贖いの翼・番外編6:指輪② ウィニエルside

「どう……ですか?」

 私は身を乗り出してルディを窺った。

「……こ、これは……」

 ルディのグラスを持つ手が震えている。

「……こ、これは……?」

 ルディのただならぬ様子に、私の咽喉を唾が音を立てて流れた。

 直後、


「……うまい。うまいよ、ウィニエル。もう一杯くれ」


 そう聞こえて、ルディが微笑むから、私も自分の飲み干したグラスを床に置いてから「どうぞ」と二杯目を注ぎながら微笑み返した。
 けれど、二杯目を注いでもルディは口に運ぼうとせず、グラスを両手で握ってその手元を見つめていた。

 静かな部屋に気泡の弾ける音が微かに聞こえる。

「……どうかしました?」

 私は瓶の蓋を閉じてそれを手に訊ねた。


「……なぁ、ウィニエル。君はまだ……彼のことを?」


 そう言葉を発するルディは私に振り向かず、グラスを見つめたままだった。

「…………」

 私は俯いて答えなかった。


 まだ、彼を想っている。
 ううん、きっと一生想い続けるわ。

 でも、

 まだ、彼のことを想っているのか? って?


 まだ、って。
 その言い方。


 そんな風に聞かないで。
 もう終わりにしたらどうなんだって、言い方しないで。


 彼はまだ過去になっていないの。
 私は区切りをある程度つけながらも彼を過去に出来ていない。


 想いを無理矢理消すのはもう、嫌なの。


「君さえ良ければ……俺の所に来て欲し……っ……!?」

 ルディが瓶を持つ私の方を向いているのがわかる。
 そして、何かに気付いて途中で言葉を詰まらせていた。

「……私は……ルディに……」

 相応しくない女なのだと、私はルディに伝えようと顔を上げた。

 でも、

「……っ……」

 ルディは絶句して私の手元を見ながら動かなくなってしまう。

 そこにあったのは水の入った瓶。
 口の部分を左手が、胴の部分を右手で支え、私は両手でそれを持っていた。

 左手の銀の指輪が、部屋の明かりを瓶と共に僅かに反射させ輝いている。
 ルディはそれを見て微動だにしなくなってしまったようだった。


「……な、何でも無いんだ。きょ、今日の所は帰るよ。じゃ!」


 ルディは突然慌てて立ち上がり、その行動を呆然と見上げた私を尻目に、グラスを傾け一気に水を飲み干してからそれをテーブルに置いて、覚束ない足取りで玄関へ向かってしまった。

「あっ、そこまで送ります!」

 私はルディの後を追う。

 アルコールなど入っていないのに、目の前のルディの身体は左右に揺れ、壁に鈍く身体をぶつけている。

「大丈夫ですか?」
「い、いいから、ウィニエルは休んでくれっ……」

 私がルディに追いついて身体を支えてあげようとすると、ルディは私の左手を不愉快そうに見ながら頭を振った。

「そ、そうですか……? 気を付けて……」

「うん……また来るから……」

 私が言うとルディは笑顔で応えたのだけど、その笑顔は引き攣っていた。

「ええ……」

 私は玄関まで行かずにその場でルディと別れた。
 ルディはそのまま玄関へと向かう。

 そして、玄関のドアが開く音が聞こえて、

 ケプッ。

 と、小さなおくびが聞こえてから、ドアは閉じられた。


 何故ルディは突然帰ってしまったのだろう?
 指輪を見て急に帰ってしまった。


 ……どうして?


 ルディの帰った部屋で指輪を見ると、先程より反射していない気がした。
 昨日まで右手に嵌めていたけど、今までルディは気にしたことなんてなかった。
 それを左に嵌め替えただけなのに。


「……この指輪何か意味があるの……?」


 私は疑問に思って、次の日訪ねて来られたミカエル様に訊いたのだけど、ミカエル様もアイリーンと同じように「勉強が足りないな」と言って教えてくれなかった。

 ついでに、「俺には効かないがな」と高笑いされていた。


 ……うう~ん……どういうことなの?


 ただ、

 数日後ロクスが来た時もそう。
 ロクスも指輪を見てルディのように足早に帰ってしまった。


 それから、何故か二人は私と一定の距離を保って接してくれる。

 それでもロクスは、しばらくすると指輪のことなんて気にしなくなった。彼の中で解釈が変わったみたいで。


「それは、どうせ男避けか何かなんだろう?」

「え? 何のことですか?」


 ある日、テーブルで向かい合い、私とロクスはお茶を飲んでいた。珍しくロクスがお茶を淹れてくれて、それは少し薄めの紅茶だった。紅茶の成分が身体に良くないからと、かなり薄めの、香りだけが僅かに楽しめる程度のもの。味は……正直よくわからなかった。

 私の左手の指元を見ながら彼は告げる。

「……ふん、何でもないさ」

 その顔は少し不貞腐れたような表情だった。

 ここに居ない人の確かな存在感。
 それに嫉妬した顔。

 私が何のことなのかわかっていないからか、歯痒さもあるみたい。
 ロクスの不愉快な顔の意味を私が知ると、きっとロクスはもっと露骨に表情を露わにするような気がする。


「……指輪が関係してるんですか?」


「さぁね」


 私が訊ねると、決まってむくれて冷ややかに返す。


「そうですか……でも、ロクス、あなたは指輪の話になると決まって怒りますね」


「……怒ってなんかない」

 私が切り出すと、ロクスは私から視線を逸らし、天井を見上げた。
 多分、当たっているんだと思う。

 理由はわからないけれど、そんなに指輪の話題が嫌なら、別の話をした方がいいみたい。


「……そうですか…… では、こうしてせっかくお話してるんですから、楽しくお話しましょう?」


 私はとりあえず、何か話題を探ってみた。

 最近はお腹も随分大きくなってきて……と、これは見ればわかることね。
 ロクスが気を遣って、薄めの紅茶を淹れてくれたくらいだし。

「……なぁ、ウィニエル」
「はい」

 私が話題を探っていると、ロクスから声を掛けてくれた。

「……あいつ、来てないんだろ?」
「ああ……、そのことですか……」

 ロクスは至極真面目な表情で告げて、私はそれにため息交じりで応える。


 こうして、ロクスにも時々言われる。


 頑固だってわかってる。
 あなたも、一人でなんてとても無理だって言いたいのでしょう?


「ああって……大事なことだろ。君は現実を見ていない」


「……………」


 私は押し黙ってテーブルに置いたカップを両手で包んだまま、下を向いてしまった。


 わかってるの、
 わかってる。


 フェインに何も言ってない。
 彼は何も知らない。

 この先、知ることがあるかなんて、わからない。


「僕なら、君も、お腹の子も大事にしてやれる」

 ロクスの手が俯く私の手に覆い被さる。

「え……」

 私が顔を上げると、ロクスの真剣な顔が目の前にあった。

「…………ずっと、考えてた。ずっと、悩んで悩んで悩みまくった」
「……な…に……」

 真っ直ぐな視線と酷く落ち着いて話す声音に、私は言葉を飲み込む。

「……僕は、そのお腹の子が僕の子じゃないのがどうしても、受け入れがたかった。けど! 君が一人で抱え込むのはもっと嫌だ」

「……ロクス……」

 ロクスの目から視線をずらせなかった。

「……直ぐには愛せないかもしれない。けど、君の子だと思えば絶対、可愛いと思えるようになると思う。いや、努力する。だから、ウィニエル」

「……いいえ、ロクス」


 私は……。

 これ以上ロクスに言わせてはいけないと思った。


「聖都へ……来……」


「…………」


 私は黙ってロクスの視線から目を逸らさずに、頭を2、3度横に振った。

「………そう……だな。無理に決まってるよな……。聖都じゃ僕は教皇だし……大変だよな……」

「いいえ、そういうことじゃなくて……。ロクスの気持ちは嬉しいです。でも私はまだ、彼のことが好きなんです……。何と言われても……」

 ロクスを見据えるように私は告げた。

「…………」

 ロクスは黙り込んで、小さく息を吐いて、私から手を離すと、

「……ああ、わかってたさ」

 少し鼻で笑うようにほくそ笑む。

「え?」

「大体、好きでもない男の子供なんて一人で産もうなんて思わないだろ?」
「……それは……」

「君は頑固だからなぁ。今日の所はここまでで許してやるか」
「へ? 許す……?」

 私が間の抜けたような声で返すと、ロクスはくすりと笑って、

「今日はもう帰る」
「え? あ、はい」

 急に立ち上がって身支度を整え、玄関へと向かう。


 「そこまで送ります」と私が立ち上がろうとすると、「いや、いい」と頭を振って出て行ってしまった。


 家を出る時、大声で一言残して。


『何度でも、言ってやるからな!』


 少し怒ったような口調。


「……ロクス……」


 私はそれに苦笑いを浮かべていた。
 ロクスのことは大好きだし、遊びに来てくれてとても感謝してる。

 でも、彼じゃないから。

 ロクスの好意もルディの好意も嬉しいけれど、ずっと甘え続けるわけには行かない。

 ずっとあやふやにして来た気がする。
 二人にちゃんと言わなくちゃいけないのに。


 私には彼でないと駄目なの。
 フェインじゃないと駄目なの。


 わかっているのに、甘えてしまう。


 一人だから、


 淋しくて。


「……ねぇ、早くあなたに会いたい……」


 私は立ち上がって窓際に立ち、大きくなったお腹に両手で触れた。


 あなたが生まれたら、きっと淋しさなんてなくなる。


 淋しさなんてなくなる。


「……フェイン……私頑張るから……」

 そう告げると指輪が外の光を受けて輝いた。
 まるで、私にエールを送るように優しく。


「……頑張るから……」


 私は静かに指輪に唇を落とした。


 一滴の涙と共に。

end

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後書き

 この話を完結させるのに随分と時間が掛かってしまいました。
 しかも、時間経過し過ぎた所為か途中でまたも記憶が吹っ飛んで(汗)

 ルディとロクスからの求婚みたいな話をネタとして書いてはみたものの、あんまり面白くないなぁ……なんて思いつつ。

 ウィニエルは結局曖昧……。

 人は淋しさにどこまで耐えられるんだろう?

 優しさが傍にあったり、誘惑とかあったり、それでも想い続けることって出来るんだろうか?

 とかいうことが書きたかったんだと思います。

 実際、相当参ってるっぽいような気もするけども、ウィニエルには一途で居て欲しいなぁ……と願いを込めて。

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