その声で呼んで②

「…………」


 ラミエルは黙り込んで、俺からやっと離れて立ち上がる。
 ラミエルの膝が丁度目に入って、そこには土が付き汚れ、一部小石でも踏んでいたのか、赤い血が流れていた。
 彼女はそれを気にすることなく、両手で雑に土を払う。

「あ……」

 俺はそれに何故か罪悪感を感じてしまう。


「……あれは、逃げてるだけでしょ?」

 長い沈黙の後、彼女が言った言葉がこれだった。


「なに!?」
「……ウィニエルは逃げてるだけだから、あんな顔してられるんだよ」

 ラミエルが道を外れ、道端の草原へと足を踏み入れて、俺はすぐ様その後を追う。
 
 ラミエルの声のトーンが先ほどより下がっていたのに気がつかない俺はついムキになって、彼女の手首を掴んで強く引いた。

「ウィニエルのこと悪く言うな!!」

 前を行くラミエルが、抵抗しながら俺の力に負けて振り返る。

「……っ…何でよっ!? 本当のこと言って何が悪いのっ!?」

 ラミエルは俺の手を払うように、抵抗するが俺は手を離さなかった。

「訂正しろよ!!」
「いったっ!! ちょっ、放してよ!!」

 ラミエルは翼を羽ばたかせて飛ぼうとするが、俺は絶対に訂正させてやるとばかりに、

「ウィニエルはよくやってる!! 逃げてなんかいないだろ!?」

 再びラミエルの腕を強く引っ張った。

 逃がしたり、しない。
 ウィニエルのことを訂正するまで、絶対に。

「ちょっと…やっ!!? ばっか…っ!!」
「えっ!? うわっ!?」

 勢い余ってか、ラミエルが草を踏みつけた拍子に葉と靴とが擦れ合い足を滑らせ、俺達は緑の絨毯の上に倒れこんでしまう。
 ラミエルの身体が緑の葉に埋まって、俺は彼女の上に馬乗りになった形で、見下ろす。
 そんなこともお構いなしに、俺はラミエルに馬乗りになったまま声を上げていた。

「……っ……訂正しろよ!!」

「…っいたたたぁ……っていうか、重…!?」

 ラミエルを挟むようにした俺の格好に、脚が衣服の裾を踏みつけているから、彼女の太股に重みを与えている。
 でも、今の俺にはそんなこと、どうでも良かった。

「ウィニエルは逃げてなんかないって言えよ!!」

 ラミエルの腕を掴みながら告げる。

 ラミエルだって、天使なんだろう?
 何で、ウィニエルのことを悪く言うんだ。
 ウィニエルとは、兄弟みたいなもんなんだろう?
 何でそんなこと言うんだよ。

 ウィニエルは、ラミエルのこと、よく言ってるのに。


『ラミエルは、とってもいい娘なんですよ。優しくて、思いやりがあって。とても、天使らしい天使なんです』
 
 
 ウィニエルの優しい顔が浮かぶ。
 いつも、ウィニエルはそう言う。
 ラミエルのことがとても大事なんだって、俺でも妬けるくらいの最上級の笑顔で。
 それは終始変わることはない。
 
 でも、ラミエルは、違う。
 ウィニエルは逃げてる、と。

 俺は、二人がちゃんとした絆で結ばれていて欲しいと願っているんだ。
 いや、違う。
 彼女が悪く言われているのを放っておけない。



 俺は、ウィニエルが、……好きだから。



「っ…!! そんな向きにならなくたっていいでしょ!? 何でそんなにムキになるわけ!?」

 ラミエルが俺を睨み付けて、怒鳴る。

 どうせ、ラミエルには通じやしないんだ。
 ラミエルなんかに、こんな気持ちを悟られるわけにはいかない。

「ウィニエルを悪く言うなって言ってんだろ!?」

 俺は、腕に力を込め、わからせてやろうという一念で、彼女の腕を強く掴む。
 痛かろうが、なんだろうが、そんなこと知ったこっちゃなかった。


「いっ!!?」


 相当痛かったのだろう、彼女は歯を食いしばる。
 そして、観念したのか、口を開く。
 瞳から、一粒だけ雫を頬に落として。


 何を言うつもりなんだ?
 俺を納得させることなんだろうな?

 でなけりゃ、この腕にもっと力を込めてやろうか。
 折ったっていい。

 どうせ、天使だ。
 すぐ治せるんだろう?

 ……なんて、思ってしまうほどに理性が殆ど残っていなかった。


 ウィニエルのことになると、俺はどうしようもない。



 けど、理性なんて、すぐ戻るもんだって、
 俺は気づかされることになる。


「悪くなんて言ってない!! 彼女は、何でも内に溜め込むから、もっと言えばいいのにって!! そう思ってる!! 自分が思ってること誰かに伝えられないのは、その人と向き合うことに逃げてるってことでしょ!? 私はそのことを言ってるだけ!!」


 ラミエルが、必死に俺に訴えるように眉を顰めながら告げた。


「……え……どういうことだよ…それ……」

「リュド!! 私はウィニエルとずっと一緒に居たんだよ!? ずっとずっと、百年以上一緒に! その彼女を何故悪く言う必要が? あなたは、ウィニエルの何を見てたの?」

 真っ直ぐ俺を見つめるラミエルの視線に俺の力が緩む。

「な……」

「……ウィニエルは私やロジーにとって特別な存在なの。楽しいことも、哀しいことも、一緒に経験してきた仲間だからこそ、ちゃんと向き合って欲しいって思ってる。私にだって、向き合わなきゃいけないことがあるのもわかってる。……言葉の表面だけが真実とは限らないでしょ?」


「…………」


 俺は二の句が告げなくなっていた。
 ラミエルは、むやみにウィニエルを悪く言ったわけじゃなかった。
 表向きの言葉の裏に真実がある。
 確かにそうかもしれない。
 百年以上も一緒に過ごした仲間。
 互いに信頼し合っている。

 そんなことは読めてたはずだったのに。


 急にラミエルが言ってることがまともな気がしてきた。


「ただ勇者に事件を解決させておけばいい、なんて、私思ってないよ。一人でなんて絶対行かせない。私が選んだ勇者を死なせたりなんか絶対しない。それが、私の使命だもん。インフォスを救いたい。私なりに、私の出来る限りのことはするつもりだよ? ウィニエルはいざとなったら命を投げ出すだろうけど、私はそんなことしないんだから」

「……だろうな、お前は命を投げ出したりなんかしないタイ……プ……」

 ラミエルが俺の両頬を掴んで俺を見据える。

「……ふぅ。リュドって、私のこと、すごい誤解してるよね。……別にいいけどさ」

 ラミエルが呆れたように、ため息をついて、少しはにかんだ。

「ん? ……誤解って何が?」

「……ウィニエルも、勇者も死なせたりしない。そうならないように、私が居るんだから、ね?」


「え……?」


 俺はどういうことかと訊き返そうとしたが、ラミエルのはにかんだ顔が、少しだけ哀しそうに見えた気がして訊けなくて。
 けど、その表情は……気のせい?


「……どうでもいいけど、いつまで乗っかってるつもり? どいてくんないかなぁ?」

 すぐに、眉間に皺を寄せて、ラミエルは俺の両頬を優しく抓る。

「いてて、わ、悪ふぁったよ」

 俺はどこうと、身体を動かすが、それをラミエルは静止させて、俺を見つめた。
 
「……リュド……」
 
「な、何……」
 
 ラミエルの視線にどきっと、俺の心臓が一度だけ大きな波を打つ。
 俺はラミエルと視線を混じ合わせたまま、天使を見下ろす。
 見下ろした天使をよく見ると、可愛い顔をした少女で、身体つきだって身長が違うし、ウィニエルほど色気はないけど、大人っぽくないってだけで彼女とそう大差ない。
 出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んで……って、俺は何を……。
 ……俺はその少女に馬乗りになっていたわけで。
 
 ……なんだか急に恥ずかしくなってきた。
 下敷きになっている少女ははたから見たら襲われているようにも見える。

 でも、ラミエルなんだぜ?
 あの、ラミエル。

 俺の苦手な、
 嫌いな女。

 なのに、何で俺、今一瞬どきっとしたんだろう。

「……あのね、リュド、ウィニエルにはこういうことしない方がいいよ。ウィニエルびっくりするから。嫌われるよ」
「な、ん……」

「あ、だからって私もやめてよねー。私、ここに残る気なんかないんだから」

「ば、ばかやろう、お前に残って欲しいなんて言わねーよ!」

 口を尖らせて俺は頬からラミエルの手に触れる。


 ラミエルの手はほのかに温かくて。


「……そう?」


 俺に向けて悪戯な笑みを浮かべて、『ならいいんだけど』と呟いた。

「…………」

 俺は、つい、その笑顔に目を奪われていたが、

「ほら、どいたどいた!! いつまで乗っかってるの!!」
「いてっ!?」

 ぱんっ! と、耳元で乾いた音が弾けたと思ったら、両頬を叩かれたのか、頬が熱くなってきた。
 俺はすぐに、ラミエルから離れて、彼女の身体を起こした。


「……リュド、私達天使は、この戦いが終わったら天界に帰るんだからね」


「……ああ」


「でも、それまでは、私はちゃんとあなたの味方だから。それだけは忘れないで。私、ちゃんとあなたのこと、守るから。ウィニエルのことも」


 翼を器用に羽ばたかせ、付着した土や草を落としながら、ラミエルの言ったこの言葉は、責任感。俺にはそう捉えることができた。
 彼女は、もしかしたら、とても責任感の強い人なのかもしれない。

「あ……」

 ふと、ラミエルの翼に目をやると、真っ白な翼は土と、草の擂れた色がついて汚れていた。
 一部、赤黒く変色している。

「……何?」

 ラミエルは平気な顔で笑顔を向ける。
 その赤黒く変色したのは、土が付着しているからか気づき辛いが、彼女の血だった。
 俺が乱暴に地面に身体を打ちつけたために出来たもの。

「……怪我してる」

「んーん。大丈夫。これくらい何ともないよ。ウィニエルにする時は気をつけてあげてね」

 ふふふ。と、彼女が悪戯な笑みを俺に向けた。

「なっ、しないよ!!」

「じゃ、私、そろそろ行くね。今度はちゃんと呼んでよね」

 ふー。
 と、小さくため息をついて、ラミエルが翼をはためかせた。

「え?」

「……私、リュドに歓迎されてないのわかってるよ。でも、私の役目だし。私リュドのこと、好きだから」

 俺の方を軽く睨んで、口角を上げ、彼女は飛び立ってしまう。

「おいっ!! ラミエルっ!! 今のっ!!」

「あ、宿取ってあるからね~。 また、会いたくなったら呼んでよね~」

「宿じゃなくって!! 今っ!!」

 上空で、俺の言葉なんか聞こえてないという顔で、手をひらひら振って、去っていく。



「え……、今の……ど、どういうことだよ……?」



 ぽつんと、誰も居ない道端に一人佇む俺の頬が少し熱くなった気がした。


「え? え?」


 嫌いな奴に好きだと言われた。
 そして、俺の頬が熱い。

 俺はウィニエルが好きなのに、何で……。

 が、しかし。
 同時、彼女の俺の嫌いな発言の数々が過ぎた。

『時の淀みの早期解決。誰かが亡くなってもそれは仕方のないこと』
『モンスターばったばった倒してよぉ!』
『全部終わったら天界に帰るんだから』


 ……やっぱり、ムカつく。



 ……かもしれない。


 俺はすぐに平静を取り戻して、村を目指した。
 ここだけは、ラミエルは手際がいいなと思うところだ。

to be continued…

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