私はアイリーンの小さな背を抱き返した。 「……っ……うんっ……フェインのことは兄としてしか見れないと思うけど……ちゃんと見ててあげる……」 私の胸に彼女の声が響く。 「……ありがとうございます……」 私とアイリーンは互いにしばらく静かに涙を流し合った。 多分これが最後なのだ。 堕天使の力を強く感じる。 昨日私の夢に現れることが出来るくらいに彼等の力が強くなっているのがわかる。 ミカエル様が言っていたように最後の戦いはもうすぐ傍まで来ている。 二、三日の内に彼等は地上に姿を現す気がするの。 ……だから最後。 もう、これで彼女に会うことはないだろう。 私はしばらく彼女と過ごした。未来を語ることが出来ない私達は互いに今までのことを思い返していた。 そして、私は別の勇者の元にも挨拶に行かねばならない。 「……行くの?」 私がバルコニーへと歩き出すと、アイリーンは淋しそうに告げた。 「……はい。これからロクスに会いに行かねばなりません。彼にも挨拶していかねば……」 私は彼女に背を向けたまま応える。 ロクスに、ルディに、クライヴに、レイラに、セシア。残り少ない時間で皆にお礼を言わなければ。 「……そっか……最後の戦いはフェインと行くんだね?」 「……はい……」 「……ウィニエルの決めたことだから、私は何も言わない。でも……もし、もしね……」 「……もしなんて言葉は……残酷なだけですよアイリーン……」 私はアイリーンの言葉に振り返れないままだった。 「うん……でも、もしね、フェインが留まって欲しいって言ったらウィニエルあなたはここに残ってくれるよね……?ね、残ってくれるよね?」 アイリーンは私の前に回って、私の手を取り握る。 私は押し黙って何も言えなかった。 “もし”フェインがそう言うなら、私が決めた意思は簡単に揺らいでしまうでしょう。 それでいいと彼の元に留まってしまうでしょう。 でも、彼はきっと言わない。私には何となくわかるの。 だから“もし”なんてことは有り得ない。 「……ウィニエルぅ……私もっと一緒に居たかったよぅ……」 アイリーンは私の腰に腕を回して抱きついてくる。 顔は俯いて泣いているようだ。 「……もう、行かなくては……。アイリーン、今までありがとうございました。本当にお世話になりました……」 私は俯く彼女の肩を優しく剥がす。 「……ううっ……嫌だよぅ……」 彼女は抵抗して私から離れようとはしない。 「……アイリーン。天界に帰っても私はいつまでもアルカヤを見守っていますから」 私は彼女の耳元に優しく声を掛けてやった。 「……っ…………」 アイリーンは私の声に静かに腕を下ろし、私から離れる。 「……さようなら」 私は窓を開け、バルコニーへ出て純白の翼を広げた。 「……さよなら、ウィニエル……元気でね……」 アイリーンはバルコニーには出てこなかった。窓越しに私を見送るように小さく手を振る。 「ええ……アイリーンあなたもお元気で」 私は最後の笑顔を彼女に向ける。 そして、私は静かにその場から飛び立った。 アイリーン、あなたの最後の笑顔が見れなくて残念だけど、どうか元気でね。 その後、私はフェインを除く勇者達を訪問して最後の別れを告げた。 皆唐突に別れを切り出した私に「地上に残ればいいのに」と嬉しいことを言ってくれた。 勇者達はかけがえの無い私の親友達なのだ。 この友情は離れても変わらない。 いつか、時が経って私がこの地に来ることがあったなら、その時彼等の子孫が困っていたなら、私はわからないように祝福しましょう。 彼等の悩みが出来るだけ早く解消出来るように祝福を……。 ◇ ――それから四日後、堕天使は不気味な城と共に地上に現れた。 私はフェインとローザと共に彼等に挑んだ。 けれど、三人では傷一つ付けられなくて。フェインは堕天使と天竜に傷つけられ一度倒れてしまった。 私はまさかの事態に我を失いそうになる。 その後、ミカエル様とラファエル様が来られるのだけれど、来られる前に堕天使は私を堕とそうと誘った。 でも私はやっぱり天使の道を選んだの。 堕天使になるくらいなら、フェインと共に死んだ方がましだもの。 ミカエル様とラファエル様が来られて、フェインの傷を治して下さった。 そして、堕天使の名前も判明して、やっと彼等に傷を付けられるようになり、私達は彼等を倒した。 負けるはずはなかった。 だって、私達はその先のことを常に考えていたのだから。 ただ、堕天使……いや、蠅の王ベルゼバブは最後に私の心に直接語り掛けてきた。 『お前の未来は呪われているぞ……俺には見える……お前にはサタン様の影が憑いているのだ!! いずれ俺はこの地に戻ってくるぞ!!』 この言葉が私の頭に入って離れない。 私の未来は呪われている。 ……そんなこと、わかってる。 地上に残っても、天界に帰っても、私の居場所なんてどこにもないのだから。 今更そんなこと言われても罪を重ね、禁忌を犯した私には恐くも何とも無い。 私は光に溶けてゆく伝説の城を見届け、加勢して下さったミカエル様とラファエル様を見送る。ミカエル様が天界に昇る刹那、何も言わず私を見つめて、黙って深く頷いていた。 私もそれに応えるように頷く。 「……終わったな……」 「はい……」 その場に残ったのは静かな湖畔に、私とフェインだけ……ローザは先に天界へと戻っている。 私は彼にこれまでのお礼を告げた。 すると彼はセレニスさんへ償いがやっと出来たと安堵して笑ったの。 私も嬉しかった。これでセレニスさんがやっとゆっくり眠れるのだから。もう誰にも邪魔をされずにゆっくり眠れるのだから。彼の愛を一身に受けて。 「……フェイン……私は一度天界に戻らなくてはなりません……」 私は彼に最後の別れを告げようと腹を括った。 フェイン、あなたは私を引き止めてはくれないでしょう。 でも、選択の余地は与えたい。 一縷の望み。 あなたは私を必要としてくれる? セレニスさんを愛していてもいい。 私に地上に残れと言って欲しいの。 「……………………フェイン、私は……地上に………………」 私は長い沈黙の後彼の名を呼んだけど、直ぐに何も言えなくなる。 “もし”に縋りついているのは私の方だ。 彼は言わないってわかっているのに。 「……ウィニエル。俺なんかの為に気を遣って地上に残ることは無い。君は自由だ……」 フェインが私の手を取り、残酷に告げる。 わかっていたの、あなたはそう言うってわかっていた。 私の中にグリフィンがまだ居ると思ってるのね。 それともあなたの中のセレニスさんがそうさせるの? どっちだっていい。 あなたは私を必要とはしていない。 それなら私は。 それなら私は。『……フェイン……私は……、私は……天界に帰ろうと思います』 私は天界を選んだ。 彼と最後のキスを交わして、私は天界に戻って来た。天界ではミカエル様とラファエル様が迎えてくれて。 ――私はアルカヤの任を終えた。 その後はミカエル様の元でお世話になることになって、ミカエル様は何かと私に世話を焼いて下さった。時々、ミカエル様は私に母の話をする。 『ウィニエル、お前は母親に似てきたな』 私の母は私の小さい頃にどこかの世界に降りたのだという。今もその世界を守護する任に就いているのだとか。 私に母の記憶はなくて、ミカエル様に母はどんな天使なのか訊ねてみた。 『お前の母親か? 俺好みの美人だな。お前と似て生真面目でなー。真面目な分、何でも真剣になっちまって、人間と恋に落ちたんだよ』 私はミカエル様の言葉に耳を疑った。まさか、私は禁忌の子なのでしょうか? と再び訊ねる。 『いやいや、お前はれっきとした天使だよ。俺がお前の母親に地上に降りる代わりに、お前を産ませたのさ』 ミカエル様のお話は驚くことばかりだった。私の父親はまさか……。 『俺はお前の父親じゃないぞ? お前の父親は別に居る。今は別の世界に居るがなー。これがまた、くそ真面目な奴でな……』 その天使もまさか、地上に降りる許可を貰う為に……? それでは、私は望まれて生まれた子ではなかったの……? 『ウィニエル。そんな哀しそうな顔をするな。二人の間に愛は無いが、これはしょうがない。天使同士に恋愛の情はそうそう生まれん。お前もそれはわかっているだろう? だが、お前との間に二人の愛はあったぞ』 え……? 『お前は知らないだろうが、二人はお前をどちらかの世界へ連れて行くと言い出して聞かなかった。俺はせっかく生まれた高い能力を秘めたお前を天界から出すわけに行かなかったんでな。幼いお前を俺が責任を持って面倒を見てやるってことで二人を説得したんだよ。俺はお前の親じゃないが、お前が生まれるのを望んだのはこの俺だ……』 ミカエル様はその後私に生まれてきてくれてありがとうと言って頭を下げた。それは私の両親に対してだったのかもしれない。 私を望んだのはミカエル様だったのだ。 誰か一人でも私を望んでくれているなら、それだけで救われる気がする。 今私のお腹に居る子は、きっと私が望んだ生命。 このまま無事に生まれてね。 堕天使なんか寄せ付けないくらい強くなってね。 ……私も、あなたを守ってあげられるように強くなるから。 信頼できるミカエル様の元でなら、きっと大丈夫。 大丈夫だと、そう思っていた。 ミカエル様と私があの日、聖アザリア宮に呼ばれさえしなければ――。
to be continued…
後書き
ウィニエルの選択がフェインを無視してるような感じが拭えなくもないですね。
ウィニエルって結構強情なんだなぁ……と思います。
周りが色々言ってきても、結局決めるのは自分ってことで、その先がどうなっても自分で選んだ道だから責任を取る覚悟はあるのか? ってことを書きたかった……のかなぁ……多分。憶えていない……(汗)
ミカエル様の愛の形がちょっと複雑です。恋でもないし、慈しみでもないし。
贖い~のミカエル様は自分でも気付いていませんが、自分以外はみんなおもちゃか何かと思ってるところがあるので、ある意味鬼畜路線です。
いつかしっぺ返しが来るでしょう。そちらはまた後々。本当は堕天使をもっと出そうと思ってたんですけどね~。書いてく内に入りきらなくなってカットされてしまいました(汗)
避妊……しましょう、避妊。の巻きでした。あの世界ゴムあるんかな?(謎)
次回もウィニエルサイドです。