それから、二ヶ月の間、俺と彼女は何事もなく互いに穏やかな日常を送っていた。 変わったことと言えば、彼女の訪問が増えたことくらいだろうか。 彼女が俺の元へ訪問する度、俺は彼女を帰したくなくてつい長居をさせてしまう。 「……ウィニエル……」 俺は未開の地に近いある街の高台で街を見下ろしていた。 今日は彼女が居ない日だった。 ここ二、三日別の勇者に付いているから会いに来れないと言われていたが、俺は妖精に頼んで彼女を呼んだ。 だが彼女はやはり忙しいのか中々来ない。 「……あ……フェイン……?」 「……ん? ……君は……」 街を見下ろしている俺の背に聞きなれない女の声が聞え、俺はその声に振り返った。 「……こんな所に何の用ですか?」 ピンクの長い髪を風になびかせ、ウィニエルと肌の露出が然程変わらない衣服を纏った少女が俺を険しい目で見つめている。 「……確か君は……セシア……」 彼女が何故俺を睨んでいるのかわからなかった。 「あなたの所為で私の元に天使様が訪問される回数が減ったんです。この間なんてせっかく久しぶりに同行して下さったのにあなたが呼び出すから途中で帰ってしまわれて」 セシアは頬を膨らまして機嫌が悪そうに口を尖らせた。 「…………」 俺は何も言えず黙り込んでしまう。 ウィニエルの訪問が減った? そういえば最近の彼女は大体俺の傍にいる。 そして、別の勇者の元へ行こうものならすぐに呼び戻してしまう。 相手が男勇者なら尚更。 俺の所為か……。 「天使様の勇者はあなただけじゃないのに!! フン!!」 セシアは声を荒げてそっぽを向く。 「……そんなに怒ることか……?」 俺は彼女がそこまで怒ることもないだろうと思い聞き返した。 「怒りますよ!! 天使様ったら、突然行き先を変更なさるし、今日は私の同行でここに来たはずなのに、あなたに会うためだったなんて酷すぎます!!」 彼女は怒りを露わにする。 「え……? ウィニエルが居るのか?」 俺は彼女の顔が早く見たくてセシアが怒っているのも構わずに、背後に彼女を捜してしまう。 「フェイン! ちょっと、私の話を聞いてるんですか!?」 セシアが大きな声で俺を怒鳴る。 いい大人がこんな少女に怒られるとは情けないが、俺は何も悪いことをした憶えは無かった。 「ウィニエル」 俺は彼女の名を呼ぶ。 「……ウィニエル、居るんだろう?」 俺は近くに彼女が居ると思い込んでいた。 彼女が俺に呼ばれて姿を現さないわけがない。 「…………あっきれた……天使様は先程一旦離れられましたよ!」 「え……あ、そうなのか」 俺はセシアに言われて盲目に彼女を追っている自分に少し恥ずさを感じて頭を軽く掻いた。 「……あなた……天使様のことどうお考えなんですか?」 セシアが訝しそうに俺に語る。 「どう……とは?」 「……天使様を自分の都合でいつでも呼び出し、自分の手元に置いておいては天使様の他の勇者達からの信頼を損ねることになります。世界がもうすぐ終わってしまうかもしれない今、最後の希望である我々と天使様の信頼は不可欠。それがなければ天竜には到底勝てません」 セシアがもっともらしい文言を並べ立てる。 だが俺から言わせて貰えば、自分も彼女ともっと一緒に居たいと言っているようにしか聞えなかった。 「……天竜は俺が倒す、彼女と共に。それで構わないだろう?」 俺はセシアの回りくどい言い方が気に入らなくて。 「そういう問題じゃないのです! 最近天使様は……」 「……ウィニエルのことは俺が一番良くわかっている。俺は俺のやり方でやらせてもらう」 俺はセシアの言葉を遮ってそれだけ言うとその場を離れた。 「あっ! ちょっとフェイン!! 話は最後まで……! 天使様は……!!」 俺の背に向けて、未だセシアが大声を張り上げている。 何を言ってるのかまではわからなかったが、ウィニエルが他の勇者に好かれていることは良くわかっていた。 アイリーンも楽しそうに彼女の話をしていた。 セレニスを倒したのはアイリーンだ。 実の姉と戦わねばならなくて辛かったと思う。 それを一緒に見届けてくれたのがウィニエルだった。 彼女は逃げずにちゃんとアイリーンに付いてくれていて、一緒に涙を流してくれたのだという。 一ヶ月程前依頼地へ移動中に偶然出会ったとき、アイリーンは吹っ切れた顔をしていた。 俺はアイリーンを妹のように思っていて、何か兄らしいことをしたいと伝えた。 アイリーンは全ては世界を元に戻して塔に帰ってからと俺を励ました後、ウィニエルの話をしてくれた。 始めは柔和な顔して土足で人の心に入り込んで来る迷惑な奴で戸惑ったらしい。 だが、驕ったところがなく、いつも一生懸命で気配りは不必要なまでにする。腹の立つ出来事が起きて八つ当たりで冷たくあたっても決して怒らずに笑ってその笑顔で怒りを和ませたり、戦いの際には途端真剣な顔付きで臨み、意外に策士で自分の行動に合わせて援護してくれるという。 戦いが終わると必ず回復アイテムをよこし、戦いの精神的ショックを和らげようと気を遣っているのか、話しかけることなくしばらく傍に居てくれているのだという。 『くそ真面目なのかなんなのかわっかんないけど、たまに疲れ果てて妖精に天界へ強制連行されている様なんか見ると何だか可愛いんだよ』 とアイリーンは笑っていた。 俺にも同様だった。 彼女は誰にでもそうなのだと少し淋しい気もしたが、彼女の激しい部分を見てしまった俺は彼女の健気さは生まれ持った本質的なものなのだと知った。 その健気さが彼女の力で、誰もがその魅力に惹かれ、インフォスのあいつも……。 大天使達もそこに彼女の天使としての資質を見出したんだろう。 アイリーンはそんな彼女が大好きだと言っていた。 俺も彼女を好きかと訊ねられたが、俺はセレニスの妹であるアイリーンにまだ答えることは出来なかった。 ウィニエルを好きだとは思う。 けれど、セレニスの存在はまだ大きくて。 俺とウィニエルは互いに感情を伝えあったりはしなかった。 俺の心にセレニスがいるように、彼女の心には奴がいる。 互いの気持ちが似すぎていて、俺達はそれを口にすることを意識的に避けている。 それでも傍に居たくて寄り添ってしまう。 このままずっとこの関係でもいいと俺は思っていた。 彼女もきっとそう思っているに違いない。 だが、もうすぐその関係も終わるのかもしれない。 中途半端な今の関係で堕天使と天竜を倒して、彼女はその後どうするのだろうか。 天界へと帰るのだろうか。 それとも地上に残ってくれるのだろうか。 自分勝手な我侭だが、俺は残って欲しいと思っている。 今のままの関係が続けられたらと、そう思うんだ。 「……フェイン」 街外れの緑生い茂る高台を歩く俺の背後に耳に心地いい声が届く。 「ウィニエル。遅かったな」 俺はすぐにその声の主が誰なのか理解し、彼女の声に振り返った。 「ごめんなさい。他の勇者と同行中だったので、一度離れて妖精達にお休みの指示を出して来ました」 彼女はやんわりと微笑む。俺は彼女の行動を事細かに報告して欲しいとは訊いていないのに、彼女はいつも何をしていたと、理由を俺に教えてくれる。 「今は事件もないのだろう? ……君は真面目なんだな」 俺は同行中の勇者がセシアだったことを知っていたため、余裕を持って穏やかに応えることが出来た。 以前は彼女が他の男勇者の名を出す度に苛立って、しばらくは冷静に話など出来なかったのだ。 それを彼女は知ってか同行中の勇者の名前を言わなくなった。 それでは尚更気になって問い正したくなったが、実際二、三度訊いたら彼女が困惑した顔をした。 彼女の俺に対する評価が多少なりとも下がっていく気がしてそれから訊くのはやめた。 「そんなことありませんよ。それが私の仕事ですし、皆頑張って下さってるのだから」 彼女は機嫌を損ねない俺に安堵したのか、心なしかいつもより嬉しそうに微笑んで応えた。 彼女は事件の無い間もこうして皆に満遍なく気を遣っている。 時々疲れないかと心配になる程に。 「ウィニエル……」 俺は宙に浮く彼女の細い腕を探るように触れた。 そして、彼女を見上げる。 「……はい?」 微笑む彼女の目に俺が写っている。 「そんなに気を遣っていて、君は疲れないか?」 俺は訊いてみたかった。 彼女の仕事が何かを彼女から聞いて俺は知っているつもりだった。 その上で何故、そこまで天使の職務に真面目に取り組めるのか。 大天使達にあれ程までに辛い目に遭わされたのに、怒ってはいないのか? 「…………ええと……そうですね……最近天界に戻っていないので少し……。あ! でも大丈夫ですよ。元気ですから!」 彼女は俺が訊きたかったことの半分も答えはしなかった。 まぁ、俺も言葉足らずではあったが。 「……君は前向きだな」 彼女の中で何らかの葛藤はあったはずだ。 それでも彼女は全てを許す程の心の広さを持った女性なんだと、何となく俺は思う。 妙に腹立たしいが、大天使達が彼女を高く買ってこの世界を任せた理由がそれなんだろう。 「フェインこそ」 彼女がはにかんで俺の額に優しく唇で触れた。 「……ウィニエル……」 俺は彼女の腕を静かに引く。 「……フェイン……もうすぐ堕天使が地上に現れます……」 彼女が地に降りて、今度は俺を見上げている。 「ああ……」 「……その時はあなたに……あなたに彼等を倒して欲しいのです」 俺の手を小さな両手で優しく包み込み、彼女は真摯な瞳で俺を見つめた。 「……ああ、わかっている。俺もそれを望んでいた」 彼女の一言に俺は現実を思い出す。 この世界に混乱を招いたのは俺だ。 俺はその責任を取り、堕天使と天竜を倒さなければならない。そうすることが、セレニスへの真の償いにもなるし、彼女、ウィニエルのこの世界での任務の終わりにもなる。 奴等を倒すことが出来て初めて俺の新しい未来が始まる気がする。 「……私も、共に戦います」 彼女は迷いの無い笑顔で俺を見据えた。 意志の強い笑顔が俺を励ましてくれている。 セレニスもそうだった。 意志の強い美しい笑顔、俺はそれが好きで。 彼女はセレニスと全然似ていないのに、どこか彼女をセレニスと似せて見る俺がいた。 ウィニエルの所為なのか、それともお陰か、しばらく何も無い時がセレニスをしばらく記憶の隅においやっていたが、忘れたことなど一度もなかった。 セレニスと離れてからもう随分になる。 その間俺はずっと一人だと思っていたが、どうやら一人じゃなかったようだ。 今、目の前に居る彼女の存在もそうだがセレニスへのこの想いはセレニスがこの心の奥に住んでいるのと同じこと。 俺はいつでも誰かと歩んできたんだ。 ずるいかもしれないが最後の戦いにはセレニスと、そしてウィニエルがいる。 こんな心強いことはない。 俺は彼女達と共に堕天使達を倒す。 決して負けたりはしない。 「……ところでフェイン」 彼女はいつもの柔和な顔で俺を覗き込む。 「ん?」 「今日は一体何の用だったんですか?」 彼女が首を傾げる。 「あ、いや、用は特になかったんだが……」 俺は頭を掻いた。 ウィニエルが真面目な分、いつも用も無く彼女を呼び出す理由を考えるのに苦労する。 「そうなんですか? ……私はフェインの顔が見れて嬉しいので構いませんけど……」 それでも彼女は俺に気を遣っているのか優しい笑みで嬉しくなるようなことを言ってくれる。 「……そうか」 俺はついその笑顔につられ、はにかむ。
to be continued…