何がそんなに楽しいんだろうか。 さっきから僕はかなり失礼なことばかり言っているはずなのに。 怒っていないのか? そういえば、昔から彼女は時々読めない所があったな。 挑発には絶対乗ってこないのに、ふとした時に怒り出したり、泣き出したり。笑い出したり。 変わってると思った。 行動は規則正しいのに、どこか読み辛くて、捉えどころがないというか。 それがかえって気になって。 今がそれの一つだ。 何で楽しそうなんだよ。 「やっぱり、誰かと食べる食事って楽しいですよね」 僕の疑問に彼女は心を読んだかのように答え、尚も微笑み続ける。 「あ、ああ……」 僕は彼女に合わせるように口元をはにかませた。 ああ、そうか。 彼女はやっぱり、淋しいのだ。 一人での食事より、二人で食べた方が楽しいし、美味い。 一人での食事。 僕は旅をしているからそれが当たり前だと思っているし、無理に誰かと食事をしたいとも思わない。 淋しさも特に感じてはいないが、気心の知れた者と食事をするのは同じメニューでもいつもより美味く感じるものだ。 そんなこと、僕にだってわかる。 けど、彼女はこの家で一人で食事をしている。 毎日、自分の分だけを調理して。 恐らく一人で居る時は淋しさをそんなに感じても居ないだろう。 だが、こうして相手が居るとやはり嬉しいのかもしれない。 だからといって僕にどうして欲しいわけでもないのだろうが、楽しそうに答える彼女の笑顔の内に宿る淋しさを、僕は少し読み取れたような気がした。 ウィニエルが望むなら僕が傍に居てやるのに。 そうは思っても、そんなこと口にはとても出せそうにない。 彼女のことは好きだ。 他の男の存在を知っても、好きなことに変わりは無かった。 ただ、 僕にはまだ、彼女の腹の子を受け入れられるような器がない。 以前はまだ、彼女の身体に変化が無かったから、何とか誤魔化せていたんだ。 さっき、偶然会うまでは、自分の気持ちを誤魔化せていた。 だが、今の僕は明らかに動揺している。 軽々しく、好きだなんて言えはしない。 あの男もそうなんじゃないのか? 赤い髪の男。 あいつは一体……。 「あ……そういえば、さっきのあいつ……債権者って?」 僕は思い出したように彼女に訊ねていた。ここに来る前に、彼女はあいつが債権者だと言っていた。 一体どういうことなんだ? 「はい、お金をお借りしてるんです」 ウィニエルが向かい合った僕に素直に答えた。 その態度がさっきはただ腹が減っていただけで、答えたくなかったわけじゃないとわかり、僕は安心した。 「その話、詳しく聞かせてくれないか?」 そして、気付いたら訊き返していた。 「えっと……私、この家を建ててもらったんですけど、その支払いと、当面の生活費を彼に借りていて。この子が生まれてから少しずつ返済することになっているんです」 僕の問いに彼女は恥ずかしいのか、上目遣いに僕を見て、頬を軽く指先で掻きながらはにかんで、告げた。 「……そうか、じゃあ……僕と同じだな」 「え?」 「僕も借金がある」 僕は彼女との共通点を見つけたことが嬉しくて、つい、顔を綻ばせた。 だが、次の瞬間、 「え!? また借金したんですか!?」 「違うっ! 前のだ!!」 僕からぽつりと出た言葉に、彼女がそんなことを言うから、僕は慌てて訂正をした。 今は以前のような悪さはしていない。借金だって、ちゃんと返済している。 自分の犯した過ちは自分で責任を取らなければならない。 その責任が果たされるまで、聖都には帰らないって、決めてるんだ。 “全て返し終えたら帰る” そんな物質的で単純なものじゃなくて、 自分に全ての責任が負えるような心持ちが出来るようになったら、戻るのかもしれない。 今はまだ、それを探してる途中なんだ。 僕が全てを受け入れられるようになれるか。 教皇に本当にふさわしいのか。 まだ、受け入れられない。 目の前の君の事実、現実を。 「……そうですか。ロクスは立派になりましたね」 ウィニエルが天使の笑顔を僕に向けると、いつの間に食事を終えたのか皿を持って立ち上がった。 そして、僕に背を向け、すぐ傍の流し台に皿を置いて、今度はお湯を沸かし始めた。 今の微笑み、なんて微笑みだろうか。 春の温かい陽射しにも似た、僕の好きな彼女の笑顔だ。 彼女の背に目をやると、純白のエプロンのフリルが交差して掛けられ、腰元にリボンが結んである。 翼はもうないのに、そのフリルが翼に見えた気がした。 「……ウィニエル……」 翼などなくても、やはり、彼女は天使なのだと思った。 優しい彼女の微笑みが、勇者としての僕のその後を見届けて、それに安心してくれたような気がしたんだ。 それは、慈しみの微笑み。 彼女は僕に恋はしなかったけど、僕を想ってはいてくれていた。 「今、コーヒーを淹れますね」 ウィニエルが頭上にある食器棚の扉を開ける。 「ああ、すまない」 僕は彼女の背を見つめていた。 彼女は僕を少なからずも想ってはいてくれた。 それなら、 僕に全く、脈がないわけでもないとは思わないか? 諦めるわけには行かないんだ。 往生際が悪いのは今に始まったことじゃない。 「えっと……こっちの方に確かコーヒーカップが……」 ウィニエルの踵が床を離れ、彼女は爪先立ちでカップを探し始めた。食器棚の端にカップがあるのか、お腹が流し台に当たって、思うように手が届かないらしい。 「お、おい、ウィニエル大丈夫か?」 僕は覚束ない彼女の足元を見て思わず立ち上がった。 「え? ええ…… あっ!?」 「ウィニエル!!」 僕の声に振り向いた拍子、彼女はバランスを崩して、その身体が床へと落下してゆく。 僕は咄嗟に手を伸ばしていた。 床に触れようとする彼女の肩に僕の腕が滑り込む。 「君は馬鹿か!? 自分が今どんな身体なのかわかってるのか!?」 気が付いたら彼女を怒鳴りつけていた。 床に落ちる既の所で腕に彼女を受け止めたはいいが、僕の腕は急な圧迫を加えられた所為で痺れを感じ始めていた。 僕は腕自慢タイプじゃない。 女性の非力さには勝るが、片腕一本で女性一人を支えるのは気構えなしでは難しい。 ああ、 ほら、痺れが。 腕が笑ってる。 でも、放すわけにはいかない。 「……ご、ごめんなさい……」 ウィニエルは転んだことに驚いたのか、僕に怒鳴られて驚いたのか、胸の前で腕をクロスさせて身体を硬直させ、目を丸くしながら呟いた。 「……はぁ……か、カップなら僕が取ってやる」 僕は床に膝を着け、息を大きく吐いてから彼女に告げたが、僕自身も咄嗟のことに驚いていたようで、その声は上擦っていた。 「……ロクス……」 僕の様子にウィニエルは申し訳なさそうに微笑み、クロスした手を放して片手の甲で僕の額に触れる。 額に触れた彼女の手が離れると、その手の甲から彼女の頬に透明な雫が飛び、付着した。 どうやら、僕は汗を掻いていたようだ。 「……ウィニエル……」 「……ありがとうございます、ロクス。あなたは優しい人ですね」 彼女は自らも掻いた額の汗を僕に触れた同じ手の甲で拭いながら、僕を見上げて優しく微笑んだ。 こんな笑顔を見せられては怒る気が失せてしまう。 彼女の頬に僕の汗が触れている。 彼女の手の甲で、僕の汗と彼女の汗が交ざる。 痺れで笑った腕から彼女の温もりが伝わって来る。 多少汗ばんだ項から彼女の香りが香る。 それはごく僅かで、濃密な接触。 ウィニエルは動こうとしなかった。 長い時間この体勢でいることは不可能なのはわかってるが、彼女を放したくない。 その態度は僕にそう思わせるよう促している。 僕が君を想っているから? 一人が淋しくなったから誰でもいいと? 一時淋しさを埋められたらいいのか。 だから、僕を誘うのか。 君の態度は僕を誘惑しているとしか、思えない。 そう思ったら無性に腹が立って来た。 今は人間とは言えど、昔は天使だった。その天使が誘惑するとはな。 厭きれて笑ってしまう。 それに引っ掛かりそうになった僕も僕だ。 「くくくっ……君は、僕を馬鹿にしているのか?」 僕は自分が情けなくなって首を横に振った。 「え……?」 頭する間、ウィニエルはわけがわからないという顔で、僕を見上げる。 「……僕が君の望む通りに動くと思うのか?」 「? 何のことですか?」 僕の静かな怒りに、彼女は知らない振りをして首を傾げた。 「僕は、君の思い通りにはならない。君が僕の思い通りになればいいんだ」 「え?」 僕が告げた後、ウィニエルは尚も不愉快な受け答えをするから、僕は彼女の片手を掴んで無理やり唇を押し付けてやった。 「んむっ!?」 彼女が目を見開く。 だって、どうしようもなかったんだ。 この場合、僕はどうしたらいい? 耳を掩いて鈴を盗むしかないだろう? 「んんっ……!! んーっ!!」 彼女の拳が僕の胸に何度も当たる。 唇も僕から逃げるように放そうとするが、僕は構わず小さな唇の壁を自らの舌で抉じ開け、彼女の口腔内にそれを這わせた。 「うぅっ……やっ! やめっ……てっ!!」 彼女の拒絶の声と一緒に僕の耳に乾いた破裂音が木霊した。 頬が次第に熱くなる。 僕は彼女に頬を引っ叩かれたようだ。 ――それで、目が覚めた。
to be continued…