「…………あなたには敵いませんね。フェイン……」 互いに雑踏の中涙を零しながら微笑み合う。 「いつか、こうして会えるって……信じてたの……あなたに会えると信じていました……」 こうして会えるようにって、ずっと願ってたのかもしれない。 あなたにまた触れたいってずっと思ってたのかもしれない。 私はそのまま背伸びをして、彼の唇に軽く触れた。 ただほんの僅か触れただけ、 「ウィニエル。俺も会いたかった……ずっと……!」 フェインはそれをきっかけに私の頬を包んで、深い口付けの雨を降らした。 人目も憚らず、私達は互いの唇を貪る。 フェインの舌が私の唇を割って、無理やり中へ。 「んんっ…………んはっ……」 切なくて、息苦しくて、私は何とか呼吸しようとする。 こんなキスは初めて。 さっきまでの私の理性が何もかも吹っ飛んでいる。 理性がないのに、自覚だけはある。 抵抗したくても、抵抗が出来ないの。 ――三年二ヶ月。 もう二度と触れることは無いと思っていた彼の唇。 離れたくても、簡単に離れられなかった。 フェインもそうだったの? ただ、懐かしさに寄り掛かってこうして唇を弄んでいるだけ? どちらでもいいわ。 こんなに心地いいなら。 彼も簡単には私の唇を離してはくれなかった。 ……しばらくして。 「……フェイン……元気でしたか?」 一頻りキスと抱擁をし終えると、私とフェインは見つめ合った。 「……ああ…………いや俺は……」 横に首を軽く振るう。 ……アイリーンから大体のことは聞いてる。 でも、アイリーンも私のことを気遣ってかあなたのことを言うことが少なくなった。 だから、私はそれ以上あなたのことを訊かないわ。 あなたもそれを言おうとは思っていないでしょう? 「そうですか……でも、こうして生きていてくれて嬉しいです」 私は余計なことは言わずに素直な気持ちを伝えた。 精一杯の微笑みを彼に向けて。 本当はね、わかってるの。 あなたの苦しみも、哀しみも。 支えてあげたかったけど、出来なかった。 でも、生きていてくれて本当に良かった。 約束を守ってくれていて嬉しい。 死を選ばないでいてくれたことが心の底から嬉しい。 「……君はどうだ?」 私がそう思っているとフェインは私に訊ねる。 私はどうだったって? ……何て答えたらいいの? あなたの子を授かったことで天使ではなくなったけれど、フィンという愛しい存在が出来て、私は幸せだった。 それに、前よりも強くなった気がする。 幸せだったの。 私は、少し淋しかったけれど、幸せだったの。 とても。 ……何て言えるわけない。 フェインがどう暮らしてたか知ってるから……。 セレニスさんを亡くして、私も支えてあげることが出来なくて。 私だけ幸福だったなんて、言えない。 「…………私は元気でしたよ。色々と忙しくって」 私は言葉を選んでゆっくりと答えた。 「そうか……それは良かった」 「今も毎日忙しいんです」 私はフェインに次の言葉を言わせないよう、言い切るように直ぐ続けた。これ以上何か訊かれたらフィンのことがばれてしまいそうで、怖かった。 「そうか……」 私の言葉のそれに気付いたかはわからないが、フェインは安心したように少しはにかんでみせる。 以前はよく見た、フェインの優しい微笑み。 今の私には少し……辛いかな。 「なぁ……ウィニエル、訊きたいことがあるんだが……」 「はい……あ! もうこんな時間! 私もう帰らないと。じゃあ、フェイン」 フェインが何か訊ねようとしたけれど、私は空の色が青から赤く変わり始めたことに気付いて、彼に告げた。 早く帰らないと、フィンが心配する。 今の私の世界の中心。 フィン。 私が走り出そうとすると、 「帰るって……天界にか?」 フェインが訊ねて来た。 ……そうだった。 フェイン、あなたは何も知らない。 私はもう、天使じゃないのよ。 でも、そんなことをあなたに言うわけにもいかない。 かと言って、嘘を吐くのも気が咎める。 「……えっと……あ……本当に私もう行かなくちゃ。暗くなったら帰れなくなるから……」 一番の口実。 あなたに嘘は言いたくない。 でも、フェインには理解出来なかったみたいだった。 「湖の霧と関係しているのか……?」 「え、どうしてその事を?」 私ははっとして彼の目を見た。 「……俺は湖の霧を晴らす為に派遣された。君がその霧の所為でここに居るなら、俺も手伝おう」 フェインはギルドの仕事でここに派遣された……。 アイリーンもきっと突然のことでここに来れなかったんだろうな……。 でも、いつかこうなることはわかってた。 フェインの仕事柄、あの霧でいつ現れてもおかしくない。 考えようによっては、あの霧は湖から人を追い払うためのものじゃなくて、フェインを呼ぶための霧だったのかも……。ミカエル様のことだから、何か裏があるって何で気付かなかったんだろう……。 ううん。 気付いてたよ。 ……そんなことわかってた。 心のどこかでいつかこうなるってことは、わかってた。 今となっては望んでさえもいた気がする。 「えっ!? あ、いや大丈夫ですよ! 霧は帰れば晴れますから」 この言い方ではもしかしたら伝わらないかも……。 伝えてからそう思ったら、案の定彼には伝わらなくて。 「……とにかく、君は湖に行くのだろう?」 「……ええっとー……」 私はフェインの問いにどう答えたらいいのか、宙に目を泳がせ考えを模索していた。 湖には私の家があって、そこには家族がいて。 今帰る途中で。 ミカエル様が霧をわざと発生させてるから普通の人は立ち入れないけれど、別に害はないんです。 そんなこと、言えるわけが無い。 フェインに私の住んでる場所を伝えるわけには行かない。 そんなことを考えていると、彼も何か気付いたように話を再開した。 「……新しい勇者が居るのか」 「え? ……勇者……?」 フェインの言っている言葉の意味が直ぐには理解出来ず、私は首を傾げる。 新しい勇者とは……何のことなのだろう? 天使の勇者は皆それぞれの道を歩んでいる。 天使でない私に勇者はもう必要ないのに。 それともその言葉の裏に何か意味があるの? 「俺はもう、君の勇者になることは出来ないのか?」 「勇者って……そんな……昔のこと……」 私はまだフェインの言わんとすることが理解出来なくてただ言われたことを簡単に流していた。 だって、もう皆未来を歩いているのよ。 フェインもそうなんでしょう? 「昔のこと……か……そうだな……俺が君の勇者だったのはもう三年以上前のことだったな……」 そう告げたフェインは傷ついた目をしていた。 フェイン、そうじゃないの。 天使の勇者は他にもいるけれど、私個人の勇者はきっとこの先もう、あなただけ。 そんな風に傷ついた目をしないで。 「あっ! そういうことじゃないんですっ! ……ごめんなさい! フェイン。私本当に帰らなくちゃ!」 私はフェインの手を名残惜しくも断ち切るように剥がして、頭を下げた。 そして、走り出す。 けれど、私の足は数メートル先で突然止まった。 これだけは言っておきたい。 「……フェイン! あなたはいつまでも私の大事な勇者です! それだけは忘れないで下さいね!」 フェインの表情は暗かったけれど、夕日を纏った彼は私には眩しかった。 「ウィニエル! また会いたい!」 フェインは大声で私の後ろ髪を引くようにそう告げる。 「…………それは、出来ません。でも……もし、また……会えたら…………その時はきっとあなたに全てを言える……そんな気がするから……今はまだ……ごめんなさい……」 私の声が徐々に小さくなっていくのがわかった。フェインの言葉に逆らうことは私にはとても勇気の要ることなんだと気付いて、自分を奮い立たせるように頭を軽く振り、最後まで言い終える前に彼の視線から目を逸らしたくて背を向け、再び走り出した。 フェインが追いかけて来なかったのは幸いだった。 彼が追いかけてきたら私はどうなっていたかわからない。 『もし、また、会えたら』 ――偶然に、また、どこかで、ね。 私は偶然なんていうものに縋りたくはなかった。 だって、偶然は私の感情なんてお構いなしに土足で心に入り込んで、居座る。 その偶然に私は戸惑いながらも受け入れてしまう。 必然であったとしても、 もう会わない方がいい。 もう会わない方がいいの。 ◇ 「…………ただいま」 私は一人、誰も居ない家へと帰って来た。 「フィンは……あ……ミカエル様と出掛けたのね……」 テーブルの上に二人で出掛けて来るとメモが残されていた。 ――こんな時、フィンが居てくれたらいいのに。 「…………っ……」 私はテーブルの上に突っ伏すように両腕で頭を抱え息を詰まらせる。 一刻も早く、頭の中から彼を追い出したいのに。 「……フェインっ……フェインっ!! うう……あああああっっ!!」 それが喜びだったのかはわからないけれど、私は久しぶりに大声で泣き叫んでいた。 こんな風に感情を露にさせるきっかけはいつも彼だった。 フェインと会うと私はおかしくなる。 それを直ぐに自覚した私は逃げるように帰って来てしまった。 すごく、ドキドキした。 三年二ヶ月振りの彼の唇。 ただ、懐かしさで、ほんの一時触れ合っただけなのに。 ……でも、私はまだ臆病なままだったから。 『ウィニエル! また会いたい!』 フェインの言葉に、応えることが出来なかった。 私は、あなたに会うと全てがどうでもよくなってしまう。 あなたに愛されなくてもあなたの傍に居たいと思ってしまう。 だって、 あなたのことを愛しているの。 でも、もうあの頃の私とは違うの。 臆病さだけ変わらないまま、変わったの。 時は流れたの。 ……私、変われた? 『ウィニエル! また会いたい!』 その言葉は呪いね。 かろうじて振り切った私をどうか許して。 私はフィンの為に生きていきたいの。 フェイン、それがあなたの為でもある。 そう言い聞かせてるのに、 『ウィニエル! また会いたい!』 ……頭の中にはあなたの言葉だけ。 どうしてこんなに心がざわめくの? 「……フェインが……好き……っく……っ……」 まるで、始めてその言葉を口にした時のように、“好き”の言葉は私の身体を熱くさせた。 こんなにも息苦しくて、胸が締め付けられるなんて。 私はフェインを愛してる。 きっとずっと、それは変わらない。 でも、それじゃ駄目なの。 じゃあ、私は、彼に何を求めてるの? 何が足らないと言うの? もう、会わないと彼に告げたのに。 それを確認する術はもうないのに。 彼と会えて繋がり掛けた糸をやっとの想いで断ち切ったのに。 「……あ……」 不意に、棚の上のフィンと一緒に撮った写真が目に入る。写真のフィンは私に抱きついて満面の笑みを浮かべている。私も釣られて微笑んでいる。 フィンは私とフェインを繋ぐ唯一の存在。 それならフェインとの糸は……。 もし、まだ糸が繋がってるなら。 「……会いに行こう……会って、伝えなくちゃ……」
to be continued…