その後、私は夜になってガブリエル様を訪ねた。そこにはローザも居て。ガブリエル様は私にご褒美を下さった。 何かと思っていたけれど、それは私がとても望んでいたことで。 私はガブリエル様に深々と頭を下げ、お礼を告げて部屋へと戻った。戻った頃にはもう朝が近くて――。 「……良かった……」 私はグリフィンのコインを首に下げていた。そう、コインはネックレスのトップに加工され、アクセサリーとして私と共にあった。 朝日がそれに当たって、反射し眩しく光る。 大天使様も粋な計らいをなさる。 私をインフォスへと降ろして下さったのだ。 最後の任務だと、ローザと共にほんの数時間だけ、様子を見てきて欲しいとおっしゃってくれた。 インフォスは勇者グリフィンが堕天使を倒した後正常な時を取り戻し、今も平和なままだった。 私はグリフィンに会うことは出来なかったけれど、彼の足跡を辿ることは出来たと思う。彼への償いも少しは出来た気がする。 私はずっとあの時天界に帰ったことを後悔していた。 でも、今は後悔していない。 私があの時天界に帰るという選択をしたことは間違いではなかったんだ。 ネックレスとなったコインが光る度にそう思う。 その光は私を許してくれているようで。 いつか、再び降りたインフォスで何があったか、ずっと後になるかもしれないけれど、この子が生まれて大きくなったら詳しく話してあげようと思う。 私は柔らかく微笑み、お腹を優しく擦った。 「……お世話になりました」 そして、部屋の中を見渡し私は一礼してからアザリア宮へと向かう。 アザリア宮にはラファエル様だけがいらっしゃった。 「……天使ウィニエル、あなたを天界から地上へ追放します」 威厳に満ちた誠実で優しいお顔で、ラファエル様は告げる。 「はい」 私はラファエル様に一礼をした。 「……あなたともう少し話をしてみたかった気もしますが、仕方ありませんね」 ラファエル様はほのかに笑みを浮かべる。 「……私もラファエル様ともう少しお話をしてみたかったです」 私も釣られて微笑んだ。 「……ウィニエル、翼は置いて行きなさい。人に翼は必要ありません」 「はい」 ラファエル様の杖が私の翼に軽く触れる。すると、翼は一瞬にして掻き消された。 「…………」 私は物寂しい顔でほんの一時前まで翼のあった背を見る。 今はもう無い純白の翼。 汚れる度にミカエル様が現れて綺麗に手入れしてくれた、 ミカエル様のお気に入りの翼。 私も結構気に入ってたんだ。密かに自慢でもあった。透き通るような長い羽根は光を通して時に金色に輝いていた。 私が辛い時も苦しい時も、翼は私の身体を包んで私を隠してくれた。勇者の盾にもなってくれたことがある。 グリフィンもフェインも私の翼をよく掴んだ。面白いとか、綺麗だとか、邪魔だとか、色々言ってたっけ。 その翼がラファエル様の杖に触れられただけで消えてしまった。大天使様の力はそれ程までに強力なのだ。 もう今更どうでもいいことだけど。 私は人間になるんだ。 天界から地上に降りた時点で私はもう人間。 ここには二度と帰れない。 帰る必要も無いけれど。 ――でも少しだけ、やっぱり淋しい。 「さぁ、行きなさい」 ラファエル様はアザリア宮の出口を杖で指し示した。 「お世話になりました」 私はラファエル様に向かい頭を深く下げて、その方向へ向かい歩き出す。 「ウィニエル様!」 外へと続く扉付近で私の目の前にローザが現れる。 「ローザ!!」 私は彼女に駆け寄った。 ローザあなたにもお礼を言わなくちゃ。 「人間になられると伺いました。地上までお送りします」 ローザは飛んで来て私の肩に腰を掛ける。どうやら地上まで一緒に居てくれるみたいだ。 「ローザ……ありがとう……大好き……」 私は嬉しくて、ローザに頬擦りする。 「ウィニエル様……」 ローザは私の頬を両腕で受け止め、照れくさそうに微笑んだ。 「ね、ところで、私が降りる世界ってどこか知ってる? ラファエル様に聞くの忘れていたの」 私はローザに訊ねる。私は自分の降りる地上のことをラファエル様に聞いていなかったのだ。 「いえ……」 ローザは首を横に振る。 「……まぁ、どこでもいっか……」 私は舌を少し出してはにかんだ。 「ま、ウィニエル様ったら……ふふっ……」 ローザも私の様子に苦笑したあと、優しく微笑む。 私とローザはアザリア宮を出ようとしていた。アザリア宮を出ると空中で、翼の無い私はもう飛ぶことが出来ない。 このまま落下? ……なんてことはなくて、雲の階段が真っ直ぐ地上に伸びていた。 そして、階段の前には……。 「ミカエル様!?」 私はミカエル様の名を呼んだ。 階段の前には私達に背を向け、階段の先の地上をじっと見つめるミカエル様がいたのだった。 「ん? ……よ! ウィニエル。あー……翼が消えちまったな。あんなに綺麗だったのにな……」 私が声を掛けるとミカエル様はこちらに振り向いて、私の翼が無いことに気付く。 「はい、人間になってしまいました」 私は笑顔で応える。 「……残念だな、非常に残念だ」 ミカエル様が私の背に周り、翼のあった部分を惜しむように眺めた。 「はは……すみません……」 私は頭を軽く掻いて、謝る。 「お、妖精。そうか……俺も送ってやるか」 ミカエル様が私の肩に乗るローザに気付くと突然にそんなことを言い始めた。 「えっ!?」 「ついて来ないで下さい」 私が驚きの声を上げると、ローザは訝しげな顔で私の首に掴まって告げる。 「こらこら。妖精よ、俺を誰だと思ってるんだ。ティタニアに言い付けるぞ」 ミカエル様はローザを覗き込むように威しかけた。 「…………ついて来ないで下さい」 ローザはミカエル様を睨みつけながら私のうなじを回り、反対側の肩へと移動しながらもう一度告げる。声は心なしか先程より小さかった。 「ええと……じゃあ、一緒に行きましょうか」 私は二人の雰囲気がどうにも危うく感じて、一緒に地上へ降りようと提案してみる。 「ああ、行こうか」 「……ウィニエル様がそうおっしゃるなら……」 ミカエル様は嬉しそうに、ローザは対照的に憂鬱そうだった。 「ウィニエル」 「はい」 私が階段を下ろうとすると、ミカエル様が後ろから呼びかける。私はミカエル様の声に振り返った。 「階段は長いから俺が連れてってやろう」 「え? で、でも……」 ミカエル様の言葉に私は首を傾げた。 この階段、そんなに長くはないはずなのだ。人間になった天使達が地上に降りる為に使う階段で、翼で降りるのと同じ速度で地上に着くようになっている。 下ったことは無いけれど、噂で聞いたことがある。 「遠慮するな。これが俺からの褒美だって」 ミカエル様が私の手を取る。 「え……あ……」 私は昨日ミカエル様が言ってたことを思い出していた。 そう言えば、何かくれるって言ってたんだった。すっかり忘れていた。 「……忘れてただと? ……ったくお前は冷たいな……」 ミカエル様が一瞬眉を顰める。 「あっ!」 私はミカエル様に心を読まれたことに気付いて空いた手で口を塞いだ。 「……まぁ、いい。もう片方の手を貸せ、それから目を瞑っていろ」 ミカエル様は不服そうな顔をした後、それまでの表情を消した。 「は、はい……」 私はミカエル様に言われた通りに両手をミカエル様に差し出し、目を瞑った。私の肩に乗るローザの感触と、私の手に触れているミカエル様の手の感覚だけが今の私を覆っていた。 「俺がいいと言うまで絶対に目を開けるなよ。開けたら落とすからな」 ミカエル様の声と共に私の足が宙に浮き始めた気がする。 「は、はい!」 ミカエル様の威しにも似た台詞に私は決して開けないよう、目蓋を固く閉じた。 「……いい子だ」 「わっ!? ミカエル様っ!?」 ミカエル様は空中で私を振り子のように乱暴に振り上げると、私の手を放して両腕に抱き上げる。 私の背と、膝裏にミカエル様の腕があり、私の身体が弓形になっている感覚がある。私はミカエル様の首に腕を掛け、しがみつく。 「よしよし、流石はウィニエル、よく目を開けなかったな。落としはしないさ、この方が運び安いだけなんでな」 耳元でミカエル様の声と、その上に翼の羽ばたく音が聞えた。飛んでいるらしい。風も私の髪を撫でていく。 「は、はぁ……」 私は気の無い返事をした。 「……ちょっと! 落ちるところだったじゃありませんか! ウィニエル様に乱暴しないで下さいっ!!」 ローザの声も反対の耳元で聞える。 時々思ってたけど、ローザって、ミカエル様にこんなにくって掛かって大丈夫なんだろうか? 私は心配でならなかった。 「うるさいな、妖精……お前は俺のことを誤解しすぎなんだよ」 「誤解って何ですか!? 誤解ではありませんよ!」 私の耳の間を二人の怒号が行き交う。 私は平穏に地上に降りたかったんだけど、ちょっと無理みたい。 「ま、まぁまぁローザ落ち着いて……」 「ウィニエル様のお見送りは私一人で良かったのです!! ミカエル様が来られてはせっかくの門出が台無しではありませんか!!」 私は仲裁に入ったのだけれど、ローザが怒り始めるとそう簡単には静まらなくて。 「……だからうるさいって……ほら、もう着くぞ」 ミカエル様はいつもならローザに少しは付き合って言い合うのに、今日はまるで相手にしていない様子だった。 「え……? あ……ああっ!!」 ローザが突然大声を上げる。 「え? な、何? どうしたのローザ?」 私はローザの声に驚いて彼女に訊ねた。 「い、いえ……な、何でもありません……よ……? ね、ねぇ、ミカエル様?」 ローザの声が上擦っている。 何か変だ。 「そうそう、何でもないぞ」 ミカエル様の声色はいつもと変わらなかった。 ううん、いつもより、少し楽しげだ。 「……目、開けていいですか?」 私は二人の様子がおかしいと思い、訊いてみる。 「駄目駄目、今降りるからもうちょっと待て」 「はい……」 私は気にはなったけれど、渋々そのまま目を閉じていた。 ミカエル様が下降しているのがわかる。 どこかの世界のどこか。その地に足を付けて。 「……さ、着いたぞ。まだ、開けるなよ」
to be continued…