贖いの翼 第三話:痛み① ウィニエルside

前書き

「夜の出来事」のウィニエルside&ちょっと前のお話。

『セレニスの居場所がわかったら教えて欲しい』

 フェインからお願いされて、私は頷いた。

 必ず教えます。

 と約束をしたような気もする。
 けれど、いざ彼女が見つかると私は……

『タイシュート地方、カルーガに魔女セレニスが現れました。アイリーン行ってもらえますか?』

 何故か私はフェインにそのことを伝えなかった。気が付けば私の足は信頼している女勇者アイリーンの元へ向かっていて。

『姉さんが見つかったらフェインより先に私に教えて』

 フェインより以前にアイリーンとそう約束をしていたからじゃない。
 予感がしたの。

 嫌な予感。

 彼をセレニスさんに会わせてはいけない。
 彼から聞く話と、アイリーンから聞く彼の話からして、会わせれば彼はセレニスさんと心中するつもりだろう。

 そんなのは間違っている。
 間違っているけれど、彼のセレニスさんへの想いは何となくわかる気がした。

 愛しい人との突然の別離。
 互いに想い合っているのに離れ離れになってしまった、その苦しみ。
 身を引き裂かれる程の心の痛み。
 世界の大事なんて自らの身に起きた大事に比べればちっぽけな小事だと簡単に片付けられてしまう痛み。
 きっと自らの身を何度傷つけてもその痛みには叶わない。
 死すらもその痛みを解放してくれはしない。

 私にはそれが何となくわかる気がする。
 どうしてかはわからないけれどわかるような気がする。

 それでも彼の望みを叶えるわけには行かない。

 死ぬと分かっていて戦場へ送り出す天使がいるかしら?
 私は天使であって、死神じゃないわ。

 …………。

 体裁のいいことばかり並べても自分は誤魔化せない。
 私は、彼を、

 フェインを失いたくなかったの。

 愛する奥さんを禁忌を犯してまで救おうとした不器用な彼を見ていられなかった。

 始めから何となく影のある雰囲気が気になってた。
 重要なことは頑なに語ろうとしない。
 まるでその問題に他人が入って来るのを拒んでいるようで。

 天使として、
 天使として、
 天使として、

 始めはね、他の勇者達と同じ。
 この世界のために戦ってもらっているのだから、その換わりに少しでも恩返しができたらいいなって。
 勇者は天使の道具なんかじゃないから、私に出来る事があったら何でもしてあげたいって、そう思ってた。

 でも、いつからか変わってしまったの。
 彼は他の勇者と違ったの。

 愛する妻のために世界を旅している。
 天使の依頼を受けていればいつか妻に会えるかもしれない。

 何かに取り憑かれ、半ば生きる屍のような彼の傍に居すぎてしまったみたい。
 彼の犯した禁忌の所為なのか、彼を通してかつて呼び出された悪魔の念が残っていて私を地獄に引き摺り込もうとしているような錯覚を覚える。
 きっと天使より悪魔の方が上手なのだろう。
 悪魔の方が全てに長けていて美しく、甘い。
 私がもし地上界に派遣されるのが初めてだったならそれに屈していたかもしれない。

 ただそれだけなら、私は彼に惹かれはしなかったと思う。
 でも、彼は、彼自身は私にその領域へ踏み込ませまいと押し留めていてくれる。一つの身に宿る相反する対照的な彼の態度。
 あまりに魅力的なその魂。

 勝手な解釈なのかもしれない。
 ご都合主義の、私の勝手な思い込み。

 彼の想いが自分に向けられることは決してないのに惹かれてしまう。
 多分私は彼を愛している。
 他の勇者達に決して抱かない想いを彼に抱いている。

 別の女性を愛する男性を想っている。

 手に入りはしないのに。

 馬鹿だな、と自分でも思う。
 それでも、彼には生きていて欲しい。
 自分を選ばなくても、生きていて欲しいと思う。

 死ぬことだけが償いとは思わないから。
 別の選択をして欲しい。

 だから天使としての願いと、私自身の願いは一つだったの。

『ウィニエル、姉さんのこと報せてくれてありがとう』

 アイリーンは意を決したように私に笑顔を見せて、魔石の塔へと向かってくれた。

「ウィニエル、ちゃんと一緒に見届けてね」

 魔石の塔が崩れて、天竜が飛び去った後、セレニスさんはアイリーンによって解放された。
 悪い夢を見ていたと、セレニスさんは言っていた。
 それは以前の彼女だった。
 フェインの愛した、今でも愛している彼女の姿。

 酷い女だと詰られてもいい。

 私は不謹慎にもフェインがここに居なくて良かったなどと思っていた。

「……ウィニエル……」

 アイリーンが宙に浮く私の頭を背伸びして優しく撫でる。
 私の足元に一滴、一滴、頬から顎を伝って床に落ち、放射状に弾ける。
 それは止め処なく流れ落ち、私の頭を撫でるアイリーンの服を濡らした。

「……っく……っ……」
「……ウィニエル泣かないでよ……私も……泣いちゃいそうだよ……」

 アイリーンの優しい手が余計に辛い。

 息が詰まる。

 フェインがここに居なくて良かったという安堵感だけが私を覆っていたわけじゃない。

 セレニスさんがあまりに可哀想で。
 フェインがあまりに不憫で。
 アイリーンがあまりに不幸で。
 できるなら私が彼女と代わってあげたかった。

 そして何事もなかったように三人で仲良く暮らしていけたなら。

 その未来があったなら良かったのに。
 それなら私は温かく見守っていけたのに。

「……ウィニエル……あ、な、何この音……!?」

 アイリーンの声と共に彼女の足元がぐらつく。
 宙に浮く私の視界も乱れ、建物が揺れていることに気付く。

「……いけないっ! この塔はもう崩れます! 早く出ましょう」

 私はアイリーンを死なせるわけには行かなかった。
 彼女の腕を取って、出口へと促す。

「え、ええ! ……お姉ちゃん……さよなら」

 彼女は一度だけ振り返って、魔石の塔から脱出する。

 近くの高台へと私と彼女が辿り着いたその後すぐ、魔石の塔は音を立てて建物の形跡を残すことなく完全に崩れてしまった。


「……お姉ちゃん……これからは……静かに眠れるね……」


 アイリーンは高台の上から魔石の塔のあった場所を見下ろしていた。

 私もアイリーンの隣に立ち、同じ方を見下ろした。

 私は堕天使が憎かった。
 彼女達の明るい未来をいとも容易く奪っていった堕天使。

 決して許しはしない。

 私は決意したように崩れた魔石の塔を強く見つめた。

「……ウィニエル、ありがとね。一緒に見届けてくれて」

 ふと、隣にいたアイリーンが私の方を向いて伝える。

「……あなたには辛かったと思う……。でも、あなたにはどうしても見届けて欲しかったんだ。きっとお姉ちゃんもそれを望んでたと思うから。だから、ありがとう」

 アイリーンは私の目を見て右手を取り、両手で握手をする。彼女の手は冷たかったけど、彼女の気持ちがとても温かかった。

「……いいえ……それが天使の務めですから……」

 私は彼女から目を逸らしてしまう。
 きっとアイリーンは私の気持ちを知っている。
 そして、その上で見届けさせたのだ。

 フェインへの想いを捨てるように。

「……ウィニエル……違うよ……私は……」

 アイリーンが途中まで言って言葉を飲み込む。そして彼女は、

「……今日はもう帰って」

 首を横に何度も振ってから私の手を放した。

「……でも……」
「いいから。私は大丈夫だから! ほら、帰った帰った!」

 私はアイリーンに背を押され、追い返されてしまう。

 本当はアイリーンについていてあげたい。
 彼女はきっと傷ついている。
 私なんかよりもずっとずっと深く傷ついている。

 こんな時何も言ってあげられない自分が酷く恨めしい。

 天使失格よね。


『……私より傷ついた顔して慰められても嬉しくないわよ……』


 アイリーンが私の居なくなった高台でそう言っていたなんて気付きもしなかった。

 私はアイリーンに追い返されて自分の部屋へと戻り、ソファに座って考えていた。

 堕天使は許せない。
 けれど、堕天使のお陰でフェインと出会ったのも事実で。

 なんてことをするのだろう。
 なんでこんな酷いことをするのだろう。
 堕天使はどれだけ私達を苦しめれば気が済むのだろうか。

 思ったよりも敵は手強くて、それでも私は堕天使や悪魔に屈するわけには行かない。
 それが天使である私の使命。
 例えこの身が滅びてもアルカヤを平和にしなくては。
 もし彼等の狙いに私も入っているなら尚のこと。
 フェインをこれ以上不幸にしたくない。
 これ以上私が彼に想いを寄せればきっと彼等はそこをついてくる。


 それなら、


 それなら……、


 私は自分の想いに蓋をすることにした。

 フェインのことは忘れよう。
 他の勇者達と同じじゃない。
 いつも通り訪問して、他愛の無い話をして依頼をして、共に戦う。
 他の勇者達と変わりはないわ。

 しっかりしなさい、ウィニエル。

 あなたは天使なのよ。
 ガブリエル様やラファエル様、ミカエル様に信頼されてここアルカヤに遣わされた天使なの。
 特定の勇者と必要以上に懇意にしてはいけないってことはもうわかっているでしょうに。


 ……もう、わかっている……って……?

to be continued…

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