「ウィニエルさまー!! どこですかー!! ……あっ、ウィニエル様!」 空を見上げる私にローザの声が降って来る。 「ローザ、私はここよ」 私は笑顔で手を振った。ローザは小さな羽根を目一杯羽ばたかせて私の元へと降りて来た。 「はぁっはぁっ……よ、良かった……フェイン様の元に着いて振り返ったらウィニエル様いらっしゃらなかったから……」 ローザは息を切って涙目で私に縋りつく。私は彼女を両手で包んでやった。彼女の羽根はずっと飛んでいたのか少し草臥れていつもの張りがない。 「……たくさん心配掛けてごめんなさい。ちょっと調子が悪かったの」 私はローザに申し訳なくて彼女を抱えたまま頭を下げる。 「いいえ……いいえ! 私が悪いのです! ウィニエル様の調子が悪いのはアイリーン様の元に居た時からわかっていたことでしたのに!!」 彼女は私の手の中で声を荒げ、泣きながら首を激しく横に何度も振った。 ローザがこうして感情を露わにするのも珍しい。恐らく神経にまで疲れがきているのだろう。 私は彼女の顔をよく見た。 「……ううん、悪いのは私なの。あなたは何も悪くない。ローザ、今日はもう休んで?」 やはりローザの顔は疲れきっていた。身体もよく見ると所々擦り傷がある。木々の間を速い速度で飛び抜けて来たのだろう。 その様子を見ると私は彼女が可哀想でならなかった。 「嫌ですっ。ウィニエル様をフェイン様の元へお送りしなければっ!!」 それでもローザは私について来ると言う。今日はもう飛ぶことすら出来ないのは自分でわかっているはずなのに。 嬉しいけれど、そんなことさせられっこない。 「……ううん、もう大丈夫よ。さっきミカエル様に助けていただいたから」 私は彼女が安心するように微笑んだ。けれど、私がミカエル様の名を口にした途端、ローザは眉を顰め、 「ミ、ミカエル様ですか……? 地上にミカエル様がいらっしゃったのですか!?」 彼女は怪訝な表情を浮かべた。 でも私には彼女のその表情の意味がわからなくて、気に止めなかった。 「……ローザ、私ね、禁忌を犯したの」 「えっ!?」 私の発言にローザは驚き、目を見開く。 「……それでもローザは私の友達で居てくれる……?」 「い、一体どんな禁忌を……。まさか悪魔と契約をっ!?」 ローザが私の親指を強く握った。 「ううん。私は天使よ? どんなことがあっても悪魔と契約なんてしないわ」 私は尚も微笑みながら冷静に話を続ける。 「で、では一体……」 ローザが憂慮の顔を私に向けた。 「……ここにね、フェインの子が居るのよ。全部終わったら、天界に帰ろうと思って」 「な……ウィニエル様!? それはっ!!」 私が片手にローザを移動させ、もう片方の手で下腹部を撫でながら冷静に話すと、ローザは再び声を荒げた。 それでも私は冷静を保つ。 「……地上に留まることは出来ないの」 私は軽く首を横に振る。 「っフェイン様はっ!? フェイン様にこのことはっ!?」 ローザは私の親指を強く掴んだ。 少し、痛い。 「…………教えないつもり。フェインが知ったら驚くわ。それに、あの人は優しい人だから責任を感じて私と一緒に暮らすと言い出す」 私は下腹部を撫でていた手を止めて、ローザの頭を撫でてあげる。 すると、ローザはやっと少しだけいつもの冷静さを取り戻した。 「……それでは駄目なのですか……?」 ローザが私の方を真っ直ぐに見ている。 「私はね……駄目だと思う。責任だけで彼を縛り付けてもいつかそんなのは破綻する」 私は彼女の瞳から目を逸らせないでいた。 「フェイン様はそんな方では……」 ローザは目を潤ませる。 「うん、フェインはきっと変わらない。彼はきっと優しいまま。でも、私は……私が弱いから……私の心が弱いから駄目なの」 私はそれ以上を求めてしまうから。 セレニスさんを想う彼も好きなのに、それ以上に自分を想って欲しいと求めてしまうから。 今はまだセレニスさんを想う彼を心の底から全て受け入れられるほど、私は出来ていない。 このまま一緒に居ることになってもそれは変わらない。変えられる自信が無い。どこかで蟠りが残っていつかそれが増えていく。 そうなったらミカエル様の言っていた通り、この子は堕天使に魅入られてしまう。 私がもっと強く居られたなら。全てを許すことができたなら。 あるいはもっと別の道もあったのかもしれないけれど、これが現実。 もう悠長に考えてる時間はない。 どの道を選んでも険しいけれど、彼の居るこの世界が再び混乱するよりは。 この子がその種になるよりは。 私が今選択した未来の不幸が、どうか最小で済みますように。 私はこの子が無事生まれてくれたらそれだけで幸福だから。 「駄目だなんて……ウィニエル様はお強いではありませんか!」 ローザの涙が私の手の平に落ちる。 泣かせたくは無いのに。 私はなんて酷い天使なのだろう。ローザを困らせてばかりでティタニア様に申し訳が立たない。 「ううん……本当の私はきっとすごく弱いの。弱さを見せるのが嫌で虚勢を張っていただけ。ローザだってもうわかってるでしょう? 私がどれだけ自分勝手な天使か。あなたも本当は嫌気がさしているんじゃないの?」 「何言ってるんですかウィニエル様!! そんなこと言ったら怒りますよ!?」 ローザは立っている私の手の平で頬を真っ赤に染め、膨らまして地団駄を踏んだ。そして、突然その場に胡坐を掻いて私に背を向ける。 「……ローザ……ごめん……ごめんなさい、こっち向いて……?」 「……知りませんっ……もうっ……!!」 ローザはふて腐れて私の方へとは振り向かなかった。 「……ローザ……ありがと……私はローザのことが大好きよ。あなたが居なかったらきっとここまで来れなかったもの……ね、ローザこっち向いて?」 「…………」 私がお礼の言葉を伝えると、ローザは口をへの字にし、胡坐を掻いたままゆっくりと足と手を器用に動かして私の方へと向き直る。 「ふふっ……ローザは優しいね」 私はローザの動きが可笑しくて、軽く噴出してしまった。 「……ウィニエル様、私はずっとウィニエル様を信じていますから」 ローザは照れて俯いている。 「……うん、ありがと。私もローザを信頼してるわ。でも、フェインには黙っててね。絶対言っちゃ駄目よ?」 私は人差し指を口元に立て、少しはにかんで片目を瞑る。 「そんなっ!!」 ローザは私の言葉に驚いて立ち上がった。 「……私を信じてくれているなら私の言う事を聞いて。これは命令よ。フェインには黙っていて。それから他の勇者も同様よ」 私はウィニエルとローザとしてではなく、天使ウィニエルとして妖精ローザに伝えた。 「う……命令って……ず、ずるくないですか!?」 ローザは突然天使の職権を振るう私を軽く睨む。 「ずるくなんてありませんよ。ティタニア様に“命令を守らない妖精で困りました”なんて報告できないから、ね?」 私は彼女を脅すようにわざとらしく最上の笑顔を向けた。 「う……や、やっぱりずるいです!」 ローザの目に涙が滲む。 「……うん、少しね。でも、約束。フェインにも勇者達にも言わないって」 私はローザの涙を流させないように人差し指を彼女の頬に触れさせる。 「…………はい……あ…………で、でも……」 彼女は何とか涙を堪え、何かに感づいたように口を濁した。 「でも?」 「……アイリーン様は気付いてらっしゃったように思いますが……」 「え…………あ……!!」 私はローザの言葉にはっとする。 そうだ、アイリーン。 アイリーンは気付いているのかもしれない。 突然倒れた私に違和感のあるあの過保護なまでの態度。 あれはただ信頼し合っているからじゃない。 私の身体を気遣っている。 ううん、私の中のこの子を気遣っていたんじゃないの? ……明日、言わなくちゃ。アイリーンに口止めしなきゃ。 フェインと会わせないようにしなくちゃ……。 「今はフェインの所に行かねばなりません。……明日、朝一番にアイリーンに会いに行きます。行って口止めしなければ」 私はローザを真っ直ぐ強く見つめた。 いつもの職務にあたる時の真面目な顔つきで。 「は、はい」 ローザはいつもの私の様子に自分の背筋をきりっと伸ばした。 「ローザ、あなたは今日はもう休んで。私なら大丈夫、堕天使の黒い影ももう消えた」 ミカエル様はだるさと吐き気は時々起こると言っていたけれど、私に憑いていた堕天使の影は消して下さった。翼も生き生きとしている。これなら飛べる。 「で、ですが……」 それでもローザは飛び去ろうとはしない。 もう一押ししてあげないと駄目みたい。 「大丈夫、私を信じて。もう少しでアルカヤを救えるの。そんな時あなたが倒れたら私はとてもじゃないけど耐えられない。戦いに備えて体調を万全に整えて欲しいの。一緒に戦って欲しいから今は休んで?」 私はローザの頭を撫でて告げてあげる。 「ウィニエル様…………わ、わかりました」 彼女は私の手から静かに宙に浮く。 「……わかってくれてありがと、ローザ」 私は徐々に空へ飛び立つ彼女を見送る。 「……ウィニエル様も早めに天界にお戻り下さいね!」 ローザは疲れた羽根を力強く羽ばたいて空高くへと消えた。 「ええ!」 私は穏やかに微笑んで手を振る。 彼女は真面目だから、ああ言って休ませてあげるのが一番いい。下手に気を遣って言おうものなら彼女の信頼を損ない兼ねない。 森の中に静けさが戻る。 闇が漆黒へと染まろうと迫っていた。 漆黒の闇に変わるまでにここを立ち去らねば、堕天使がやってくるかもしれない。 堕天使はまた別の手で私を陥れようとするでしょう。自らそこにはまる程私は馬鹿じゃない。 「…………フェイン、今行きますから」 私は翼を広げ空に浮上し、闇夜に溶けた。 彼の元へ。 今一番会いたくて、会いたくない彼の元へ。 愛しい彼の元へ。 ミカエル様に治してもらった翼は違和感なく、風を撫でていた。 先程までいた森もすでに越え、目と鼻の先に彼の居る街が見える。 私は笑っていられるかしら? 彼に何も言わずに笑っていられるかしら? 彼との関係をこのまま恙無く続けていければいい。 天界に帰るその日まで。 辛くてもね、ウィニエル。 笑って。 彼に悟られないように、笑うの。 切なくてもね、ウィニエル。 それが私の犯した罪に対する贖い。 私は何となく出来るような気がした。
to be continued…