命に一から説明しようとしてるのはわかるが……、 「はあ? 何だよそれ、わけわかんねえ。今日渡さなきゃ意味ないってんだろ?」 俺はどうにも納得行かずに、あいつの顎を持つ手に力を込めた。 そう、俺に作って来てくれたっつーのはわかった。 そこは素直に嬉しいと思う。 けど、今日渡さないと意味が無いって言ってたよな……? 「いたたっ……だ、だから知らなかったんですってば!」 ウィニエルは顎が痛いのか薄っすらと涙を浮かべた。 「だから、何をだよ」 俺はこの後、ウィニエルの思い込みの激しさに飽きれることになる。 「恥ずかしながら……バレンタインデーって、その日贈る人には内緒で一日掛けて作るものだと思ってたんですっ」
to be continued…