わかってないのは?②

「……こんばんわぁ! 天使様ぁ、ちょっと宜しいですかぁ?」


 突然ちょっと間の抜けた明るい声が、俺達二人の気まずい空気を壊すように割って入る。

「……え? フロリン?」

 ウィニエルが首だけ宙に浮く妖精に向けた。
 俺も同じように首だけそちらに向ける。

「……よぉ……」

「あ! お邪魔でしたでしょうか?」

 きっとこいつは何の悪気もなく言ったんだろう。
 フロリンダは無邪気な顔で満面の笑みを浮かべた。

「……あ」
「……えっ!? い、いいえっ!! 丁度良いタイミングです!」

 俺が「ああ」と言おうとすると、ウィニエルは遮るようにして沈黙の呪縛から解き放たれ、立ち上がった。
 俺の眉が自然と動いた気がした。


 ……丁度良いタイミングって何だよ。


「どうかしたの? 何かあった?」

 ウィニエルはネックレスを右手にぶら提げるように持ち、フロリンダと対話する。
 俺の身体はまだ動けなかった。

「あのぅ、それが、ローザちゃんが天使様を呼んで来いってぇ……」
「……そう……ローザが……何かあったのかしら……」
「う~ん……どうかなぁ……でも、早く行きましょう~」

 二人が俺を完全に無視して勝手なことを言っている。

「……あ……でもグリフィンが……」

 やっと気付いたのかウィニエルは二人の会話に入り込めない俺の方を気まずそうに見た。

 俺は眉間に皺を寄せたまま、あいつと視線を交じわすと少し間を置いて、乱暴にあしらうように手を振った。


「…………行けよ」


 行っちまえよ。

 丁度良いタイミングだったんだろ?
 逃げる口実が出来て安心したってことなんだろ?


 ウィニエルお前って、俺のことなんか何にもわかってねぇんだな。

 キスした仲だっていうのによ。
 お前も俺と同じ気持ちだって少しは思ってたのによ。


 マジ、俺凹むわ。


 お前のことがわかんなくなって来た。


 俺は頭を両腕で抱え込んで俯く。
 あいつの声が俺の頭の真上に降って来る。

「……そう……ですか? あ、じゃあ……このネックレス貰ってくだ……」
「要らねぇって言ってんだろ!」

 ウィニエルがネックレスを渡そうと俺の手に触れたが、俺は同時顔を上げ、それを乱暴に振り払った。


「あっ……」


 ウィニエルの視線が窓の方へと向いた。
 ネックレスが勢いよく窓の方へと飛んでゆく。


 そして、その窓は何故か開いている。

(恐らくフロリンダの所為だ)

 ネックレスは窓の外へと落下していく。

 ここは二階。
 ついでに外は草叢。
 夜の闇にあんな小さなパールは見つけにくいだろう。

 しかも、

 飛んだのはネックレス……のトップだけ。
 俺が乱暴に振り払ったためにチェーンが切れたのだった。
 切れたチェーンは歪に壊れ、床に落ちている。

 ウィニエルの視線もネックレスを追って、弧を描くようにゆっくりと落下していた。


「……っ……」


 俺はまた頭を抱え込む。
 それ以上先のあいつの表情を見たくなかった。

「あ~……天使様のネックレスがぁ……」

 フロリンダの声のトーンが下がっていた。

 あいつの大事なものを俺は失くした。


 もう、嫌だ。


 俺は、あいつの何なんだよ!?
 一人で舞い上がって、一人相撲を取ってる。

 さっきのあんな会話、笑い飛ばせば良かったんだ。

『冗談に決まってんだろ、バーカ』

 って言って、あいつをからかえば良かったんだ。
 俺ならそれが出来たはずだ。

 でも、実際には出来なかった。


「…………ほら、ローザが待ってんだろ! 行けよ!!」


 俯きながらもあいつが立っている距離はさっきと変わらなかったから、俺はあいつの手元を確認して押してやった。


「は、はい……」


 あいつは俺に手を触れられると一瞬避けるように後ろに下がった。

 嫌われたって……そう思った。
 けど、顔は上げられない。

 申し訳なさはあるが、謝罪の言葉を口には出来そうもない。

 だって、俺は何度も“要らない”と言っていた。
 無理やり渡そうとしたウィニエルにも非はある。


 ……それだけじゃない。


 傷ついているのはウィニエルだけじゃなく、俺もなんだ。

 俺は、天使の勇者でしかない。
 ウィニエル個人の勇者ではない。


 ……そう思えて来たから。


 今は謝るなんて、そんな気になれない。


「…………じゃ、じゃあ……おやすみなさい……グリフィン……」


 しばらくの間の後、ウィニエルが部屋から姿を消したのがわかった。
 フロリンダがいつもと変わらない口調で、「おやすみなさぁい、グリフィン様ぁ~」なんて言ってたがよく憶えてない。


 俺はもう……諦めた方がいいんだろうか?


 俺は、ウィニエルが好きだ。

 口に出してあいつにはまだ言えそうも無いが、自覚はしてる。
 以前、あいつと不意にキスした後、すぐ気がついた。

 俺が勇者をやってる理由はあいつが天使だから、だな。
 今ならそう言える。

 ウィニエルが天使だったからという大義名分。
 世界を救うとか何とか言う前に、俺にとってはそれで充分過ぎるだろう?

 あいつが世界を救おうと必死なのはわかってる。
 俺はあいつが世界を救う手伝いがしたい。
 あいつについて行けば俺の敵ともいつか対峙出来るって信じてる。

 互いに信頼し合ってここまで来たんだ。


「……ウィニエルのバカやろ……少しはわかれ」


 それでも、修復できない溝っていうのはあるものなのかも知れない。


 あいつが去ってから一人、そんなことを考えていた。


◇


 ――あれから、一週間経った。

 俺はあいつを呼び出したりしなかった。
 あいつも俺の所へは来ない。

 俺の心の傷は癒えていない。

 あいつの無神経な一言がこんなにも刺さるとは思わなかった。


 “あの”タイミングが丁度良いってどういうことなんだよ。
 俺はどうにか沈黙を破ろうとしていたのに。


 ……っつか、そもそも、そんなことで凹む俺でもないだろうに。


「あー……痛い痛い」


 俺は原っぱの真ん中で仰向けに空を見上げ寝転がる。
 穏やかな風が筆となって緑の葉と白い雲を運び、青いキャンバスの上に鮮やかに描かれていく。

 俺はその様子を静かに眺めた。
 こんな平和な世界が本当に滅びるのか疑わしいが、世界各地で異変が起きていることは今までのあいつとの旅で事実なんだって信じられる。

 俺はやっぱり天使の勇者ってだけで良かったのかも知れない。

 あいつがあんまりにも変な奴だから気になって、気になり始めたらずるずるとあいつに惹き込まれて。


「……はぁ……痛ぇよ……」


 ガラにもないよな、心が痛いなんてよ。
 女子供じゃあるまいし。


 女々しいったらありゃしねぇ。


「……うーん……別にどこも怪我してないみたいですけど……?」
「えっ!? あっ!」

 ウィニエルの声が頭上に聞えて俺は慌てて跳ね起き、座ったまま身体を捻るようにしてその声の方へと振り向く。

「……ウィニエル! お前っ!?」
「どこが痛いんですか?」

 俺の慌てる様子もお構いなしにあいつは俺の周りを歩きながら、真摯な顔で俺の頭から足の先、背中、腹と体中を凝視した。

「……どこも怪我してないみたいですけど……」
「……あのなぁ……」

 俺の身体を気の済むまで眺め終わると、あいつは安堵の表情で僅かに微笑んだ。
 ウィニエルの微笑む顔はやっぱり可愛いと思う。
 そして、その笑顔は勇者の俺じゃなくて、俺個人に向けられてるって、錯覚してしまいそうになる。

「怪我なんかしてねぇよ。ここんとこ暇だしな」

 “お前からの依頼が無いから”

 ……それは言わないでおいた。
 その代わり、あいつの瞳を見つめてやる。

 気付けよ、ウィニエル。


 お前が好きなんだよ。


 本当はお前だって、俺のこと好きなんだろ?

 そう心に念じたが、


「そうですか、良かった。グリフィン、実はあなたに会いたがっている方がいらっしゃるんですよ。ついて来て貰えますか?」


 俺の想いなんて気付きもしないのか、あいつは淡々と言葉を紡いだ。


 久しぶりに会ったウィニエルはどこか冷たいような気がした。


◇


 ウィニエルが会わせた人物っつーのは、イダヴェルという俺の家族を殺した一族の人間だった。
 イダヴェルは怪物になった自分の祖父を退治して欲しいと俺に告げる。
 俺は断ったが、イダヴェルが帰った後であいつは俺に何とか受けるよう説得し始めた。

 それでも俺は聞き入れなかった。


 俺の家族を殺した一族のために働けるはずもないじゃないか。


 俺はあいつを部屋に残して一人で出て来ちまった。


 ウィニエル、お前今度は俺に何をさせようと言うんだ?

 いくらお前が望んだって、聞き入れられないことだって、あるんだぜ?


「……」
「……グリフィン……」

 ウィニエルが俺を心配して傍にやって来たが、結局俺は首を縦には振らなかった。

to be continued…

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