贖いの翼・番外編2:昔話③ ウィニエルside

「……そ、そんな……」


『ウィニエル』


 グリフィンが傷だらけで私の名を呼ぶ姿が脳裏に浮かんで、私は両手で顔を覆った。
 彼のその時の気持ちを考えただけで、胸が苦しくなる。


 涙が、溢れてくる。


 グリフィン、

 あなたは、

 自分の勝手な都合で去ってしまった身勝手な天使を、憎みもせず、想っていてくれたの?
 私に似た人を私だと思って助けてくれたのね?


 グリフィン…………。


 涙が止め処なく流れ、顔を覆う手を濡らし、容量を超えると床を濡らした。
 静かな部屋に私の嗚咽が響く。

「天使様、私は……天使様を罪に苛むためにお話したんじゃありません。 ……兄は……兄はやっぱりあなたを忘れられなかったんだと……思います」

 ティアは塞ぎ込む私の頭を優しく撫でる。

「え……」

 私はその手の温もりに顔を上げた。

「……イダヴェルさんが、兄は自分と話す時、どこか遠くを見ている気がすると言っていたのを聞いたことがあります。でも、兄は優しいと」

 そう告げる彼女の瞳は怒りとも、哀しみとも、喜びともつかない複雑な表情を見せていて。

「……ど、どういうこと?」

 私が訊き返すとティアは淋しげに微笑んだ。

「……天使様も兄を愛してくれていましたか? 天界へ帰られてからも忘れたりしませんでしたか?」

「……私は……グリフィンが大好きでした……。大好きで、大好きで……愛していた。天界に帰ってからも忘れたりはしなかった。封印を施さなければならない程、私も荒れて……今でも、愛してる」


 今でも、グリフィンへの愛は変わらない。
 そう、これからも、彼への愛は変わることはない。


 きっと、彼が私の初恋の人。


「……そう……ですか……良かった。兄だけが苦しんだんじゃなくて」

 ティアはほっとしたように安堵の表情を浮かべた。


「ごめんなさい……本当に…………」


 私はそう告げて、再び顔を両手で覆った。

「……天使様、ちょっと待って居て下さい」

 私が塞ぎ込むと、ティアはそう告げて部屋から出て行く。
 ティアが部屋から出て行き、ドアが閉まる音を耳だけで確認すると、私は声を張り上げて泣いた。


 泣いたってどうしようもない。
 取り返しもつかない。


 私はインフォスに残るべきだったんじゃないのか。


 ――グリフィン、彼の為に。


 イダヴェルさんや、彼の子供、それに、私に似た女性。
 ティアだって、私の身勝手の犠牲者だ。


 あの時、どうして一言ガブリエル様に言えなかったんだろう。


 “地上に降りて、彼と共に生きたい”


 こんなにも少ない言葉達。

 グリフィンと一緒に未来を見られたなら。


 でも、天界を選んだのは私。
 彼を選ばなかったのは私。


 ティアは私の想いを聞いて安堵していたようだけど、私の罪は決して消えないものなのだと確信した。

 そして、
 やはり、救いなんてないこともわかった。


 グリフィンは、本当に幸せだったの?


 こんなことなら、インフォスになんて降りなければ良かった。


 ここには、痛みと哀しみしかない。


 ガブリエル様はどうして、こんなことを。


 ――ううん。


 私…………

 何を期待していたの?


 救いがあるって思ってた?


 ――何て卑しいの、私。


 ここにもう一度降りたいと願ったのは私。
 年老いててもいいから、グリフィンに会いたいと思ったのも私。


 頭ではわかっていたつもりだけれど、二度と会えなくなるというのは、こういうことなのだと初めて実感した。

 大好きな人に、もう会えないの。
 天使の私ですら、亡くなった人には会えない。
 レミエル様に頼んでもきっと、会わせては貰えない。


 謝罪すら出来ない。


 私は謝罪しに来たのよ。
 憎まれて、許されなくても、謝罪をしたいの。

 それは、自分の為と言えばそうなるかもしれない。
 でも、もう二度とこの地に降りることが出来ないから、最後にどうしても謝りたくて。


◇


 ――しばらくして、

 コン、コン、とドアをノックする音が聞こえると同時、部屋のドアが開いた。

「天使様、このお花持って行って下さい」

 ティアが鮮やかな花々を手に、部屋の中へと入る。彼女の傍らにローザが浮いていた。

「ローザ」
「もう、ウィニエル様、捜しましたよ!」

 ローザは私が名を呼ぶと、ティアの傍から私の方へと飛んで、私の状態を確認するように頭上を旋回する。

「ローザに話は聞きました。あのお墓には兄も眠ってるんです。そこで兄と話をしたらどうですか?」
「え?」

「……きっと、天使様の想いは通じると思いますから、はい」

 ティアはそう告げると、私に花束を手渡した。

「場所は私が案内します。ここから近いですから」

 ローザが私の耳元に話し掛ける。

「あ、ティアは…………」
「外せない用があるので、それを済ませたらすぐ行きますから」

 私が立ち上がると、ティアは身体を反転させ、部屋から出て行く。

「そう……」

「何も言わないで帰っちゃわないで下さいね」

 ティアはドアの前で、首だけこちらに向けて、少しだけ悪戯めいた笑顔で告げた。

「ええ……」

 その笑顔にやっぱりティアは心の底では怒っているんだと、思った。

 そりゃ、そうよね。
 彼女も複雑なんだと思うもの。


「……行きましょう、ウィニエル様」
「……ええ」

 私とローザは再びあのお墓へと向かった。
 今度はちゃんと、お花を携えて。


◇


 ――救いなんて求めちゃいないのに。


「それじゃ、少し休ませてもらいますね。近くに居ますから何かあったら声を掛けて下さい」
「ありがとう」

 お墓に着くと、ローザは私を気遣うようにそう告げて、森の中へと姿を消した。

 私は彼のお墓の前で一人になる。

 木漏れ日が柔らかくお墓に降り注いでいる。
 なんて、穏やかな空気だろう。
 インフォスが平和になったことがよくわかる。


「……グリフィン、ごめんなさい。私、あの時あなたと一緒に……」

 私はお墓の前に立ち、指を絡め手を合わせた。


「……もう、今更そんなこと言われたってどうしようもねぇだろ!」


 そう、彼の声が聞こえたような気がする。


「え……?」

 私は首を傾げた。
 今の声、余りにはっきりし過ぎている。

 耳核が音を捉えて奥へ。
 私の耳は、おかしくなってしまったのだろうか。


 今の声、


 背後から聞こえた気がする。

「……大体、今更のこのこやって来て、一体どうするつもりなんだよ!」

 私の真後ろで、声が聞こえる。

「…………! グリフィン!?」

 私は振り返り、その声の主の姿を捉える。
 目の前に居たのは彼。


 グリフィン……?


 グリフィンは、亡くなったって……。


 一刹那、私の思考が混乱し始める。


 それと同時だった。


「……っ……ウィニエルっ……!」

「え…………」

 小さな舌打ちと共に私は名を呼ばれ、彼に抱きしめられる。
 翼ごと、彼の腕に胸に、包まれる。
 彼の鼓動が耳元に響く。

 それは力強くて、
 昔の記憶を思い起こさせた。


 グリフィンの、腕の中。
 グリフィンの、胸の鼓動。


 彼は天使だけじゃない私に気付かせてくれて、恋を教えてくれた。
 私が女なんだということを自覚させてくれた。


 いつでも、安心して飛び込めた。
 不安をいつでも吹き飛ばしてくれた。


 絶対的な私の安らぎの場所。


 でも、今の私には得られない。
 それを得る資格が無いの。


「……ごめんなさいっ! グリフィン! ずっと気になっていたの! あなたが幸せになってくれていればいいと思ってた!」

 私は彼の腕を押さえながら顔を見上げ、感情を露にしながら告げた。

「………………」

 彼は何も言わないで、私を見下ろす。

「……違う……グリフィンじゃない……あなたは…………」

 彼の腕から手を離す。

 姿形、声も全部そっくりだけど、私の愛した人じゃない。
 ――私にはわかる。


 何となくだけど、そう思った。


「……ああ、俺は親父じゃない。けど、そっくりだっておばさんに言われてる。あんたが、天使ウィニエル?」

 グリフィンにそっくりな青年は不機嫌そうに私を見下ろしたまま、腕を離した私を再び引き寄せ抱きしめる。

「……あ、の……」
「……親父の愛した女ってあんただろ。一度会ってみたかったんだ」

 グリフィンと同じ声が、耳元で囁く。

 この青年は、グリフィンの息子……。

 彼に生き写しだ。

「どんな女なのかと思ってた。親父はあんたのことで、お袋を哀しませたんだ。その報いはいつか必ず受けさせようって思ってた……」

 青年の腕に力が込められ、私は彼の腕から逃れられなくなる。
 翼が軋む程、それは痛みを伴っていた。

「……ごめんなさい……」

 彼の胸板に鼻先が触れて、私は謝罪した。
 私の吐いた息の熱が彼の胸から反覆する。

「……けど、何だよ……あんた、全然俺のイメージと違ってんだもんな」
「……ごめんなさい……」

 青年の声は先程より落ち着いていた。

「……親父はさ、幸せだったから。おふくろだって、わかってて結婚したっつってたし……」
「……ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」

 青年の声は本当にグリフィンにそっくりで。
 私はただ、謝ってばかりだった。


「ごめんなさい……」

「………………」

 青年が口を開く度に、私が何度も謝るから彼は黙り込んでしまう。
 私の位置からじゃ、彼の表情は読み取れなかったけれど、私はきっと許されることはないんだと思っていた。


「……謝んなよ。謝られたって、過去は変わらない」


 少し間を置いて、青年が突き放すように冷淡に告げる。


 そうよね。
 わかってる。


 過去は変わることはないのよね。

「っ…………」

 私は何も言えなくなった。

to be continued…

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