贖いの翼 第八話:アルカヤの地③ ウィニエルside

 親の顔は覚えていないけれど、物心ついた時にはミカエル様に出会っていた。
 ミカエル様が直接天使を育てるなんて異例のことで、他にも何人か居たっけ……。
 今では懐かしいけれど、私は皆と変わっていたから、穏やか過ぎる小さい頃の天界での生活は少し退屈だった。

 アルスアカデミアに入って、ラミエルやロディエルという私と同じ変わり者の友達が出来て、それなりに楽しい生活を送っていた。ラミエルやロディエルは優秀生だったから在学中に昇級して、卒業前にどこかの世界の守護に行ってしまった。

 その後ラミエルは地上に降りたまま戻らないらしい。ロディエルはその世界で任務を終えると別の世界へと派遣された。時々身体を休める為に天界に戻ってくるらしいけど、目が回るほど忙しいらしくて会う機会も殆どなかったっけ。
 残った私はアルスアカデミアを卒業してすぐにガブリエル様にインフォスの守護を任されて、グリフィンと出会った。堕天使との苦しい戦いも彼とローザと一緒に乗り越えた。

 地上に残ると約束までしたのに、それを破って私は天界に戻って来て……。
 天界に戻ってからしばらくは大天使様達を困らせたんだっけ……。外出を禁止されて、半ば廃人のように呆然と過ごしてた。
 見かねたミカエル様が私に封印を施して、私は何事も無かったように天界の暮らしに戻って。
 その頃にガブリエル様からラファエル様を紹介された。
 ラファエル様はとても潔癖そうな方で第一印象は物腰は柔らかいのに厳しい方だと思った。結局はその印象のままだったのだけれど、ミカエル様が私をあれ程まで懇意にされなければもう少しお近づきになれたかもしれない。
 ミカエル様が悪いわけではないのだけれど、ラファエル様はどこか私に似ているような気がする。どこかはわからないけれど、あの厳しさに私は惹かれる。天界にずっと居れたなら私はラファエル様の良き部下になれただろう。

 それから、私はアルカヤに派遣された。
 フェインに出会ってしまった。
 始め彼は命を狙われていた。瀕死の彼を安全な場所まで運ぶのは大変だったっけ……。
 天界から降りて来たばかりだというのに、突然の緊迫感に火事場の馬鹿力とでも言うのか、よくあの状況で飛べたと思う。
 私はその緊迫感にインフォスを守護した時の感覚を取り戻した。天使として勇者を救うのは当然の務めで。
 フェインは自分は死ぬんだって思ってたみたいだけれど、私は彼の身体を癒した。それが天使として当たり前の行為だと思ってた。始めは何とも思ってなかった。

 彼に興味を持ち始めたのはいつからだろう……。


 思い出せない。


 でも今思えば、瀕死の彼を見た時からかもしれない。あの時、彼は私の手を取って迎えが来たのかと私を見た。
 私はそれを、彼が私を必要としてくれたような、そんな錯覚を無意識のうちにしてしまったんだと思う。


 一目惚れじゃない。


 彼の手がグリフィンの手を思い起こさせた。この手が愛しいと思ってしまった。きっかけはそれだったと思う。私はグリフィンをその時も想っていたんだ。

 今だから言えることだわ。
 その時はわからなかったんだから。

 その時はこれから複数会う勇者達の一人だと思っていたの。

 “これから信頼し合える関係を築いて行こう”それだけを思っていた。

 けれど、フェインと話す度それは変化していった。
 彼の笑顔、怒る顔、寝顔、哀しみの顔それらと出会う度に私は彼に惹かれていった。セレニスさんを想う彼をも愛し始めていた。
 初めて彼と迎えた朝にグリフィンのことを思い出して、彼への愛とグリフィンの愛は摩り替わってるだけだと勘違いしたけれど、それは間違っていた。

 私はちゃんとフェインを愛していた。勝手だけれど彼を想えば想うほど、グリフィンが思い出に変わってく。
 時が経てば経つほど、好きだという気持ちは変わらないけれど、グリフィンへの想いが懐かしさに変わっていく。
 ただ、気がかりなのはグリフィンとの約束。守れなかったことが今でも引っ掛かってる。
 あの後、彼が幸せになってくれていたら、どんなにいいだろう。
 都合がいいと言われるかもしれないけれど他の誰かと幸せになっていてくれたら。そうあってくれたなら。
 そうであれば私はいくらか救われるのに。


 ――グリフィンの今が幸せだったらいいのに。


「……インフォスにもう一度行けたら……」

 私は右手を開く。私の手の平に咲く薔薇のコインはくすむことなく、輝いていた。

 今更インフォスに降りて人間になるつもりはない。
 インフォスではもう随分時間が経っている。グリフィンは生きていないかもしれない。
 けれど、グリフィンがあの後幸せになったのか、私は見ておきたかった。
 私が天使である内に見届けておきたかった。

 私が降ろされるのはおそらく任務につかなかった世界だから。

「…………無理よね……」

 私は再び右手にコインを握り、目を閉じた。目を閉じ切る刹那、銀の指輪が部屋の明かりを反射して光った。
 私は左手で右手の指輪を覆う。


 フェイン……あなたは今どうしていますか?


 今でもセレニスさんを想い、一人で居るの……?
 アイリーンは傍に居てくれてる?

 セレニスさんの残り香が残る塔で暮らしているのね。
 あなたはその想いだけできっと生きていける人。あなたは強い人よ。

 私のことはもうそろそろ思い出になり始めましたか……?

 私は最低な天使でしたね。
 でも、あなたにとって一時の安らぎになれていたらいいと思うのです。

 私達は互いに“愛している”とは口にしませんでしたね。

 あなたは私を愛してなどいなかったのでしょうけど……私は確かにあなたを愛していました。

 今でも、愛しています。

 けれど、不思議ですがあなたが居なくても生きていけるような気がします。
 あなたがくれたこの子のお陰で。

 むしろ、あなたが居ない方がいいのかも知れません。
 今あなたが居たなら、私は欲張りになってしまうから。 

 セレニスさんを愛しているあなたも好きだというのは本当です。
 でも、その気持ちの中には温度差があるのです。

 わかっているのに、
 わかりたくない。

 受け入れたいのに、
 受け入れられないの。

 どうしても、今の私にはそれができない。

 その頭と感情の温度差がいずれは広がっていく。

 いずれあなたを許せなくなる日が来る。

 許したくても、
 許せなくなる。


 ――私はそれが恐くて。


 今はまだ、あなたの全てを受け入れられる程私の心は強くないのです。
 ミカエル様やアイリーンにはこの子のためと言ったけれど、結局は私が弱いのが原因なのです。

 私がもう少し強かったら。

 この子が大きくなるにつれて少しそれも変わってきました。
 あなたが居ない分、私の心は驚く程穏やかなのです。
 この子が生まれて育ってきたら、
 いつかは、私もあなたを受け入れられるような気がします。

 ……その時にはもう、世界は違って二度と会えないのでしょうけれど。

 心の準備が出来なかった私を許して下さい。


 逃げた私を許して。


 そして、どうか幸せな未来を歩んでいって下さい。
 過去があるからこそ未来がありますが、どこかで過去は過去と区切りを付けなければならないこともあります。
 セレニスさんを想ったままでも、アイリーンでも、新しい誰かとでも、優しいあなたなら。

 私は別の世界へ降りても、あなたに祝福の祈りを捧げ続けましょう。
 あなたが傷ついた分だけ、幸せになるように。

 私は幸せです。

 この子が居る。
 あなたがくれた大事な宝物。
 あなたに会わせてあげられないのは残念ですが、どうか安心して下さい。
 私はこの子を守り通します。私の一生を懸けて。

 私はもう泣いたりしません。
 涙は天界に、翼と共に置いて行きます。

「……っ……」

 私はいつの間にか涙が零れていたことに気付き、左手で拭った。


 ――これで最後。


 あなたを想って泣くのは最後にします。

「……っ……フェインっ……!!」

 静かな部屋に私の嗚咽が響く。私はその場にへたり込んで泣き崩れた。

「フェインっ!!」

 私の脳裏に彼の顔が浮かぶ。喜、怒、哀、楽、少し悪戯っぽい顔、愛想笑い、怒りでもなく喜びでもない無表情な彼の顔。

 その全て。

 愛してる、
 愛してる、
 愛してる。

 きっと、一生あなたを愛し続ける。

「……っ……ううっ……」

 目を両手で覆う。手はすぐに濡れて、私はその後も身体中の水分を出し切る程に涙を流し続けた。
 しばらく泣き続けると不思議なもので涙は枯れ、勝手に止まる。
 涙が乾いて頬に結晶を残すと、

「……さようなら……」

 私は目を閉じて微笑み、その結晶を優しく掃った。


 ――フェイン、ありがとう。


 あなたに会えて良かった……あなたに恋して良かった。

to be continued…

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