贖いの翼 第六話:予兆③ ウィニエルside

「……っ……許せないっ!! 何でそんなことっ!!」

 アイリーンの瞳が涙で潤っている。
 歯軋りをして、私の手を握る手が、肩が震えている。
 彼女は怒っている。
 自分のことではないのに、怒っているのだ。

「アイリーン……」

 私は彼女に声を掛ける。

「……酷いよっ……!! そんなのってないよっ!!」

 彼女が俯くと、私の膝に彼女の涙が零れた。

「……大天使様達が悪いわけではありません。私が弱かっただけなのです。私があの時強い意思を持っていれば……悪いのは私なのです……」

 私は私の膝に俯く彼女の頭を諭すように撫でてあげる。

「……っ……ウィニエルの馬鹿っ……辛いのはあなたの方でしょ!? 慰めないでよぅ!」

 アイリーンは私の膝に腕を伏せてしまう。

「……いいえ、私は辛くなどありません。私の選択は間違っていませんでした。……ここアルカヤに来て、あなたのように優しい勇者に再び出会えたのですから。それに……フェインとも出会えました。大天使様達が私を天界に留めて下さらなかったらあなたにも、彼にも会えなかったんですよ?」
「馬鹿、ウィニエル! お人好し!! ……っ……ううっ……ああーんっ!!」

 アイリーンが私の膝で声を張り上げて泣いた。

「……あなたのお陰で私も向き合おうと思ったのです。あなたは自分と向き合ってセレニスさんを救った。私も、自分と向き合って自分なりの決着を付けたかったのです。誰かの所為にするのではなく、自分が招いた結果をありのままに受け入れようと決めたのです。だから、誰も悪くはないの」

 私はアイリーンを宥めるように何度も彼女の頭を撫でる。

「……うっ……ぐすっ」
「……私の為に泣いてくれてありがとう、アイリーン……」

 私がそう言うと、アイリーンは静かに身体を起こす。

「……馬鹿だよ……ウィニエル……」

 彼女は目を擦り、赤い目を細めて私の目を見つめた。

「……ふふっ、そうかもしれませんね……でもアイリーン」
「ん? 何?」
「……私は天使です。天使の私でも過去は変えることはできません。それならば、未来を、人間のあなたと同じように未来を見ようと思ったの。……グリフィンを忘れることは出来ないけれど、このままずっと彼への愛を哀しみだけ引き摺っていくのは彼に対しても申し訳ない気がして……。だから私は大丈夫です、安心して下さいアイリーン」

 私はアイリーンを安心させるように頷きながら微笑した。

「……ウィニエルは前向きなんだね……」

 アイリーンは私の微笑みに応えるように笑ってくれる。

「アイリーンのお陰ですよ」
「フェインも……でしょ?」

 私の顔を上目遣いで覗くようにして彼女はにこりと笑う。

「……ふふっ……そうですね」

 私もそれに素直に応じた。
 彼がもし、セレニスさんと共に死んでいたなら私はもしかしたらグリフィンを追っていたかもしれない。
 天使としてそれが間違っていることだとしても、私にとっての正しい道であったかもしれない。
 それを選んでいたなら、私達はアイリーンを一人にしてしまっていたのでしょう。
 フェインも私も彼女を一人ぼっちにしなくて本当に良かったと思う。
 きっとセレニスさんもそう思ってくれている。

 去っていく方は意外と楽なの。
 だって、想いはどうであれ自分の意思がそれを選んだのだから。

 でも残された方は堪らない。
 共に歩むことなく、その人が去ったときのままの姿で、時がいくら流れても変わらないのだから。

 それが突然なら尚更。
 それが愛する者なら尚更。

 心が痛くてどうしようもないの。
 どこかで昇華しなくちゃいけないけれど、踏ん切りを付けたとしてもどこかで痛みは残る。

 これ以上アイリーンを哀しませたくないと、私はこの時思っていた。
 彼女は笑顔でいつもと変わらぬ態度で私を迎えてくれる。

「……ね、ウィニエル、もうすぐ街だからさ……街に着いたら買い物付き合って?」

 アイリーンが岩から降りて、満面の笑みを浮かべて私を見た。
 私はこの笑顔が大好き。

「ええ。いいですよ」

 私も腰を上げて、地面に降りる。

「良かったー。欲しいものがあったんだ。さ、行きましょ!」

 アイリーンは楽しそうにはしゃいで、私の前を歩き始めた。
 私もそんな彼女の姿につい嬉しくなって、知らず知らずの内に道を歩いていた。
 道は凸凹していてとても歩き辛い。
 歩き慣れていない私の足ではアイリーンに追いつけない。
 いつも平坦な道ではないと知っていたつもりだけれど、たまにこうして地に足を付けてみると勇者の大変さが良くわかる。

「……ん? いつもこの辺についてるのに……あ、ウィニエル歩くことにしたのね。いい心がけだわ、勇者がいつもどんな思いで移動しているか知らなきゃね!」
「はい」

 アイリーンは自分の後ろを鈍足で歩く私に気付いたのか、少し前を歩いていたが、私の方へ戻ってきて、私の腕を抱きしめる。

「……ウィニエル大好き! もうちょっとだから、頑張ろうね!」
「……はい」

 アイリーンは私の腕を力強く引っ張り、そのまま街まで付き添ってくれた。
 彼女の足取りが速くて、私は何度か躓きそうになったけれど、彼女は転ばないように支えてくれる。
 そんな彼女に私は逞しさを感じていた。
 それは他の勇者達にも感じていたことだった。


 そして、確信したの。


 翼を持たず、空も飛べず、哀しみの感情を封じることも知らない、全てに対しての慈愛は持たず、自分の感情で動く、

 そんな彼等勇者は……いえ、人間は、


 きっと天使よりも強いのでしょう。


 天使の私は翼がなければ、感情を封じなければ、全てのためでなければ、力を使うことすら叶わず、到底使い物にならない。
 自分の感情だけではきっと動くことすらできない。

 神様の使いである私達天使に与えられた力はあまりに過ぎた力なのだと思う。
 それが天界に住む私達に必要な力であることはわかっている。
 天使の使命として、地上を一人で守護するのだからその力は強大。

 それでも、私は憧れてしまう。

 彼等人間は己の身体一つだけで歩み、傷ついてもそれを抱えたまま生きる。
 痛みにもがいて、もがいて、その先に自分なりの答えを見つける。
 探すことが出来る。
 その選択権を持ち合わせている。

 彼等が羨ましく思うの。
 私にはそれがなかったから。

 殆どの天使には他を慈しむ心はあっても、自分を愛しむ心は持ち合わせていない。
 だから、痛みにとても弱い。
 そこに悪魔は付け入り、天使を地に堕とし堕天使を生ませる。
 堕天使を生み出さないように大天使様達が感情を封じて下さるけど、それはあの選択権を消すのと同じこと。
 選択権を抹消された天使は何事もなかったように他を慈しみ、全ての為に愛を注ぐ。決して、特定の何かを愛しむことはない。
 哀しみを封じられた天使は穏やかに、ただ微笑むだけ。

 それでも例外はいて、痛みに耐えられる者や私のように封印を解く者もいる。
 そして、そういう天使達はやはり先に堕ちた堕天使と悪魔に付け入られるのだ。
 けれど、彼等は再び封印を受けたりはしない。
 痛みや封印を乗り越えた心の持ち主は堕ちるか、這い上がるかのどちらかを自分で決めることが出来る。
 大天使様達の力を持ってしても彼等の感情を封印することはもう出来ないでしょう。

 私は乗り越えたわけじゃない。
 全て乗り越えたわけじゃない。
 でも、それに向き合うと決めたの、彼等の強さに憧れて、人間の真似事みたいに。

 全てが終わったら、地上に降りて人間になりたい。
 人間になれたならきっとグリフィンのことを受け止めていける気がする。
 出来れば、フェインの傍に居たい。
 彼がそう望んでくれたなら、どれだけ幸福なのだろう。
 どれだけ彼を愛しいと思うのでしょう。

 でも、彼の中にはまだセレニスさんが居る。
 全てが終わってもそれはきっと変わらない。
 一生忘れることは無いでしょう。

 私はその彼を見続けなくてはならない。

 自分のことを棚に上げて言える事じゃないけれど、それはあまりに痛くて辛い。
 同時にそんな彼を愛しく思うのでしょう……。

 全てが終わるまで考えないと決めていたのに、私の思考は彼との未来ばかり。
 アイリーンが言っていた、


『これからもフェインの傍にいてあげてよね』


 この言葉の意味が今頃深く私の胸に突き刺さる。


 そうできたなら、そうできたなら。


「次、あっちの店ね!」

 私とアイリーンは疾の内に街へ辿り着き、出店周りをしていた。
 比較的大きな街なのかざっと見ても百店舗以上の屋台が軒を連ねていた。
 市場には人々がごった返し、アイリーンの声が聞き取り辛い。
 私は彼女から皆の前でも姿を現して欲しいと言われていたので翼を見えないようにして歩いていた。
 アイリーンが別の店へと走っていくので、私は追いかけようとする。
 私が走ろうと、足を一歩踏み出すと、

「……っ……」

 ふいに突然身体にだるさを感じ、その場に立ち尽くしてしまった。

「ウィニエル早くー! ほらほら、これ可愛いよ。……あれ……ウィニエル……?」

 アイリーンは今居た店から指呼の向かいの店でアクセサリーを見ていた。そして、さっきまですぐ傍に居た私が居ないことに気付く。

「…………うっ……」

 私は人込みに酔ったのか急に吐き気に襲われ、手を口元に当てた。
 足元も何だかふらついている。
 身体も前後に揺れて、自分の身体を支えることが出来なくなってきた。

「…………あ、あれ……?」

 くらっとして意識が一瞬飛びそうになる。
 頭が重くて後ろに倒れそうだ。
 いや、実際もう重力に習って倒れ始めていた。

「……大丈夫か?」

to be continued…

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