贖いの翼 第四話:思い出③ ウィニエルside

 そして、私は天界へ戻った。
 彼への想いを胸いっぱい、この身体中に抱えきれないほどたくさんの愛を抱えて。

 彼への想いが封印されて、彼への想いの分の淋しさだけが歪んで私を純天使へと仕立て上げる。

 ああ、もう嫌。
 こんな自分嫌になる。
 皆に気を遣うのも疲れたよ……。
 アルカヤなんてどうでもいいじゃない。
 天界も、いっそ全て滅びてしまえばいい。

 ……私程天使失格な者なんていない。
 ……このまま消えてしまいたい。

 私が欲しいのは多くの人の信頼でも賞賛でもないの。

 たった一人の、彼の愛だけ。
 でも、その彼はもう居ない……。

 もうどこにも居ないのね、グリフィン……。


 …………。


「……様……ウィニエル様」

 ローザの声が遠い意識の中で聞える。

「……んん……」

 私は重い目蓋をゆっくりと開いた。

「……あれ……ここ……私の部屋……?」

 目をこすって、宙を見上げる。
 そこには見慣れた天井があった。
 私は自分の部屋のベッドに寝かされている。
 確か私は聖アザリア宮に行こうとしてミカエル様に引き止められて。

「……目が覚めたか」

 その声に私は顔を横に向ける。
 私の視界に椅子に座ってこちらを見ているミカエル様の姿が入る。

「……ミカエル様……っ……!!」

 私は急に険しい目付きをしてミカエル様を睨む。
 心の奥底から怒りが込み上げてくる。
 憎しみのそれとも似た怒りだ。

「……お前が怒るのは最もだ。俺達はお前に酷いことをした……」

 ミカエル様が冷静にゆっくりと言を発し、そして椅子から立ち上がって、床にひれ伏し、土下座をする。

「すまなかった!! お前をあの時人間にしてやっていれば!!」

 大天使長のミカエル様が平の天使に土下座をするなんてあるまじきことで、私は驚愕した。

「お前の想いを封じたのは俺の一存だ。ガブリエルやラファエルは関係ない。あいつ等には言わないでくれ!」

 ミカエル様は声を大にして頭を下げ続ける。

「……っ……どう……て……」

 私は身体を静かに起こして、ミカエル様に向き合う。

「今からでもインフォスに降りたいと言うなら許可してやる! 人間になりたいというならそれもいいだろう。だからあいつらには言わないでくれ!」

 ミカエル様は床に突っ伏したまま決して私を見ようとはしない。
 ミカエル様は私にとって尊敬する方で、いつも困っていると私を助けてくれて、私は少なからず懇意にされていると思っていた。

 私の味方だと思っていた。

 でも違うんですね、あなたは私の味方ではなかったのですね。

「……ううっ……どうしてそんなこと言うんですかっ!! 今更降りれるわけがないじゃないですかっ!!」
「ウィニエル様っ!?」

 私は半狂乱の内にミカエル様の肩に何度も拳をぶつける。
 ローザは驚いて自分の目を手で塞いでしまった。
 拳を打ち付ける乾いた音が部屋に響く。

「……っ……すまない……」

 ミカエル様は私の攻撃に抵抗せず頭を下げたままだった。

「……いま……さら……彼が待ってるわけっ……っ……ううっ……」

 私の拳は次第に速度を緩め、最後には停止した。
 床には私の零した涙が不揃いに飛び散っている。

「……ううっ……っく……ううっ……」

 私は両手で自分の顔を覆って俯く。
 涙が止め処なく溢れてくる。
 それは次から次から枯れることはなかった。

「……ウィニエル……すまなかった……」

 ミカエル様の手が詫びのつもりなのか私の頭を優しく撫でる。

「ああーっ……!!」

 私は声を大きく上げてミカエル様の手を払い退け、再び顔を手で覆った。

「……ウィニエル様……」

 ローザが俯く私の前に浮いている。
 でも彼女はそれ以上何も言わなかった。

 そして、ミカエル様も何も言わずその場に立ち尽くしている。
 部屋には私の泣き喚く声だけが響いていた。
 どんな慰めの言葉も今の私には届かないことを二人は理解していた。
 だから私の様子をただじっと見ている。

 今更、もう彼に会えるわけがない。
 彼がもし生きていたとしても私は約束を破ってしまったんだもの。
 嫌われるのがオチ。

 ミカエル様は本当にわからない方だ。

 何故今更降りていいなどと言うの?
 それならあの時で良かったじゃない。
 どうして今更。

 私が「じゃあ降ります」なんて言うとでも思っていたの?


 …………。


 違う。

 違うわ。

 ミカエル様は私を見越している。
 私が今更インフォスに降りたいなどと言うわけが無いと見越している。
 そして、私がまた昔のような過ちを再び犯すことはないと見越している。

 だって、


 ……フェインと出会っているから。


 私が彼を愛しているから。
 フェインを愛しているから、グリフィンが居なくても生きていけると思っているの?

 わからない。
 私にはわからない。
 今私が必要としているのは誰なのか、私にはわからないの。

「……っ……」

 私が大声を上げて泣き始めてもうどれくらい経ったのだろう。
 ミカエル様もローザも黙ったままで私の傍にずっとついている。

 一人にしたら何をするかわからないから?
 私って意外と信頼されてなかったのね。

 死にはしないわ。

 ミカエル様が見越したように私はインフォスにも行かないし、自殺したりなんかしない。
 私は天使だもの。
 アルカヤを見捨てたりなんてしない。

 私は天使として天界に残ったんだもの。
 自ら望んでここに残ったんだもの。
 彼との約束を破ったのは私なの。
 ミカエル様達の所為じゃなく、最終的には私が。

「……もう……大丈夫です。すみません……でした、ミカエル様」

 私は顔を上げる。
 顔を覆った手は涙でふやけていた。

「……俺はお前を信じていたぞ。お前はきっと哀しみを乗り越えるとな」

 ミカエル様の手が私の頭を撫でる。
 温かい手。
 この温かい手が私の想いを封印した。

 きっと何かお考えがあってのことなのだろう。

 思い切り泣いた所為か、私の思考が正常になっていく。
 荒立つ波が凪へと移りゆく。

 冷静になってみれば、ミカエル様は大天使長なのだ。
 私よりも数倍、数十、数百倍長生きをして、さまざまな天使達を見てきたのだろう。
 そのミカエル様が何のお考えもなしに私に封印を施したとは思えない。

 天界に必要だと言っていたわね。

 私にそんな強い力があるとは思えないけれど。
 大天使様達に必要とされて従わない天使はいない。
 天使であるがゆえにそれに逆らうことは出来ない。

「……ウィニエル、俺はいつでもお前の味方だ。困ったことがあったらいつでも相談に来るんだぞ?」

 ミカエル様は私の泣き腫らした目を見つめて微笑む。

「……はい……」

 私が小さく返事をすると、ミカエル様は安心したのか私にゆっくり休むようにと言って部屋から出て行ってしまった。

 ……ミカエル様は本当に味方なのでしょうか?
 先刻の一件から私にはとてもそう思えなくて。

 私はミカエル様の背を見送っていた。

「……ウィニエル様……」

 ローザが私に声を掛ける。
 そういえば、彼女にも迷惑を掛けちゃったわね。

「……ローザ、ごめんね。もう大丈夫。あなたもゆっくり休んで? 明日から、また頑張らなくちゃ」

 私は自分で無理して笑っていることに気付きながら微笑む。
 彼女にそれが通じるかはわからないけれど、今は早く一人になりたい。

 誰とも口を聞きたくないの。
 まだ全て納得はしていないから。

 これ以上口を聞いたら彼女を傷つけてしまう。
 だからローザ、今日は帰って。
 長い沈黙の後、彼女は躊躇いながら私を気遣う。

「…………はい。どうかウィニエル様もごゆっくり休まれますように」
「うん、ありがとう」

 私も精一杯の笑顔を作って飛び去る彼女を見送った。
 そして、部屋には私一人。


「……ごめんね……グリフィン、約束守れなくて…」


 私は机の引き出しにしまってあった金色の薔薇細工が施されたコインに口付けをする。
 そして、私は動きを止めてしまう。

「……ぁ……」

 フェイン……あなたにも謝らなくてはいけない。

 あなたの願いを叶えてあげなかったこと、
 あなたを傷つけたこと、
 あなたを愛してしまったこと。


 でももう会えない。


 グリフィンへの想いを思い出してしまった今、あなたにどんな顔して会えばいいか私にはわからないの。

 フェイン、あなたを愛してる。
 でも、グリフィンを愛してるのも事実、時は流れても想いは変わらない。

 もしかしたら、
 もしかしたら、あなたへの愛は彼への……?

 それなら尚更会えない。

 フェイン、あなたへの愛がグリフィンへの愛と摩り替わっているかもしれないなんて。

 違うとは言い切れない。
 自分の心がわからない。

 でも、もしそうなら私はフェインにとって疫病神でしかなかったことになる。

『セレニスの後を追えば良かった』

 と、きっと言われてしまう。

 そして私もセレニスさんの後を追わせてあげれば良かったと後悔してしまう。

 どうしたらいいの?
 どう彼に謝ればいいの?

 会いたくない。
 このまま会わないでいた方がいい。

 でも会って謝らなくてはいけない。

to be continued…

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