贖いの翼・番外編1:泡雪① ウィニエルside

前書き

本編第四話~第五話に入る辺りのお話。

 ――あと、数ヶ月。


 彼にしてあげられることは?


 私が彼にしてあげられることはもう、あまりないのかもしれない。

 それなら、何か贈りたいな。

 彼に、

 フェインに何か贈りたい。


 何がいいんだろう……?


 私は宿の一室で一人バルコニーへ出て、星々が輝く澄んだ安らぎの闇空を見上げていた。弓形の月の光が柔らかい。
 バルコニーの柵の上部の手すりに私は手を置いて掴まっている。手すりは金属で出来ており、それは冷たくて、先程まで火照っていた身体をひんやりと冷ましてくれていた。
 この辺りの土地は年中寒冷地だから、私の吐いた息も白い霧となって消えていく。
 宙に溶けてはまた現れ、そしてまた消える。

「……はぁー……」

 私は自分の吐く息に儚さを感じていた。

「……ウィニエル?」

 不意に背後から彼の声が聞える。低くて、耳に届いた途端身体を震わせそうになる甘い音。
 その声色で名前を呼ばれると私は胸が締め付けられて身動きが出来なくなる。

 というのも、さっきまで私達は互いに求め合っていたから。
 ほんの数分眠りに入って、汗は引いたけどまだ余韻が残ってる。

 身体中が彼に呼ばれて疼いてる。

 もっと。

 もっと、彼の熱が欲しいって、燻ってる。

 もっと、フェインを私の身体に刻み込んで。
 赤く滲んだ肌が癒えても、心に刻み込んで。


 消さないで。
 消したくないの。


 彼に愛してると言われたことはないけれど、私はそれでいい。私を呼ぶ彼の声が私を求めてる気がするから。
 たとえそれが私の身体だけを求めているとしても、私はそれを喜びと受け止めるわ。


◇


「あ……起こしちゃいましたか?」

 私はその声に振り返った。

「……そんな格好で寒くないか?」

 彼は私の肩に自分の普段着ているローブを静かに掛け、私の隣に立ち同じ様に闇夜を見上げる。

「え? あっ……ありがとうございます……」

 そういえば私は今、光沢のある白の薄い長めのスリップ一枚と、同じ素材のショーツ一枚で、裸足だった。
 寒くはないけれど、この場には不相応だ。ここが二階だとして、誰に見られるとも限らない。
 私は自分の浅はかさにはっとして、頬を熱くした。
 そうでなくとも常々、私の姿は寒冷地では見た目が寒そうだと、どの勇者にも言われてわかっているはずなのに。

 そう、彼、フェインにもいつも言われてる。
 わかってるはずなのに、寒さを感じないから、つい、ね。

 でも、彼は優しいから私に上着を被せる。自分の方こそ寒いというのに。
 『翼が邪魔だ』と言われて、あれから私は彼と寝る時は翼を隠している。


 ――だって、痛いから。


 抜かれて、折られて。

 直ぐに治るけれど、その時は痛いの。物理的な痛み以上に胸が締め付けられる。
 喉の奥から声にならない声が悲鳴を上げてる気がする。
 泣いてる気がする。

 彼が抱いてるのは天使だ。
 彼が求めてるのは私じゃなくて、天使。
 一時の安らぎを与えてくれる天使。
 彼の犯した罪を一時だけ解放し、覆い隠す純白の翼の持ち主。

 でも、私なの。
 それが、私なの。

 ただ、

 この翼があるために、互いの存在が近くて遠い。

 だから今、
 翼は私の陰鬱な感情と共に隠しておく。

 あなたの抱いた天使は、本当は天使じゃないのよ。
 ウィニエルというただの女。


 ……そうであったならどれだけ気が楽か。


 でも、そうだったらあなたには会えなかった。


 ……それとも、やっぱり出会っていたかしら?


 出会うことは予め決められていて、こうなることも、ああすることも、始めから決まっていたら?


 ……私はやっぱりそれを喜んで受け入れていた?


 私は彼の横顔を見上げた。
 フェインの瞳は闇夜に浮かぶキャッツアイ。月明かりを映して私は彼に見惚れてしまう。
 これが愛しいって感情。少なくとも、私はそう思ってる。グリフィンの時にも感じた温かい想い。
 でも、形は違う。

 これは私の片想いだ。ずっとこの先変わることのない想いの宝。
 全てが終わって私がこの地へ留まって彼の傍に。

 ずっと……。

 いられたなら、
 いられたならいいな。

「…………」

 私は目を細めて微笑む。横顔の彼は気付いていない。

 私がこんな風にあなたを見つめているなんて、あなたは知らないでしょう?
 あなたの横顔をこうして穏やかな空の下で見られる幸福感。

 この想いを大事にしていきたいと思う。

 私はフェイン、あなたを愛してる。
 心も身体も、私はあなたのもの。


 そうなれたなら。


「…………ウィニエル」

 フェインは月を見上げながら告げた。

「はい……?」

 私は彼に見惚れたまま動けないでいた。

「……寒いな……」

 彼は自分の二の腕を抱え大きく身震いすると、くしゅんと小さいくしゃみをする。

「…………はい」

 私は彼の姿が可愛く見えて、軽く首を傾げながら微笑み、彼に寄り添う。よくよく見れば彼の格好もバスローブ一枚。
 流石に人間には堪える寒さだった。
 私は彼が掛けたローブを返そうとしたが、彼は私の方へと向き直り、動作を制止し、首を横に振った。

「いいんだ、君が使ってくれ」
「…………すみません……」

 彼は一度言い出すと聞かない所があるから、そういう時私は素直に従っていた。

「……この街の空気は澄んでいるな……」

 彼の声が微量ではあるが、震えている。雪が降る前なのか、天使の私でも気温が先程より随分下がっているのがわかった。
 このままではフェインは風邪を引いてしまうだろう。

「そうですね……。フェイン、部屋に戻ってて下さい。私、もう少しここで空を見ていたいのです」

 私は彼の身体が心配でフェインを部屋へ戻るよう促した。


「いや……俺ももうしばらくここで君と同じ景色を見たい」


 寒さの所為か、ほのかに微笑むフェインの口元が歪に引き攣っている。

「風邪引きますよ?」

 私はそんな彼の頬を両手で包んで、苦笑した。
 彼の頬は冷たくて、唇の色、いつもより血色が悪い。

「……ああ、そうだな……一緒に入っていいか?」

 多少涙目の彼の瞳に私はまた、見惚れてしまう。

 声も、唇も、瞳も、どのパーツも彼のものなら、私は愛しくて堪らなかった。

「……え……? あ、ならやっぱりフェインが使って下さい。私、平気ですから」

 私はローブを剥がそうと手を掛けるが、その手の上から冷たい彼の大きな手が包む。

「……それは俺と一緒に見たくないということか?」

 フェインが意図してることがなんなのかわからなかったけど、彼も苦笑しているように見えた。

「え……? いえ……そんなことは……ただ、私は気温……」

 天使の私は気温変化に鈍感だから全く問題ない……と続けようとしたけれど、

「……君と一緒なら、寒くないからな」

 彼の優しい笑顔とその一言でそれは遮られてしまった。

「あ……多少は温かいですもんね」

 私は一人でローブを着ているより、一緒に入っていた方が温かいのは確かだと、妙に納得していた。

「……いや……多少じゃない……」
「へ?」

 彼は背を屈めて、私に掛かっているローブを捲り上げ、私の背後に入り込む。

「いや、何でもない。寒くないか? ここを押さえておけばいい」

 二人で着ているため二人羽織のような不恰好な形となってしまう。彼はいつものように襟元を止めて、私はその下に首を出した。
 首一つ分だけ空けて、彼は私の肌が露出しないよう、ローブの前身ごろを押さえさせる。
 フェインは袖を通すと窮屈になるのか、袖だけは通さなかった。その代わりにローブの中で私の両腕を包むように身体を抱きしめている。

「……ふふっ。何だか不恰好になってしまいましたね」

 私が真上を見上げると、彼の顎と鼻先が見えた。表情はわからない。

 でも、

「…………温かいな、君は」

 彼の声の低い振動が触れている背から伝わってくる。


 ぞくり。


 そんな言葉が一番正しい。刹那神経が波打った。

 背筋に微弱な電気が駆け抜けた気が……した。

「……くっ……は、はい……」

 私はその声に反応してしまったことが恥ずかしくて、彼に悟られないように右手だけローブから出して冷たい手すりに掴まる。

 このまま逃れられたら。

 そう無意識に身体が彼から離れようとしていた。

to be continued…

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