「……っ……」 突然の頭痛に襲われ、つい手で頭を抱えてしまう。 「大丈夫ですか、ウィニエル様?」 妖精のローザが私を心配して小さな陶器の小瓶を持ってくる。 中身は頭痛薬で、それは以前にミカエル様から頂いたものだった。 「最近頭痛が多くありませんか? お休みも全然取っていらっしゃらないようですし、今日はもうお休み下さい。訪問を希望されている勇者様には伝えておきますから」 ローザは小瓶の蓋のコルクを開け辛そうに引っ張る。 だがコルクはビクともしない。 「……でもまだやらなくちゃいけないことが……」 私は手で頭を押さえたまま首を横に振る。 「天使が不調の時に戦闘の補佐にでも入ろうものなら勇者も迷惑するぞ。まずは休むことだ」 その声の主はローザの持っていた小瓶を奪い、コルクを容易く抜いた。 久しぶりに聞いた声だった。 威厳のある強い口調。 けれども優しくて。 私の尊敬する大天使様の一人。 「ミ、ミカエル様っ!?」 私は途端緊張し、慌てて立ち上がり気を付けをする。 「おう、ウィニエル。元気か、アルカヤの様子はどうだ?」 ミカエル様は私の肩を軽く叩いて、いいからいいからと、ソファに座らせる。 そして、自分も無遠慮に私の隣に腰を掛けた。 そういえば、前にもこんなことがあったような気がする、と思い出してはみたけれど、何を話したかまでは思い出せなかった。 多分今のように緊張して話したことを忘れてしまっているんだろう。 「は、はい……混乱の原因はわかって来ました。ですが、彼等は姿を消してしまって……」 「まーそんなに難くならなくていい。アルカヤの様子はラファエルから聞いている」 背筋を張り、固い口調の私にミカエル様が私の頭を乱暴に撫でる。 「あ、あの……」 矛盾していませんか? アルカヤの様子はどうだって聞きましたよね? ……なんてことは恐れ多くて聞けなかった。 「ん? この薬もうないじゃないか。そんなに頭痛が酷いのか」 ミカエル様が蓋の開いた小瓶を覗いてひっくり返す。 小瓶から粉が微かに床に落ちた。 「……はい。最近あまり眠っていない所為か頻繁に頭痛がするもので……」 私は床へと目線を落とす。天使失格だと、怒られるのは覚悟の上だったけれど、 「……そうか……睡眠は大事だぞ」 ミカエル様は私の額と目蓋に手を当てる。 「ミカエル様……?」 急に視界を閉ざされ、私はミカエル様の名を呼ぶ。 「……しばらく休め。お前は考えすぎるんだ」 「え……?」 刹那ミカエル様の手が白く光った気がした。 私の意識はそこで途切れてしまう。 私は頭を前に落とし、うな垂れた。 『ミカエル様っ!? 何をなさるんですか!?』 ローザの心配する声が耳元で微かに聞えた。 大天使様にくってかかるなんて、駄目よ。 私はその所為で彼女が罰を受けなければいいなと瞬時に思った。 『大丈夫だって、そうかっかするな妖精よ。ウィニエルを休ませてやるだけだって』 ミカエル様の声も聞える。 ローザのことを怒ってはいないような口調で、私は安心していた。 そして、意識はないけれど自分の身体が宙を浮いているのがわかった。ミカエル様が私を抱き上げている。 雲の上に眠っているみたい。 頭痛も不思議に止まって、今は何も考えずにゆっくりお休みと、優しく包んでくれている。 私をベッドへ移して、私の額に手を当てて、一時の安らかな眠りの世界へと誘ってくれている。 ミカエル様は様々な問題を抱える私をその一時だけ解放してくれた。 どうしてそんなに優しくして下さるのですか? そんな考えさえも眠りに溶けて、わからなくなっていく。 そんなこと考えなくていいんだ、とミカエル様の優しさが私を包む。 「おやすみ、ウィニエル」 私が深い眠りの底へ辿りつくと、ミカエル様は部屋を出て行った。 私はその後丸一日眠り続けた。 ◇ ――そして目が覚めて、 「……ん……んーっ……はぁ……。良く寝た……ふぅ……何だかすっきりした……」 身体をベッドから起こしてめいっぱい背伸びをする。 こんなに安らかに眠ったのはいつ振りだろうか。 頭痛が残っていない。 ミカエル様に感謝しなくては。 「おはようございます、ウィニエル様」 ローザが私の傍へ飛んで来る。 彼女にも感謝しなくては。 「おはよう、ローザ。昨日はごめんね、こんなにすっきりするなら、あなたの言う通り早く休めば良かったね」 ローザに謝罪と感謝を。休んだお陰できっと今日からまた頑張れる。 「いえ、ミカエル様のお陰でゆっくりお休みになられたようで良かったです」 珍しくローザが朗らかに微笑む。 私のことを心底心配してくれていたようだった。 そういえば、ローザは? 「あ、ローザは大丈夫だった!?」 私は手の平を広げ、そこにローザが腰を掛ける。 「何がでしょうか?」 彼女は座りながら首を傾げた。 「ミカエル様に意見なんてして、怒られなかった? だ、大丈夫よね?」 「え……」 『……まぁ……ウィニエル様は……』 ローザは飽きれた顔で私の手の平から飛び立つ。 「あっ、ローザ!!」 彼女の態度に私は何かあったのかと思ってしまった。 けれどもそうではなかったらしい。彼女は私の声に動きを止めて、 「ウィニエル様は気を回し過ぎなのです。もう少しご自分のことを真剣にお考え下さい」 『そんなあなただから私も、勇者様達もあなたを信頼しているのですが』 ローザがそんな風に思ってくれているとは知らなかったけれど、彼女の言葉は少しくすぐったかった。 ローザは私にとっては姉のような存在であり、妹のような存在でもある。 しっかりしていて、とても真っ直ぐで。 インフォスの時も、アルカヤでも一緒。 インフォスを救った後、しばらく会えなかったけどアルカヤに来る前に何度か会えた。 アルカヤを救っても天界できっとまた会えるよね。 「ありがとうローザ。あなたの心遣いが嬉しいわ」 私は部屋から去ろうとするローザに頭を下げた。 「……頭など下げないで下さい」 ローザは私の傍へと戻ってくる。 そしてため息を一つ吐いて続ける。 「……ふぅ……ウィニエル様、ミカエル様からご伝言です」 「伝言?」 「……薬はもう飲まなくていいそうです」 「え……薬を……? あ、そういえばもう無かったわね」 私は小瓶をひっくり返していたミカエル様を思い出していた。 「は、はい。新しい薬を頂こうと思ったのですが、今更飲んでも効果はないと言っておられましたので……」 ローザの声がいつもよりやや高いような気がした。 「そう……」 あの薬の効き目は絶大だった。 ほんの少し服用するだけで頭痛がすぐにひく。 あまり乱用してはいけないとミカエル様は言っていたけれど、私は頭痛がする度に痛みを誤魔化そうと飲んでいた。 その薬がもうないなんて、私は大丈夫なんだろうか。 「頭痛はきっと前触れです、恐れないで下さい」 ローザが真っ直ぐに私を見つめる。 「え……?」 前触れって何? 恐れって何……? 私には彼女の言ったことの意味がわからなかった。 でも、その一言がすごく気に掛かった。 私はその痛みの原因を知っている気がする。 それに不安を抱いているような気もする。 その謎を決して紐解いてはいけない、そんな気がするの。 不安は恐れなのでしょうか? それを理解するのに肉体的にも精神的にも今の私の力量では足らないのかもしれません。 だから、不安になってしまう。 こんな時ふとあの人の顔が過ぎる。 忘れると決めて、昨日ミカエル様が刹那でも覆い隠してくれた、あの人への想い。 あの人の顔が今見たい。 声が聞きたい。 あの人に会いたい。 何でもいい、怒ってくれても嫌ってくれても構わない。 ただあと一目会えればこの想いを断ち切ることが出来る。 「……ダメダメ……。もう……会えないよ……」 愛しい妻に先立たれ、生気を失った彼になんて言うの? それに、きっと私は彼に会ったらもう戻れなくなる。 声を聞いたら戻れなくなってしまう。 堕天使を倒して何事も無くアルカヤを去らなければいけないのに、戻れなくなってしまう。 あんな想いを二度としたくないのに。 二度と……? 「……ウィニエル様? 大丈夫ですか?」 「え? ……あ……ごめんなさい」 ローザの声で私は我に返る。 私はやはり何か忘れているのだ。 何を忘れているのかは分からない。 インフォスの勇者のことはみんな覚えている。 皆共に戦った仲間で、私は皆を信頼していた。 インフォスは今もきっと平和だと思う。 皆幸せに暮らしているはず。 天界へ帰ってから私はミカエル様の元にお仕えして、他の天使達ともうまくやっていた。 仲の良いラミエルやロディエルのことも憶えている。 それなら何を忘れているというの?
to be continued…