俺はそれに少し淋しさを感じる。 平和になった今もモンスターが時々出没しているのは事実だが、アイリーン程の魔導士なら友達の一人や二人守れるだろう。 一般の人間に長旅は確かに疲れるかもしれないが、アイリーンが親友だと思ってこれだけ懇意にしているなら、相手もそれなりにアイリーンを思っているはず。 それなら、誘われれば一度は訪れてみたいと思うのが普通じゃないか? だが、アイリーンの口調からすると相手が、というより、アイリーン自身が塔にその友達を連れて来たくないと言ってるような気がする。 部屋が汚いからなのか、 それとも、俺に会わせたくないのか。 その親友は同性なのか、異性なのか。 歳はいくつで、どんな人なのか。 アイリーンとは何処で会ったのか。 聞きたいことは色々ある。 今更兄貴面するのもおこがましいかもしれないが、俺はずっとアイリーンの兄でありたいと思っている。 兄らしいことをまだ、何一つ出来てない。一緒に暮らしていても俺はアイリーンのことをあまりに知らな過ぎる。 アイリーンが望むものは何なのだろうか? ……そんなこと考える余裕が三年二ヶ月の間の俺には無かった。 今だって、正直言ってそんな余裕はない。 アイリーンに何かしてやりたいのに、出来ないんだ。 誰かを構う程の余裕が今の俺にあれば。 そんな余裕のない俺が、それ以上アイリーンのことを訊けるわけがないよな。 「…………」 「……じゃぁ……もう行くね。フェイン気を付けて帰ってね。ウェスタを宜しく!」 俺が黙り込むと、アイリーンは苦々しく微笑み背を向けて、デフルゼイル方面へと歩み出した。 「……ああ……アイリーンも気を付けてな……」 俺は彼女の背に軽く手を振る。小さくなっていくアイリーンの背は逞しく見えた。 「……ウェスタ。帰ろう」 俺はしばらくアイリーンを見送ると、ブレメース方面へと歩み始めた。 「……アイリーンが帰ったら聞こうか……」 “あの花は一体誰が置いたものなんだ?” わかる気がする。 喉まで出掛かってる。 その問いの答えが出たら長い冬も、深い雪も溶けるだろうか……? ◇ ――一週間後、アイリーンは塔へと無事帰ってきた。 『なぁ、アイリーン……あの花は……』 結局、アイリーンが帰った後も俺は何も訊けなかった。正確には訊いたんだが、やっぱりはぐらかされて。 アイリーンはやはり、話したくないのだと確信した。 話したくないなら、話さなくていい。 俺は気にはなっていたが、この話はまたあの場所へ行った時にでもすればいいと蓋を閉じた。 それから一ヶ月程経ったろうか。 俺も仕事に完全復帰し、ギルドの依頼で世界各地を回っている。明日からリャノへ向かわなければならない。 「え? フェイン今、何て言ったの? ……あっっ!!」 アイリーンは飲み掛けた紅茶の入ったカップを受け皿へと乱暴に打ちつけた。紅茶がその反動で数滴飛び散り、彼女の小さな手に付着する。 彼女は熱かったのか、慌てて自分の息を吹きかけて冷ました。 「君は今週は塔に居るだろう? 明日からしばらく留守にするから、留守を頼むと言ったんだ」 「あ……うん……い、居るけどさ……その前の……行き先って何て言った……?」 アイリーンは口を濁すように、徐々に声のトーンを落としていく。 「ん? 行き先か? リャノだが?」 俺はアイリーンの態度に然して疑問も持たず、彼女の問いに素直に答えた。 「セルバ地方の……?」 アイリーンの表情が何故か青ざめていく。 「ああ……ドライハウプ湖近くの街だ。あそこは……最後の決戦の地……だな」 彼女と永遠に別れた、もう、二度と行くことはないと思っていた土地。 詳しいことは途中のギルドに寄り説明を受けることになってるが、リャノでどうしても俺じゃなきゃ解決できない問題が起きたらしい。 「あ! ねぇ、私も一緒に行くよ!! ほ、ほら、ドライハウプ湖ってなんか不気味だしさ!」 アイリーンは突然椅子から立ち上がって、テーブルに手を叩き付けた。 理由はさっぱりだが、明らかにアイリーンは動揺している。 ――何故だ? 「いや、ドライハウプ湖には寄らないから平気だ。それに、アイリーンは別の仕事が入ってるだろう?」 俺は疑問を抱きながらも、アイリーンとの話を続けた。 「そーなんだけどっ! 私のはまだ連絡待ちってゆーかぁ!」 アイリーンは無理やりに笑いを浮かべる。 「明後日からアルクマールのギルドへ向かうのだろう? 方向が違うぞ」 「だーかーらー。ギルドに連絡が来るかもわかんないじゃんか! ……ね?」 今度は笑顔を振りまきながら首を軽く傾げる。 「だが、今回はグランドマスターからの直々の呼び出しだったんじゃないのか?」 「う……。あ、新しいグランドマスターって何か気に食わないんだよね~……ってことで、私も一緒に!! ね?」 アイリーンは一瞬口篭ったが、同行するのを諦めようとはしなかった。 「……駄目だ。それではグランドマスターに申し訳が立たない。アイリーンは予定通りアルクマールに向かうんだ」 俺はギルドに属する者としての手前、アイリーンにグランドマスター直々のお呼びを無視させるわけには行かなかった。 「……っちぇ……フェインのケチぃ~!! 人がせっかく何かあったら援護してやろうって思ってたのにさ~!」 アイリーンの頬は赤い風船となり、口はアヒルのように尖っていた。 「……すまないな、アイリーン」 俺は諫めるように彼女の頭を軽く二度ぽんぽんと撫でた。 「……じゃーさ。フェイン、約束して」 「約束?」 「……うん……リャノに行ってもいいけど、ドライハウプ湖には行っちゃ駄目だよ」 「……何故だ?」 「……あそこ、不吉な感じがするから……フェインに何かあったら私一人ぼっちになっちゃうでしょ? だから、約束して」 アイリーンは小さな両手で俺の手を強く握ると、不安気な顔で俺の目を真っ直ぐに見つめる。 「……わかった」 俺はそう約束してから塔を後にする。出掛けにアイリーンは珍しく俺の姿が見えなくなるまで見送っていた。 その姿は何だか居ても立ってもいられない、そういった様子で。俺はどうしても疑問を感じざるを得なかった。 さっきの、約束。 もう、世界は平和になったはず。 それに、アイリーンが不吉と言うなら尚のこと、俺が解決すればいい。 そんな疑問はあるが、もしかしたら今回の仕事と関係があるかもしれない。 俺はギルドへと急ぎ、詳細を聞くことにした。 ◇ 「え……ドライハウプ湖付近で謎の霧が発生していると?」 俺はギルドに着くなり、説明を受ける。 「ああ……どうやらその霧には魔法が掛かっているらしい。まだ被害は確認されていないが、周辺の住民は霧を恐れて湖に近づけないでいる。フェイン、お前程の魔力があれば霧を掃うことが出来るかも知れん。危険かもしれないがお前ならば……」 『現地で情報収集後、事に当たってくれ』 「わかりました」 説明を受けた俺は二つ返事で了承し、俺はリャノへと向かった。 ◇ 「リャノか……久しぶりに来たな……」 夕刻近く、俺は街の入口に立ち、行き交う人々を眺めた。街は随分と賑わっている。中でも大きな荷物を背負った人々が多く見受けられる。 そして、背の荷物に加えて、両手に紙袋を何袋も持ち辛そうに持ちながら歩いている者が大半だ。よく見れば、その人々は“土産”の看板を下げた露天や店へと向かい、思い思いの品物を手に入れている。 通り掛かった街の人らしき女性に訊けば、街の先にあるドライハウプ湖は観光地と化しているらしく、旅人が多いらしい。 「誰でも自由に国々を行き来出来るようになったってことか……」 俺は街の中へと足を踏み入れる。 リャノへは大した敵にも遭遇しなかったのが幸いしたのか、思ったより早く着くことが出来た。以前ならもう少し掛かっていたかもしれない。あの戦い以来、随分と平和になった気がする。 旅の途中、寄る先々での人々の表情も穏やかだ。酒場での話もきな臭い話は殆ど訊かなくなった。 人里離れた山奥や荒野にはまだモンスター共が出没しているらしいが、街まで顔を出すことは無いようで、大人しいもんだ。 山賊や反乱分子なんかも時折諍いを起こしているらしいが、各所ですぐさま鎮圧出来ているらしい。 そんな平和な今時、原因不明の霧はあまりに不気味だ。だが、こんなに旅人が来ているではないか。霧はどうしたんだろうか。 「!?」 はっとすると、俺の腕を強く掴む感触がする。 「ちょいとお兄さん、観光かい? 観光なら残念だけど、今湖には近づけないよ。何せ変な霧が出ててね、近づいちゃいけないって御触れが出てるのさ。もし下手に近づいて悪魔の餌になっても知らないよ。悪いことは言わないから、うちでお土産買ってお帰りよ。今なら安くしておくからさ」 俺がその感触に振り向くと、背の低い小太りで、薄桃色の前掛けを身に着けた、愛想の良い中年の女性が笑顔で言葉を並べ立てた。 その言葉言葉は、俺が今思った疑問を答えてくれたような気がした。 「……いや……観光じゃないんだ」 俺は掴まれた腕を掃おうとするが、女性の力は力強く、 「そうかい? 観光じゃなくてもいいんだよ。何か買って行かないかい? う~んと安くしてやるから!」 俺の言葉などおかまいなしに今度はまくし立てる様にまた満面の笑みで告げる。 「いや……いらな……」 「ほらほら、これなんかどうだい!? 湖の女神まんじゅう! 当店オリジナルだよ! ほら、試食してみなよ」 「だからいらな…………」
to be continued…