贖いの翼 第六話:予兆④ ウィニエルside

 聞き覚えのある声が耳元に届く。
 そしてその声の主は背後から私の両肩をしっかりと受け止めている。
 私は半覚醒の状態で、自分の肩を支える腕を見た。
 この腕の服は見たことがあった。
 白い手袋と、エクレシア教国の位の高い聖職者が纏うローブ。

「……あ……はい……すみません…………っ……」

 私は虚ろに何とか自力で立とうと、足に力を込めた。
 けれど、何故かわからないけれど力が入らず立てずに、膝が砕けその場に両脛を打ち付けそうになる。

「っと…………へぇ……天使様でも倒れるんだな」

 声の主は私の脇の下に腕を通し、両脛が地面に着かないように力を入れた。
 ようやくその声の主の顔が見える。

「……え……あ……ロクス……どうしてここに……?」

 私は顎、鼻、目……右目には縦に一文字の傷跡、髪と見上げて、声の主がロクスだということに気が付く。

「……君こそどうしてここに?」

 ロクスは私を力強く引っ張り上げ、立たせてくれた。

「ウィニエル!! どうしたの!? ……てか、あんた誰?」

 すぐさまアイリーンが戻ってきて私に駆け寄って来たと思ったら、ロクスに気付いて動きを止め、身構えた。
 私が初めて会った時もこんな感じだったかもしれない。

「彼女の名前を知っているということは……君も勇者なのか?」

 ロクスは私の肩を支えたまま私の肩越しにアイリーンに話し掛けた。

「そうよ。で、あんたは?」

 アイリーンは私の手を取って、怪訝そうにロクスを見る。

「僕の名前を知らないのか? 僕も天使の勇者だ。ロクス・ラス・フロレスと言って…………おい!」
「……行こう、ウィニエル」

 ロクスが自己紹介をしている間にアイリーンは私の手を引いて、別の場所へ連れて行こうとする。

「……ご、ごめんなさい……彼女、人見知りが激しくて……でもいい娘なんです……」

 私は彼女に引かれるまま歩き出した。
 けれど身体は正直歩ける状態ではなかった。

「……全く、可愛い顔したお嬢さんだってのに……って、おいウィニエル、大丈夫なのか!?」

 ロクスはアイリーンに手を引かれ、たどたどしく歩く私の後を追って来る。

「待てよ! 君はウィニエルが心配じゃないのか!?」

 ロクスは人込みの中を泳ぐようにして分け入り、私達の前に先回りをし、歩みを止めさせた。
 そして、前に倒れそうな私の身体を支えようと両肩を掴む。
 このままだと恐らく倒れていただろう。
 そうなってはアイリーンでは支えられない。
 私はロクスに感謝していた。
 でもアイリーンはそうではなかった。

「ウィニエルに構わないで! ウィニエルにはフェインが居るんだから!」

 アイリーンが感情的にロクスの腕を私から剥がそうとする。

「なっ……今そんなことを言ってる場合じゃないだろう!? っつかフェインて誰だよ!?」

 ロクスは私から手が放れないように力を込めた。

「……っぅ……」

 私は何も言えずにその場に留まったまま、自分の身体を支えるのがやっとで。

「フェインはウィニエルの大事な人なんだからー!! あんたみたいなのが出てきたら困るの!!」

 アイリーンは拳を握って顔を顰め、大声を張り上げる。

「何言ってるんだ君は! 僕は別にっ!!」

 ロクスも捲くし立てられたように反論する。

「ウィニエルを放して!!」
「だから、彼女は歩ける状態じゃないんだって!! っ……痛っ!! この馬鹿力っ!!」

 アイリーンはロクスの制止も聴かずに彼の手を無理矢理剥がした。
 その上で、私の手を取って、

「うるさいっ!! ウィニエル、早くこんな街出ようよ!」

 懇願するように私を見上げ、強くその手を握る。
 だが、今度はその言葉に腹を立てたのかロクスが私からアイリーンの手を振り落とし、

「こんな街とはなんだ。聖都だぞ!?」

 彼女を威圧するように怒鳴る。
 そして、その怒鳴り声をきっかけにアイリーンまでもが怒鳴り始めた。
 互いに売り言葉と買い言葉で、私を挟んで怒声が行き交う。

「……ぅ……」

 そんな中私は半分意識を失っていた。


 このだるさ、何なのだろうか。


 本当は街に着く少し前から身体がだるかった。
 ここがどこの街であるかも判らない程に。
 今日はアイリーンの笑顔をずっと見ていたくて。

「…………うっ……」

 私は再び吐き気に襲われ手を口元に当てて、前のめりになる。

「大体あんたは……ウィニエル!?」
「ったくなんだって……ウィニエル!?」

 口論を続けていた2人は前屈みに倒れる私に驚いて、同時に手を出して受け止めた。

「大丈夫か?」
「大丈夫!?」
「…………ごめんなさい……少し……少し休んだら大丈夫だから…………」

「ウィニエル!?」

 私の様子を心配そうに伺う二人の顔を見届けて、私の視界は一瞬の内に暗闇に包まれ、そのまま意識を失ってしまった。


 久しぶりに沢山歩いたから、疲れたんだわ――。


◇


 真っ暗闇の中で私は一人歩いていた。
 後にも先にも暗闇。
 足元は滑らかな石床の感触、ひんやりと冷たく、無音の空間に僅かに私の足音だけが響く。

 不思議な空間。

 恐いとは、この時点では思わなかった。
 天使は闇を恐れたりなんかしない。

「……宙に浮いている方が楽だわ……」

 私は宙に浮こうとする。
 けれど、身体が鉛になり、重くてそれが出来なかった。
 それに何故かはわからないけれど翼も痛む。

 私は手で、翼に触れてみる。

「……っ……何……これ……」

 翼に触れた私の手に粘りのある温かい感触が伝わる。
 暗闇の中ではわからないけれど、これは恐らく血液。

 痛みからして、私のだ。

 そして、私は手の感触だけで、どこが傷ついているのか探った。
 けれど、探る必要などなかった。翼に触れているはずの指先に羽根の感触が殆どしないのだ。
 所々抜け落ちてしまっている。
 そして、私が数枚残った羽根に触れるとその羽根が抜け落ちる音が聞える。
 生え際から抜ける時の乾いた嫌な音。
 その後に血が垂れていく。
 血は垂れて床に落ちると、ぴちゃんと音を立てて私の後ろ足首に跳ね、嫌な感触を残した。

「やっ……何……どうして……?」

 私は自分がどうしてそうなったのかわからずに必死にどこで怪我をしたのか考えをめぐらした。
 けれど何も思い当たらなかった。
 翼がこれだけ抜け落ちる程の怪我をした憶えはないのだ。

 そんなことを考えていると、次第に手に感じた生暖かい滑り気のある液体が私の足裏を濡らした。
 その液体が全て自分の血液であるかはわからなかったが、いい感じはしなかった。

「……どうしよう……っ……」

 私は使い物にならない翼を羽ばたいてみる。
 いつもなら風を掴まえるこの翼が、動かす度に風を逃がした。そんな翼で宙に浮けるはずもなく、羽根が痛みを伴って更に抜け落ちていく。

 私は床が気持ち悪くて、早く宙に浮きたかった。
 でも、この翼では。


 翼が無いと飛べない。


『……翼が無いならやろうか?』


「えっ……?」


 私の髪に生暖かい湿った空気が触れて、背後から誘いの声が聞える。
 私はそれが直ぐに誰なのかわかった。
 少年のようで、少年ではない声。

「……っ……」

 私は黙り込む。
 全てを凍えさせる程の冷静なる純粋な歪んだ狂気が、私の髪を掬い取って匂いを嗅いでいる。

「……お前には黒い翼がお似合いだよ」

 姿は見えないけれど、笑っているような気がした。
 そして、私の首筋から耳裏にねっとりと湿った感触が粘着質な音を立ててゆっくりと這った。

「……あっ……」

 私は気持ち悪いのについ声を出してしまう。

「……へぇ、感度がいいんだな。天使にしとくのは勿体無い」

 今度は背中にその音が這う。
 妙にくすぐったくて、冷たくて、熱い感触。

「……っ……」

 私は声を出さないように拳に力を込め握った。

「……あらら、つまんないなぁ…………じゃあ、こうしたらどうかな?」

 闇の中の声が知っている声に変わる。


「……ウィニエル……」


 私を呼ぶ聞き慣れた声、低く、甘く、聞くだけで安心する優しい声。


「……っ……フェイン!?」


 フェインがここに居るはずないのに、私は彼の名を口にしてしまう。

「……ああ……ウィニエル、俺だ……」

to be continued…

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