…………もぐもぐ、ごくん。 無理やりまんじゅうを口に入れられた。 「……うまい……」 上手く表現出来ないが、そのまんじゅうは旨かった。 「だろっ!! 何たって、そのまんじゅう製作に女神も関わったからね。当然さ!」 「女神?」 「え? あんた知らないのかい!? 湖の女神ってったらここじゃ有名だよ。湖畔に住む女神様のことだよ! ……というのもここだけの話、彼女本当は普通の人間なんだけどね、彼女の周りには奇跡が起こるってんで、いつの間にかそう呼ばれるようになっちゃってねぇ。噂が噂を呼んで、いつの間にか女神様になっちまったわけさ。彼女に会うと不思議と幸運に恵まれるとかで、今じゃ湖に金を落とせば幸運に恵まれるという話になってるよ。街の一部の人達しか彼女の姿を知らないし、本当のことを皆知らないもんだから、街の活性化に利用してるのさ。だから、本人が街で歩いてても誰も気付きゃしない。ただ、確かに彼女は綺麗な子だけどね。ははは、面白いだろ? ……って、こんな話したら商売上がったりになっちまうね」 「は、はぁ……」 俺は中年女性がくるくると器用に表情を変えながら話す話をなんとはなしに訊いていた。「そうゆうことだから、はい、これ買って行きなさい」と、訊くだけ訊かされ、無理やり小さな六個入りのまんじゅうを買わされた。 “湖の女神” 女性が言うには普通の人間らしい。普通の人間が現在発生している霧と何か関係があるんだろうか。 とりあえず、記憶の片隅においておこうと思う。 「宿は……こっちだな」 俺はまず、宿を探した。旅先で必ずすることだ。日が暮れる前に取っておけば、日が暮れて慌てなくてもいい。 もう、何度もそうして来た。 俺は街を歩く。 そういえば、この街に彼女と一緒に歩いたことがあったな。 地に足を着けて、不器用に覚束ない足取りで、俺は「宙に浮いていた方が楽なら浮いていればいい」と告げたが、彼女は、 『歩きたいので……』 そう言うから、俺は彼女に腕を貸してやった。 あの頃は互いに信頼を寄せた天使と勇者として。こんな感情を持つこともなく、ただ、一時の心の安らぎを感じていた。 「…………」 この通りだな……彼女と歩いたのは……。 ……なんて、 俺はふと、彼女とのことを思い出してしまう。この街へ来て急に、だ。 これまでそんなこと思い出したりしなかったのに。 彼女と共に最後に立ち寄った街だから? それとも、そろそろ“思い出”に変わって来たのか……。 「…………思い出になど、したくはないのにな……」 ふと、通り掛かった服屋のガラスウインドウに俺は目をやる。 そこには、真っ白な夏のワンピースを着たマネキンが置かれていた。 「……純白の……衣……天使……」 白という色はどうにも、彼女を思い出させる。 気が付けば俺はそのウインドウに手を付け、ガラスを汚していた。そういえば、まだ街に着いたばかりで、手は途中の戦闘で受身をした時に付いた泥で汚れたままだ。 ガラスは俺の手から移った泥で曇り、俺の目の前の白のワンピースを汚していく。 「……こうして、汚してしまったんだな……俺は……」 俺は白のワンピースを前に膝を落とし、眉を顰めた。そして、人ごみの中にも関わらず、一筋涙を地に落とした。 君は元気にしているだろうか。 罰など受けてはいないだろうか。 俺なんかに惚れたばっかりに辛い思いを……引き摺ってはいないだろうか。 君が幸せであるならいいと思ってる。 俺のことなど忘れ、幸せになっているならいい。 そう思っているはずなのに、引き摺っていて欲しい。 生涯俺のことを想っていて欲しいと、まだ俺は思ってるんだ。 自分の思いがやっとわかりかけて、その資格もないのに、この独占欲。 どうかしてる。 自分で自分が嫌になる……。 白のワンピースのように君を汚したのは俺なのに。 「……どうしたの? おじさん、大丈夫?」 俺の背後に小さな子供の声がする。 「……ん?」 「お店の人に怒られた?」 声に振り返ると、三歳くらいの銀髪の男児が、膝を立てガラスに身を寄せ蹲る俺を見上げていた。 「? ……いや……何故だ?」 「……それ、汚いから」 俺が首を傾げると、男児は俺の汚したガラスを見上げた。 「……ああ……これか……」 これは俺が汚してしまった天使なんだ……。 もう、元には戻れない。 そんな風に思っていたら、 「うんしょっ! えいっ!」 男児の手には雑巾のような布が握られており、ガラスを拭き始める。 「ちょっと、上の方も拭くから抱っこして!」 「え? あ、ああ……」 俺は男児が言うままに、立ち上がって男児を持ち上げた。すると、男児は上手に俺の付けた泥を拭き取っていく。 「…………」 ガラスはみるみるうちに元の透明に戻り、白のワンピースも元通りになる。 「ほら、綺麗になった。汚しても何度でも綺麗になるから大丈夫だよ!」 男児がガラスを拭き終えると俺は男児を下へ下ろした。 「……あ、ああ……そうだな……」 なんて、言っていると、 「怒られたからって泣くなんて男じゃないなぁ~」 と、男児はニヤニヤしながら俺を見上げる。 「怒られてなどいな……」 「ま、ここの人怖いもんね。仕方ないか」 俺の言葉など聞きもせず、男児は続けた。俺はこんな小さな子供に弁解するのもどうかと思い、 「…………ふぅ……そうなのか。ありがとな」 男児の目線に合わせ、腰を落とした。 「どういたしまして!」 男児は満面の笑みを浮かべる。 「うん…………?」 この笑顔……誰かに似ている気がする……? いや、笑顔だけじゃなく……目元が……どこかで見たことがあるような……。 「君の名前は……?」 俺は男児に名前を訊ねた。 「内緒だよ! 知らない人に名前教えちゃいけないってママに言われてるんだ! じゃね!」 「そうか……ああ、じゃあな」 俺が返事をすると、男児は笑顔のまま走り出し、俺はその背中を見送る。人ごみに紛れて、直ぐに殆ど姿が確認出来なくなる。 ただ、距離はそう離れておらず、僅かに声が聞こえる。 「あ、ミッキー! 僕ここだよ!」 「こら、フィン。はぐれるなってあれ程言っておいただろう? ママもそろそろ帰って来るから見つかる前に帰るぞ。あ、なんだその汚れ!? ママに怒られるぞ!」 人ごみの合間から、白銀の髪の背の高い男が男児を肩車するのが見えた。父親なのだろうか。 男児のわき腹辺りに俺の手の泥が付着しているのが僅かに見える。 「ママは怒んないもん!! ミッキーのいじわる!」 男児は父親らしき男の頭を数回叩く。 「いてて、ミッキーって呼ばずお父さんて呼んでいいって言ったろう?」 「ブッブー! ミッキーはお父さんじゃないもーん!」 「いてて、髪を引っ張るなって!」 その後は、人ごみに声が溶け、二人の姿も消えた。 二人の会話から察するに、血の繋がらない親子か何かなのだろう。 そして、二人は地元の人間らしい。 「……子供か……」 俺にはもう、そんな希望もないんだろうな。 この先、もう誰かと共に人生を歩むなど到底考えられない。 少し感傷に浸って、男児が綺麗に拭いたガラスの中の白のワンピースを見てから、 「さて、宿を取るか……」 俺は宿を目指した。 人ごみの中を歩く。 あの白のワンピース、彼女が着たらきっと似合うだろう。 そう、例えば今、これからすれ違う彼女に似た女性が着たら、きっと。 ……例えば、 今、 これからすれ違う彼女に瓜二つな―― ――女性。「…………!」 俺はすれ違いざま、ふいに女性の腕を強く掴む。 「え!?」 彼女は掴まれた腕の感触に俺を見上げ、目を見開いた。 そして、動きを止め、固まる。 瞳だけ、俺を映したまま。 彼女の瞳に俺が映っている。 時が止まる。 人々の声も耳に入らない。 見つめ合ったまま二人だけ同じ空間に、そこに存在している。
to be continued…