――その後、すっかり寝入ってしまってサヴィアに起こされ、怒られたことは言うまでもなかった。 彼女はすでに起きていて、車椅子で王宮内の散歩に行ったらしい。 俺の肩に布団が掛けられていた。 起こしてくれればいいのに、と思ったが、これが彼女の優しさなのかもしれない。 そして、 机に書き置きがあった。 『王宮内を散歩して来ます。お昼までには戻りますので心配しないで下さい。お仕事頑張って下さいね。ウィニエル』 「こ、これ……ウィニエル!?」 書き置きを呼んだ俺は彼女を探しに走り出そうとしたんだけど、 「ルディエール王! 皆さんがお待ちです。今日も忙しいんですから、早く用意して下さい!」 サヴィアに止められてしまった。 まぁ……いいか。 途中で空き時間を作って会いに来るなり、今晩にでも、また会いに来れば。 そう考えて、俺は彼女の部屋から出ようとする。 ところが、 「あの、ルディエール王」 「ん? 何?」 部屋から出ようとする俺を、サヴィアはいつもなら急がせる時に呼び止めたりしないのに、今日に限って俺を呼び止めた。 「ウィニエルさんのこと、私に任せて頂けませんか?」 「え?」 「……王自らのご意思でこちらに留まって頂くのは構いませんが、どういった方なのかよくわかりませんし……」 サヴィアが言うことは最もだと思ったけど、俺はこの言葉にかちんと来た。 「彼女は悪い人じゃないよ」 だって、彼女は天使なんだ。今は人間かもしれないけど、元は天使。 悪い奴なんかじゃ決してないし、昨日の態度を見てもわかるように、俺の命を狙って来たわけでもない。 俺はすぐさま言い返したけれど、サヴィアの方が上手だったようだ。 「ええ。彼女は悪い方のようには見えませんが、彼女の素性がよくわからないのは事実です。どちらにしても、私は王の補佐です。王はお忙しい身ですし、その間王がよく知らない者達が彼女の面倒を見るより、王の傍に仕えている私が彼女の面倒を見た方がいいのではないかと思いまして」 「…………」 サヴィアの言うことが全くその通りで、ぐぅの音も出なかった。 本当はさ、俺が見て上げたかったんだ。 でも、現実的に無理だもんな。 「それに、女同士ですし。着替えのお手伝いは王は出来ませんでしょ?」 「う……そ、そりゃまぁ……」 サヴィアが苦笑いを浮かべて告げて、俺は考える。 あの怪我の様子だと、まだ二、三日は一人で着替えも難しいかもしれない。 俺は良くても、彼女は嫌がるだろうな……と思った。 それに昨日、不可抗力とはいえ、彼女の裸を見てしまったから尚更嫌がるだろう。 ……彼女の肌、綺麗だったな。 元々際どい衣装だったけれど、それ以上は想像したことしかなかったから。 あ、い、いつもそんなこと考えてたわけじゃないぜ? ただ、時々、彼女は凄く色っぽい時があって。 だから、 つい、ふらっと考えちゃったりしただけだ。 ……って、何自分をフォローしてるんだか。 あんな形で突然目に飛び込んで来るなんて思いも寄らなかったよな。 けど、 あの肌を誰かに晒していたなんて…… 考えたくも無い。 「……ルディエール王! 何妄想してるんですか!!」 俺が想像しようとすると、サヴィアが刺すような細い視線で俺を見ていた。 「も、妄想なんてしてないよ!!」 そう、妄想じゃなくて、想像だ。 「いーえ! してました! 目がいやらしかったり、鼻の下が伸びたり、首を振ったり。百面相です!」 「そ、そうかぁ?」 「とにかく! ウィニエルさんのことは任せて頂きますから」 「わ、わかったよ! じゃ、俺急ぐから!」 俺はサヴィアに突っ込まれたことが恥ずかしくて、慌てて部屋から出た。 自分の部屋に用意をしに戻る時もやはり、考えてしまう。 “あの肌を誰かに晒していたなんて……考えたくも無い。” いつか、彼女が手に入るなんて思っちゃいないけど、彼女の妊娠の事実がどうしても受け入れがたいのはそこにある気がする。 子供は嫌いじゃないし、好きな方だ。 彼女の子ならきっと可愛いと思うし、好きにもなれると思う。 でも、彼女自身に関しては少し違うんだ。 俺は彼女を純真無垢な人だと思っていたから。 そう、勝手に思っていただけだって、わかったから。 それでも、 彼女の事実を知っても尚、好きなのは、思ってきた時間の所為? もう二度と会えないとわかってて、それでも好きでい続けたから? それとも、ただの意地? 想いが消える前に、再び出会ってしまったから。 書き置きに書いてあった、本当の名前。 もう、嘘はいいのか? 彼女の心境が短い間にどう変わったのかはわからなかったけど、その後は、彼女に会いたくて堪らなかった。 ◇ 「あ、ウィニエル」 「あ、ルディ」 時刻はお昼近くだった。王宮の中庭に通じる廊下で彼女にばったりと出くわす。俺は自分のお付きと、彼女の車椅子を押す、お付きの者に下がるように告げ、下がったのを確認すると、俺は彼女の車椅子を押し始め、中庭へと入る。 木陰まで移動すると、その足を止めた。 日差しが強くて熱いが、昨日より幾分暑さが和らいだような気がする。それに、木陰なら風も冷たくて心地いい。 「……部屋に戻らないのか?」 「そろそろ戻ろうかと思ってたんです。ルディは忙しいんじゃないんですか?」 彼女は自分の背後に居る俺を見上げる。 「うん……すごく。でも少しなら平気だよ。部屋まで送ろうか?」 「いえ……少しお話しませんか?」 俺の言葉にそう応えた彼女は穏やかに微笑んでいた。 「ああ、いいぜ」 俺に断る理由はなかった。 「……私、人間になったんですよ。それに……」 「妊娠してるって……医者に聞いた」 事実を口にするのは認めてしまうようで嫌だったけど、俺はゆっくりと告げる。 「そうですか……ルディは知ってたんですね。私の嘘をわかってて、付き合ってくれた」 「ウィニアって?」 それでも、彼女は俺の気持ちなんかお構いなしに穏やかに笑うから、俺は合わせて苦笑いを浮かべていた。 「ふふっ。咄嗟に出てしまいました」 そう笑った彼女の笑顔は愛想笑いなんかじゃなかった。 「どう考えても、君は君だよ。俺が君を見間違うわけがない」 そして、俺も苦笑いをやめて、彼女を愛しむように笑っている。 決して、彼女に伝わりなどしないのに。 「ルディ……」 案の定、ウィニエルは天使の顔で優しく微笑んでいた。 「何で嘘を吐いたのかはわからないけどさ、話したくなかったら無理に話さなくていいよ。俺、聞かないから」 正確には、今は聞きたくない。 今は受け入れることが出来ないような気がしたんだ。 「……ありがとう。それに、ごめんなさい。迷惑を掛けてしまって」 彼女が掌を重ねて腿に沿え、深々と頭を下げるから、俺は前に回って、両膝を立てて膝まづくと彼女の手を取る。 「昨日も言ったけど、俺に気を遣わないでくれよ。俺、ウィニエルにはすっごく感謝してるんだ。君のお陰で今の俺があるんだしさ」 やっと、真正面から目が合った。 人間になっても、変わっていない。あの頃と同じように綺麗なままだ。 だが、汗を掻いたのか、額に少量、彼女の美しい蜂蜜の髪がへばり付いている。 彼女が天使だった頃には、こんな光景は見たことが無かったな。 天使の彼女が汗を掻いた所を見たことがない。 寒い地方へ行っても服装は変わらないし、鳥肌一つ立ててなかった。白い雪の中で微笑む薄着の彼女は見ているこちらが寒くなる程だったが、同時に雪が日の光に反射して眩しくて、雪の結晶が生み出した奇跡なんじゃないかと思うくらい輝いて見えた。 彼女の美しさは不変的なものだと思っていたけれど、人間になった彼女はこれから、少しずつ変わっていくんだろう。 人間と同じ、時を刻んで生きていくのだから。 そして、俺はそれをやっぱり美しいと感じるんだと思う。 「……いえ……そんなことは……。ルディが立派になっていてくれて、私嬉しいです」 そう告げている間に、俺が彼女の少し乱れた髪を耳に掛けてやると、ウィニエルは顔を赤くして、微笑んだ。 顔が赤いよ、なんて言うと、頬の赤は日差しの所為だと、返されそうだ。 「……本当に?」 俺は、彼女の頬を両手で包むように触れる。 「え? ええ、もちろんです」 「……俺は、君が好きなんだ」 「え?」 突然の告白に、彼女は目を丸くする。 俺自身も驚いていた。 言うつもりなんて全然なかったから。 驚いた彼女の瞳から目を逸らせない。 「……君と一緒に旅をしていたら、いつの間にか君が大事な人に変わっていて。君が地上に残ってくれたらいいと、ずっと思ってた」 言葉達が自由を得たように、勝手に口を突いて出て行く。 「あ……あの……でも……私……」 「好きだよ、ウィニエル。俺は、いつでも君の勇者でありたいと思ってるから。何でも言って」 彼女の言葉を遮るように、尚も言葉達は続いた。 彼女の言わんとすることはわかっていたんだ。 自分は妊娠しているし、この子は俺の子じゃない。 でも、そんなことと、想いは別問題だ。 「え……あ、あの……?」 俺に半ば強引に告白を告げられ続けた彼女は、ただただ驚いてばかりで、何も言えずにいる。 「本当は、キスの一つくらいしたいけど。今はやめとくよ」 俺はそう言って、彼女の頬に軽く口付けをして、ウィニエルから離れて立ち上がった。 「えっ!? あ、あのっ!?」 唇が触れた頬に彼女が手を当てて、俺を見上げる。彼女の顔は耳まで赤かった。 日差しの所為なんかじゃ、決してない。 「……これくらい、許してくれるよなっ!」 自信満々に笑みを浮かべてしてやったりみたいな顔をしたけれど、内心は後悔し始めていたんだ。 ……嫌われたらどうしようかと。 「…………」 ウィニエルは黙りこくって俺を見ている。 二人の間に気まずい空気が流れた気がした。 ところが、 「ルディ様、お時間です。ウィニエルさんも、お部屋に戻りましょう」 丁度いいタイミングで、サヴィアが現れて、 「あ、ああ。じゃあ、ウィニエル、またな」 「は、はい」 俺が一声掛けると、彼女は小さく返事をして俯いてしまった。 大丈夫……かなぁ? 嫌われてなんか、ないよ、なぁ? 心配だ……。 気に掛かることはあるけれど、俺はとりあえず、サヴィアに彼女のことを任せて職務に戻ることにした。 それに、これ以上彼女の顔を見続けることが出来なくて。 一刻も早くこの場から退散したい気持ちだったから、足取りは逃げるように速かった。 俺が去ったその後で、 「……何かありましたか?」 「……いえ……」 「……ウィニエルさんは王とお知り合いのようですね。それも、随分と深い仲でいらっしゃる様子」 「……そう、でしょうか……」 「……少なくとも、王はウィニエルさんをお慕いしているご様子ですわ。でも、そうなりますと……」 「……私には、この子が居れば充分です。あの、もう一つサヴィアさんにお願いがあるんですけど……」 「はい、何でしょう?」 そんな会話が二人の間にあったなんて、 想いを告げたことに、満足と後悔をしていた俺には知る由も無かった。 これは完全に、俺の片思いなんだ。 実ることなど、きっと、ない。 それでも、言いたかったんだ。 だって、俺達は再び出会えたんだから。
end
後書き
はい、次回に続……く??? でも一応、これはこれで完結です。
決して受け入れてはもらえない恋のお話その一でした。
片想いかー……。ウィニエルなんでルディを選ばなかったんだろう~? って、思います(^^;
でも、縁なんて不思議なもんだしね~。
ルディの切なさとかが伝わればいいな~、と思いながら書いてみました。
いかがでしたでしょうか?