贖いの翼 第七話:理由① ウィニエルside

前書き

「別離」~のウィニエルSide。

 ――アイリーンの顔は何か思い詰めていた。

 それは多分私に関することだ。
 それは多分私の身体の異変のことだ。

「……私……やっぱりどこかおかしいのかな……」

 私は一抹の不安を持ちながら彼の元へと向かっていた。
 アイリーンといた街から彼の居る街まではそう遠くない。いつもならもう着いていてもいいはずなのに、さっき森の上空に入ってからまだ抜けていない。

 この森を抜けたら平野だ。
 街はその先なのに。

 私の足元二、三メートル下に森の木々の先端が見える。
 針葉樹が尖っていて落ちたら怪我では済まないかもしれない。
 大体、普段なら気流の不安定なこんな木々の間近を飛んでいるなんておかしい。

「……っ……」

 翼は相変わらず重くて、私の速度が落ち、高度も自然に下がっていく。

「ロ、ローザ……ちょっと待っ……」

 ローザが先導して飛んでいたけれど、私は彼女の速度に追いつけなくて、目の前を飛ぶ彼女に手を翳す。けれど、彼女は目的地へ早く着こうと懸命に飛んでいて、私の声は耳に入らないようだった。
 ローザの小さな姿が遠ざかっていく。高く昇っていく。
 それは彼女が高度を上げたわけじゃなく、私が下がっていたのだ。

「……っ……駄目……落ちる……」

 私の翼が突然風を掴まえるのを止め、その動きを止める。動かそうとはしているのだけれど、翼が鉛のように重くて今の私の力では動かせない。

「……フェイン……ごめん……」

 私は自分が天使であることもアルカヤのことも忘れ、彼の名を呼んでしまう。翼の動きがなくなった身体は重力に習って真っ逆さまに落ちていた。
 耳元を風が切る音が掠めていく。

「……っ……!!」

 私の四肢や胴体、翼を木々の枝がかまいたちのように素早く細かく傷付けていく。
 幸い、樹木の先端の串刺しにはならなかったようだけれど、このままでは地面に叩き付けられて死ぬかもしれない。

 死ぬかもしれない、
 そう悟った時私は既に気を失っていた。

 一瞬でも天使の使命を忘れてフェインの名を呼んだりしたから、罰が当たったの?
 それとも、やっぱり禁忌を犯したから?

 もう、この際理由なんてどうだっていい。

 私がここで死んだらアルカヤはどうなってしまうんだろう……?
 志半ばで死にたくないな……彼の居る世界を滅ぼしたくなんかないよ……。

 色々あったけど、大天使様達の期待にも応えたかった……。
 でももう無理なのかなぁ……。
 それなら……もし私が死んで消えたら、次の天使はもっと能力のある者を送ってあげて欲しいな。

 ……私みたいな駄目な天使じゃなくて、強い意志が光り輝く天使を。


 そう、ミカエル様みたいな……。


 地面に打ち付けられようとするその刹那、私の頭の中は酷く冷静だった。
 今まではどんなことも前向きに対応できたけれど、封印を解いてから少し変わったの。

 些細な事で恐怖を感じてしまう私。
 以前は簡単に許せていたことが気に掛かって時々眠れなくなる私。
 淋しいからと誰かの傍に常に居たがる私。

 ……そんなの、とっくに気付いていたのに気付かない振りをしてた私。
 諦めることなんか知らなかったのに、今私は諦めてしまっている。

 このままだとすぐに地面が私を潰そうと打つかり、肉と骨が崩れて地面に吸着する粘着音が耳に入るはず。


 …………。


 ぐちゃっ、べしゃって……嫌な音が聞えて、私の全てが終わるはず……。


 …………。


 鈍い音がするはず……。


 …………。


 あれ……? 何も聞えない……。


 その後しばらく耳を澄ましたけれど、私の身体を破壊する音は聞えなかった。その代わりに誰かの声が囁いた。


『……堕天使なんかに治療させるからだ……影など引き摺って来るとは……全く世話が焼けるな……』


 私の耳元に聞いたことのある声が響く。力強い威厳のある、それでいて優しい低い声。
 未だによく掴めないけれど、いつでも私の味方だと言うあのお方。

「……うっ……ミカエル様……?」

 私は恐る恐る目を開ける。

「正解!ウィニエルに三000点!」

 目を開けると間近にミカエル様の笑顔がそこにあった。どうやら私はミカエル様に抱き抱えられ、助けられたようである。

「な、何ですかそれ……痛っ……」

 ミカエル様の言うことの意味が相変わらずわからない私は、訊き返して木々に傷つけられた身体の傷に眉を顰めた。

「喋るな喋るな。痛いだろう?」

 ミカエル様はどこか嬉しそうに微笑んでいる。

「……っ……どうして……ミカエル様が……?」

 私は痛みに身体を震わしながら訊ねた。

 天使長が地上に来ていていいの?
 こんな下っ端の天使をどうして助けるの?

 そう思ったけれど、理由は意外と単純なのかもしれない。

「お前を治すのは俺の趣味……」
「……っ……え?」

 私はミカエル様の言葉を一瞬疑った。

 今趣味とか言いました?
 それは一体どういうことなんですか?


 ……でも訊ねる元気はもうなかった。


 治してくれるなら早く治してくれませんか、ミカエル様。
 私このままだとまた気を失いそうです。

「……もとい、俺の使命なんだ。ほら、すぐ治るからな」

 ミカエル様は私の思考を読んだのか、愛想笑いを浮かべて目を閉じる。

「……あ……」

 ミカエル様の身体が金色の光を帯びて、その光がミカエル様の腕から私の背中へ、背中から全身へと移っていく。
 光が身体の表面全体に回ると私の身体の中へと浸透し、光は収縮していった。そして、最後には消える。

「……治ってる……」

 光が消えると、私の身体の傷が綺麗さっぱり無くなっていた。翼もかなり傷ついていたはずなのに汚れすら見えない。
 それに、あの重さを感じない。
 生き生きとした純白の翼が私の背中に生えている。ミカエル様の力はすごいと改めて思う。

「ははは! どうだ! すごいだろう!! 見直したか!?」

 ミカエル様は私を地上に降ろし、高笑いした。

「見直すも何も……ミカエル様がすごいことはわかっています。あの……ありがとうございました。何てお礼を言ったらいいか……」

 私は自分の足で地上に立つと頭を深々と下げる。

「いいっていいって。それよりウィニエル」

 ミカエル様がそれまでの笑顔を瞬時に変えて、表情を消し、恐いくらい真面目な顔をした。

「は、はい」

 私はその顔が恐くて、身体が勝手に気を付けをしていることに気付かず返事をする。

「そんなに硬くならなくていい。俺の話を聞いてもらえるか?」

 ミカエル様の表情は変わらなかったが、私の緊張を解き解すように肩を優しく二度叩いた。

「は、はい」

 私はミカエル様の声に少し肩の力を抜く。

「……正直に答えて欲しい。お前、堕天使と会っただろう」
「……は、はい……でも、夢の中で……ですけど……?」

 ミカエル様の問いに私は素直に答えた。本当は黙っていたかったけれど、天使は大天使様の前で嘘は吐けないように出来ているのかもしれない。

「そうか…………だがそれは恐らくただの夢じゃないぞ」

 ミカエル様は少し間を置いて告げる。

「え……」

 私はミカエル様を真っ直ぐ見つめた。

「ラファエルは知らないだろうが、俺は見ていた」
「え? え? な、何を?」

 私は訊き返すけれど、

「お前のことは何でもお見通しだ、ウィニエル」

 私の言葉など聞く余地も無く、お話は続く。

「……ミカエル様……」

 淡々と進む話に、私はミカエル様の瞳から口元へと目線をずらした。
 もう少しやんわりとゆっくりした口調で聞きたいような、そんな気がしたからだ。

「……堕天使の言っていたことは残念だが本当だ」

 容赦なくミカエル様の口が速さを変えずに言を紡いでいく。

「本当って……」

 聞かなくてはいけないことはわかっているけれど、その先を言わないで欲しいのです。

 ミカエル様。

 不安を露わにして瞳でそれ以上先は言わないでと伝えたかったけれど、私はミカエル様の口元を見るしか出来なくて。


「ウィニエル。お前は禁忌を犯したんだよ。禁忌を犯した者は罰を受けなければならない」


 ミカエル様の言葉が躊躇することなく私の胸を突き刺した。


「き、禁忌……」

to be continued…

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