俯く彼女から小さな声が聞える。 「え?」 「……ウィニエルのこと、引っ張り回して。あなたいつも元気だから、大丈夫だと思って……」 アイリーンは落ち込んでいる様子だった。いつもより声のトーンが下がっている。 「……いえ、私の方こそ。慣れないのに沢山歩いてちょっと疲れたみたいです」 「……言ってくれれば良かったのに……そしたらこんな風に倒れなくて済んだのに……ううん、私が気付かなかったのが悪いんだよね。ごめんね」 アイリーンが私の方を見上げて、片手でタオルケットを掴んで、空いた片手で私の頬に触れた。 大きな愛らしい瞳には涙を溜めている。 「……いいえ、アイリーンは悪くありません。自己管理がきちんと出来ていない私が悪いのです。多分、私最近天界に帰っていないので、元々疲労が溜まっていたんですよ。天使は天界に帰らないと疲労は回復しないので。あなたの所為じゃないのです。私は大丈夫だから、落ち込まないで下さいね?」 私は彼女を泣かせたくなくて、彼女が安心出来る笑顔を精一杯作った。 「…………ウィニエルの馬鹿……でも……良かった、元気になって」 そして、アイリーンは私の笑顔に釣られて同じように微笑む。 やっぱり、彼女の笑顔は可愛いと思う。やっぱり、笑顔が彼女に一番似合う。 「ねぇ、ウィニエル」 「はい?」 いつものアイリーンに戻った所で、彼女は私に話し掛けた。 「今日、天界に帰るの?」 「え……そうですね……どうしましょうか。APは有り余っているんですけれど」 「APって何……?」 アイリーンは興味津々で私を見つめる。 「APは私がこの地上で活動するのに必要な力です。これが無くなると天界に帰って休まないといけないんですよ。あなた方勇者達が強くなれば私も強くなって、より多くのAPを蓄えておけるようになります」 「へぇ~、じゃあ、ウィニエルは? 私結構強くなったよ?」 アイリーンの目がきらきらと輝いて私に問う。 「ええ、アイリーンやロクスや皆のお蔭で私も強くなりました。だから最近はAPを沢山蓄えておけるようになったんですよ」 私は彼女の瞳が生き生きしているのを見て嬉しくなって自然と笑顔で答えていた。 「そっか~。良かったぁ! じゃ、今日は一緒に居てくれるよね?」 「ええ、いいですよ」 私がアイリーンの申し出に即答すると、彼女は、 「やったねっ!」 「わっ。アイリーン!?」 私の掛けたタオルケットを翻して、私を包む。 「ふふっ。私よりもウィニエルの方が寒そう!」 「私は寒くありませんよ?」 私が首を傾げると、いいからいいから。 と言ってタオルケットを身体に巻きつけた。 そして、私とアイリーンはしばらくバルコニーで外の景色を眺めていた。 あと一時間もすれば日が暮れ始めるというのに、街は賑わったまま。 「…………」 ロクスが黙ったまま窓越しに私達を見ていた。 「風が冷たくなってきました。もうすぐ日暮れですね……部屋に戻りましょうか」 「うん」 私はアイリーンと共に部屋へと戻る。先にアイリーンが部屋へと入り、黙り込んだままのロクスの前を横切った。 「……ロクス、あなたにも謝らなければいけませんね」 私はアイリーンの後に続いて、足を止める。 「……いや……別に大したことはしていないし」 ロクスは腕組みしながら何か考えている様子だった。 「アイリーンとは仲直りしましたか?」 私はアイリーンのことかと思い、訊ねてみる。 「……ん?」 けれどそれは違ったみたいで、ロクスは自分を通り過ぎたアイリーンに目をやった。 「……あ、だ、大丈夫。ちゃんと謝ったから、ね……?」 アイリーンはこちらに振り返っていて、まだ慣れていないのか声は緊張していたが、きちんとロクスの目を見て話してくれた。 「……ああ、可愛いお嬢さん。僕のことがわかってもらえたようで良かったよ」 「う、うん……」 ロクスは得意の物言いで、アイリーンに微笑みかけた。 アイリーンは少々複雑そうに笑顔を引きつらせているが、私が眠っている間に二人は仲直りをしたようだった。 「良かった……」 私は安堵して胸を撫で下ろす。 「……ところでウィニエル、質問があるんだが、いいか?」 アイリーンに向けられた視線が今度は私に向けられる。 「は、はい。何ですか?」 「まぁ、そこに座れよ」 「え? あ、ええ……」 私はロクスに言われるまま、近くにあった椅子に腰を掛けた。 ロクスはさっき私が寝ていたベッドに腰掛ける。 一体何を訊きたいのだろう? 私が座ると同時にアイリーンも黙って別の椅子に腰を掛ける。 アイリーンも訊きたいことなのだろうか、と何とはなしに思った。 「……なぁ、ウィニエル。さっき聞えたんだが、APってのは君がこの地上で活動するために必要な力なんだろう?」 ロクスはアイリーンが椅子に座るのを待って、話し始める。 「はい。そうですけど?」 「じゃあ、差し詰めそれは君の体力か何かか?」 「え? あ、はい、ちょっと異なるかもしれませんが、地上ではAPは不可欠なので似たようなものだと思います」 私はロクスが訊ねるままに頷いていた。 「……わからない……それじゃ説明がつかないじゃないか」 ロクスは首を何度も横に振る。 「……うん……おかしいかも……」 アイリーンも親指を軽く噛みながら目を細める。 「え? 何がですか?」 二人の疑問の意図がわからない私は首を傾げて訊ねた。 「矛盾だよ」 「え? 矛盾ですか?何が?」 どこか矛盾していたかしら? 私はすぐさまロクスに訊き返す。 「……ウィニエル。君はさっき疲れてると言ったのにAPは有り余っていると言った。APが体力なら、倒れるのはおかしいだろう? それとも……どこか悪いのか?」 ロクスは真剣な眼差しで私の様子を伺っていた。 「え……あ、そうですね……。でも、APをそのまま体力と位置付けるのはちょっと違う気が……。それに、私は至って健康ですよ?」 私は何も思い当たらずに笑顔で彼に答える。 「……ウィニエル何か隠してない?」 アイリーンも真に迫る顔でこちらに言葉を投げかけた。 「え? 何をですか?」 それでもやっぱり何も思いつかなかった。 さっきのだるさが嘘だったように今はすっきりしている。 「……いや、別にウィニエルが元気ならそれでいいんだけどさ……」 「僕も、君が元気ならそれで構わない」 二人が私を心配しているのがよくわかった。 私は二人を安心させたくて椅子から立ち上がり、元気だということをアピールしようとしたのだけれど、 「ええ、私は元気ですよ、ほら…………っ……!?」 言いかけて突然吐き気に再び襲われてしまい、前屈みに口元に手を当てる。 「ウィニエル!?」 「大丈夫!?」 二人が同時に立ち上がって私に駆け寄ろうとした。 「……っ……だい、じょうぶですっ……ちょっ……洗面所っ……」 私は吐き気を抑えきれず、走って洗面所に駆け込む。 「……大丈夫かよ……」 ロクスが私の背を心配そうに見送り、 「……ウィニエル……もしかして……」 アイリーンは何かに気付いたようにはっとして口元に両手を当てた。 「……もしかして何? ……あ、背中擦ってやるか……」 「いい! 私が行く!」 ロクスが洗面所へ向かおうとすると、アイリーンが制止した。 そしてすごい剣幕で、 「絶対入って来ないでよね!!」 ロクスに大声で釘を刺した。 「な……何だよ……」 「約束よっ!!」 「わ、わかった……」 アイリーンの剣幕にロクスはたじろいで、約束をせざるをえなかった。 「……うっ……げほっ、げほっ……」 私は洗面所の蛇口を全開にして、水を流しながら吐き気自体を吐き出すように咳を切る。 私の後を追ってきたのか、アイリーンが黙ったまま私の背後に立って、背中を擦り始めた。 「……っ……あ、ありがとうございます……」 彼女の手は温かくて、吐き気もすぐに治まってくような感じがする。 「……ウィニエル……前も吐き気とか……した?」 鏡越しのアイリーンは顔が俯いていて、その表情は読み取ることが出来なかった。 「……ううっ……っ……え……?」 私が訊き返すとアイリーンは顔を上げ、切なそうな顔をして、 「……ここ最近、吐き気多くない? 食べ物の好みとか変わってない? 体重増えてない?」 「え……ど、どうして?」 「何でもいいから、思い出して! 気が付いたことがあったら教えて!」 アイリーンの顔はどこか切羽詰っていた。 私はとりあえず、最近のことを思い返してみる。 「ええと……そうね……吐き気は一、二週間前くらいからあったかもしれない。食事の好みは変わってないけど……吐き気が起きると食べれないこともあって、体重は減った方だと思いますけど……」 私は鏡越しに笑顔を作ってみる。 「そんなんじゃ駄目! ちゃんと食事は取って!!」 アイリーンが私の肩を掴んで彼女の方へ身体を向けさせた。 そして、両肩に手を置いて、私を真っ直ぐ見つめる。 「え……?」 私はわけがわからず首を傾げた。 「…………っ……ウィニエル大好きよっ! 絶対、守ってあげるから!! 堕天使達になんて負けないんだから!!」 アイリーンは私の首に腕を掛けて私を抱きしめる。 「……アイリーン……?」 私は彼女が言ったことの意味がわからないままに動けずにいた。 この時の私は本当に何もわからなくて。 「……私先に出てるね」 「ええ……背中、ありがとうございました……」 「ううん。何かあったらすぐ呼んでよね」 アイリーンはいつものように笑って洗面所から出て行った。 『あーっ!! 約束破り!!』 『…………ち、違う! 入ってないから約束は破ってない!! っつか、約束なんかしてないだろうが!!』 部屋の方でそんな会話が聞えた。 「……うっ……ま、また……っ……ううっ……」 私はあの二人は案外気が合うのかもしれないな~などと思いつつ、込み上げてくる吐き気に耐えていた。
to be continued…