前書き
本編第九話辺り。アイリーンから指輪の嵌める場所が違うと指摘されて……。
アルカヤの混乱が治まって、私が再びこの地に降りて結構経つ。 もう会うことはないと思っていた勇者達との偶然の再会。 ルディと。 ロクスと。 アイリーンと。 始めは戸惑った。 アルカヤに降りたことだけでも辛いのに、勇者達との再会。 彼を知っている者もいる。 何もかもが彼に結びついてしまう気がして恐かった。 彼にもう会いたくないと思っていたから。 けれど時が経つにつれ、それは恐れではなく別の感情へと変わっていく。 今は無理でも。 私はいつか、彼に会いたくてどうしようもなくなる。 手遅れになったとしても、きっと。 彼は私の最後の人だから。 ◇ 「やっほー、ウィニエル元気? また、随分大きくなったねぇ!」 ドライハウプ湖、湖畔の小さな一軒家の一室で、アイリーンはそう告げながらソファに座っている私の大きくなったお腹に触れる。 アイリーンが家に訪ねてくるのはもう何度目だろうか。 フェインには仕事で遠くまで行くと言っているらしい。訪ねて来たときは二、三日泊まって、私に世話を焼いてくれていた。 それはアイリーンだけじゃなく、ルディやロクスもそうだった。 皆忙しい合間を縫ってわざわざこんな辺鄙な場所まで訪ねて来てくれる。 週の殆ど誰かが居てくれるから淋しさなんて感じる暇がないのだけど、それでもふとした時に淋しく思うことがある。 やっぱり彼には敵わない。 ずっと会っていないのに目を閉じたら彼の顔をはっきりと想い浮かべることが出来る。 きっと、三年先でもそれは変わらない。 それでも、お腹の子がいる今は平気。 だって、彼の子だから。 「ウィニエル、その指輪着ける場所間違ってるよ」 「え? 着ける場所?」 アイリーンが隣に腰掛け、私の右手薬指に嵌っている銀の指輪を見つけてそんなことを言う。 この指輪はフェインがくれたもの。 グリフィンから貰ったバラのコインと共に天界から持ってきた宝物。 「……それさぁ、フェインに貰ったんでしょ?」 アイリーンは指輪の送り主が誰かわかっているような口振りで私に訊ねてきた。 「……え?」 何で知っているのだろうと、私は彼女の青い瞳を見つめる。 瞬刻、 「……えっ!? まさかあいつに貰ったりとかしてないよね!?」 アイリーンは私の両腕を強く掴み、凝視するように再び私に訊ねた。 「あいつって……?」 私はアイリーンの言ってる意味がわからずに首を傾げ、目の前の彼女の髪を見ながら、彼女の髪はいつも綺麗だな、なんて、別のことを考えていた。 「どうなのよ!? あのインチキ聖職者から貰ってないでしょうね!?」 アイリーンの口調が強まり、興奮しているのか彼女の唾が私の顔に掛かる。 すると「ごめんごめん」と私の顔を腕で拭った。 拭われた腕からアイリーンの匂いがする。 日の光を沢山浴びた、石鹸の匂い。 私の大好きな香りの一つ。 妊娠していると匂いに敏感になるのか、僅かな香りも嗅ぎ分けてしまえる。 今なら犬と嗅覚を競うこともできるかも? ……なんて、冗談だけど。 そういえばフェインもこうしてよく拭ってくれてたっけ。彼はお喋りじゃなく、くしゃみが原因だったけれど、こうした仕草を見ると同じ環境で育つと似てくるものなのね、なんて思っていた。 「……インチキって……ロクスは立派な人ですよ? それに、ロクスからは貰ってませんけど……」 「じゃあ、ルディエール??」 私が答えると、アイリーンが間髪容れずに言葉を紡ぐ。 「ルディ? …………、いいえ」 私は何故そんなことを訊くのか不思議に思いながら返すと、 「ん? 何今の間!?」 すかさず、アイリーンは私に詰め寄ってくる。 「え? 間って……別に何でもないですよ?」 「うそっ!! 今、絶対間があったよ!!」 私が答える度、アイリーンの形相がどうも必死さを帯びてきている気がする。 「無いですってば」 「嘘吐いたら駄目なんだからね!!」 「いえ……嘘なんて吐いてないですよ?」 私はわけがわからないまま、苦笑いを浮かべた。 けれど、その苦笑いは反ってアイリーンを興奮させてしまったようで……、 「いいこと、ウィニエル!」 アイリーンが私の鼻目掛けて人差し指を指し、大声を上げた。 「え……あ、はい」 私はやっぱりよくわからなくて、彼女の剣幕に押され、お腹を手で護るように押さえながら頭を縦に振る。 「その指輪が誰から貰ったものなのか、すっごく重要なのよ!」 「は、はぁ……そうなんですか……」 アイリーンの勢いは止まらず、私は合わせるように頷く。 何が重要なのかよくわからないけれど、この指輪が大切な物だということは自分でもわかっている。 絶対に失くしたりはしない。 「これは……」 と私がフェインから貰った物だということを話そうとすると、 「あー……ちょっとがっかり」 アイリーンがさっきまでの勢いを消して今度は肩を落とし、ため息を吐いた。 「……どうしたんですか?」 「だって! フェインから貰ったもんだとばっかり思ってたんだもん。再会した時もう着けてたでしょ?」 顎に手を付いて頬を膨らまし、私を軽く睨み付けながらアイリーンは“違うならその場所でもいいんだけどさ”と告げ、 「ルディエールかぁ……そういや再会した時彼が一緒に居たんだもんね……でもそれってさぁ……」 独り言のように口を尖らせていた。 「……この指輪、フェインから貰ったんですよ? でも、どうして知ってるんですか?」 私は先程から訊ねようと思っていたことをやっと口にする。 「え? あ、やっぱそうなんだ!? そっかそっかーっ!!」 「わっ!? アイリーン!?」 途端、アイリーンは私に抱きついて、 「良かったぁ、そうだよねっ! ってかフェインもなかなか……」 と耳元に安堵した明るい声を発した。 どうしてフェインからだってわかったの? そう訊ねたら、 「ウィニエルってアクセサリーとか付けてなかったでしょ? でも、再会した時着けてたから気になってたんだよね。ネックレスはともかく、指輪ってのはどうもね~」 アイリーンは私から離れて、そう言いながらはにかんだ。 「この指輪が……どうしたんですか?」 私は右手の指輪に触れながら訊ねる。 「着ける場所が違うのよ、この指輪は左手の指に嵌めるものなの」 と、アイリーンは私の右手を取り、指輪を抜いて、左手の薬指へと嵌め直した。 「これでよし」 アイリーンは満足気に頷く。 「? あの……左手に嵌めると何かあるんですか?」 私は相変わらず意味がわからなくて、首を傾げたままだった。 「えっ!? あ、うん、魔除けみたいなもんかな。左に着けとくとよく効くのよ」 「……はぁ……そうなんですか……」 一瞬、アイリーンの目が丸くなったような気がしたけれど、私は彼女の言葉に指輪を見つめる。 どうして? 右手と左手、嵌め替えただけよ? ……何が違うんだろう? …………、………………。 考えてはみたけれど、やっぱり、私にはよくわからない。 特別魔力が宿っているわけでもないのに。 眺めてみても何の効力もなさそうだけど……。 「…………?」 私は左手に嵌った指輪を訝しみながら見つめ続けていた。 「……ウィニエルはまだまだ勉強が足りないかも……」 ぼそりとアイリーンの声が聞こえる。 「……え? 何ですか?」 指輪に集中していた私は彼女の言った言葉を聞き取れずに聞き返していた。 「……ううん! ウィニエルはそのままがいいの!」 と、アイリーンは私の肩を軽く叩き、 “その内効力が目に見えてわかるからさ”と可愛く片目を瞑って笑う。 「え? は、はぁ……」 アイリーンの可愛い笑顔に私はただ承諾するしかなかった。 「その指輪はウィニエルを護ってくれるから、絶対失くしちゃだめだよ?」 「え、ええ……」 魔導士の彼女が言うのだからもしかしたら、とても強い魔力を秘めているのかもしれない。 勿論、そうでなくても失くすつもりはない。 大切なものだもの。 「まぁ、ウィニエルを護るというより、フェインを護るっていうか……ねぇ……」 再びアイリーンは口篭りながら告げた。 ……フェインを護るって……どういうこと……? でも……、 私が指輪を持っていることで、彼が護られるなら。 彼の役に立てるなら。 傍に居られないけれど彼の役に立てるなら、それは私にとって嬉しいことだ。 フェインが元気でいられますように。 私はアイリーンにわからないように、静かに指輪に唇を落とした――。 ◇ ――指輪の効力って何なのだろう? 疑問はあったけれど、アイリーンに訊ねても答えてはくれなかった。 「やあ、ウィニエル。身体の調子はどう?」 「ええ、大丈夫ですよ」 アイリーンが帰った次の日、ルディが訪ねて来てくれていた。 ルディの手に街で買って来てくれたのか、野菜とパンの入った紙袋が抱えられている。 「不便はない? 何か足りないものとか……」 「大丈夫です。ルディこそ、忙しいのにいつもすみません……」 ルディが荷物を差し出しながら、部屋の中を見渡して告げるから、私は頭を振って荷物を受け取る。 「いや、俺はいいんだ。でもここって街から結構離れてるし、不便じゃないか?」 「ええ……確かにそうですね。でも……ここは静かだから」 「……王宮の離れに静かな場所があるんだけどなぁ。そりゃ、ここに比べたらうるさいかもしれないけど」 「なぁ、ウィニエル?」とルディが私を覗き込むように告げる。 私がここに住むことを、ルディは心から了承してくれてはいない。 一人で放っておくわけには行かない、と。 だから、始めはサヴィアさんが付いていてくれていた。一週間程で一通りのことを自分でできるようになって、サヴィアさんにも悪いから国に帰って貰ったのだけど、それが反ってルディの心配事になってしまったようでこうして忙しい時間を割いてやって来てくれる。 「王宮に居てくれて構わなかったのにさ」 ルディは私に気遣うように笑顔を見せた。 「……すみません……」 私はそれに応えるように眉尻を下げて微笑んで見せる。 そして、ルディは私の顔を見るなり、 「……あー、……のど渇いたな」 それ程暑くもないのにシャツを掴み胸元を扇いで、暑そうな仕草をした。 「あ、じゃあ今、冷たいものお持ちしますね。座ってて下さい」 告げると、ルディは頷いてソファに座る。 私は台所へ向かい、ある液体の入っている半透明の緑のガラス瓶を左手に、筒状のグラスを二つ用意して右手に携え、ルディの元へと戻った。 瓶に触れた指輪が時折快い金属音を奏でる。 「はい」と私はルディにグラスを一つ差し出して、右隣に座った。 「……何? この瓶」 ルディは首を傾げて不思議そうに瓶を眺めている。 瓶の中の液体は私の手が動く度に揺れ、気泡を発して動きを止めても僅かに発泡していた。 私は瓶の蓋を開け、ルディの持つグラスに液体を注ぐ。液体は透明で、気泡を形成しながら注がれ、注ぎ終えても小さな泡がグラスの底から上まで上昇して弾ける。 「泡が立ってる……」 ルディはもの珍しそうにグラスを高々と上げて見つめていた。 「しゅわっとして、おいしいですよ」 私も自分のグラスに液体を注ぐ。 実はこれ、水なのだ。 発泡性のある水。 味は何もしないのだけど、ルディは気に入ってくれそうな気がする。 けれど、 「しゅわって……」 ルディは初めて見た液体を凝視したまま中々口にしようとしない。 「味は無いんですけどね」 ルディの様子に私はグラスに唇を当て、注いだ水を軽く飲んで見せた。 「…………よし」 私が飲んだのを見たルディは心を決めたように、目を固く瞑って一気に咽喉へ流す。
to be continued…