「……ウィニエル……」 私は茫然となって彼女の名を呼ぶ。 「はい?」 ウィニエルは微笑みながら首を傾げた。 「……ありがとう……姉さんきっと喜んでると思う……私とフェインなんて……祥月命日は行こうと思ってたけど……月命日までは……全然そんなこと気が付かなかったよ……自分達の生活で一杯一杯で……」 私は恥ずかしくなって、頭を軽く掻いた。 「……いいえ、そんな……私はただ、セレニスさんに話したいことがあって……」 ウィニエルは首を横に振る。 以前天使であったからとか、そういうことは関係ない。 彼女は……、 彼女はなんて思いやりのある人なんだろうか……。 姉さんとは面識はないのに花を手向けてくれた。 こんなに優しい人他にはいない。 そんな彼女をフェインは引き止めなかったんだ……。 彼女の優しい愛を、フェインは知ってたはずなのに。 なのに手放した。 そして、ずっと後悔してる。 ウィニエルは後悔してないのに。フェインは後悔してる。 「……姉さんとはどんな話をしたの……?」 私はウィニエルに訊ねてみた。 大体はわかる。さっきの話からすれば、彼女のことだから謝罪ばかりするんだ。 でも、それは少し違っていた。 「……話というか……一方的に私が話しただけ。セレニスさんはフェインと結婚した日に亡くなったって言ってたでしょう?」 「……うん……」 「……私ね……セレニスさんにお願いをしたの……」 ウィニエルは目を閉じて穏やかに微笑む。 「お願い……?」 「ええ……この子が無事生まれて来るように守って下さいって……セレニスさんが生きていたらこの子はセレニスさんとフェインの子だったかもしれないでしょう? 私が代わりに……というわけにはいかないでしょうけど……彼女が愛した人の子を、セレニスさんも見たいと思うから……」 言い終えた彼女は凛としていた。 「……ウィニエル……」 私は彼女の姿に自然と笑みを零していた。 「……後は謝ってばっかり…………」 ウィニエルは少し淋しそうに笑う。 「……フェインの……ことで……?」 私はおずおずと聞き返した。 「……内緒です…………」 ウィニエルはそれ以上何も言わなかった。代わりに笑顔を崩さなかった。 きっと今でもフェインのことを想ってくれているに違いない。 「……そっか……」 私はその笑顔に釣られて微笑む。 ウィニエルは変わってない。 半年前のままだ。 でも、前よりも少し強くなった気がする。 お腹の子の所為……? それとも、セレニス姉さんが見守ってくれてるから? 今は無理かもしれないけど……もしかしたら、彼女はこの子を産んでからなら、フェインを受け入れてくれるかもしれない。 だって……彼女は人間で、人の心は変わるもの。 心持ち次第で人は強くなれるんだ。 変わらない人もいるけど、彼女は変われる気がする。 天使だった頃、あんなに前向きだった彼女が人間になったからってすぐに後ろ向きになるわけがない。 ただ、今は少し臆病になってるだけ。 よく考えたら一人で子供を産もうとしている時点で彼女はある意味前向きだわ。 フェインだけが閉じ篭ってるだけで、ウィニエルは自分の心と向き合おうとしてる。 今は弱いから強くなるまで待ってて欲しいのね、ウィニエル。 そういうことなんでしょう? それなら任せてよ。 「……フェインには内緒ね」 私はウィニエルの目を真っ直ぐに見据えた。 「え……?」 私の言葉にウィニエルは首を傾げる。 「……私が守ってあげる。ウィニエル、あなたもこの子もちゃんと私が守るから安心していいよ」 私はウィニエルの頬に軽くキスをした。 「アイリーン……?」 ウィニエルの頬が少し赤くなる。 「……私ね、フェインのことばっかり考えてたんだ。ウィニエルのこと大好きなのに、あなたのこと考えてなかった。あなたがどんな想いで天界に帰ったなんて気付きもしなかった」 「アイリーン……」 ウィニエルが私を見つめて、真面目に話を聴いている。 「ごめんね……。フェインは大丈夫だから。もう一生誰にも恋したりなんかしないから」 「え……?」 私はその先も言おうと思ったけど、言わなかった。 フェインはウィニエルが去ってから毎日後悔の日々を送ってる。セレニス姉さんへの愛の狭間で、ウィニエルを想い続けて茫然自失の日々を過ごしているなんて、彼を愛しているのに身を引いた彼女に言えるわけがない。 そんなこと言ったら彼女が苦しむだけだ。 フェインはウィニエルに恋してる。 否定しててもあの態度はそうとしか思えない。 フェインが変わってくれれば一番いいんだと思うけど……彼は変わらないと思う。 彼は真っ直ぐな人だから、変わりたいと思ってても、変われないんだ。 これと決めたらこれ。 セレニス姉さんを愛し抜くと言ったら一生愛し抜く。 でもだからってセレニス姉さんだけを愛し抜くとは言ってない。 ウィニエルも同時に愛してしまえるんだ……。 そんな風に想うのは彼女だけだと思うけど……、 男って勝手ね……。 そんな男でもウィニエルは好きで居てくれる。 彼女はフェインへの恋を愛へと変えたんだもの……。 彼女なら、愛を変えられる。 私はその愛を何ていうのかはわからないけど、それに賭けたい。 二人の未来の道のスタートは分かれ道から始まってしまったけれど、いつか再び出会うって信じてる。 未来の先は明るいものだって、信じていたいの。 「ね、所で、ルディエールって何者?」 私は話題を変える事にした。 「え? ルディ? あ、彼は……」 「勇者だったってことは聞いたわ。私が聞きたいのはそんなことじゃなくて……」 私はその先が訊きたかった。 フェインは当分心配ない。だって、塔から出ようとしないんだもの。出会いも無いし、彼の性格からしてセレニス姉さんとウィニエルのこと以外何も考えられないはず。 なら、問題はウィニエル。 彼女は自分は弱いって言ってたのよね。 それって逆を言えば、誰かが付け入ることは出来るってことじゃない。 今思い出したけど、ウィニエルは他の勇者達にも慕われてたんだ。あの……インチキ聖職者だってウィニエルのことを好いてた。 ルディエールだって、“支えになりたい”とか言ってくれちゃったし。 ウィニエルって……意外と魔性かもしれない……。 「彼は……?」 私は唾を一飲みした。 好きだなんて言わないでよね。ルディエールはいい人そうだけど、ウィニエルにはフェインが居るんだから。 「彼は私にお金を貸してくれたんです」 ウィニエルは恥ずかしそうに応えた。 「え? お金?」 「ええ……恥ずかしながら私は、彼に借金をしてるんです。彼は命の恩人で、私が一人で暮らしたいと言ったらお金を貸してくれて……返済はこの子が生まれてから働いて少しずつ返してくれればいいと言ってくれたのでご好意に甘えて……」 ウィニエルは顔を赤くして両手を合わせるように指を合わせた。 「え……それだけ?」 「はい、それだけですけど? 他に何か?」 ウィニエルは首を傾げて私を見つめる。 「は、ははは……な、何だ……そうだったんだ……よ、良かったぁ……はぁ……」 私は肩透かしを食らったように深くため息を吐いた。 「アイリーン? どうかしましたか?」 ウィニエルは困惑した顔で微笑む。 「……ううん! 何でもないっ! 安心した!!」 「あっ……アイリーン!?」 私はウィニエルに抱きついた。 ウィニエルはフェインだけをちゃんと想ってくれてる。 それに安心したのだ。 その後、ルディエールが私達の話を聞いていたのか沈んだ顔で医者と共に病室に戻ってきて、ウィニエルはそのまま帰っていいことになった。 ウィニエルは一人で帰ると言ったのだけど、ルディエールはウィニエルを家まで送ると言い出して、私もウィニエルと一緒に行くと告げて、彼女と同行することになった。 合い間にギルドに頼まれた仕事もこなして、私は大忙しで三人で旅したのも束の間、ルディエールは途中まで一緒にいたけれど、レイゼフートで紫の髪の女性に連れられてどこかへ行ってしまった。 ウィニエルは淋しそうなそぶりも見せないで「ルディは忙しい人なんですよ」なんて微笑んで名残惜しそうに離れていくルディエールに手を振っていた。 ルディエールの気持ちはウィニエルには全く伝わってないみたいで、少し可哀想かも。 本当に自分のことで精一杯なんだって、わかった気がする。でも、私はウィニエルと二人で旅が出来て嬉しかった。 ウィニエルも嬉しかったみたいで、「あの頃を思い出しますね」って穏やかに微笑んでいた。本当は思い出したくなかったわけじゃないと、彼女の笑顔でわかった。 今はまだ、思い出を振り返る程強くなってないってことなんだ。 それなら私は、あなたが強くなれるまで、あなたを見守ってあげる。 彼女はエクレシア教国のセルバ地方、リャノのドライハウプ湖近くに小さな家を借りて住み始めていたのだという。 どうしてその場所にしたのかはわからないけれど、あの場所は最後の戦いの地。彼女なりに何か考えがあってのことだと私は思った。 後からわかったことだけど、ルディエールはレグランス王国の王様だったらしい。この近くまで用事があったからついでについて来てくれていただけだとウィニエルが教えてくれた。 私は彼女を家まで送り届けると、フェインを心配させないために一旦帰ることにした。 ウィニエルは「フェインには内緒ですよ?」と、私と指切りをし、私が「また来るから」と告げると彼女は優しく微笑んで頷いてくれた。 ◇ ――あれから私は急いでギルドに報告して、塔へと戻った。 三週間振りにフェインと会う。 「おかえり、アイリーン。今回は長かったな」 私が扉を開くと、バケツとモップを持ったフェインが優しく迎える。 「ただいま!!」 私は元気良く大きな声で彼に挨拶をした。 「ん……? いつもは疲れきって言葉も出ないのに今日は何か嬉しそうだな」 フェインは私の笑顔に釣られてうっすらと微笑む。 「えへへっ内緒だよ! ね、フェイン、再来月さ、姉さんの祥月命日だねっ」 「……再来月……? ああ……そうか……もうそんなに経つのか……そうか……」 フェインは俯いて首を横に何度か振りながら階段へと上がっていく。 「あ! ちょっとフェイン!? ……あの場所に行くよね?」 私は遠ざかる彼の背に向け告げる。 「……ああ……再来月だろ……? 君は気が早いな……まぁいい……セレニスの好きな花……持って行ってやろうな……」 フェインは沈んだように足取り重く階段を上がっていく。 私は彼の姿を見えなくなるまで見送る。 「…………ちょっと重症かも……」 私は冷汗を掻いて呟いた。 フェインは姉さんのことを忘れてはいない。 姉さんの話をするととても嬉しそうだもの。 でも、時間の感覚が無いのかもしれない。 半年でウィニエルは強くなったけれど、フェインは半年かけておかしくなってしまった。 どちらの理由も知ってる人間は私一人。 私は二人がいつか一緒になってくれればいいと願ってる。 姉さんもフェインの幸せを願うはず。 私だってそう。 私はそのための努力なら惜しまない。 「…………私が頑張らないと!!」 私は拳を握って腕を引き、大きく息を吸い込み奮起した。
to be continued…