贖いの翼 第七話:理由⑥ ウィニエルside

 私は目を閉じたまま彼女が次に話してくれる言葉を待っていた。

「……き、気付いてたの……?」

 アイリーンは意外と早く口を開き、弱々しく私に訊ねる。

「…………はい。昨日、あなたと別れてから気が付きました。私の中には彼の……フェインの子が居ます」

 私は彼女の声が聞こえ始めて直ぐに目を開き、彼女と目を合わせていた。

「……わ、私ね、隠してたわけじゃないんだよ? ただ……あなたを混乱させたくなくて……」

 アイリーンの声が震えている。
 瞳は潤んで、それでも私を真っ直ぐ見据えている。

「……はい。あなたならそうすると思っていました」

 私も彼女の瞳が切なくて、目頭が熱くなった。泣かないように無理矢理はにかんでみせる。

「私、ウィニエルに地上に残って欲しくて……その……戦いもあるし、まだ言わない方がいいかと思って……」

 アイリーンはどんな時も目を逸らさなかった。
 涙を堪える彼女はとても強く見える。

 アイリーン、あなたはフェイン以上に優しい人。
 心から私に地上に残って欲しいと言ってくれるのね。
 嘘を吐いていないことはあなたの真っ直ぐなその瞳でわかる。

 でも、私は。


 私は残れないの。


 私の行き場所はどこにもないの。
 この子を救うには天界でミカエル様に頼るしかないの。

「……フェインは多分、私を地上に留めようとはしないと思います」

 私は努めて笑顔を作り続けた。

「どうして!! そんなことないっ!! フェインにはウィニエルが必要なんだよっ!?」

 アイリーンは私の手を取り、強く握る。力を込めて、強く。

「……いいえ。私には……」

 私はアイリーンに握られた手が痛くて、ううん、心が切なくて痛くて。

「グリフィンのこと!? 彼がやっぱり忘れられないの!? だからフェインと一緒に居られないの!? フェインだって姉さんのこと想って……!!」

 アイリーンの言葉が胸に残酷に突き刺さった。


 グリフィン、


 そのことはもう、私の中で決着が着きつつあるの。

 決着が着かないのはフェイン。

 彼はきっとセレニスさんをずっと想い続ける。
 私はそれでもいいと最初は思う。
 けれど始めはそれでよくても私はいずれそれに耐えられなくなる。

「……ううん……違う。違うの…………」

 私は眉を顰めて笑顔を崩さないまま首を横に振る。

「フェインならウィニエルがグリフィンを想っててもきっと大丈夫だよ!!」

 アイリーンが私の手に一層力を込める。

「……いいえ……いいえ……。私は……」

 私はついに俯いて首を横に振り続けた。

 アイリーンはフェインのことが今でも好きなのだと思う。
 私を大事に想ってもいてくれているのもわかる。

 でも、アイリーンは私ではなくフェインのことを一番に想っている。
 大好きなフェインのために私を地上に残したいのだ。
 子のためにも父親は必要だということもわかっている。

 そんな彼女の気持ちもよくわかる。

 それでも。

 この子は禁忌の子。私がこのまま地上に残るわけにはいかない。

 それをわかってもらうにはどうすればいいんだろう……?

「……ウィニエル?」

 俯く私の顔をアイリーンは覗き込む。
 私は黙り込んでいた。

 考えていたのだ。
 アイリーンを説得するにはどう言うのが一番いいのか。

「あっ……ウ、ウィニエル、あなたまさか……」

 アイリーンははっとして俯く私の頬を両手で挟み、正面を向かせる。私の目に真っ青な顔色をした彼女が映っていた。

「そうですよ、アイリーン……そうです……あなたの言った通り、私はグリフィンのことが忘れられないのです……」

 私はグリフィンの名を出すのには気が引けたけれど、それが一番いい方法だと思い感情を殺してそう彼女に告げる。

「ごめっ……ごめんウィニエルっ!! 私っ!!」

 アイリーンの瞳に涙が溢れ、彼女の頬を伝っていく。
 私はついに彼女を泣かせてしまった。

「……天界に帰りたい。天界に帰って……っ……彼を想い続けていたいのです……」

 私の声は掠れていた。たどたどしく、時に息を詰まらせて。

「ウィニエルごめんっ!! 私あなたに今酷いことっ!!」

 アイリーンは私の頬を両手で包んだまま何度も激しく首を横に振る。

「……フェインには黙っていて下さい……。私は戦いが終わったら天界に帰ります」

 彼女の顔が歪む視界の中、私は彼女から目を離さなかった。
 彼女の手が私の涙で濡れている。

「嫌っ!! そんなの嫌よっ!!」

 彼女も私から目を逸らさずに怒鳴る。

「……いいえ、私は帰ります。フェインがこのことを知れば彼は傷つきます。あなたもこのことはなかったことにして下さい」

 私はアイリーンの目を強く見つめた。

 ……でも彼女は怯まない。

「そんなの出来るわけないでしょ!! フェインは喜ぶはずだよ!」

 アイリーンは感情的になって私を叱咤する。

「いいえ。彼は責任を感じさえすれ、喜びはしません。その責任だけで彼を縛り付けるわけには行かないのです」

 はっきりした口調でアイリーンに言い返す。
 感情的になるアイリーンとは対照的に私は酷く冷静だった。

「どうしてよウィニエル!! フェインと一緒に居てくれるって言ったじゃない!! あなただって本当はフェインと一緒に居たいって思ってるんでしょ!?」

 彼女の両手が私の肩を揺さぶる。

「……この戦いが終わるまでは……です。彼もそれを承知していると思います」

 私は必死なアイリーンの顔を見たくなくて目を閉じた。

「そんなことないっ!! フェインはあなたをっ!! ウィニエル、目ぇ開けてよ!!」

 アイリーンの声が耳に、胸に響く。肩を揺さぶられ、全身に痛みが回る。

「…………アイリーン、私はもう決めたんです」

 私はまだ目を開けなかった。

「ウィニエル!! 私あなたと一緒に居たいのっ!! 私達友達でしょ!? ……ねぇ、目ぇ開けてよ!!」

 アイリーンの悲痛な声を聴くのは辛い。
 それでも私の考えを曲げるわけにはいかない。

「……ええ、アイリーン。私達は友達です。だからこそわかって欲しい……私の我侭を聞いてはくれませんか?」

 私はようやく意を決して目蓋を開いた。
 信頼する友達だからこそ、打ち明けたいことがある。酷な言い方であっても、それは伝えねばならないことで……。

「ウィニエル…………」

 アイリーンは私と瞳を合わせると瞬時に落ち着きを取り戻した。

「……この子は禁忌の子。フェインと私の元で育ってはいけないのです。そうすればたとえ今堕天使を倒したとしても、いずれまた堕天使はこの子を介して復活をしてしまいます。アルカヤを再び混乱に陥れるわけには行きません」

 私は天使の顔をしていた。職務に忠実で真っ直ぐな顔。
 アイリーンはそんな私の顔を見て言葉を失っていた。

 しばらくして、彼女は口を開く。

「……どうしてよ……どうして今そんな顔が出来るの……? 事務的な顔しないで。ウィニエルはフェインのこと何とも思ってないの? ……そんなわけないでしょ?」

 アイリーンの声が掠れている。私の片手を強く握って。

「……私とフェインのことはあなたには関係ありません。他人に口出しは無用です」

 私は表情を崩さずにアイリーンに告げる。

「そんな事言わないでよウィニエル……。そんなのあなたらしくない……」

 アイリーンは私の言葉に傷ついた顔をしていた。
 本当はこんなこと言いたくなかったのだけど。どうしても告げなければならなくて。

 アイリーン、あなたなら私の気持ちをわかってくれるでしょう?

「……黙っていてくれますね? アイリーン」

 私は私の手を握る彼女の両手に空いた片手を静かに乗せた。

「……っ…………」

 彼女は黙り込んで、俯いてしまう。
 私はそんな彼女にもう一度告げる。

「黙っていてくれますよね、アイリーン」
「…………うん、わかった……辛いけど……私黙ってる。あなたが天界に帰っても言わないって約束するよ」

「……ありがとうございます……あなたならわかってくれると思っていました」

 アイリーンの言葉に私はやっと安堵して自然に顔が綻ぶのを感じた。

「……この子がどうしてフェインとウィニエルの間で育つと未来のアルカヤが混乱するのかはわからないけど……この子が争いのきっかけになるなんて嫌だもん……」

 アイリーンが私の下腹部に優しく触れる。

「……アイリーン……」

 私は彼女の名を呼ぶしかできなかった。
 その本当の理由は言えない。

 それは私の我侭でしかないのだから。
 それは私の心の問題なのだ。
 現時点でフェインとは一緒に暮らせない。

 今の私ではきっとフェインを困らせる。
 そんなことさせたくない。

「……アイリーン、戦いが終わったら……あなたがフェインの傍に居てあげて下さい」

 私はアイリーンの手を取り、両手で優しく包み込んだ。

「え……」

 アイリーンは私を見上げる。

「……いつかフェインはあなたを好きになる。そうしたら、幸せになって」

 私は去っていくけれど、フェインにはアイリーン、あなたが居る。
 あなたが居れば安心だわ。

「ウィニエル……あなた……何馬鹿なこと言って……」
「……これはきっと私の罪なんです」

 私はアイリーンに笑顔で告げた。

 グリフィンとの約束を守れなかった罪、
 グリフィンとセレニスさんを裏切ってフェインと寝てしまった罪、
 フェインの子を身篭ってしまった罪、

 私はこの身一つで全ての罪を贖わなければならない。

「……ウィニエル、私とフェインはね……兄弟みたいなもんなんだよ?」

 アイリーンは私に憂いの顔を見せる。

「……アイリーンならきっと彼を救えます」

 迷いの無い声が私の口から零れる。

「…………ばか……ウィニエルの馬鹿……そんなこと言わなくていいのに……っ……」

 アイリーンは私の首元を自分に引き寄せ、私を抱きしめる。彼女の身体から小さな震えが伝わって来た。

「……ごめんなさい……フェインを頼みます……」

to be continued…

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