贖いの翼 第五話:別離⑥ フェインside

「お話でもしましょうか。それとも、修行のお手伝いでもしましょうか?」

 俺がはにかむと彼女はいつも機嫌を良くして最高の笑顔を見せる。

「いや……今日はゆっくりしようかと思っている、君もどうだ?」

 俺は彼女に訊ねてから緑の絨毯の上に静かに腰を下ろした。

「はい、お付き合いします」

 彼女は二つ返事で俺の隣に腰掛けようとする。

「…………っ……」

 途端ウィニエルがふら付き、俺の肩に手を掛けた。

「ウィニエル? 大丈夫か?」
「……ご、ごめんなさい、何でもありません。ちょっと疲れが溜まっているみたいで……」

 俺が彼女を見上げると、彼女は肩から手を放してゆっくりと俺の隣に座った。

「……風が気持ちいい……」

 穏やかに微笑む彼女の金の髪を高台へ向かって吹く風が優しく撫ぜた。
 風に乗ってウィニエルの髪の香りが隣に座る俺に届いて、何の香りかわからないがそのほのかな甘い香りに俺はいつも酔ってしまう。

「……ああ、そうだな」

 俺は彼女に目を奪われていた。
 いつもならこのまましばらく二人で何をするでもなく雲の動きを眺めたり、俺が本を読んでいれば彼女が隣から覗き見たりして、特に何も話はしないのだが今日は違った。

「…………。……あの……フェイン……」

 彼女は俯いて黙り込んだ後、顔を上げて俺の方を見た。

「何だ?」
「……お願いがあるのですが……構いませんか?」

 そう言う彼女の顔色は少し悪い気がした。

「ああ、何だ?」
「…………肩を貸してもらっていいでしょうか……。少し……だるくて…………」

 彼女は言葉を最後まで言い終わらない内に身体を俺の肩に委ねる。

「ああ、構わない」

 俺が応える前に彼女は目蓋を閉じて眠っていた。

「……ウィニエル……?」

 彼女の名を呼んだが彼女は返事をすることなく眠っている。

 確かに彼女は疲れている様子だった。
 天使は人間ではないから疲れ方も人間と違うと思われがちだが、姿が人間に似ている為か人間のそれと然程変わらないらしい。
 しかも不憫なことに天界に帰って休まないと疲れは取れないのだと妖精から訊いたことがある。

 つまり俺の隣で寝ても彼女の疲れは癒されない、ということになる。

 それでも彼女が俺の肩に頭を凭れ掛けて静かに寝息を立てているのを聞くと、俺は彼女の癒しになれているのかと錯覚してしまう。

 おそらく、彼女は今日帰ったらゆっくり休むのだろう。
 堕天使達がいつ見つかるかわからない状態の今、常に体調を整えていなければならない。
 互いに口には出さないが、こんな穏やかな日はもうしばらくないと思う。

 堕天使達を倒したら俺達は変われるのだろうか。
 互いの中に何らかの変化は必ずあるはずだ。

 俺はそれが恐い。

 セレニスを忘れるなんて出来ない。
 けれどウィニエルに惹かれているのも事実で。

 そんな宙ぶらりんな状態で、俺は彼女を引き止める程の勇気は持てないような気がする。
 それでは彼女も地上に残ってくれるかわかったものじゃない。

 堕天使など居なければ。
 堕天使が憎い。

 これ程何かを憎いと思ったことはなかった。

 俺は必ずあいつ等を倒す。
 セレニスの為、ウィニエルの為に。

 ……俺は眠る彼女の横で、空に誓った。


◇


 それから一週間後、俺とウィニエルは堕天使と天竜を倒した。
 随分長い間戦っていた気がする。
 大天使達が来るのがあともうちょっと遅かったら彼女が奴等の手に渡ってしまうところだった。
 俺はウィニエルの一件で大天使達にいい感情がなかったから、正直助けてもらってもあんまり嬉しくなかった。
 だが、あいつ等が来なければこの勝利はなかったわけで、そんなこと思ってる場合じゃなかったと今になって少し反省した。
 本当にほんの少しだけだが。

「勇者フェイン、ありがとうございました。これでアルカヤは救われました」

 堕天使達が築いた伝説の城が光となって弾け日の光に溶けると、ウィニエルが純白の翼をその光に輝かせ、宙に浮いていた。
 瞳にはやり遂げた充実感と平和への喜びが映っている。
 堕天使も、天竜ももういない。
 アルカヤに真の平和が訪れたのだ。

「……ああ、終わったな……」

 俺も充足感に浸り、彼女を見上げる。

「……きっとセレニスさんも喜んでいると思います」

 彼女は心底からセレニスのことを思ってくれているのか、柔らかく微笑みながら瞳を閉じて一筋の涙を零した。

「……ああ……」

 俺はそれが嬉しくて。

 これで、セレニスも浮かばれる……。

 青く晴れた空を見上げた。
 空は混乱が去ったのを喜び、澄んだ色をしている。
 もうすぐ冬が来るのか冷たい風が俺とウィニエルの間を通り過ぎたがそれすらも澄んで、俺は思い切り息を吸い込んだ。

「……ふぅ……」

 冷たい清浄な空気が俺だけでなく、世界も清めてくれるような気がする。

「……フェイン、私は天界に一度戻らねばなりません」

 ウィニエルが天使の顔で俺に伝える。

 この時が来てしまった。

 俺は彼女に帰って欲しくは無い。

 だが、俺にそれを言う権利があるだろうか?

 インフォスの勇者はウィニエルだけを愛し残って欲しいと願い、結果的には叶わなかったが彼女はそれを受け入れようとしていた。
 俺の中にはセレニスがまだいる。
 いつも彼女の中にセレニスを捜すわけじゃないが、時々捜してしまう。
 そんな時彼女は酷く淋しそうに笑うんだ。
 俺はその顔を見るのが堪らなく辛い。

 彼女が俺の中にあいつを見ているのかはわからない。
 もし俺の中にあいつを見ていたとしても、彼女はそういうことを隠すのがうまくて、鈍感な俺にはわからないだろう。
 互いに愛しい者と離れ離れになったとはいえ、全てが同じではない。
 俺と彼女が人間と天使であり、男と女であり、違う魂を持った者であるということは、考え方も違うのだ。
 俺が彼女の思いを全てわかってやるにはまだ気持ちが足りていない気がする。

 彼女は何を望んでいるんだろうか。

 こんな中途半端な俺が彼女を地上に縛り付けてもいいのだろうか?

 答えはすぐ出さなければならなかった。
 これまで答えを出す時間はたっぷりあったはずだ。
 だが、俺は後回しにしてきたんだ。

 その時が来るのはわかっていたはずなのに、どうしても結論を出したくなくて。

「…………フェイン、私は……地上に…………」

 彼女は長い沈黙の後俺の名を呼んで何か言おうとして黙ってしまう。

「……ウィニエル。俺なんかの為に気を遣って地上に残ることは無い。君は自由だ……」

 俺は結局体のいい台詞しか言えなかった。

 君が地上に居てくれたら、
 君が俺の傍に居てくれたら。

 それは俺にとっては願ってもないことだ。

 だが、口が裂けてもそれは言えない。

 セレニスを愛している。
 目を閉じたらまだ、セレニスの顔が、セレニスの笑顔が浮かぶんだ。

 そんな俺の傍に君を置いておけるわけがない。

 俺と君が一緒に居ることが出来たのは堕天使達を倒すまでという期限付きの理由があったからだ。
 その堕天使達を倒した今、俺達には別れる理由しか見つからない。

 俺に引き止める権利など無い。
 君がここに残ってくれる保証も無い。

「……フェイン……私は……、私は……天界に帰ろうと思います」

 ウィニエルは目を閉じて静かに言葉を紡ぐ。

 君ならそう言うような気がした。

 君があいつを吹っ切れていない証拠だ。
 君は中途半端な自分の気持ちに踏ん切りを付けようとしている。
 そうして俺の中の中途半端な気持ちにも区切りを付けさせようとしている。

 互いに違う者を想う心を誤魔化しあって一緒に歩むことは間違っていると、彼女はわかっている。

 だから、君は天界へ帰ると言うのだ。
 それが互いの為になると俺がそれに気付かない振りをしていただけで、君は気付いていたんだ。

 俺達は決して結ばれはしないんだな……ウィニエル。

 君は俺より半歩先に答えを見つけ出していたんだ。

「……ウィニエル……」

 俺はこの後に及んで宙に浮く彼女に縋るように腕を伸ばした。

「……この二年間、ここアルカヤで私は色んなことを知ることができました」

 彼女は目を閉じたまま淡々と言葉を並べていく。

「ウィニエル」

 俺は彼女の腕を掴む。

「……ここでの経験は忘れることがないでしょう。それ程に大切な経験をさせていただいたと思います」

 俺は彼女の腕を強く握った。
 だが彼女の声色は変わることなく綴られていく。

「ウィニエル」

 もう一度名を呼んでみる。

 なぜ、目を閉じているんだ?

 もしかしたら、
 もしかしたら、君はここに残りたいんじゃないのか?

 それでも俺は君を留めておくことなど出来ない。

「……いつか私のことも思い出になるでしょう。そうしたら……」

 彼女は決して目を開けなかった。

「ウィニエル、俺の目を見てくれ! 俺の目を見て話してくれ!」

 俺は堪らず声を張り上げてしまう。

「……フェイン……ありがとう……私はあなたが大好きでした」

 俺の声に彼女はようやくゆっくりと目蓋を開いて、最高の笑顔を俺に見せた。そして彼女の瞳から透明な雫が零れ落ちる。

「…………俺は……君を……」

 俺は無意識の内に彼女を引き寄せ、彼女の柔らかい唇に自らの唇を重ねていた。

 少し長い、互いに触れ合うだけの何の変哲も無いキスだった。

 なのに彼女から離れた途端唇から熱が全身に回る。

「ウィニエル……」

 俺は離れたくなかった。
 だが、彼女の名を呼ぶことしか出来なくて。

「……あなたに会えて良かった……」

 彼女が俺から離れてゆく。
 離れて、羽根を羽ばたいて空へ上昇していく。
 出会った時と同じ優しい笑顔と、少し淋しそうな瞳で俺を見つめながら。

 ウィニエル、君との二年間は一生の宝物になるだろう。
 互いに別の道を歩むことになったけれど、

 どうか元気で。

「元気でな……」

 俺は天空に消える彼女をずっと見上げて見送っていた。
 空を仰ぐ俺の目の前に純白の羽根がゆっくりと一枚、弧を交互に描きながら舞う。


 ……俺も君に出会えて良かったと心の底から思う。
 天界に帰った君がどうか、幸せになりますように。


 俺は自分の足元に降りた天使の羽根を拾った。


 この羽根は一生大事にとっておこうと思う――。

to be continued…

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後書き

 長い……。またも……。
 またしても勝手に話が進んでて意図するのと違う話に……クッ。

 何だか二人の関係がおかしなことになってますね挿絵をいつもと違う感じに仕上げてみました。
 何気におしおき? が終わった後、ウィニエルちゃんてHだなーなんて思ったり。

 でも私的にはウィニエルは淋しがり屋だと思うんですよね。快楽とか以前に純粋に繋がってたいんじゃないかなぁ? もしくは罪悪感を感じる暇を作りたくない……とか。

 感じ方はそれぞれにお任せします。それから、この二人って基本的に後ろ向きな関係でくら~くなり過ぎる傾向があるので、明るく出来る所はしたいなぁって心掛けました。っつか、私はいつも笑いに走る傾向があるので気を付けねばと思います……。一応本編ではギャグはありません。……のでとても苦しい(汗)

 結局二人は別れを選んだわけですが――。
 なんだか2人とも不器用で、むず痒い。ストーリー的に何か耐えられなくなってきました……。
 でも、頑張る(苦笑)。

 次回はウィニエルサイドです。
 物語りも後半へと突入!? 新展開は?
 お楽しみに!

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