贖いの翼・番外編4:片恋③ ルディエールside

「どうして、ここに? 寝てなくていいのか?」
「……外が見たくなって」

 俺の問い掛けに彼女は淋しそうに笑った。

「外なら、ここじゃなくても部屋で見れるよ。ここは冷えるから、部屋に戻ろう?」

 俺は彼女の裸足の足元が冷たい石床の上にあったのを見逃したりはしなかった。

 夏とは言えど、朝は冷える。
 床も相当冷たいだろうに。

「……そ、そうですね……」
「…………」

 彼女は俺の言葉にばつが悪そうに目を伏せた。


 出て行こうとしたのかもしれない。
 いや、出て行けるかどうか試みたが、実際には出来なかったんだろう。


 そんなに、俺の傍に居るのは嫌なのか?


 ……マイナスに考えるのは俺らしくないな。

 そう思ってそういう考えはやめにした。


「ほら、ウィニア」

 俺は彼女の腕を引く。

「……痛っ……」

 刹那、彼女が顔を顰める。

「え? あ、ごめん強く引き過ぎた?」
「……っ……いいえ……」

 俺が謝ると、彼女は首を横に振った。痛いのは引かれた腕じゃないらしい。

 ……とすると、

「……足……痛いんだな?」

 俺が彼女の下半身に目をやると、足が小刻みに震えていた。傷が開いたのか、包帯から血が滲んでいる。
 それを確認して、俺は彼女の瞳を見る。

「……っ……」

 彼女は俺と目が合うと、床に視線を落としてしまう。

「……君は馬鹿だ。無理に動いちゃ駄目だって言われただろう?」

 ウィニエルがこの場所から動かなかったのは、ここで、動けなくなったからなんだろう。ここまで来たはいいけど、先にも、部屋にも戻れなくなったんだ。


 もう、戻れない。


 俺も、

 きっと、彼女も。


「はぁ」

 と、
 ため息を一つ吐いて、俺は。


「あっ、あのっ……降ろして下さいっ……」

 ウィニエルが驚いて目を見開いている隙に彼女を抱き上げて、部屋へと連れ戻す。

「しっ、黙って。誰か起きたら困る」
「……は、はい……」

 俺が慌ててそう告げると、彼女は躊躇いがちに黙り込んだ。

 そして、部屋に戻る途中、

「……ルディは、立派な人ですね。羨ましいな……」

 俺の腕の中で彼女がほのかに笑って、そう小さく呟いた。

「……別に立派なんかじゃ……」

 俺は首を横に振るった。

 だって、俺はまだ何もかもが足りていない。


 俺は、

 君に羨ましがられるような人間では決して無い。


 でもいつか、君にそう言ってもらえる日が来るなら、その日まで一緒に居てはくれないだろうか?


 俺はきっと、この先、君にふさわしい男になるから。


 今はとても口に出したり出来ない言葉だけど、いつか、時が来たら。

 そんなことを考えながら、部屋へ着くとウィニエルをベッドへ降ろし、縁に足を掛けるように座らせる。
 そして、傍にあった救急箱からガーゼと消毒液を出して、彼女の前にしゃがみ、血で汚れた包帯を取り去る。

「じ、自分でやりますから……」

 彼女の上擦った声が頭上から降ってくる。


 これくらいはさせて。


 君は、以前傷ついた俺を何度も癒してくれた。
 その恩返しくらい、させてくれ。

「……俺さ、こういうの得意なんだよな。前に旅したことがあって、怪我とかしょっちゅうしてたからさぁ」

 その度に、彼女は慌てふためいて回復薬をくれたんだ。
 戦闘中は魔法で回復もしてくれたっけ。


 そんな話すら、今は出来ない。


 再会したら一緒に旅した時の話を楽しく話し合いたかった。決して楽しいことばかりじゃなくて、辛いことの方が多かったけど、ウィニエルが居たから、俺は最後まで頑張れた。
 貴重な体験も出来た。

 今の俺があるのはウィニエルのお陰なのに。


 お礼すらも、言えない。
 想いを伝えることすらも、出来ないなんてな。


「……少し沁みるぜ?」
「痛っ……!!」


 消毒液が開いた傷に沁みるのか、小さく呟いて、彼女は屈む俺の肩を強く掴んだ。

「…………」

 俺は押し黙って作業を続ける。

 彼女の爪が肩に食い込んで少し、痛い。
 その痛みすら今の俺にとっては、愛しさに変わる。

「……無理に動くからだよ……馬鹿」

 俺はウィニエルの顔を見上げないように努めて、彼女の血を優しく拭う。
 目を合わせたら、きっと口に出してしまう。

「……はい……すみません……」

 彼女に。

 開いた傷の痛みに、泣き声にも似た声色で返事をする目の前の君に、言ってしまうだろう。


 ウィニエル、一体君に何が起こってるんだ?
 俺じゃあ、解決出来ないことなのか?


 そして、


 その上できっと、堪らなくなって君を抱きしめてしまうだろう。
 君が困るのをわかっていながら、その行為が君を追い詰めることになるとしても、何もかも忘れて。


「……他に傷の開いた所はない?」
「……はい……大丈夫みたいです」

 俺は処置を終えるまで、彼女と目を合わさなかった。
 ウィニエルも、俯いたまま俺の処置が終わるまで顔を上げようとはしなかった。
 処置を終えて、救急箱に道具をしまい元の位置へと戻すと、やっと彼女が顔を上げる。

「……ありがとうございます、ルディ。それに、迷惑をお掛けしてごめんなさい」

 ウィニエルは気まずそうに微笑んで、頭を下げた。愛想笑いでも、彼女の笑顔は綺麗だ。

「いや…… 迷惑だなんて思ってないよ。俺に気を遣いすぎだ」

 俺は彼女の愛想笑いに合わせて笑う。

 作り笑いなんて、俺には出来ないと思っていた。

 彼女にわかって貰えない虚しさと、悲しさを抱えながらも、俺は笑顔だった。
 自然に笑っていた。
 心は泣きたい気分なのに、今の俺は何で笑ってるんだろう。

 矛盾してる。

 でも、今は笑顔を返すことが、俺に出来る唯一の許されている行為。


「……ルディ」

 彼女が俺の名を呼ぶ。
 声も、呼び方も変わらないのに、隔たりを感じるのはどうしてだろうか。

 彼女が人間になったから。
 彼女が妊娠しているから。
 お腹の子の父親が俺じゃないから。

 いや、違う。

 彼女が俺を想っていないのが完全にわかったからだ。


 完全に俺の片想い。
 旅をしてた頃は、彼女も多少なりとも想ってくれてるって勝手に思っていた。


 勘違いだったんだ。


 けど、それ程に俺は好きだったんだ。
 そして、俺は今でも彼女を好きなまま。


 伝えることすら出来ない想いを秘めたまま。

「……どうした?」
「あの…… 少し…… 眠ってもいいでしょうか?」

 俺が応えると、彼女は疲れたのか、目を軽く擦った。
 もしかすると彼女も昨晩眠れなかったのかもしれない。

 無理も無い。
 ただでさえ身重の身で、環境が違う場所だろうし、昨日は大変な一日だった。興奮して寝付けなくても不思議じゃない。

「……ああ、構わないよ」

 俺は彼女をベッドへ横たわらせ、上掛け布団を掛けた。

「……すみません。折角来てくれたのに、お話も出来ず……」

 彼女は薄い掛け布団に口元を埋めながら小さく告げる。

「いや…… 俺の方こそ、こんな時間に訪ねてごめん」

 訪ねてなんて来なければ良かったな。
 彼女の負担になるだけだった。

 そう後悔し始めていたけれど、

「いいえ……ルディのお陰で気が紛れました」
「え?」

 彼女は首を横に振って、ほのかに笑う。
 さっきまでの愛想笑い程作られていない、自然な微笑みだった。

 やっと彼女の素直な微笑みに出会えた気がした。

「……実は、恐い夢を見て目が覚めてしまって。それから眠るのが恐くて」

 今度は淋しそうに笑う。
 これも、きっと素直な微笑みなんだと思った。
 愛想笑いも可愛いけれど、やっぱり、素直な笑顔が一番だ。

「恐い夢って…… どんな?」

 俺は訊き返したけれど、

「……それが……、よく、憶えてないんです……ただ、目を覚ますと恐怖感だけが残っていて。でも、今までもよく見ていたので大分慣れましたけど……」

 彼女の布団を持つ細い指が小さく震えていた。

 俺は嘘を見抜くのが上手いんじゃないかと思う。
 というより、彼女が嘘を吐くのが下手なんだろう。


 何度も見ている夢を憶えていないわけがない。


 夢から覚めて、再び眠ろうとするその時に、眠るのを躊躇する震えが来る夢とはどんな夢なんだろう。
 俺がどうにかしてそれを変えてあげられないだろうか。


 夢だけはどうか、楽しい夢を見て欲しい。


 だって、俺は君と過ごした日々の夢を時々見る。楽しい思い出の夢だ。
 夢には続きがあって、旅が終わった後に、二人は笑顔で共に暮らすんだ。

 それは俺にとっての幸福な夢。
 現実は違うけど、夢くらいは都合良くいい夢を見てもいいだろう?

 その夢が、恐ろしい夢だなんて、不幸だ。
 眠るのが恐怖だなんて、俺には考えられない。
 それも、よく見るなんて。

 きっと、鮮明に憶えているんだろう。
 見たくないのに、何度も見ているんだろう。


 話したくないことをひつこく訊くわけにも行かない。

 俺は……本当に何もしてあげられないんだな。


 俺は無力だ……。


「……ルディ?」
「ん?」

「どうかしましたか? ……何だか元気が無いみたいですけど……」

 黙っていると、彼女は心配したように俺を見上げる。

「い、いや? 別に、俺は元気だぜ? ほら、この通り!」

 彼女の言葉に、俺は慌てて「ははは」、と腰に手を当て、空笑いをした。

「……そうですか? なら良いんですけど…… 何だか元気が無いように見えたので……」

 その物言いは、以前の天使の彼女だった。
 俺を心配してくれるのが、不謹慎にも嬉しいと思ってしまう。

 でも、彼女の瞳は眠そうだったから。

「……日が完全に昇るまでまだ少しある。おやすみ」

 俺は少しずれた上掛けを直し、彼女に声を掛けた。

「……はい、おやすみなさい……」

 彼女が返事をした後、直ぐ、すぅ、と、寝息が聞こえた。


「おやすみ、ウィニエル……」


 彼女が寝入ったのを確認すると、俺は無意識の内に声を掛けていた。


 君の身に一体何が起こってるんだろうか。
 君の為に何か出来ないだろうか。

 あの頃のように、頼ってくれていいのに。


 眠る彼女の手を取って繋いでみる。

 やっぱり、以前より温かい。小さくて、滑らかな白い肌。

 もうしばらく、ここで彼女の顔を見ていたい、そう思った。
 彼女の手を繋ぎながら俺も次第に睡魔に襲われ、知らぬ間に眠りに誘われる。


「……ルディ…… 何も聞かないでいてくれて…… ありがとう……」


 俺が彼女の傍らで眠りこけてる最中、ウィニエルが目を覚ましてそんなことを言ってたなんて、この時は知らなかったんだ。


 何を抱えていようとも、やっぱり、俺は君に会えて嬉しい。


 それだけで、今はいい。

to be continued…

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