贖いの翼 第七話:理由② ウィニエルside

 私はミカエル様の言葉にうろたえていた。けれど、その先もミカエル様は至極冷静に淡々と発言していく。


「禁忌が何か知っているか?」

「……いいえ」


 私はそれを知りたかった。堕天使は教えてくれなかったのだ。
 知っていたのに教えてはくれなかったのだ。

「……それは堕天使の罠だからしょうがない」
「え?」

「……いや、すまん、今お前の心を読ませてもらった」
「あ……」

 ミカエル様は私の心を読んでいた。
 多少不快だが、大天使様が天使の心を読むことはよくあることで、今更私にそれをどうこう言う気持ちはなかった。
 それよりも心で思った疑問に答えてくれるミカエル様に色々答えて欲しいという欲求の方が強い。
 いつもは肝心な所ではぐらかすのだから、今日は答えてもらいたい。

「堕天使はお前をじわじわいたぶりたいのさ」
「ど、どうしてですか……?」

 私はミカエル様にその理由を訊ねる。

「どうしてって……お前が傷つけば俺が傷つくからに決まってる」

 ミカエル様は無表情のまま相変わらず淡々と答えた。

「え……な、何故ですか?」

 ミカエル様の言葉の意味がわからず私は再び訊き返す。

「……俺が傷つけば天界にも影響が出るだろうしな」

 けれど、ミカエル様に私の言葉など届いていないようだった。

「……え…………」

 私は黙り込む。
 どうやら先程から会話が少し噛み合っていないようだ。それとも、ミカエル様はわかっていて答えないのかも。

 やっぱりはぐらかすのですか?

「……ウィニエル、禁忌を犯した者が天界に住むことは許されない」

 ミカエル様は私を真っ直ぐに見つめてはっきりと話す。

「はい……」

 私はミカエル様の言葉に俯いてしまう。

「このままではお前は堕天使と対峙する前にアルカヤの任を解かれるだろう」
「え……い、嫌です!! そんなっ!! ここまで頑張って来たのに!!」

 私はミカエル様の袖を掴み、ミカエル様を見上げる。

「……だが、安心しろ俺はお前の味方だ」

 ミカエル様は口元だけ笑いを浮かべ、私の手を取り優しく握った。

「え……」

 握られた手がほのかに温かくて、私はその手をそのままに真っ直ぐにミカエル様を見つめる。
 するとミカエル様は握った私の手をご自分の口元に当てた。そして、瞳を閉じて、

「お前はアルカヤを平和に戻したいのだろう?」
「はい」

 ミカエル様の唇が私の手に、指先に触れている。
 ほんのり柔らかくて、触れた指先から熱が伝わってくるような感じがした。

「……あ……」

 妙な感覚……。
 今までこんな感覚をミカエル様から感じたことはなかった。

「……俺の力でラファエルやガブリエルにばれないようにしてやる。最後まで頑張れるか?」

 ミカエル様が話す度に指先に振動が伝わる。

 息が掛かる。

 そして、熱はやはり気のせいではなく、私の全身へと回っていた。
 いつの間にか身体は火照り、私はミカエル様の真っ直ぐな瞳から目を逸らせない。

 魂の快楽とでもいうのか、身体が熱くてこのままこの心地いい熱に浮かされていたいと思ってしまう。
 フェインやグリフィンから与えられる熱ともまた違う。

 触れているのは指先だけなのに。

 こんなにも熱いなんて……。
 これが大天使長ミカエル様の愛なの……?

 深く全てを包み込んでくれる優しさと慈しみの力……。
 それとも愛しみの力……?


 私はミカエル様に愛されている。


 この熱がミカエル様が私だけを愛しんで下さっているような錯覚をさせている。
 このままだと私はフェインのことを考える余裕を与えてもらえないまま、ミカエル様にどうかされてしまいそうだ。


 嫌じゃない。
 嫌じゃない。


 身体が勝手に反応してミカエル様を求めてる。


 熱い。
 熱い。


 ……もう、どうにでもしてよ。
 狂ってしまいそう。
 こんなの、堕天使よりもたちが悪いわ。


 ああ……。
 ああ……。


 ……それでも、私はフェインを愛してる。


 フェインが好き。


「………………はい!」

 私は身体の火照りに負けないように首を何度も横に振って意識を奮い立たせた。
 そんな私を見るミカエル様の表情はさっきと変わっていなかったけれど、無表情なのに何故か楽しそうにしているような感じがする。

「……翼の重みも戦いが終わるまで俺が軽減してやるから、残りの日々を大事に過ごすんだ」

 ミカエル様が私の手を放し、私の瞳を強く見つめた。

「……はい」
「……で、だ」
「はい。私の犯した禁忌というのは……」

 ミカエル様が核心を突いてくると感じた私は、目を静かに閉じる。

 すでに腹は括っていた。

 例えそれが何であっても、私は受け入れなければならない。

 足が少し震えてる。
 恐がっている場合じゃない。
 受け入れなければならない。

 禁忌を犯したというなら、それは大罪なのだろう。
 贖えるなら贖わなければ。

 さぁ、ウィニエル。
 耳の全神経を集中させて、ミカエル様の言うことを最後まで聞き取るのよ。


「お前の腹には新しい生命が宿っている」


 ミカエル様の力強い声が耳の奥まで届いた。


「え…………新しい……生命って……」


 私は無意識に下腹部に手を添える。するとふわりと温かさを感じた。
 そして、耳だけはミカエル様の声を捕らえているけれど、私の意識は呆然とし、止まっていた。

「その子を天界で産むことは許されない」
「…………」

 ミカエル様の話に私は言葉を失う。

 待って、ええと……今考えるから……。

 待って、考えてから先を聞くから、
 今はそれ以上言わないで。

「天界の者でない血が混ざれば天界の清浄な気を乱し、混乱を招きかねない」

 それでもミカエル様の口は止まらなかった。

「……天界の者でないって……まさか……」

 私の口が勝手に喋っていた。
 思考はワンテンポ遅れていて、さっきのミカエル様の言葉が頭の中でずっと反芻している。


「……ふぅ……心当たりはあるだろう?」


 ミカエル様は一息ついて、愁いを帯びた顔を見せた。


 こ・こ・ろ・あ・た・り・は・あ・る・だ・ろ・う・?


 ミカエル様の言葉が胸に突き刺さる。


 “心当たりはあるだろう?”


 …………。


「…………フェイン……」

 彼の怒った顔、彼の淋しげな横顔、彼の優しい笑顔、そのどれもが好き。
 私は彼の顔を思い浮かべて名を告げた。
 声は掠れて、瞳の奥から涙が込み上げてくるのがわかる。

 彼の名を呼ぶだけでもこんなに愛しさが溢れ出てくるなんて、


 どうしよう、
 どうしよう、


 私は禁忌を犯してしまった。

 あの人の子供?

 信じられない。
 私は天使なのに、人の子を宿したというの?
 人の子を宿したら天界には住めないのよ?
 罰を受けるのよ。

 ううん、違う。
 そういうことじゃなくて……、嬉しい……嬉しいの。

 私の中にあの人の魂が宿ってる……。


 ……こんな幸せなことってある……?


「フェイン……」


 私は幸福感に浸り微笑み、彼の名を呼ぶ。
 ここにはいないけれど、彼の名を呼ぶだけで私は幸福な気持ちになるのだ。

「……ウィニエル。禁忌を犯した者は罰を受けなければならない」

 ミカエル様は酷く哀しそうな顔をして私を見つめた。

「……はい」

 私は唾を一飲みした。唾は喉を大きく鳴らして、体内へ流れていく。

「……その子は堕天使の祝福を受けた禁忌の子。天界にとって後々脅威となる。お前はアルカヤを救った後、天界から追放されるだろう」
「はい……」

 私が俯いて返事をすると、ミカエル様は続けた。

「そのまま地上に残ることになってもその子が禁忌の子であることに変わりは無い。天使の力と、運悪くウォーロックなんていう魔力の強い力を持って生まれる子だ。父親は別の女を愛し、母親のお前は相手の愛を貰えずに泣き暮らすだろう。その子供はそんなお前を見て育ち、父親を憎むようになる。その憎しみが堕天使を再びこの地へ呼び戻し、アルカヤは再び混乱するだろう」

「……そんな……」

 私は自分の耳を疑った。
 アルカヤを救いに来たはずの天使がアルカヤを滅ぼすきっかけを作るというの?

 とても信じられない話。

 ……だけど、フェインはきっと私を愛してはくれない。
 私だけを愛してはくれない。

 ……ううん、そんなこと望んではいないはずなのに。

 欲張りになってしまったのかもしれない。
 前に比べて少しずつ欲張りになってる。

 彼の全てが欲しい。
 セレニスさんへの想いも私に向けて欲しい。

 そうなってくれたら、私は喜んで地上に残るのに。
 確信があるなら、残るのに。
 でも、それが無いまま残ったら、この子が、争いの種になるというの?


 そうなったらどうすればいいの?


 私は知らず知らずのうちに下腹部を擦っていた。

「ウィニエル……」

 そんな私の様子をどうしてかはわからないけれどミカエル様は淋しそうに見ている。

 あなたを産んであげたい。

 でも、あなたは堕天使に祝福された子供。

 生まれたあなたの行くべき世界は一つしかないの?
 悪魔達の世界へ行ってしまうというの?

 私がそうさせてしまうというの?

「……お前は地上に争いの種を撒くのか?」

 ミカエル様の片手が私の肩に触れた。

 この子は天界にとっても地上にとっても災いでしかないのでしょうか?

 そうだとしたら、あなたは生まれてはいけない。
 けれど、堕胎は禁忌同様に大罪。どのみち天界には帰れない。
 それ以前にそんな勝手なことをして彼の元になんていられっこない。


 それなら、


 それなら一緒に。


「…………私が……死ねばいいのですか?」

to be continued…

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