「…………空が綺麗だな」 フェインが立ち尽くしたまま、階段途中の小窓から空を見上げ告げた。 天気の良い日はそんなことを呟く。 吸い込まれそうな澄み切った青に自分も溶け込み昇りたいような気を起こしてるんだと思う。 姉さんのことがあって、かろうじてもう死のうなんてことは考えていないようだけど、こんな姿を見ていると、まるで生きる屍だ。 何度も目にしていると時折嫌気がさしてくる。 「……うん。天使が降りて来そうな空ね」 私はこうして時々ストレス発散をするようにフェインに意地悪をする。 「……天使……っ……!!」 私の言葉にフェインのそれまで合っていなかった焦点が途端確立し、私を押し除け彼は階段を気持ちが逸るのか足をもたつかせながら駆け上る。 「ちょっ、フェイン!! 痛った~いっ!!」 私は階段に尻餅をついて振り返り、フェインの背を見送る。 「……馬鹿。もういい加減諦めなさいよ……」 乱暴に打ち付けられたお尻が痛くて私は腰を上げ、お尻を擦りながらフェインを放ってはおけず、彼の後を追ってゆっくりと最上階へと上がった。 「…………ウィニエル……」 私が再び最上階へと足を踏み入れるとフェインは胸元に手を当てて空を仰いでいた。 「……っ…………」 私は何も言えずに彼を見つめる。 フェインの胸元にはウィニエルの羽根が収まっている。前に彼がお風呂に入るとき偶然見てしまった。 彼は未練たらしくそれを後生大事に肌身離さず紐を付けて持っているのだ。 そして天気の良い日に私が天使の言葉を一言でも口にしようものなら決まってこうして空を見上げている。 空に恋焦がれるような顔で。 ウィニエルはもう飛んでは来ないのに。 私はもう何度この光景を見たんだろう。 「……フェイン。ウィニエルはもう居ないんだよ?」 私は少し間を置いてから声を掛けてあげる。 「あ、ああ……アイリーンか……わ、わかっている。ちょっと思い出していただけだ」 フェインは私から声を掛けられてやっと私の存在に気付いたかのように正気に戻って胸元に当てていた手を放す。 それからしばらくはいつものフェインで居てくれる。 「……あのさ! 私ね、明日からちょっと留守にするから、ウェスタのこと宜しくね!」 私はそれを見計らって彼に告げた。 「またか……。一体どこに何をしに行ってるんだ?」 フェインは訝しそうに訊ねる。 「フェインがギルドに顔出しに行かないからでしょーが!!」 「あ、ああ……そうだったな……悪いな」 フェインがばつの悪そうな顔で笑う。 「元気なんだったら行けばいいのにさ」 私は口を尖らせた。 「ああ……すまないな」 フェインはそう告げるとさっさと階段を下っていった。 あれからフェインがギルドに行かない代わりに私が顔を出している。フェインは半ば引き篭もりに近い。堕天使との戦いの頃の私とフェインは逆転したようだった。 月一回、二週間程掛けて私はギルドに顔を出しては情報収集の仕事を彼の代わりに請け負っている。 そうでないと食べて行けない。 それに、フェインと二人でずっと居るよりは旅をしていた方が気が紛れる。 でもフェインのことは心配だからウェスタを置いて……。 ウィニエルと約束したから。 ◇ 次の日、私は塔を出る。 「じゃ、行って来ます。今度帰ってくるまでにあの部屋片付けといてよね」 「ああ、わかった」 いつもこうしてフェインにすることを与えてから私は塔を後にしている。 でないと、彼は思い詰めて何をするかわからない。 塔に部屋がいくつもあって助かった。 私が部屋を汚すのが得意で良かった……なんて。 フェインはいつも私が帰る頃にようやく片付けを終わらせている。性格なのか隅々まで綺麗にしていると時間が掛かるみたい。 「フェイン、お土産いる?」 「いや……いい」 私の問いに彼は首を横に振る。 「わかった。何か探してくるね」 私は彼の顔を下から覗きこんではにかんでみせた。フェインは要らないと言うけれど、私は彼にウィニエルではない他の何かに興味を持って欲しくていつも珍しい物を探してはお土産にして持ち帰ることにしている。彼はそれを大事にはしないけれど、ちゃんと部屋に飾ってくれている。 それで少しでも気が紛れればいいと思う。 「……ああ……気を付けて行っておいで」 フェインは私の笑みにつられ、ほのかに笑う。 「うん」 私は彼の笑顔を確認してから塔を後にした。 フェインのことは心配だけど、いつも一緒に居ると息苦しくなる。 ウィニエルが妊娠してることを言ってしまいたくなる。 全て曝け出して楽になりたくなる。 でもその後私は絶対に後悔するんだ。 フェインは傷ついてまた自分を責め始める。 自分の殻に閉じこもって盲目に後悔と自責の念でウィニエルを求め始める。 下手をすれば姉さんの時のように、禁じ手を使ってしまうかもしれない。 それでは絶対に彼女は手に入らない。 彼女が堕天使の声を受け入れるはずがないもの。 それに、堕天使を身重の彼女に向けるなんてそんな酷いこと出来ない。 「……ウィニエル……私辛いよ……」 ウィニエルに対して怒りとか、そういうのは無い。 ただ、切ない。 未来が明るいものだなんて、誰が決めたの? 世界が平和になったからって、痛みが癒えない人もいるのよ。 過去を過去に変えられない人がいるの。 いつか癒えるって信じてても、そのいつかが来なかったらどうすればいいの? でも……それを持って生きていくのが私達人間……。 ねぇ、ウィニエル。 今はまだ無理だけど、あなたを思い出に出来る日がいつか来るのかな……。 いやだ。 私はそんなの嫌だよ。 「……えっと……こっちね……にしても寒いなぁ……」 身震いをしながら一人誰も通らない真っ白な雪道を歩いている私。 私はギルドを訪れたあと、マスターに頼まれグローサイン帝国の領地タイシュート地方を訪れていた。 「あれ……ここって前にも通ったことがある……」 私の目の前に懐かしい景色が広がる。 ここは姉さんと対峙する場所へと向かった雪道。 あの時は半信半疑で、不安でどうしようもなかった。ウィニエルと一緒に歩いた道。 姉さんが亡くなった場所に近い。 「……せっかくだから……お姉ちゃんに会いに行こう……」 あれから一度もこの辺りには来ていない。 私は崩れた魔石の塔へ向かうことにした。 「……花持って来るの忘れちゃったな……」 私は崩れた塔の敷地内へと入る。皆天竜を恐れてここには立ち入らないらしく、崩れた瓦礫の山は今もそのままだった。 少し淋しいけれど、ここはずっと静かにこのままの状態で残っていくんだと思うとほっとする。 「……よっ……と……」 私は足場の悪い瓦礫の上を持ち前の運動神経で乗り越える。この先を越えれば、姉さんが最後に居た場所。 「……え……誰か……居る……?」 少し開けた場所に私が出ると、姉さんが居た所に誰か立っていた。遠目でよくわからないけれど女の人のようで、彼女の足元には色鮮やかな花が供えられていた。 私は物音を立てないように彼女に静かに近づいていく。 彼女は手を合わせて瞑想じみた様子で、近づく私には気付いていない。 ――この後姿、誰かに似てる。 「……まさかね……」 私は更に彼女に近づく。背丈といい、長くて細い蜂蜜の艶やかな髪といい、服装は地味だけど、この人に私は以前会ったことがある。 「…………セレニスさんどうか……」 彼女の憂う横顔がついに私の目に入る。それでも、彼女は私に気付かない。 「……ウィニエルっ!!」 私は大きな声で叫んで彼女に横から抱きついた。 「あっ、アイリーンっ!!??」 私の行動に彼女は驚いて目を丸くする。 「ウィニエル!! 嘘っ!? 本物っ!? ねぇ、本当にウィニエル!?」 私は喜びのあまり彼女の顔を両手で覆って私の顔に寄せた。 「アイリーン……」 彼女のエメラルドの瞳に私が映っている。でも、表情は嬉しそうじゃない。 「地上に……地上に残ってくれてたのね!?」 「……いえ……私は……」 喜ぶ私とは対照的に、彼女は私の手を静かに下ろさせる。 「ウィニエル……?」 私は首を傾げた。 「……私は天界に帰りました。でも地上に落されたんです」 ウィニエルは俯いて首を横に振る。 「え……」 「本当はアルカヤに降りたくなかった。でも……ここに降ろされてしまいました」 彼女は私と目を合わせようとしなかった。 「何で何で!? アルカヤで良かったじゃない!! 私今すっごく嬉しいよ?」 私はウィニエルの手を取り、彼女を励ます。 「……私は嬉しくなどないんです……」 彼女は俯いたまま一筋の涙を零した。 「どうしてよ……この世界ならフェインにだって会えるじゃない」 私は彼女と目を合わせようと彼女の顔を覗き込もうとするけれど、彼女はそれを拒むように決して上を向かなかった。 「……フェインには会いたくありません」 「そ、それどういうこと?」 私は彼女に訊き返す。 「ウィニエル、そろそろ帰ろう。身体が冷えるとよくないよ」 でも、それに彼女が応える前に聞いたことのない声が私達の間に割って入ってきた。 男の声がして、その後赤い髪の若い青年がこちらにやって来る。 「はい。今行きます」 ウィニエルは声に振り返って青年の方へと足を踏み出す。
to be continued…