贖いの翼 第十話:月命日~地上に降りた天使① フェインside

前書き

「それぞれの未来」~のフェインSide。

 堕天使との戦いが終わって三年と二ヶ月が過ぎようとしていた。
 ただ穏やかに何事も無かったように毎日が過ぎてゆく。


 もう、三年二ヶ月。


『フェイン、今日はセレニス姉さんの命日だね』


 アイリーンと俺が二人でセレニスの最期の場所へ赴いたのは二度。アイリーンは毎月の月命日にも行っていたが、俺は何となく行く気がしなくて祥月命日だけあの場所に行くことにしていた。
 本当は祥月命日にも行きたくない。

 行く気がしないんだ。

 行く気がしないと言うのはあれだ。
 セレニスのことは三年以上経った今でもまだ愛している。
 俺の想いはセレニスの想いと共にこの地を去ったはずだ。


 そう、そのはずだった。


 けれど未だに拭えず、自分でも掴み切れていない想いが俺の中にしこりとして留まっていて、それが俺の想いを信じて亡くなったセレニスへの罪悪感となり、俺をあの場所へ向かわせるのを躊躇わせていた。


 ――罪悪感。


 どうしてそう思うのか、三年掛けてやっとわかり始めたことがある。


 俺の中にはセレニスの他に別の女性が住んでいる。


 好きだとか、嫌いだとかそんな感情を口にしたこともなければ、考えたことも無かった相手だ。ただ互いに手に入らないものを埋めるように身体を何度も重ねただけの相手。

 俺を大好きだと言っておいて戦いが終わると純白の翼を広げ、力強く羽ばたいて俺の元から去ってしまった天使。

 自分自身の心がわからなくて、あの時の俺は彼女に何も言えなかった。
 セレニスへの想いと彼女への想いの狭間で混乱していた俺の心に彼女は最も甘美な痛みを与えて去ってしまった。

 俺は最後に見た彼女の涙が彩った美しい笑顔が今でも忘れられないでいる。

 最後の涙が何を言いたかったのか、
 最後の笑顔が何を言っていたのか、


 俺の中でまだ疑問符はついたまま。


 俺は答えを探している。


 もう、彼女は居ないというのに未練たらしくて、自分でも嫌気がさす。

 どうしようもないんだ。

 頭でわかっているのに気持ちがそれに追いつけないまま未練だけが心の奥に渦巻いている。

 彼女が帰ってからすぐはそうでもなかった。

 俺にはセレニスが居るのだから大丈夫だと、高を括っていたんだ。

 だが、戦いを終えてしばらく毎日雑務に忙殺されて、それが落ち着いた頃からだろうか。
 彼女の存在が俺の中で思いの外大きかったようで、それは日を追う毎に膨らんでいった。

 あの時彼女をこの地に留める事が、もしかしたら出来たんじゃないか?


 ――俺は後悔していた。


 どうしてあの時彼女の手を取って「行かないでくれ」とたった一言言えなかったのか。


 悔やんでも、
 悔やんでも、


 もう仕方が無いというのに。


 ――救いは一つだけある。


 罪悪感と共にだが、セレニスのことを考えている時だけは幾分気が楽になる。アイリーンがセレニスの話をしてくれると懐かしい思い出話に色鮮やかな花が咲く。

 そう、俺は今セレニスが最期に居た場所に居る。散々悩んだが、俺はアイリーンと共にここへ来てしまった。
 祥月命日は本当はまだ先だが、今月はギルドの仕事でこちらに用があったついでだ。
 忌日にはまた来なければならない。

「……セレニス…………」

 俺は彼女の名を呼んで、セレニスが最期に立っていた場所に目を閉じて黙祷を捧げた。
 そこにはアイリーンが以前に建てた小さな墓標があり、そのすぐ後ろには相変わらず誰も立ち入らないのか瓦礫の山が当時のままの形で残されている。

 今だけは、セレニスのことだけ考えていればいい。


 ――なぁ、セレニス。


 俺はこの先どうすればいいんだろうか?
 君ならその答えがわかるだろう?
 教えてくれないか?

 俺にはまだ見えないんだ。

 君を失くしてから三年四ヶ月以上経つ。
 君を想って目を閉じれば君と過ごした楽しい日々が甦って自然と顔も綻ぶ。

 苦しかった戦いも今となってはいい思い出にになりつつあるのに、


 それなのに、


 まだ、三年四ヶ月しか経っていないんだと思ってしまう。


 彼女を思い出そうとすると最後のあの涙の笑顔しか思い浮かばないんだ。
 他の思い出もあるはずなのに、何一つ思い出せない。
 俺は今でも彼女のことを忘れられず、思い出に出来ないままなんだ。


 俺の愛はセレニス、君だけに捧げたものだったはずだろう?


 今の俺に死という救いは与えられていない。
 死のうとは思わないんだ。

 だとしたら他の救いはいつ来るんだろうか。


 ――セレニス、俺を助けてくれないか。


 自分でももう、わからないんだ。
 自分が自分じゃないみたいだ。
 どうしようもなく、ただ毎日が俺に一言の断りも無く勝手に過ぎていく。


 アイリーンは毎日が楽しそうだ。


 殆ど塔には居ない。それはそれでいいと思う。
 アイリーンが幸せならそれでいいと思っている。
 彼女もきっと毎日忙しくしてるんだろう。

 セレニス、君も新しい生命になる準備をしているのかもしれないな。


 ――俺だけだな。


 俺だけが一人ここに留まったままだ。
 俺一人を取り残して皆翼を広げて飛び去っていく。


 淋しいんだと……思う。


 これが淋しさなんだと思う。

 今更だが、君を逝かせてあげたのがアイリーンで良かった。
 こんな自分勝手な俺と一緒には逝きたくなかっただろう?

 亡くなった君にまだ頼ろうとしてる俺は最低な男だ……。

「なぁ、セレニス……ん? この花は……?」

 俺は静かに目を開けると、足元に花束が置いてあるのに気が付いた。

「あっ、セレニス姉さんの好きな花。私置いといたんだっ!」

 アイリーンが俺の後ろで墓標に手を合わせながら慌てたように告げる。

「……いつ……」

 俺は彼女の慌てように疑問を感じた。

 今日、アイリーンは俺の前を歩いてはいない。

「え? や、やだなぁ! フェインが目を閉じてる間にこっそりね!! ……ははは……」

 アイリーンは乾いた笑いを浮かべ、頭を軽く掻く。

「いつ……花なんて買ったんだ? そんな暇……なかっただろう?」

 俺は再び訊ねた。

「え? あ、あはは……そうだったっけ……? ってか、花屋さん寄ったじゃん!! フェインもしかして忘れちゃったの? や、やだなぁ~……もうボケちゃったのぉ??」

 アイリーンは押し切るように俺の肩を強く叩いた。

「え? あ、そうだったか……?」

 俺は彼女の強い口調に圧倒される。


 “花屋に寄った”


 ……本当に寄ったのだろうか?

 彼女が去ってからの俺の記憶には曖昧な部分がある。
 感情と思考が噛み合わない一部にそれが生まれてる。


 だから、アイリーンに強く言われると自信がなくなる。


 自分がついさっきまでしていたことを憶えているはずなのに、誰かに与えられた記憶を自分のものとして摺り替えてしまう。

 だが、最近はそれも減ってきた。

 彼女を思い出にはまだ出来そうもないが、三年二ヶ月経って、やっと俺は正常な時を取り戻しつつあるんだ。

 こうして、疑問を持てるようになった。

 自分の自信というものが欠片だけ戻っている。

 だから、アイリーンの誤魔化しももう効力はない。


 そう、アイリーンはそもそも花なんて持って来てやしなかった。
 花屋にも寄ってはいない。
 それに、この花は少し萎れている。


 恐らく、今日置いた物じゃない。


 ――じゃあ、一体誰が?


 俺とアイリーンは今日、こちらに着いたばかりだ。
 昨日、彼女がこの花を置くことは出来ない。

 今日にしたって、花屋に寄る時間が無かったから持って来れるはずもない。


 ――じゃあ、一体誰がこの花を?


 この花束はセレニスの好きな花達ばかりだ。

 ということは、この花を置いたのはセレニスのことを少なからず知っている人物。
 セレニスを想って置いてくれた人物。


「……一体……誰が……」


 俺は首をゆっくりと二、三度振るう。
 わかりそうでわからない。

「な、何が!? あ、フェイン、そろそろ行こう!! 日が暮れちゃうよ!」

 アイリーンは早くこの場から立ち去りたいのか、それとも俺に考えさせるのを止めさせたいのか、俺の腕を引き街へと戻るよう促した。

「あ、ああ……」

 俺はアイリーンの態度に疑問を持ったまま、後ろ髪引かれる思いでその場を後にする。

 俺達はその後宿で一泊して、塔への帰路についた。
 アイリーンに花のことを何度か訊ねようとしたが、彼女は上手くはぐらかし、結局何も聞けなかった。

 彼女がはぐらかすのは、何か訳がある。


 ……俺にはまだ、わからないが。


「ブレメースは……こっちだな」

 帰路へとつく俺とアイリーンの目の前に分かれ道が二つ。左へ行けばブレメースへと続く道。右へ行けばデフルゼイル地方へと続く。

「あ、私こっち。友達んとこ寄ってくからフェイン先に帰ってて。一週間したら帰るからさ!」
「友達?」

「うん、そう! 友達! すっごい大事なねっ!! 親友って言ってもいいくらい!」

 アイリーンは満面の笑みを浮かべて元気に告げた。

「そうか……」

 俺は彼女の笑顔に釣られて薄っすらとはにかむ。

 毎日楽しそうに過ごしているのは多分、その友達のお陰なのだろう。
 アイリーンの友達……初めて聞いたような気がする。

「今度、塔に連れて来るといい。アイリーンの親友なら歓迎する」

 俺は嬉しくてつい、そんなことを口走っていた。

「えっ!? あっ……う、うん……そうだね……」

 けれど、アイリーンは俺の言葉に何故か驚いたように一瞬目を丸くして、苦々しく微笑む。

「? どうした?」
「あっ……いや……遠いから連れて行くのはどうかなーなーんて……普通の人だから長旅は……モンスターとかも出るしねぇ……?」

 アイリーンは両手の五本の指の腹を合わせながら上目遣いで俺を見た。

「……それもそうだな……」

to be continued…

次へ

前へ

贖いの翼 Menu

Favorite Dear Menu