そして、 彼女はアルカヤへと降り立った――。 アルカヤに彼女が派遣されてしばらく経つと、ラファエルから時々良い話を聞くようになった。アルカヤの混乱が徐々に改善されているようだ。真の敵もじきに炙り出されるだろう。 俺は、それに安心していた。 前回もクリアしたのだから、悪い事態にはならないとは思ってはいたが。 越えなければならない厳しい壁はあるだろうが、アルカヤはこのまま行けば、救われる。 そう確信していた。 そして、 今度彼女が任務を終えて帰ってきたなら、快く迎え入れてやろう。 還って来なくとも、温かく見送ってやろう。 そう思っていた。 矢先、彼女は勇者と恋に落ちた。 前回にあれだけ痛い想いをしたのにも関わらず、だ。 不毛な恋。 互いに愛の言葉すら伝え合えない恋。 それでも、俺はそろそろウィニエルから手を引こうと思っていた。 ラファエルやガブリエルに心配されていたからだ。 俺がウィニエルに恋をしていると、二人は言う。 まさか。 俺は大天使長だ。 特定の誰かを強く想うなど有り得ない。 ウィニエルに構うのはただ単に、面白いから。 興味本位。 そうに決まってる。 それを証明する為に俺はウィニエルの監視を少しずつ減らしていった。 …………つもりだった。 彼女が勇者の所で寝泊りをし始めた頃、俺はウィニエルの監視をやめようと思っていた。 だが、彼女の身体の変化に気付いてしまった。 ウィニエルが子を宿したのだ。 天使が人間の子を宿すなんて前代未聞だった。 俺の知る限りで、前例がなかった。 ウィニエルの両親は想い人と手も繋げない程、くそ真面目だったのに。 その反動かとも思った。 そして、俺の中に再びあの何とも言えない感情が芽生える。 この子が生まれたら、どうなるんだろうか。 この事実を知れば、“妊娠”という言葉すら知らないウィニエルは困るだろう。 あのウォーロックではウィニエルを支えきれない。 それなら、困った彼女は俺を頼ってくるだろう。 ウィニエルにこの子を産ませたらどうだろうか。 堕胎は許されない。 だが、本当は流れた方が天界にとっては有り難い。 天界で腹の子が何をしでかすかわからないからだ。 堕天使がウィニエルにちょっかいを出して来ていたし、天界でその子が生まれれば、天界は崩壊するだろう。 天界を例えていえば卵。 雛が生まれる時のように、固い殻に微小な罅が入る。それは少しずつ亀裂となり、やがては割れて雛達が出てくる。初めて外を知った雛は初めて見た動物や物体を親だと勘違いする。 そして、刷込みによって付き、従う。 同じように、天界によって護られていた従順で、清浄すぎる天使達は、ずる賢い堕天使達に飲み込まれてゆくだろう。 残った意思を持つ天使達は膨大な数の堕天使達の侵攻に応戦するだろうが、天界まで侵攻してきた堕天使達に恐らく勝てない。 その最初の罅を入れるが、彼女の子だ。 子供の穢れた気が天界のバランスを崩す。 やがては天界の全てが崩れていく。 小さな罪のない命が、大きな厄災を齎す。 しかし、 ウィニエルが地上に残っても、その子はいずれ堕天使の憑代となり、アルカヤを再び混乱へと導くだろう。 それは彼女の気持ちが解消されない限り、高い確率で。 堕天使の祝福さえ受けなければ。 あのウォーロックの子でさえなければこうはならなかったんだが。 アルカヤを救った所で、ウィニエルに帰る場所はない。 ウィニエルは良い子だが、 良くとも悪くとも、未来の混乱は約束されている。 俺の立場上、天界を陥れるわけにはいかない。 天界が崩れれば、他の世界も危うくなる。 ならば、彼女を地上に残すことが一番良い。 そう判断していた。 なのに、 俺は彼女に会うと、逆のことを告げていた。 ウィニエルが天界に帰れるように。 何があっても、俺が護ると。 それは俺の片隅にあった僅かな親心だったのかもしれない。 長年俺を退屈させなかったおもちゃへの感謝の気持ち。 せめてもの、罪滅ぼし。 それとも、やはりただの暇つぶしなのか。 どのみち、期限付きのものだ。 天界で子を産ませるつもりはない。 それに、バレた時点でおしまいだ。 それ以上庇い立てすることは出来ない。 庇うつもりもない。 ウィニエルは面白い天使だ。 あともう少し、楽しませてくれそうだとは思わないか? 今手放すには惜しいだろう? だから、これは決して恋なんかではないのだ。 ◇ しばらくして、堕天使を見事に倒したウィニエルは天界へ再び戻ってきた。 俺という支えなしに、彼女は生きては行けない。 もう、ラミエルは居ないし、 ロディエルも手を離れた。 残ったのはウィニエルだけ。 天界で、俺が囲って誰の目にも触れさせなければ。 特にラファエルやガブリエルに会いさえしなければ、しばらくはなんとか誤魔化せるだろう。 そう考えて、俺はウィニエルを傍に置いた。 天界に帰ってからのウィニエルに封印はもう施さなかった。 効き目もないし、無意味だからだ。 封印した所で、子が居なくなるわけじゃない。 それに、もうウィニエルには封印が効かなかった。 実際は、 彼女が眠っている間試みたが、弾かれたのだ。 自分の意思がそうしたのか、腹の子がそうさせたのかはわからないが、とにかく、効き目がまるでない。 何度も、 何度やっても。 ある時、 ◇ 「ミカエル様、おやめ下さい」 「…………」 ソファでうたた寝をしている彼女に封印を掛け続ける俺に、ウィニエルと仲のいい緑の髪の妖精が止めに入った。 「何、なさってるんですか? ミカエル様は一体何がしたいのですか? ウィニエル様を苦しめるのはもうおやめ下さい」 「俺は、別に、何も」 妖精の言葉にそう告げて、俺は再び封印を施そうとした。 「やめて下さい!」 妖精の小さな身体が、封印を施そうとする俺の手に体当たりを仕掛ける。 「きゃあっ!」 妖精は俺の手に触れると同時、弾き飛ばされた。 微かに何かが割れる音がしたような気がした。 封印の術は他人が邪魔できないように、術中の手に触れると弾かれるようになっている。 「うっ……」 妖精は部屋の壁に身体を強打したようだ。肩を押さえ、四枚の羽の先がそれぞれ歪に拉げている。 「……やめて下さい。これ以上そんなことしたら、ウィニエル様が死んでしまいます。ミカエル様の大切な天使様でしょう? ウィニエル様が亡くなってもいいのですか?」 妖精は先の折れた羽でふらふらと飛んで、ウィニエルと俺の間に割って入る。 「…………」 俺は妖精の言葉に黙り込んでしまう。 効き目がないとはいえ、封印は外からの圧力。 ただでさえ、ウィニエルは腹の子に自分の力を吸われて、一日の殆どを眠って過ごしている程に体力が落ちている。 そこに俺は負荷を掛けている。身体に負担が掛かるのは必至。 ウィニエルの命が消える? そんなこと、考えもしなかった。 何度も掛ければいつか効くかもしれないと思っていた。 封印で死ぬ天使が居るということを、俺は知っていたのに。 「あ……俺は、一体…………」 眠るウィニエルに目をやって、俺は両手で頭を掻き毟った。 ウィニエル。 何も知らずに、俺を頼って天界に戻ってきた馬鹿な子。 ウィニエルは、良い子なのに。 俺の大事なおもちゃなのに。 持ち主が壊そうとしたなんて。 「……わかった。もう、封印はしない」 俺がそう言うと、妖精は静かに頷いて、穏やかに笑ってから気を失った。 俺はその後、妖精の傷を治し、眠るウィニエルの傍に寝かせてから部屋を後にした。 ――それから、彼女に封印をすることをやめたのだ。 封印をやめた途端、ウィニエルは元気になった。 少なからずやはり、体調に影響があったんだとわかった。 そして………… その時は近づいていた。
to be continued…