贖いの翼 第七話:理由⑤ ウィニエルside

「…………ふぅ……」

 彼の居る部屋の窓を前にして小さく息を吐いた。
 彼はもう眠っているのか、部屋の明かりは暗くて、中の様子がよく見えなかった。
 そして、ガラス窓を軽く叩こうとすぐ傍まで寄ろうとする。

 途端、窓が音を立てて開いて、

「ウィニエルっ!!」

 フェインが私の腕を強く掴んで部屋へと引き入れる。

「フェインっ……」
「……随分遅かったじゃないか……心配していたんだぞ……」

 フェインは私に翼があることもお構いなしに強く抱きしめた。
 彼の表情は読めなかったけれど、耳元の声が少し掠れて、腕も多少震えている気がする。
 心底心配してくれていたのだと、わかった。
 私は翼が痛かったけど彼の腕の温かさが心地よくて、痛いとは口にしなかった。

「…………ごめんなさい……アイリーンと話し込んでいて……」

 私はとりあえずその場を取り繕うようにそう告げる。
 それを聞いたフェインは腕の力を緩めた。

「……そうか……アイリーンと……。悪かった……アイリーンに同行してるなんて知らなくて」

 フェインは私の顎を優しく親指で持ち上げる。

「いいえ…………」

 私はフェインと見つめ合う。
 彼の瞳に私が映っていた。
 この瞳に見つめられたら私は全てを話してしまいそうになる。

 でも、あのことだけは話せない。

「……ウィニエル……どうした……?何かあったのか……?」

 フェインの目が憂う。
 彼に心配させてはいけない。気付かせてはいけない。

「いいえ……いいえ……」

 私は首を横に振るう。私の手に数滴の雫が触れていた。
 それはフェインの手にも同じで、顎に触れた彼の手に私の涙が触れて、彼の手を伝って床へと落ちる。

「……だったらどうしてそんな顔をするんだ……?」

 フェインが疑いの目を私に向ける。

「……え、ええと……その……フェインに会えて嬉しくて……」

 私の口から咄嗟にそんな台詞が零れた。
 私はそう彼に告げて、すぐ目を閉じる。

「……嬉しいことを……」

 フェインは静かに私の唇に自分の唇を重ねた。
 私は彼の身体のパーツで唇が一番好きだ。その唇から紡ぎだされるあの低音の声は私をいつも酔わせる。

 魔法の声。

 その声は時に私を私でなくさせる。
 天使ということを忘れさせる。

 でも、この唇は時に非情で私と彼は別だと自覚させるように壁を作る。

 私と彼は身体は重ねても、唇同士キスをすることはそんなに無い。

 それは互いに承知していることで、キスは信愛の情だから何度も出来ないのだ。
 これ以上心で互いを求め合ってはいけない。

 私達はあまり深入りしてはいけない。
 解り合ってはいけない。

 それがグリフィンやセレニスさんへの罪滅ぼしだと思っているから。

「…………フェイン、抱いて下さい。何もわからなくなる程強く」

 私はフェインから一旦離れると、薄暗い部屋にあるベッドに腰を下ろし、アイリーンから貰ったストールを床に下ろした。
 そして、上着に手を掛ける。

「……何かあったんだな……?」

 フェインは私に近づいて、隣に腰掛け私を覗いた。
 私は俯いて黙ったまま服のボタンを外そうとする。

「……俺がしよう」

 顔を上げない私の手にフェインの大きな手が止めに入って、上着のボタンを簡単に外してしまう。

「……あ……」

 私は急に恥ずかしくなって顔を赤くした。

 フェインが無言で、今度はスカートのボタンを外す。
 フェインの手は手馴れていた。
 私の服のボタンがどこかなんて、もう何度も剥がされているのだから言わなくてもわかる。
 そのままフェインは私のスカートを床に下ろす。
 そして、私をベッドへとゆっくり寝かせた。

「……ウィニエル……やめるなら今の内だぞ?」

 フェインは珍しく躊躇っていた。私は彼を見上げたまま、

「…………フェイン……お願い……」


 それ以上何も言わないで。


 私は彼の首筋に口付けをした。
 ほんの少し、痕がつくように吸う。私の唇が離れるとそこは赤く色づいた。

 これで、彼のスイッチは入るだろう。
 私も余計なことを考えずに済む。

「……ウィニエル……」

 フェインは私の行動に戸惑ったのか一瞬眉を顰めたが、その後私の胸へと顔を埋めた。


 ――このまま、時が止まればいいのに。


 何度も、何度もそう思ってた。
 抱かれる度そう思っていた。

 フェイン、あなたとずっと一緒に居られたらどれ程幸せなのだろう。
 そしてどれ程の哀しみを受け入れていかねばならないのだろう。


 だから、今、時が止まればいいのに。
 このままずっと繋がっていられたら。


 そう思っていても、時は残酷に過ぎてゆく。
 彼の身体の重みがいつの間にか消えて、いつしか彼の寝息が聞えてくる。


 寒くは無い、彼が隣で眠っている。私に背中を向けて。
 私は彼の背に手を当てて、彼の鼓動を感じた。力強い脈、背中から伝わる温かさ。
 身体を起こせば見れる彼の寝顔。

 あとどれ程の間近くにそれを感じられるのだろう、
 あとどれ程の間近くにそれを見ることができるのだろう。

 堕天使との戦いはもう近くまで迫ってる。
 もう指で数えられる程度しかないのだろう。


 時は決して止まらない。


 残酷だけれど、それは癒しにもなることを私は知っている。
 グリフィンのことに区切りを付けれたのは時が経って、フェインに会えたお陰だ。
 フェイン程の人にこの先会えるとは思えないけれど、私にはこの子が居る。この子はきっと時を経て私の癒しとなってくれる。

「……大丈夫……大丈夫よ……」

 私は薄暗がりの部屋の中寝ている彼の隣で窓越しに月を見上げ下腹部を優しく撫でた。弓の形をした月に灰色の雲が音も無く通り過ぎて、私の目から月を隠してしまう。


 時はやっぱり、止まらない――。


◇


  ――次の日、私はまだ夜が明けない内に早起きをして、「もう行くのか?」と私を留めようと腕を引くフェインの手に軽くキスをして挨拶を済ませると、アイリーンの元へと向かった。
 彼女が居る街はもう夜が明けているはずだから、その時差を計算してのことだった。

「おはようございます、アイリーン」

 私は昨日別れたバルコニーに降り立ち、精一杯の笑顔で元気良くアイリーンを訪ねる。

「なぁに、こんな時間に……ウィニエル?」

 アイリーンは身体を起こし、目を擦りながら一緒に寝ていた熊のぬいぐるみを抱きかかえ窓の外のバルコニーに立っている私の方へ向かって歩き窓を開けた。

「さ、寒っ!! ウィニエル、早く入って!!」

 アイリーンが窓を開けると彼女の髪を一陣の冷たい冬の風が撫ぜる。
 彼女はそれに直ぐ身震いをし、私を部屋の中へと招きいれると窓を素早く閉め切った。

「うう……寒っ!! 駄目じゃない! こんな寒いのにそんな格好で出歩いちゃ!! っていうか私があげたストールは!?」

 先程の風で一瞬にして冷えたのかアイリーンは自分で両腕を擦りながら身震いをする。
 寝起きだというのにアイリーンのテンションは高くて、私の耳の中を元気な声が通り抜けた。

「あ……フェインの所に……」

 私は今になってフェインの所にストールを置いてきたことに気付いた。
 せっかくアイリーンがくれたものなのに、情けない。

「ええっ!? ……っつか……ええっ!?」

 アイリーンは大声で驚いてその後黙り、再び今度は頬を赤くして大声を出す。そして、急に口篭って、

「……え、えと……だ、大丈夫……なの……?」

 彼女は私を上目遣いで見つめる。

「え?」

 私は首を傾げた。

「あっ、いやっ、な、何でもないの!! 何でもないから!!」

 アイリーンは寝癖のついた頭と手を乱暴に振るう。

 アイリーンが言う“大丈夫なの?”とは、つまり、私とフェインに昨日何があったかということで、“子がお腹にいるのにしてもいいのか?”ということなのだ、多分。

 ……ということは、やはり彼女はこの子のことを知っている。

 私はとうに確信していた。
 でも、彼女は昨日それを言わなかった。
 気付いていたのに言わなかった。
 それとも、言いたくなかった?

 今私が訊ねても彼女は素直に答えてはくれないだろう。
 ならば、問うに落ちず語るに落ちる。

 私は彼女を試すことにした。

「多分、大丈夫ですよ。だって、何ともないですし」

 私は笑顔で答える。
 彼女にこの子のことを黙っててもらわないことには未来が更に複雑になってしまう。

「な、何とも無いって、ウィニエルあなたお腹に…………」

 アイリーンは私の謀に呆然と応える。
 私はそのまま続けた。

「……多少吃驚してるかもしれませんけど」

 下腹部を撫でながら私は表情を変えずにアイリーンを見つめる。

「そりゃ吃驚するに決まってるじゃない!! っていうか、フェインもフェインだよ!! 知らないとはいえそんなことするなんてっ!!」

 アイリーンの顔は真っ赤だった。

 ……多分、想像したんだと思う。

 時々彼女は本当に十二歳なのかと疑うくらいに大人びている。
 私の変化にいち早く気付く程、彼女は勘が鋭い。

「フェインは悪くないの。……ええと…………」

 私は自分から誘ったなどとは言えず、口を濁してしまう。

「ウィニエル、もっと自分を大切にしてよ! でなきゃその子は……」

 アイリーンが私の肩を掴んでこちらを見上げ、悲痛な表情を浮かべた。

「……大丈夫、大事にする。絶対守りますから」

 私は笑顔のまま目を閉じて首を一度だけ深く縦に動かし頷く。

「え……あっ……!!」

 アイリーンはやっと自分が語っていた言葉に気付き、私の肩から手を放して自分の口を両手で塞いだ。
 その後、彼女は固まって立ち尽くし、黙り込んでしまう。

「……っ……」

to be continued…

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