前書き
時期的には本編第九話最後~十話辺り。フィンにフェインの面影を追うウィニエルのお話。
フィンが生まれてもうすぐ三年。 可愛くて、 可愛くて、 愛しくて。 日に日に大きくなってくあの子を見ていると、逞しさを感じる。 それと同時に、堪らなくなる。 だって……。 ◇ 「ママ」 「なぁに?」 私はフィンに声を掛けられ返事をする。 母子二人住まいの家。 フィンに余所行きの服を着せ、これから二人で街へでも出掛けようかと思っていた頃だった。 「ミッキーが来た」 私が上着の袖を通させ終えるとフィンはそう告げ、玄関を指差した。 私はその声に目をやるが、ドアのガラスにかの人物の姿は見えない。 「……ミッキーって呼んじゃ駄目だって言ったでしょ?」 私はフィンに微笑みかけてから、玄関へと向かいドアを開く。 「いいんだよ、ウィニエル。俺がそう呼ぶように言ったんだから」 「……おはようございます、ミカエル様」 「おはよう」 私がドアを開くと、ミカエル様がそこに立っていた。ミカエル様は私を横切り、フィンの方へと向かう。 「ミッキーおはよー!」「おはよーフィン!」 挨拶を交わすとミカエル様はフィンを抱き上げ、肩に乗せた。 肩車されたフィンはミカエル様の頭を恐々掴む。 「お前、大きくなったなぁ!」 「いてて」 とフィンに髪を引っ張られ、ミカエル様が笑顔でフィンを見上げた。 「…………」 私は黙ったままその光景を眺めていた。 この二人はとても仲がいい。 ミカエル様がこんなに子供好きだなんて思わなかった。 それに、 フィンは人見知りが激しいのに、どうしてミカエル様に懐いているのだろうか。 アイリーンには懐いてるけれど、ルディやロクスには殆ど笑顔を見せてくれない。 男の人には懐かないんだと思っていた。 でも、ミカエル様は別だった。 思い当たる理由を拾うなら、ミカエル様が天使だから……よね。 元天使の私が言うのもなんだけど、 天使の魅力って、不思議。 泣く子も黙らせることが出来る……らしいけれど、 ミカエル様は初対面の時はフィンに泣かれていた。 不思議なことはまだある。 フィンはミカエル様が来たことにすぐ気が付く。 外を見て直前まで誰も居なかった場所に、フィンが『来た』と言った後、ミカエル様は必ず現れる。 今みたいに。 確かにさっきまでそこには誰も居なかったはず。 でも、何故かフィンにはわかるらしい。 『どうしてわかったの?』 と訊いても、 『わかんない』 と笑っていた。 始めは不思議で仕方なかった。 天使の気配を感じるなんて、今の私には出来ないこと。 それをどうして、フィンが出来るのか。 一つだけ、ずっと引っ掛かっていることはあるけれど……。 それを解く必要はない気がするから確かめてはいない。 ミカエル様がこうして訪ねて来てくれていることを、私は喜ばしく思っているのだから。 今までが今までだったから、多少の不信感は拭えないけれど、今のミカエル様には何の画策もないように思える。 フィンや私に向ける笑顔に裏はないと思う。 ……それは私の直感でしかないのだけれど。 「行こうか」 「はい」 私はミカエル様と共に家を出た。 街までは歩いて三十分。 フィンがミカエル様の肩から降りて、私とミカエル様の間に入り手を繋ぐ。 こうして三人で出掛けるのはもう何度目だろうか。 始めはとても戸惑った。 ミカエル様が家に訪ねて来たことにも驚かされた。 それは、フィンが生まれてから二ケ月経った頃のこと――。 ◇ その日はとても穏やかで、温かい日だった。 「……あ、洗濯物取り込まないと……」 私はおっぱいを飲んで眠りについたフィンを揺り篭に寝かせ、外に干しておいた洗濯物を取りに玄関に向かおうとする。 が、 『ぎゃあああああっ!!』 と、けたたましい泣き声が揺り篭から聞こえ、私は向き直り、 「はいはい、一緒に行こうね」とフィンを抱き上げた。 フィンを連れて行くためにお包みの入ったバスケットを手に取り、再び玄関に向かう。 私がドアに手を掛けると、外から叩く音が聞こえた。 「……はい?」 「俺だ、俺」 「ウィニエル様」 「え……」 私はドアノブに手を掛けたままで、動けなかった。 外から聞こえたその声を、私は知っている。 「その声……まさか……」 刹那、ドアが勢い良く外側へ引かれるように開いた。 「ぱぱでちゅよ~!!」 「もう、ミカエル様っ!」 「はっ!? えっ!? ミカエル様っ!? ……ローザ!?」 私が驚きの声をあげている間に、腕にいたフィンがミカエル様に抱きかかえられている。 ミカエル様の顔がくしゃくしゃだ。 その直後、 「ぎゃああああああっ!!」 と、また、フィンの大きな泣き声が玄関に響いた。 「おお、元気な子だな!」 ミカエル様は泣き叫んでいるフィンを楽しそうに高く持ち上げる。 「ぎゃああああああっ!!」 顔を真っ赤にして、フィンが泣き止むことは無かった。 「まぁ、元気なお子さんですね」 今度はローザがミカエル様に抱かれたフィンの元へと飛んでいく。 「…………」 途端、フィンが黙り込んで宙に浮くローザを目で追い、ローザと目が合うと微笑む。 「お前……女は平気なんだな……女が好きなのか。……そういう子供が、確か居たなぁ……」 ははは。 と、ミカエル様は何かを思い出しながら告げた。 ミカエル様が誰を思い出していたのか、私にはわかっていた。 私と共に育った幼馴染。 ロディエル。 悪戯好きで、女好きで、私やラミエルによくちょっかいを出してきた天使らしからぬ天使。 ラミエルと私の初めてのキスを奪ったから、私は彼女と二人でその記憶を消し去って欲しいとミカエル様に頼んだ。 人間になった今、私は全て思い出している。 別に嫌じゃなかった。 ロディエルは私のことを好きだと言ってくれていたのだから。 でも、それは口先だけだったから。 ロジーは恋を知らない。 私に悪戯するだけで、私の気持ちになど構ってはくれなかった。 一線は越えなかったけれど、一方的に傍若無人な態度で私に触れていた。 そんな人に私が恋するはずがない。 それに、無邪気なラミエルにまで手を出そうとしたことが私は許せなかった。 でも、わかってた。 強い意思で封印も堕天使も寄せ付けず、普通の天使と同じように天界の駒としてあちこちに降りている理由。 勇者を導き、臆することなく、早期に世界を救っている。 女勇者にちょっかいを出して、地上に派遣される度生傷が増えて、それを消さない理由。 うわべだけ上手いことを言って、誰にも心を開かず、多くの女性を泣かしている。 力も、容姿も、頭脳も優れているのにそれだけは昔から変わらない。 ロジーは本当の自分を探している。 自分が本気になれる運命の相手を探している。 きっと私よりも深いのだと思う。 運命の相手が見つかったら、きっとロジーは変わる。 一緒に生活していた頃は時々、苛められて泣いている私を慰めてくれたり優しい所もあった。 ラミエルを庇ってくれたこともあったし、他の天使も護ってくれたこともあった。 本当は優しい天使。 誰よりも。 誰よりも強くて優しくて、脆い。 ……私は少し、苦手だったかなぁ。 「…………」 私は黙り込んだままロジーを思い出し、少し複雑な心境で懐かしんでいた。 「お久しぶりです。ウィニエル様」 ローザがフィンの視線を受けながら、丁寧に頭を下げた。 「ひ、久しぶり……。ど、どうして……!?」 「洗濯物を取りに行くんだろう?」 私の質問など聞かず、ローザの代わりにミカエル様が返す。 「は、はぁ……そうなんですけど……」 「この子は見ておいてやるから行っておいで」とミカエル様が家の奥へと歩いていく。ローザもフィンの視界に入るように宙を舞いながら後を追う。 私は様子を窺うようにミカエル様の背中を見つめるが、 「大丈夫だって、俺は何人も赤子を見てきているんだぞ?」 と振り向きもせずに答えた。 そういえば、ミカエル様は沢山の天使達を育てて来られたのだった。 フィンの泣き声ももうしないし、それなら……。
to be continued…