贖いの翼 第七話:理由③ ウィニエルside

 私はミカエル様を真っ直ぐ見据えて告げた。
 目からはいつの間にか涙が零れ落ちている。まるで、お腹の子が自分の所為で母親が苦しんでいるのが嫌で母親の瞳を使って泣いているように、涙が勝手に流れている。

「馬鹿を言うな!!」
「!?」

 ミカエル様は眉間に皺を寄せ突然怒鳴り声を上げ、私を抱き寄せた。腕は力強く、私の翼も全て隠してしまう。

「……ミ、ミカエル様……?」

 私はミカエル様の行動に面食らって身動きが出来ずにいた。

「……お前はどうしてっ……どうしてすぐ自分を傷つけようとするんだ……!!」

 耳元にミカエル様の息が掛かる。

「……だってっ……この子を……この子を殺すことなど私には出来ません!!」

 私はミカエル様から逃れようと顔を見上げる。
 けれど、ミカエル様は一層力強く私を抱きしめた。

「……そんなこと俺にだって出来ない!! けど、お前が死ぬことはないだろう!?」

 ミカエル様の声は怒りに満ちて、私に対して本気で怒っているのがわかる。

 でも、ミカエル様、あなたはさっきからこの子を闇に葬り去ろうとしている。
 自らは決して手を汚さずに、巧みに葬ろうとしている。

 天使が誰の子であれ、生まれようとする命を消すことなど出来はしない。
 それをすれば天使は悪魔に堕ち、堕天使となってしまうのだ。
 それは大天使長のミカエル様でも同じ。
 ミカエル様が自分から堕胎を口にするわけがない。

 ただ、私を追い詰めるだけ。
 私に選択させるだけ。
 この子を堕胎しろと選択させるように仕向けるだけ。

 でも私は絶対に選ばない。
 この子を一人で逝かせるなんて絶対しない。

 それなら一緒に。

 自害が大罪だとしても、禁忌を犯した私がそれを恐がるはずがない。
 この子を一人逝かせるはずがない。

「でもっ……この子は生まれてはいけないのでしょう!?」

 私は半狂乱で泣き叫びながらミカエル様の襟元を掴んだ。

「……からっ……だからっ俺がっ……!!」

 ミカエル様は顔を顰めながら暴れる私を落ち着かせるように力強い腕と翼で包み込む。

「放してくださいっ! 放してっ!!」

 私はミカエル様に抱きしめられるのが嫌で襟元を何度も叩いた。
 鈍い音が静かな森に響く。

「……っ……落ち着けウィニエル!! 感情的になるな、俺が何とかしてやる。守ってやるからっ!!」

 ミカエル様は私を何とか治めようと私の背を優しく擦る。けれど、私の感情は治まらなくて、私はヒステリックを起こしてしまう。

「どうしてそんなことばっかり言うのですかっ!! ミカエル様はこの子を堕胎させるおつもりなのでしょう!? そしてあの時のように私の心を封印なさるのでしょう!? …………もう嫌っ!! 私は大天使様達のおもちゃじゃないっ!!」

 私は乱暴に頭を左右に振るって、涙を辺りに撒き散らした。

「違う!! もうあんなことはしない!!」

 ミカエル様は自分の腕の中で動きを止めない私の背を尚も撫でる。
 でも私の耳にミカエル様の言葉は入ってこない。

「嫌っ!! もう逃げたくないっ!! 私はこの感情と共に居たいの!! 何事も無かったように笑って過ごしたくなんかないっ!!」

 私は早口になってミカエル様の腕から逃れようともがいた。

「ウィニエル落ち着け!!」

 逃げようとする私にミカエル様も早口で怒鳴る。

「私は落ち着いている、落ち着いています!! ただ、ミカエル様がわからない! ミカエル様は私にどうしろと言われるのですか!! あなたは私に何を望んでおられるのですか!!」

 私は涙目でミカエル様を睨んだ。
 もしここが天界だったなら私は大天使様に逆らったとして罰を受けるところだ。

「何も望んじゃいない! ただお前が天界から居なくなるのが嫌なだけだっ!」

 ミカエル様は再び私を強く抱きしめる。

「……っ……どうしてっ!! ……どうしてですかっ……どうしてそんなことを言うの……」

 私はミカエル様の力に抵抗できず、動きをやっと止めた。
 そして、思考が少しずつ正常に戻っていく。

 こんな風に感情を露わにしたのはグリフィンと別れた時と彼を思い出した時以来だ。


 ――ううん。


 インフォスに居た頃の私はまだ精神的に幼くてよく感情を露わにしてたっけ。勇者にからかわれて時々拗ねたりしてた。
 それ以前なんてもっと酷くて、天界の天使達から感情の激しい天使だって変な目で見られてた。
 でも、ミカエル様はそんな私を面白いからと傍に置いていつも見守って下さっていた。

 私が時々癇癪を起こすと笑顔で諌めてくれたっけ……。
 他の天使から苛められた時助けてくれたっけ……。

 グリフィンのことで苦しんでいる私を、結果はどうであれ、あの時の私を救ったのもミカエル様だったっけ……。

 いつも、いつも助けてくれるのはミカエル様。
 ずっとよくわからない方だと思ってた。
 それは今も変わらない。

 でも。

 ……ミカエル様は私にとって父のような存在だ……。

 そんなことに今頃気付くなんて。
 ミカエル様が私を陥れるなんてことするだろうか?


 ……答えはノーだ。


 ミカエル様は現時点で一番いい方法で私を救おうとなさっているのでは?
 それともやっぱり手元に置いて面白いから見ていたいの……?

 私の思考が一つの答えを導き出す。

 どちらにしてもミカエル様を信じよう。
 恐らく、今の私の助かる道はそれしかない。
 ミカエル様なら大丈夫。私を悪いようにはしない。

 私はミカエル様に愛されている。我が子のように愛されている。

「……ウィニエル……俺は大天使長だ。堕胎は許さない」

 ミカエル様は落ち着きを取り戻した私に静かに告げ始めた。

「…………はい」

 私も静かに返事をする。

「だが、地上にそのままお前が残りその子を産めば結果は話した通りになるだろう」

 ミカエル様の威厳に満ちた声が耳元に響く。

「……はい」
「……俺に任せてくれないか?」

 ミカエル様は私の両肩を掴んで押し、真正面に向かわせる。

「え……」

 私は斜め上を見上げ、ミカエル様と目合わした。

「……悪いようにはしない。本来ならその子の事も後から教えようと思っていたんだ。だが堕天使が先手を打って来たのでやむを得ず、な」

 ミカエル様が薄っすらと淋しげに微笑む。

「ど、どういうことですかそれ……?」

 私は首を傾げて訊ねた。

「堕天使はお前を不安にさせて、お前を抱き込もうと企んでいた。俺がお前に言えないまま信頼関係を失っていくとでも思っていたんだろうが、俺はお前に真実を伝えた。これでお前自身が堕天使になる可能性は減った」

 ミカエル様は私の問いに素直に答えてくれる。
 いつもはしんねりむっつりとしているが、もう今更それを隠している必要はないようだった。

「お前を堕天使になどさせるものか。お前は可愛い俺の弟子で、将来有望な能力を持っている天使なんだ。堕天使如きに取られてたまるか」

 それだけ言い終えると、ミカエル様は口元だけ笑ってみせた。

「ミカエル様……」

 私はミカエル様の微笑が嬉しくてほっとして、ミカエル様に穏やかな笑顔を見せる。

「ウィニエル、まずは堕天使だ。堕天使の力は強大だぞ。戦いが近いがそれまでにまた何かしてくるかもわからん。俺も警戒はしておくが、お前も気を付けておいてくれ」
「……はい。ですが……堕天使は一体どうやって……」

「…………いや……お前は堕天使との戦いだけに集中しておくんだ。他のことは一切気にするな」
「え……? でも…………」

「大丈夫だ、ウィニエル。お前は天界に帰れる。俺が全身全霊を持って、お前とその子を守ってやる」

 躊躇する私にミカエル様は穏やかに微笑む。それに対して私は、

「……ミカエル様……それではミカエル様が禁忌を幇助したことになりかねないじゃないですか……」

 不安に駆られた私は俯いてしまった。

「……その価値がお前にあるからな」
「え……?」

 ミカエル様の言葉に私は顔を上げる。顔を上げるとミカエル様と目が合う。

「何、心配するな。事が終わったらインフォスを救ってアルカヤを救ったお前に褒美をやらねばと思ってたんだ。ラファエルやガブリエルも大目に見てくれるだろう」

 ミカエル様は心配するなと私の肩を軽く一度叩いて告げた。
 けれど、今までずっと合っていた目がこの時だけ逸れたのを私は見逃さなかった。
 私は黙って視線の合わないミカエル様を見つめる。


 そんなに巧くいくでしょうか……?


 一抹の不安が頭を過ぎる。

 それでも地上で生まれて堕天使達に奪われるよりは。
 彼と別れるのは辛いけれど、地上に残って私の心が弱いばかりにフェインを困らせるよりは。

 天界に災いが起きるかもしれないけれど、私が天界へ戻った方がいくらかはましだ。

「……お任せします。ミカエル様を信じます。私、全てが終わったら天界に帰ります」

 もし、フェインが私をはっきりと留めてくれたら、その時はわからない。
 でも、留めてくれなかったらその時は……。

 私がそう告げると、ミカエル様はやっとこちらを向いた。

「……ああ。アルカヤを頼んだぞ」

 振り向いたミカエル様は少しはにかんで私の両肩に手を置く。

「はい」
「……勇者にこのことを伝えるのはお前に任せる。これからも時々吐き気やだるさを感じるかもしれないが最後まで戦えるだろう。俺はもう戻る。お前も疲れた時は天界に戻ってくるといい。俺抜きでラファエルに会いさえしなければ大丈夫だ」

「……はい」

 私が返事をするとミカエル様は大きな翼を広げて飛び立った。

「…………ミカエル様……ありがとうございます……」

 私は木々の間に昇る光を眩しそうに仰いでいた。光が消えると、次第に辺りが薄暗くなってゆく。
 そういえば、もうすぐ闇の刻限。

 随分長い時間ここにいた気がする。
 フェインはまだ待っていてくれてるのかしら……。

to be continued…

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