贖いの翼 第四話:思い出④ ウィニエルside

「……どうすればいいの……?」

 私の肩が震えている。
 小刻みに、恐れを抱いている。
 彼に会うのがこんなにも恐いなんて。


 “会ってどう償えばいいの?”


 ……私の頭の中はそればかり。

 そして、時間だけが過ぎていく。
 静かに何も無かったように、けれど確実に時は過ぎてゆく。
 時間の経過がわかる目安として天界にも静寂の闇が訪れる。
 天界はいつでも静かだけれど、この静寂の時間はまるでそこに誰も存在していない程に無音だ。
 誰かの翼の羽音も聞えない。
 目を閉じればどんな思考も掻き消してしまう程。

 闇が恐いと思ったことはない。
 恐れはないの。
 天使が闇を恐れてはいけない。
 闇を恐れるなら、私はもうすでに堕天使となっている。
 だから恐くは無い。
 例えば私が今翼を羽ばたいても、その音すらこの天界の闇は掻き消してしまう。
 全てをうやむやにしてゆく。

 その闇のお陰か、彼へのことはしこりとして残ったまま、次第に私の思考も正常に戻る。
 闇が薄っすらと紫のグラデーションを彩り、徐々に日の光が私の部屋に差し込む朝方になってやっと、私は天使としての役目を思い出す。
 私がどれくらい天界に居るかはわからないけれど、アルカヤではもう数日経っているはず。

 地上はどうかしら?
 何か変わったことはないかしら?
 堕天使と天竜は見つかった?

 妖精達に探索を指示しなくちゃ。
 勇者達に混乱の鎮静をお願いしなくちゃ。

 ……私は天使。

 アルカヤを救わなくてはいけない。
 やることはまだ山程ある。
 堕天使を倒さなくてはいけない。
 妖精に指示を、フェイン以外の勇者達に依頼して、彼等に道中の祝福を。

 フェインのことはその後。

 ……決して会いにくいとか、そういうんじゃないんだから。
 今は会いたくないの。
 会いたくても会えないだけ。

「あの……ウィニエル様」

 ローザが再び私の元へとやって来て、部屋に立ったままの私の背に声を掛けてきた。

「あ、ローザ。丁度いい所に来てくれたわね。今事件の探索をお願いしようと思ってたの」

 私は振り返ってローザの姿を確認するとそう応えた。

「ウィニエル様、あまりご無理をなさらないで下さい。アルカヤなら今は心配ありません。堕天使の気配もまだ掴めておりませんから。それで、実は今日、勇者様から面会の要請がありまして……それが……あの……」

 ローザの言葉に私は思うところがあり、最後まで聞かないうちに口を挟む。

「私なら大丈夫よ? 今何もないなら尚更今の内に勇者達に祝福しに行かなくちゃいけないわね。ん~……そう言えばこないだルディが戦闘で苦戦してたっけ……彼の修行に同行しようかなぁ? 面会が誰かはわからないけど、忙しいから断ってもらえる?」

 誰かわからないなんてことは本当はなかった。
 ローザが口を濁しているのだから、誰が呼んでいるのかはわかる。
 今は会いたくない。まだ、心の準備が出来てないの。

 私は自分の部屋から出ようとする。

「ウィニエル様!! 職務に忠実なのはいいことですがもっとご自分の気持ちに素直になって下さい!! 今あなた様が行くべき場所はルディエール様の元じゃないはずです!」

 ローザが私の行く手を阻むように8の字を描きながら旋回する。

「……ローザだって私の気持ちはわかってるくせに」

 私は子供のように彼女に八つ当たりをする。
 自分にこんな部分があったなんて少し驚いた。

「………それは逃げているだけじゃないのですか?」

 ローザは私に言われて少し黙り込んだ後、いつもと変わらぬ口調で告げる。

 冷たいのね、ローザ。
 それとも、私に勇気を与えてくれているの?
 彼といつかは向き合わなければならないのなら、今でも後でも同じ。
 早い方が私にとっても彼にとってもいいと言うのね。
 そうすればアルカヤが平和になった後、私達は互いに未来を選べる。

「……わ、わかったわよ。行けばいいんでしょ。行けば!!」

 私は半ば投げ遣りに承諾する。

「では、フェイン様の元へ。近くまでお供します」

 ローザが刹那微笑み、私の背後に回って背を押した。

「一人で行けるってば」

 ローザの小さな手が私の背を軽く叩き、私を部屋から送り出す。
 それはあまりに小さな力で、私の背を押すことは出来なかったけれど、その代わりに大きな勇気を与えてくれた。

「……ふぅ……全く不器用な天使様なんだから」

 私が去った後、ローザが安堵して優しく微笑む。
 彼女がそんなことを口にしていたなんて私は知りもしなかった。
 ローザ、勇気をありがとう。


 フェインに会いに行く。

 会いたい、
 会いたくない。

 どんな顔で、どんな風に声を掛ければいいの?

 移動している間に色々考えたけど、最初に言う言葉も見つからなかった。
 私の目の前にアルカヤ。
 フェインの元へ。
 彼は今どこに居るのだろう?

 私は彼の姿を捜す。
 確かこの辺りだ。
 今は夜で、無数の星々が空の闇を彩り白い雪が建物を、街を覆っている。
 地面は昼間多くの人々が通ったのか、今は止んでいる積もった雪に数多の靴跡が不揃いに並んでいた。
 疎らに人々が路地に現れ、白い息を吐いて身震いしながら足早に建物から建物へ移動する様を見ると、もう一雪降りそうだ。

 ここはあの街。
 私が飛び出してきてしまったあの街。

 まだ彼はここに居たのね。
 ここで、どれくらい経ったの?

 私は人通りの少ない路地に姿を現して降り立つ。
 その路地に積もった雪はまだ誰も踏んでいないようで、私の足が雪に飲み込まれていく。

「……少し冷たい……」

 足から柔らかく微かに冷たい感触が伝わってくる。
 こないだまで殆ど感じなかったのに、不思議。
 封印を解いただけで、数日前の私とまるで違う。

 私はその場に立って空を見上げる。
 さっきまで無数の星が輝いていたのに、いつの間にか真っ黒な雲に覆われて、闇が濁る。
 そして小さな雪の結晶が私に向かって舞い降りてくる。
 それは天使の羽根のようにゆっくりとゆっくりと。
 そして私の頬に触れて溶ける。


「……雪……」


 私は両手を高く上げて、降り始めた雪を受け止める。
 けれど雪は私の手に降り立つと水へと姿を変えて、決して私の手に積もらなかった。

「……綺麗……」

 私は次から次から舞い降りる結晶達を見上げる。
 今自分の姿を誰かに見られても構わない。
 淡雪が見せた幻想だと誰もが思うでしょう。
 私は雪に舞い降りた天使。
 降り積もる雪が溶ける頃、私も共に消えるでしょう。


「……ウィニエル!!」


 ウィニエル。

 その声と同時に私は背後から翼ごと抱き竦められる。
 耳元に彼の息が掛かる。
 走ってきたのか幾分鼓動が早い。

「……ウィニエルっ…良かったっ! 来てくれて…」

 この声をずっと聞きたかったような気がする。
 でも恐くて。

「君があのまま居なくなって俺は……」

 私は静かに彼の言葉に耳を澄ます。
 彼の声をこうして聞くととても安心する。

 ミカエル様は私に付けられた痕をお消しにはならなかった。

 ううん、目に付く場所の痕は消されている。
 でも、胸元のあの痣だけは消されなかった。
 その痕がまだ消えていないから、あれからそんなに長い日は経ってはいないと推測は出来るけど、随分久しぶりとさえ思う。

「……俺は君に詫びなくてはならない……あんな酷いことを……俺は……」

 彼は私を優しく包んで謝る。
 彼は優しい人。
 自分のしたことに責任を感じて償おうとする真っ直ぐな人。

 謝らなくていいの。
 悪いのは私なの。

 酷いのは私。
 あなたを彼の代わりにしていた私。

「……フェイン……」

 私は何も言えなかった。
 何か言おうと思ったけど、何も言葉が出てこない。
 私から出たものなんて、ただの滂沱たる涙。

 涙がフェインの服の袖を濡らす。

「……ウィニエルすまない……許してくれ……」

 私の涙に彼が力を強く込めて抱きしめる。

「……っ……ちがっ……」

 違うの、フェイン。
 謝らないで。
 あなたは何にも悪くない。

「……違うの……違う……」

 私は俯いて首を振って、彼の腕を力なく解く。

「……違うとは……一体……ウィニエル……?」

 彼は私をすぐに解放してくれた。
 そして、困惑した顔をする。

「……お酒……飲みに行きましょう?」

 私は涙を拭って俯いた顔を上げた。

「……あ、ああ……構わないが……」

 彼は私の提案を了承する。
 私は翼を消して、彼の隣を歩く。

「……これを着ろ」

 数歩歩くと、フェインは自分の上着を私に差し出した。

「……別に寒くないですけど……」

 私が答えると、


 ……その格好じゃ見てる方が寒い。


 仄かな笑顔を私に向ける。
 そして上着を受け取ろうとしない私の手に上着を持たせて少し足を早め前を歩く。

「……ありがとうございます」

 あなたは優しい人ね、フェイン。
 グリフィンもそうだった。
 口は乱暴だけどいつも私に優しかった。
 時にむきになって、時に叱ってくれて、いつでも真っ直ぐな人で。
 私はそんな彼が大好きだった。

 フェイン。
 フェイン、私って最低よね。
 あなたの隣に歩いているのに別の人のことを考えている。
 あなたがセレニスさんを想うように私もまた、彼を想っている。

 今、あなたがセレニスさんのことを考えているなら、私達は互いに愚か者ね。

 それでもやっぱり私の方が悪い。

 お酒の力を借りれば少しは話せるかもしれないと思ったの。
 素面のままじゃ、絶対に言えない。
 彼の傷つく顔を素面で見るなんて出来ないから。

to be continued…

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