「……だ、誰よ……」 私は知らず知らずの内にウィニエルの服の袖を引いていた。 「……アイリーン……私はもう未来を歩き始めたんです。フェインはもう過去のこと……彼に私に会ったことは言わないで下さいね」 ウィニエルが私の手を無表情で剥がして、うっすらと微笑む。そして、青年の方へと歩いていく。 「……り……ないで……勝手なことばかり言わないでよウィニエル!!」 私を通り過ぎて青年の方へ歩く彼女が許せなくて。 「……ごめんなさい……」 ウィニエルは青年の元へと辿り着くと、彼の胸に凭れ掛かる。 「っ……フェインはどうなるの!? フェイン、あなたが居なくなってからおかしくなっちゃったんだからね!!」 私は二人に近づいて怒鳴った。 「……フェイン……っ……ごめんなさい……ごめんなさい……」 ウィニエルは青年の胸に縋りながら謝り続ける。 「ウィニエル……?」 青年がウィニエルの様子を窺う。 「ちょ、ウィニエル聞いてるの!?」 「……し……黙って。ちょっと……様子がおかしい……」 青年はウィニエルに詰め寄る私に自分の口元に人差し指を当てて、彼女の様子がおかしいと感じたのか彼女の顔を覗いた。 「ごめんなさい……ル……ディ…………」 その瞬間、ウィニエルの瞳が閉じて、重心が全て青年に掛かる。 「ウィニエル!!」 青年はそれを支えるように彼女を抱き止めた。 「ちょっとウィニエル!?」 私も手を貸そうとしたけれど、 「……すごい熱だ……だからやめておけって言ったのに……」 青年がウィニエルの身体を仰向けにし、ゆっくりと地面に座らせ額に手を当てる。 「え……?」 私も青年の言葉を聞いて彼女の額に手を当てる。 「うわっ……すごい熱!! ……早く街へ戻って医者に診せなきゃ……」 「ああ。赤ん坊も心配だ」 「え……赤ん坊って……あんた……知ってるの……?」 「……ああ」 私が訊ねると青年は静かに頷いた。 ◇ それから私達は足早に街へと戻り、街の診療所で彼女を診せた。 彼女の熱は酷くて医者は危ない所だったと告げ、診療所の一室に彼女を寝かせると青年を叱り付けていた。 『後は俺がやりますから』と、青年は何度も頭を下げて医者を言い包め、病室から追い出す。 この青年は一体何者なんだろうか……。 随分若い少年のようにも見える。彼はウィニエルの何なんだろうか……。 …………。 私は濡れタオルを絞ってウィニエルの額に当てる彼のことを、丸い背凭れのない回転する椅子に座ってずっと見ていた。 「…………何?」 濡れタオルを熱で苦しむウィニエルに載せ終えた彼は彼女の傍らに座って私の方へ振り向く。 「……あ……いや……」 「……俺が誰だか知りたいって顔だな」 口を濁す私に、彼は苦笑いを浮かべる。 「……私はアイリーン……ウィニエルの昔の知り合いで……」 私は先に名乗ることにした。 でも、 「ああ、知ってる。君も彼女の勇者だったんだろ?」 青年は苦笑いを浮かべたまま応える。 「え……じゃ、じゃああんたも!?」 「ああ、俺はルディエール。俺も天使の……彼女の勇者だった」 ルディエールがそう告げた。 「そう……で、今は?」 「…………彼女の支えになれたらって思ってる」 ルディエールは眠っているウィニエルの顔を愛しそうに眺める。 「…………」 私は何も言えなくて。 ウィニエル、あなたはたった半年の間に新しい恋人を作ったの? フェインへの想いはそんなものだったの? 私にフェインを押し付けて……自分は新しい未来を歩もうとしているの? そんなの……、 そんなの……ずるいよ。 「……ン……アイリーン?」 ルディエールの声が聞える。 「……何よ……」 私は三角座りをして膝を抱え俯いて応えた。不安定な椅子が少し動く。 「……泣きそうな顔してる。大丈夫だよ、ウィニエルなら心配ないさ」 ルディエールの声が頭の上に優しく響いてきた。 この人は優しい人だ。ウィニエルの身体のことを知っていて、それでも彼女の傍にいるなんて。 「……べ、別に泣いてなんかいないわよ……!」 私は足を床に着けて顔を上げる。 「……ウィニエルは君に会いたくないって言ってた。いや……君だけじゃなく、俺にも本当は会いたくなかったみたいだけど」 「どういうこと……?」 私はルディエールの言葉に首を傾げ、訊き返した。 「……思い出すから」 ルディエールは真面目な顔で私を見る。 「え……」 「……お腹の子の父親のこと……だと思う。彼女はそれを考えないでいたいんだよ」 ルディエールはそれだけ告げると彼女の方を見つめた。 「そんなの……勝手すぎる……」 私はウィニエルに見捨てられた気がして肩を震わした。 悔し涙が込み上げてくる。 だから、新しい人と歩むの? フェインは? フェインはどうしたらいいの? 「う……うう……」 ウィニエルが熱に魘されている。 細い白い手が布団から伸びて、何かを求めるような仕草。 「……勝手じゃないよ。ウィニエルは辛いんだと思う」 ルディエールはその手を優しく掴む。 「何でよ! 勝手じゃない! フェインはねぇっ!!」 私は立ち上がって身を乗り出し、ルディエールの胸倉を掴んで詰め寄ろうとした。 「……ウィニエルは今も苦しんでるんだ」 ルディエールは抵抗もせず、眉を顰めて辛そうにウィニエルを見つめる。 「え……」 私は刹那固まってしまう。 「っ……はぁ……フェイン……ごめん……なさい……私は……はぁっ……」 熱で魘されているウィニエルから、たどたどしくか細い声が紡がれていく。 ごめんなさい、 ごめんなさい、 ごめんなさい、 彼女は何度も何度もうわ言を呟いている。 「……俺の知り合いの女性に彼女の面倒を見てもらってるんだけど、毎晩魘されてるって。……謝り続けてるんだ」 ルディエールは優しく魘されているウィニエルの頭を撫でた。 「うう……ごめんなさい……はっ……はぁっ……」 ウィニエルの目から雫が溢れ、枕を濡らす。 「……いいんだよ、ウィニエル。俺は大丈夫だから」 「っ……う………………」 ルディエールがウィニエルの耳元でそう言ってやると、彼女は静かに寝息を立て始めた。私はただ、それを茫然と見ていた。 「……この手、俺の手だと思ってないんだぜ? 声も、俺だと思ってないんだ……」 ルディエールは淋しそうに笑って握ったウィニエルの手を布団の中へと戻してやる。 「……ど……どうしてよ……そんなに魘されるくらいなら……」 私は何が何だかわからなくなって、気が付いたら口走っていた。 「……会いに行けばいいって?」 「そうだよ……フェインは喜ぶはずだよ」 「……君の話し方からすると多分そうだろうな。でも、ウィニエルはさ、辛いんじゃないか?」 「……っ……」 ルディエールの言葉に私は言葉を飲み込む。 「俺は彼女の味方だから彼女寄りになってしまうけど、ウィニエルはもう人間なんだよ。あの頃みたいに呼べば二つ返事で来てくれるわけじゃない。君はそれをわかってて、それでも来いって言うのか?」 「……そ、それは……」 ルディエールの言葉に私は口を濁した。 「……天使だった頃の彼女は呼べば来てくれた。辛いことでも傍に居て一緒に受け止めてくれた。励ましてもくれた。……それが天使の務めだったから。でも今の彼女は天使じゃない。天使としての務めを果たさなくてもいいんだ」 ルディエールの言葉が次々に私の胸を刺していく。 「わ、わかってるよ……そんなのわかってるけど、でも……」 私は眠るウィニエルを見つめた。 「…………」 ウィニエルは先程より呼吸も楽になったのか穏やかに眠っている。 ウィニエル、あなたはどうして何も言ってくれなかったの? あなたが悩んでたことの本当のことが……今少し見えて来た気がする。 「ウィニエルは恐がってるんだ」 ルディエールもウィニエルを見つめる。 「っ…………」 私は言葉を失ってしまう。 ルディエールは私より先に気付いていた。 ウィニエルが恐れていたもののその本当の正体を。 「天使ではない彼女はあまりにも弱い。他の誰かを構うほどの余裕が今の彼女にはないんだよ。……俺のことだって、全然眼中になんてないんだぜ? 自分のことで精一杯なんだ……」 ルディエールの言葉に私は気付く。 「……そういうことだったんだ……」 私はウィニエルの傍に寄って彼女の手を布団から出して、強く握って微笑む。 「え……?」 ルディエールが私の行動に不思議そうに首を傾げた。 「……ごめん……ウィニエル。私、あなたに求めてばかりだったね……あなたのこと、何も考えてなかった……だって……あなた何も言ってくれないんだもん……。いっつも笑って大丈夫だって言って……」 ウィニエルの熱が私の手に伝わってくる。 この熱で彼女がもう天使ではないことがわかる。彼女が天使だった頃にこんなに熱い体温を感じたことはなかった。 いつでも誰にでも気を遣って頑張り屋だった天使はもういないのね。 人間になったウィニエル。 もう、強がることが出来ないんだ……。 フェインの傍に居たら、いつか姉さんのことで辛くなってしまう。 それが耐えられないんだ……。 本当の彼女はこんなにも弱い人だったのね……でも、天使という使命があったから強くいられた。 どうして気付いてあげられなかったんだろう……。
to be continued…