贖いの翼・番外編7:空腹② フェインside

「……どうやって出ましょう?」

「ああ……そうだな……」

 ウィニエルの問いに俺が答えると、刹那この場に似つかわしくない音が聞こえた。

 ぐきゅ。
 ぐぅ。

 胃液が波打つ感覚が俺の腹に生じる。

「…………」

 ウィニエルが俺を見下ろす中、気まずい雰囲気が漂って、俺は黙り込んでしまう。

「……そういえば、お昼まだでしたね……大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」

 ウィニエルは俺の気まずさなど気にも留めずに、俺を心配して訊ねる。

「私は食べなくても平気ですけど、フェインはそうも行かないですよね…… 何か……食べる物は……」
「……そうだな……まずは灯りを点けるか」

「あ……そうですね。すみません、灯りのこと気が付かなくて」
「いや……」

 俺はウィニエルの言葉にはっとした。

 そういえば、灯りを点すのを忘れていた。
 確か、荷物にカンテラが入っているはずだ。
 持っていたのに、今の今まで気が付かないとは。

「こんなに真っ暗じゃあまり役に立ちそうもないが、無いよりはマシだろう」

 そう告げて俺は彼女の膝から頭を起こし、手探りで自分の荷物を探った。

「……あった」

 荷物を探り当て中からカンテラを取り出す。それから、マッチも探し出して、まだ凍えの残る覚束ない手で火を点火させた。

「あ、点いた……良かった……ふぅ」

 一瞬、火の傍で闇の中のウィニエルの顔が見えたが、火はカンテラに移される前に消えてしまった。

「……ご、ごめんなさい。私今息を吹きかけてしまったかもしれません」
「……いや、大丈夫だ。マッチならまだある」

 慌てたような彼女の声に俺はもう一本マッチを取り出した。

「……いいか?」
「はい、大丈夫です。今度は息止めてますから」

 ウィニエルの返事を聞いて、俺は再びマッチを擦る。
 すると、僅かな灯りに照らされたウィニエルの顔が頬を膨らましているのがわかった。

 小さな炎が揺らめきながらカンテラへと吸い込まれていく。
 カンテラに収められた炎は小さいながらも、俺とウィニエルを照らした。


「……良かった。無事に灯って」


 先程まで全く見えなかったウィニエルの綺麗な顔が見える。
 彼女の目が俺と合うから、彼女も俺の方を向いているのがわかった。 

 このカンテラがあれば一、二メートル四方なら何とか見渡せそうだ。

「やはり……牢か何かだな……」

 俺がカンテラを手に辺りを見回すと、遠くまでは見通せなかったが、石床が続いているのがわかった。薄っすらとだが、目を凝らせば黒く、鉄格子のような影が見える。
 牢ならば雑居房なのだろうか、随分と広く感じる。

「そのようですね……」

 ウィニエルの方に向き直ると、彼女の背後に石が積み上げられた壁が見える。角も僅かに見えるから、この場所が部屋の中央ではなく片隅だということがわかる。
 だが、やはりここはどこか異質で、カンテラを宙へ持ち上げ見上げても、灯りは俺とウィニエルを照らすだけで、天井は見えない。

「…………」

 俺は宙を見上げ何か見えないかと、真の闇の中に目を凝らす。
 俺の様子に「どうかしましたか?」とウィニエルが訊ねるから、俺は彼女にカンテラを持たせ、立ち上がった。

「いや……何か明かりが見えないかと思ったんでな」

「……見えないですよ。今は夜ですから」

 座ったままの彼女は俺を見上げて頭を振るう。
 そして、「昼間の間だけ、真上に光が少し見えていたんですが……」と付け加えた。

 そういえば彼女は俺の意識が無い間、ずっと一緒に居てくれたのだった。
 光が上空に見えたのなら俺と一緒に居る必要はなかったんじゃないのかと、ふと疑問が過ぎる。


「ここは……井戸の底か……?」


 井戸の底ならば、ウィニエルが俺に付き合うことはない。

 君は飛べるのだから俺など放って、飛んで行けば良かったのに。
 と思ったが口には出さなかった。

 一緒に居てくれたことが今の俺にとっては何より心強いのだから。
 堕天使を倒さないままに、こんな場所で無駄死になどしたくはない。

「……いいえ、わかりません。フェインが眠っている間、光に向かって飛ぼうと思ったのですが全く飛べなくて」

 俺の問いにウィニエルは立ち上がって翼を羽ばたかせるが、彼女の足が浮くことは無かった。

 どうやら堕天使がウィニエルの力を封じているようだ。
 この空間に閉じ込め、俺達を外へ出さないようにしている。

 この場所から出るにはどうしたらいいものか……。

 ぐぅ。

 考えを巡らせる俺に、再び胃が音を立てた。
 こんな時に、なんて間抜けなんだろうか。

 俺は腹を覆うように腕を添え、その場に胡床をかいて座り込む。

「…………」

「……フェイン、私何か探して来ます。ここを動かないで下さい。カンテラ、お借りしますね」

 気まずく黙り込んで彼女から目を逸らす俺に、ウィニエルはカンテラを手に歩み始める。
 朧な灯りが俺から外れて行く。

「ウィニエル」

 それを制止させるように、俺は彼女の腕を引いた。

「はい?」
「無闇に動かない方がいい。逸れたら出られなくなるぞ?」

 俺の言葉に彼女は動きを止め、

「え……あ、それもそうですね。でも……フェイン、お腹空いているのでしょう?」

 ウィニエルは至極真面目な顔で俺を見下ろした。

「……腹ぐらいなんてことはない。それに、この場所に食物があるとも思えない」
「あ……そうですよね。私、うっかりしてました」

 俺が腕を引くと、ウィニエルは俺と向かい合うようにして、カンテラを二人の間に置き、両膝を着いて座った。

「一先ず、ここから出る方法を考えた方が良さそうだな。食事はその後だ」
「はい」

「ここに落ちた時に何か気が付いたことは?」

 無闇に空間内を歩き回るより、先ずは現状の把握が必要だった。俺が気絶していた間のことは彼女に訊くしかない。そこにここから脱出するヒントがある気がする。

「気が付いたこと……? ええと……」

 ウィニエルは顎に人差し指を当てて、宙を見上げた。

「何でもいい。人影を見たとか、壁の一部がおかしかったとか……無かったか?」
「うう~ん……そう言われても……」

 俺の問いに今度は視線を床に下ろし、首をゆっくりと何度か左右交互に傾げる。

「君の記憶だけが頼りだ」
「はい……」

 俺が告げると彼女は必死に何かを思い出そうとしていた。

 その瞬刻、


「ハックション!」


 静かな空間に俺のくしゃみの音が響いた。

 この空間の寒さに負け、俺はくしゃみをしてしまったのだ。
 そして、それを目の前にいる彼女に吹き掛けてしまう。

「…………」

 突然のくしゃみに驚いたウィニエルは、瞳を見開いて数回大きく瞬きをした。

「……ああ、すまない」

 俺は彼女に近付き、上着の裾で彼女の顔を拭う。

「いえ、大丈夫です」

 彼女は大人しく俺に顔を拭かれると、何事も無かったように微笑んだ。
 俺もつい、釣られて微笑み返す。

 心地よい静かな時間が互いの間に流れた気がした。

 ここは、堕天使の造り出した空間。
 真の闇だというのに。

 こんな暗闇の中にこんな穏やかな時間があるなんて思いもしなかった。

「フェイン、寒くはありませんか?」
「……ああ」

 彼女に訊ねられて、俺は答える。

 すぐ傍に彼女が居るから、俺は頭を振っていた。
 彼女の香りがわずかに俺の鼻腔を擽る。これ以上近づけば俺の理性が保てない。

 俺が寒いと言ったら彼女は俺を抱きしめるだろう。

 堕天使の罠に嵌ったこの非常時に、そんな気分になるはずもない。


 堕天使がどこかで見ているかもしれないこの空間で?


 いや、
 かもしれないじゃなく、奴はどこかで必ず見ている。
 この空間のどこかで俺達の様子を窺っているはずだ。


「はっくしょん!!」


 また、くしゃみが出た。
 やはり、寒い。

「……フェイン、やっぱり寒いんですね?」

 ウィニエルが床に膝を着いたまま、俺の首に腕を回して抱きついて来る。ほんの僅かだが、石床の冷たさなどに影響されない彼女は今の俺より遥かに温かい。

「……ウィニエル……」

 俺は静かに彼女の背に腕を回す。

「風邪でも引いたら大変です」

 耳元に彼女の声が聞こえた。

「……ウィニエル……君はいつも良い香りがする……」

 彼女の髪から甘い香りが馨って俺は目一杯それを吸い込む。

「……え?」

 彼女の声が聞こえたが、さして気にならなかった。

 俺を落ち着かせる優しい香り。
 この香り……、ジャスミンの花に似ている。

to be continued…

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