もう一つの未来②

「それじゃ、行きましょうか」

 食事を終え、手際良く片付けを終えると、あいつがエプロンを脱いで食卓の椅子に掛けながらそう告げた。

「は? どこに? 俺、今日はゆっくり寝てようかと思ったんだけど」
「……約束したのに忘れちゃったんですか……」

 俺の言葉にあいつはしゅんとして、俯く。

「……何だっけ?」

 俺は思い出せず、あいつに訊ねることにした。

 けれど返って来た言葉は、

「……もう、いいです。私、一人で行って来ますから」

 ウィニエルは静かにそう告げると、部屋から出て自分の部屋へ行こうとする。

 あいつの顔は一見しただけじゃわかり辛いが、怒っていた。
 酷く落ち着いたような静かな物言いの中には、所々角が立っている。

 あいつが怒っている証拠だ。

 俺じゃなきゃきっと、気付きもしないだろう。
 長い間一緒に居た俺にしかわからない。
 あいつの静かな怒り。

 そういえば食事の時、いつもより言葉少なだったな。

「何怒ってんだよ?」俺があいつを引き止めて聞くと、「怒ってませんよ」と即答された。
「怒ってんじゃねーか」って言ってみれば、「怒ってません」とやはり即返される。

「あんまり怒るとハゲるぞ」「禿げません」
「じゃあ、角が生える」「生えるわけないでしょ」

 ウィニエルの奴、食事の時と打って変わってよく喋る。
 っつか、喋るというより俺に突っ掛かってくる。
 こんなにぽんぽんと言葉を返してくる奴だったろうかと思う程だ。
 いっつも俺の話を聞くばかりであんま喋らないはずなのに、口喧嘩で俺の方が言い負かされそうとはどういうこった。
 しかも、あいつの言い方は俺と正反対に冷静で感情が篭ってない。
 中々に腹の立つ言い方をしてくれる。

 お前が怒ってるのは、わかってんだよ!

「この……頑固者!」
「うそつきには言われたくないです」

「何だよそれっ!! 俺は嘘なんか吐いてねぇよ!!」
「……約束破りですし」

「約束、約束って、さっきから何なんだよ!! 約束なんかしてねぇだろ!?」

 あいつが俺を冷ややかに見つめるから、俺はついには怒鳴ってしまった。
抑えてたのにな。

「…………。 ……そうですね、してなかったかも」

 あいつは少し間を置いてやはり冷静に返す。


「なら嘘吐きはお前だろ! 俺は嘘吐きは嫌いだ!! どこに行くんだか知らねぇけど、さっさと行けよ! どこにでも行っちまえ!」

 そう言い終えて直ぐ、俺ははっとして手で口を覆った。

「…………。 ……そうですね、私なんか居ても……」

 あいつは無表情で俺と目を合わせると、そう小さく呟いた。

「あ、おい……今のは冗……」
「…………」

 あいつは俺の前を通って自分の部屋へは向かわず、玄関に向かった。
 俺は引きとめようと手を伸ばしたが、どうにも憚られてあいつには触れられなかった。

「……行って来ます……」

 あいつは俺が見ている中、静かにドアを開けて外へ出て行ってしまった。
 落ち込んでいたのか、首が少し項垂れていた。


「……ま、まぁ、頭冷やしたら帰ってくるだろ」


 俺は少し心配しながらも閉じられた玄関のドアを見てから、自分の部屋へと戻った。
 自分の部屋に戻ると、俺は再びベッドに横になって、天井を見上げる。

 静まり返った部屋。
 俺より年上のあいつは落ち着いているから、居ても静かだけど、俺を呼ぶ声だけはよく耳にしていた。

 あいつが居ない家って、こんなに広いんだ。

 しみじみと感じる。

 リディアも一緒に住まないかって誘ったけど、断られた。
 ウィニエルだって、大賛成だったのに。

 やっと再会出来た兄妹なんだから、気を遣わなくてもいいのによ。

 “あてられたくないから”とか言ってたっけ。
 何をあてるんだか。


「……約束って何だよ……っああっ、もうっ!!」


 俺は慌てて起き上がり、部屋から飛び出した。
 あいつの部屋を横切り、食卓のあるダイニングを通って玄関へ。

 俺がドアノブに手を掛けると、軽々とドアが開いて、合い間から白い手が見える。

 あいつが、戻ってきた。
 そう思った。

「ウィニエルっ!!」

 俺はあいつの手を引いた。

 けど、

「お、お兄ちゃん?」

 俺の引いた手は別の女だった。
 俺は直ぐに手を放したが、咄嗟のことに女は目を丸くしている。

「なんだリディアか……、なぁ、ウィニエル見なかったか?」

 目の前に居たのは妹のリディアだった。
 リディアは「さぁ?」と首を横に傾ける。
 その後、「なんだって何よ……」と続いた。

「天使様がどうかしたの?」

 リディアはあいつのことを未だに天使様と呼ぶ。
 あいつは名前を呼び捨てにしていいと言うのに、旅してた頃からずっとそう呼んでいたから今更直らないらしい。
 だからあいつもリディアのことをティアと呼ぶ。
 二人の間ではそう呼んだ方がしっくり来るらしい。

「……いや、別に?」
「そう? なーんだ。天使様に用があって来たんだけど、居ないなら出直そうかな」

「あ、ああそうしてくれ」

 時々俺が羨ましくなる程、リディアとあいつは仲が良かった。
 俺とリディアが兄妹だってこともわからず、気付かない頃からあいつはリディアに親身になってくれていたらしい。

 そして、今でも俺が留守の時にはリディアが訪ねて来て、あいつの傍に居てくれる。
 それは有難いが、俺が居る時に訪ねて来ると、俺のことなど無視してあいつを外へと連れ出す。
 大抵は買い物らしいが、いつも帰ってくると二人で楽しそうに話をしている。
 俺は一人で留守番ってわけだ。

 面白くないだろう?

「ねぇ、お兄ちゃん。天使様にはまだ教えてないんだけど、この間この先の廃屋で山賊が出たって話聞いた?」
「ん?」

 リディアが唐突にそんなことを言い出した。

「この先の森を抜けて丘を登った所。この辺て、そんなに裕福な人居ないのに、その山賊達は五人で組んで行動しててね。お金持ちの人でも貧しい人でも見境無く襲うんですって」

「ふーん……むかつく野郎だな」

 義賊のベイオウルフとは正反対ってわけだ。
 そもそも俺達は盗みを働くだけで、人間を襲ったりはしないがな。

「でしょ!? 以前は他の場所で活動してたらしいけど、つい最近、廃屋に近づいた商人さんが襲われたんだって。何とか助かったはいいけど、危うく命も取られるところだったそうよ。一緒に女の人もいたんだけど、その人なんか乱暴な目に遭ったって……」

 リディアは最後の言葉を言い終えると腹を立てているのか、唇を噛み締めた。

「卑怯な奴等だな、許せねぇ」

 俺は拳を握りしめていた。

「でしょ!! お兄ちゃん退治してあげたら?」
「は? 何で俺が?」

 リディアの提案に俺は面食らった。

 俺はもう勇者じゃないんだ。
 胸くそ悪い堕天使の奴は倒したが、それを成し遂げれたのはあいつのお陰で。
 それを終えれば勇者の役目は終わりだ。
 俺は今まで通り、ベイオウルフの頭目へと戻る。
 金持ちから金品をくすねて貧しい奴等に配ってやる。

 それだけで充分だろ?

 あいつだって、以前のように俺にああしろこうしろって言わないし、
 そんなもんは自警団がどうにかすりゃいいことだろ。

「だって、お兄ちゃん強いし! 義賊でしょ!?」

「お前、義賊を履き違えてないか? 俺は盗賊なんだぜ? 大体この辺は俺達の島じゃねーし、山賊狩りは範疇外だぜ」

 仕事をする上での鉄則。
 自分の家の近くで仕事はしない。
 義賊じゃなくても、ただの盗賊もそうだろう。
 てめぇの家の近くで窃盗なんか出来るか。

「山賊だって、いっぱい人を襲ってるんだからお金持ちなんじゃないのー?」

 リディアは最もらしいことを告げた。

「……まぁ、そうだけどよ」

 あいつが天使の時は、誰かがちょっとでも困ってたら助けに行ってやってくれと、俺を世界の端から端まで旅させ、平気で気色悪い猛獣共と戦わせてたが、人間になってからというもの、俺が仕事先や仲間内との喧嘩でちょっとでも怪我をすると酷く心配するようになった。

 俺が喧嘩っ早いのは知ってるはずなのに、怪我した俺にあいつは包帯を巻きながら泣きやがる。
 怪我なんか舐めときゃ治るのに、大げさなんだよ。
 天使の頃もあんまり酷い怪我すると泣きながら回復魔法を掛けてくれたっけ。
 それでもあいつは仕事をやめろなんてことは言わない。
 天使の頃は盗みは良くないとか、やめろだの言ってたのに180度の大転換だ。

 俺に理解を示してくれたのだと思う。

 けど、
 俺の怪我で泣くことだけは変わらない。

 あいつが泣くと、俺はどうしていいかわからなくなる。
 あいつが痛いわけじゃないのに泣くから。
 あいつが泣くとその度に俺の胸が痛くなる。

 俺はあいつを泣かせるために地上に残したんじゃない。

 あいつの泣き顔を見たくなくて、俺はなるべく怪我をしないように気を遣って来た。

 山賊だろ?
 命も危なかったってことは、奴等はそれ相応の装備をしている。
 俺一人で行って、勝てる自信があったとしても無傷で帰るのは難しいだろ。


「お兄ちゃんらしくないね。本当は天使様が言ったらすぐ解決してくれるんじゃないの?」
「あいつは言わねーよ。……多分」

 多分。

 いや、あいつがその話を聞いていたら俺に言ったかもしれない。
 天使の名残か、本質か、あいつは誰にでも優しいから、誰をの痛みも汲み取ろうとする。
 もう俺だけの天使だから、そんなことをする必要はないのに。

 けど、俺の性格を知ってるあいつは俺が行くことを了承するだろうか?

 そして、怪我をした俺を見て、泣くんだろう?
 死ぬわけでもないだろ、って言っても大げさに泣くだろう?

 俺は、世界の天使じゃなくなった、俺だけの天使を泣かせたくはない。

「……まぁ、お兄ちゃんにはお兄ちゃんの事情があるもんね。自警団がどうにかしてくれるよね」
「あ、ああ、悪いな。力になれなくてよ」

「ううん、いいの。私も街でちょっと聞いただけだから」と、リディアは笑顔で首を横に振った。どうしても俺に解決させたいわけではないらしい。

「ねぇ、お兄ちゃん。天使様どこに行ってるの?」
「え? あ、散歩だな、散歩」

 急に話題があいつに戻って俺は咄嗟に嘘を吐いた。
 あいつ、どこに行ったんだ?

「ふーん…… こないだ、野原に行った時花冠の作り方教えたんだけど」
「ふーん……」

「昨日まで雨だったでしょ? 今日晴れたから、一緒に作りに行こうかと思って誘いに来たの」
「ふーん……」

 あまり興味のない話だった。
 花冠なんか作って何が面白いんだ?

 その上で寝転がってる方がよっぽどいい。

 そんなことより、あいつを探しに行かないと。

「そういえば、廃屋の辺りに白詰草が群生してたっけ……」


「え?」


「……あの辺、なだらかな斜面になってて、一面白詰草が生えててね。風がすごく気持ちいいの」

「……おい、リディア……?」

 俺はリディアの言葉に嫌な予感を覚える。

「……一度だけ、連れて行ったことがあるの。天使様、すごく気に入ってくれてね。あ、でもまだ山賊が出る前よ? それに、今日誘おうと思ったのは別の場所で……」


「悪ぃ、留守頼むわ」


 喋り続ける妹の言葉を俺が最後まで聞く事はなかった。
 了承するリディアの返事が俺の耳に届く前に俺は走り出していた。

『山賊が出るのは夕方以降だって言うから! 天使様、大丈夫だから!! すぐ、見つかるから!!』

 既に廃屋へと向かって走り出した俺の背に、リディアの励ましの声が小さく聞こえた。


 ウィニエル。
 お前、廃屋になんか行ってないよな?

 まだ昼間だから、大丈夫だとは思うけど……無事で居てくれよ。


 俺が直ぐにお前を追いかけなかったから。


 その所為で山賊に襲われるなんておかしいだろ。
 そんな不条理はねぇよな。


 そう言い聞かせて、俺は廃屋へと急いだ。

to be continued…

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