贖いの翼・番外編5:誘惑① ロクスside

前書き

本編第九話辺りのお話。借金持ち同士仲良くしようぜぇ、とかいう話だったか……?

 もう、あの戦いから半年経った。

 彼女は天使でなくなったはずだ。
 人の子を宿した天使は恐らく天界とやらには帰れないだろう。

 そして、相手の元にも行くことは出来ない。

 この世界に居るんだろう? ウィニエル。


 今、どうしているんだろうか。
 僕は、
 それなりに、君を想っていたんだけどな。

『君にキスしたかった』

 今そう告げても、言の葉は空を切るばかり。

 平和になったアルカヤに……、いや、
 僕の傍に天使がいないから、僕は物足りなさを感じている。

 想いを告げる前に既成事実が先行して、失恋した痛手。
 今もまだ、傷は癒えていない。
 各地を放浪しているのはそれだけが理由じゃない。他にも二、三ある。
 彼女の相手を捜し出して殺してやろうかとも思ったりもしたが、未だにそいつには出会っていない。

 そして、放浪している最大の理由の彼女自身にも出会わない。


 ウィニエル。


 君に出会うことが再びできればいいのにな。


 旅を続けてれば、いつか君に会えるだろうか?


 最近は、その旅の理由も少し変わってきたんだ。訪ねる街々の空気があの戦い以降変わってきている気がする。
 まだ、少しずつだが淀んだ気の流れが清浄な流れに戻って来ている。

 僕はそれをこの目で直に確認することに生甲斐を感じ始めていた。

 平和になろうとも、癒しの手を頼る人々は多い。相変わらずおべっかを使う連中も居るが、前ほど腹も立たなくなった。
 けど、副教皇には悪いが、僕は聖都で大人しくしてられるほど出来ちゃいないから、旅に出たんだ。

 将来はわからない。
 でも多分、聖都に戻るだろう。

 ただ、今は旅先で人助けをする方が幾分か気が楽だ。
 旅先でも金を積む者やおべっかを使う奴もやっぱりいる。
 そういう奴にはきちんと説教してやるんだ。

 金や権力で人の命は量るものじゃない、とね。

 僕らしからぬ言葉だろう?

 未だに誰かの為に率先して何かやろうという気はないが、強欲な奴には無性に何か言ってやりたくなる。
 いつか聖都に帰ったら、強欲なジジイ共にはっきり告げて、泡を吹かせてやりたいな、何て思いながら各地を回ってる。
 毎日が忙しくて、彼女への想いも少し薄らいだような気さえする。
 このまま、甘く苦い思い出に変わるならそれもいい。

 待てども待てども来ない出会いは、知らぬ間に僕の心から遠ざかっていく。


 そして、

 求めれば逃げていくように、出会いもそうなのかもしれない。
 案外、求めなければ向こうの方からやって来るものなのかも知れない。


 出会いというのは突然起こるものだと、思った。


◇


「あ」
「あ」

 二人の男女が同じ言葉を発した。

 僕はある街中を何をするわけでもなく、歩いていた。つまりは散歩だ。
 時刻は正午近く。お腹も減って来る頃だった。
 多くの出店が並び、行き交う人々の中、僕の目の前に見覚えのある女性が現れて、ふと立ち止まった。
 向こうも二度大きく瞬いて足を止める。

 セルバ地方、リャノの街に着いたのはつい昨日のことだ。この街に来るのは実はこれで、三度目。あの決戦が行われたのはこの近くだったからだ。
 この街に来るとあの頃に取り巻いていた気とまるで違うから、平和になったことが本当によくわかる。
 今回はここよりもっと西の方から来たが、西の街ではこれ程までに気は澄み切ってはいなかった。ここから徐々に放射状に清浄化されている気がするのは、ここがアルカヤの中央付近だからなのかもしれない。

「ウィニエル!?」
「ロクス!?」

 互いに名前を呼び合う。


 これは偶然か、必然か。
 憐れな子羊に神が与えたもうた奇跡か。

 ついこの間まで再会を渇望していた彼女が目の前に居る。
 一度失った天使が目の前に再び現れたのだ。

 髪は編んでいるのか以前とは違うが、顔は彼女のまま、肌も、瞳も、唇も綺麗なままだ。
 ただ、以前の彼女じゃないことはすぐにわかった。


 先ず、あの瑞々しく美しかった純白の翼が無い。

 それに、

 手荷物だ。
 中身が見えそうな口の開いた買い物篭を手にしている。
 以前の彼女はこんなもの持ったことなどなかった。

 口の開いた篭には赤い野菜、多分トマトだな。
 それに、緑の野菜、これはよくわからないけど、何かの葉っぱだろう。そんなこと、僕が知ったことか。
 その上に薄い黄色の布巾が掛けられていて、合間から長く硬そうなパンがはみ出ている。
 他にも何か入ってるようだけど、覗いたわけでもないから、それ以上はよく見えなかった。

 まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。

 篭の中身よりなにより、
 一番気になったのは、彼女のお腹が少し膨らんでいたこと。


「い、いやぁ、久しぶり」


 僕はつい、手を上げて挨拶をしてしまった。

 再会するということは、


 ……こういうことだ。


 わかっていたこととはいえ、今でも好きな女性に別の男の魂が宿っていると思うと、心境は複雑だった。

「お久しぶりですね。お元気でしたか?」

 彼女は以前と変わらぬ笑顔で応えた。

「…………」

 僕は二の句が告げなかった。
 ただ、視線だけが、どうしても彼女の腹部に集中してしまう。

「あ……えっと……今、八ヶ月なんです。大きくなったでしょう?」

 そう告げた彼女の笑顔は母親の顔をしていた。

「あ、はは……子供……か……」

 乾いた笑いが乾いた喉を通って外へ吐き出される。


 知ってたけど、認めたくなかった。


 こうなってしまっては。


 ……認めざるを得まい。


「ロクスは……知ってましたよね」


 悪びれもせずに彼女は俺に止めを刺した。

「……ああ、知ってた」

 僕の心に怒りが込み上げてくるのがわかる。

 彼女は僕のことなど何とも思っちゃいない。
 そして、僕の気持ちなど、知ろうとも思っていない。


 僕がどれだけ、君を想っていたことか!!


 最近想いが薄れてきていたことを棚に上げて、良く言えたもんだと思うかもしれないが、完全に彼女を吹っ切ったわけじゃないんだ。

 その上、

「ウィニエル、荷物持つよ」
「あ、ルディ」

 僕と彼女の間に見知らぬ若者が割って入って来た。
 赤い髪の何だか派手な衣装を着た男だ。
 僕の服も相当派手だから、人のことを言える立場じゃないが。

 ん? ……こいつは以前会った事がある。
 僕が怪我を治した……?

「……誰?」

 赤い髪の男が彼女の荷物を持とうとウィニエルの隣に立つ。

「えっと……会ったことなかったかしら? 彼はロクス。勇者の一人だったのよ」
「へー、そうなんだ」

 彼女が答えると、赤い髪の男は俺に助けてもらったことなど忘れているのか、ウィニエルに笑顔を向ける。

「彼に助けてもらったことがあったと思いますよ」
「そう?」

 二人は目の前の僕を余所に話し始めた。

「……“勇者の一人だったのよ”、か。ふん、過去形かよ」

 僕は二人の様子が羨ましくて、つい、強い口調で告げた。

「え? だって、私もう天使じゃないですから。ロクスもルディも、もう、勇者じゃないですよ」

 彼女は笑顔だったが、この言葉は僕にとっては残酷だった。

 僕はまだ、彼女の勇者で居てもいいと思っていたんだ。
 彼女の勇者でなくなったら、もう、彼女との取っ掛かりが何もない気がして。

「……っ……」

 やはり、二の句が告げない。

「……俺は、まだ、君の勇者で居たいけどなぁ……」

 赤い髪の男もショックを受けたような顔で苦々しく笑っていた。

 こいつは恐らく、彼女を好きなんだろう。
 直感でわかった。


 彼女はどうなんだろう?


 腹の子の父親が赤い髪の男じゃないのはわかっている。
 父親のことはアイリーンに聞いていたからだ。

 アイリーンとはあの一件以来会ってない。

 旅をしていたらいつか会うことがあるかもしれないとは思っていたが、そうそうそんなことはないものだということは身に沁みてよくわかっている。

 ようやく会えたのは、彼女。
 一番会いたかった彼女に会えたんだ。
 この先、アイリーンにも会うかもしれない。それ位の運は持ち合わせていると思う。

「ルディ様~! お時間ですよー!」

 遠くの方で、人々の合間を縫って、紫の髪を一つに束ねた女性が手を大きく振っている。

「げっ!」
「はい、いってらっしゃい!」

 赤い髪の男が嫌そうな顔をすると、ウィニエルは荷物を取って、奴の肩を軽く叩いた。

「ま、また来るから!」
「ええ、また遊びに来て下さいね!」

 彼女に肩を叩かれた奴は僕をちらりと見てから、紫の髪の女性の方へと走って行った。

『全く、ルディ様はちょっとでも時間があると直ぐ……』
『ごめんごめん……』

 遠目だが、紫の髪の女性が頬を膨らまし、怒っている様子が見えた。
 そして、赤い髪の男はウィニエルの方を何度も振り返る。

『聞いてるんですか!?』
『き、聞いてるよ!』

 赤い髪の男は、紫の髪の女性に半ば強引に引っ張られるようにして姿を消した。

「ふふっ、ルディってば心配症なんだから」
「え?」

「彼、ある国の国王なんです。忙しい合間を縫って、わざわざ会いに来てくれるんですよ。この子は強い子だから大丈夫だって言ってるのに」

「…………」

 俺は彼女の言葉を黙って聞いていた。

 今に始まったことじゃないが、ウィニエルは鈍感だ、と思った。

 心配なことは心配だと思う。
 でもそれ以上に、あいつは君に会いたいんだろう。
 だから忙しい合間を縫ってでも訪ねて来ている。

 そして、奴の今の心配は、


 僕……?

to be continued…

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