贖いの翼・番外編7:空腹⑤ フェインside ★

「……あ、そうだ」
「え?」

 俺はあることを思いついて、飴玉を歯で咥えた。

「? どうしたんですか? ……?」

 彼女は俺の行動を意識がぼやけたような顔で見ている。

「……こうふる……」

 俺はウィニエルの手首を捕まえ彼女の身体を引いた。

「……んっ……?」

 彼女の耳裏に唾液に塗れた飴玉を這わせ、首筋、鎖骨へと俺は唾液を絡めながら飴玉を沿わせていく。
 彼女は飴と俺の唇が僅かに触れる感覚を静かに受け止めていた。

「……何か、ベタベタします」

 俺の唇が彼女から離れると、彼女は飴が通った道を指でなぞった。

「……ああ」

 カチ、カララ。

 床に軽快な小さい音が湧く。
 俺の口から飴玉が零れ、床に落ちたのだ。

 飴が落ちた音と同時、生温かい風が俺達二人の間を通り過ぎていく。
 同じくして、俺は赤い舌を出し、彼女の耳裏、先程飴を塗り付けた場所へとそれを向かわせる。

「あっ……フェインっ!?」

 耳朶を甘噛みしながら、苺の味がする耳裏を味わうように舌を左右に蠢かせた。
 そして味を辿るように首筋、鎖骨へと舌を這わせていく。

「んふぅ、はっ……」

 彼女は声を漏らす。

「フェイン……一体何……」

 ウィニエルは俺にされるがままの状態で訊ねてくる。

「ああ、腹が減ったからな」
「え? あ、ううん……」

 俺は彼女の問いに答えながら、彼女の飴のついていない方の首筋、鎖骨までも嘗め回す。

 腹が減ったから、何か食べようと思ったんだ。

 君を食べようかと。


 甘くておいしい苺味の君を。


 それで空腹が満たされるわけじゃないが、食欲か性欲、どちらかが満たされればいい。

「あっ……フェイン……また、大きく……」
「ああ……もう一回出来そうだな」

 いつの間にか彼女の中に留まっていた俺が再び大きく膨れ上がっていた。
 俺は軽く腰を突き上げる。

「……ンンッ……ん……? あ……この香り……」

 ウィニエルが甘い声を上げた後、何かに気付いたように告げたが、俺は構うことなく更に激しく突き上げた。

「はぁっ……やっ……フェインっ」

 彼女は俺の肩を掴んで、自らも腰を動かし始める。

 彼女が上下する風圧に混ざって、甘い香りが抜けていく。
 俺を酔わせるような誘惑の香り。


 薔薇だ。


 薔薇の匂い。


 それが少しずつ薄れていく。


 俺は不思議に思っていた。


 彼女の髪の香りは確かジャスミンに似た香りだった。
 俺を安心させ、包み込む香り。

 だが、今馨ったのは薔薇の香り。


 闇に落ちたときに嗅いだ気がする。
 彼女も何か思い出して、何度か言おうとしていた気がする。


 薔薇の香り。
 誘惑の匂い。


 堕天使が放った芳香だ。

 今気付いても既に手遅れだ。
 俺達はまんまと堕天使の策に嵌ってこうして腰を動かしている。

 彼女と繋がったままもう随分経っている気がする。
 繋がったまま永遠にこの空間から出さないつもりなのか。

 何度も行為に及ばせ、俺達を堕落させ、疲れさせ、死に至らしめるつもりなのか。


 だが、香りは薄れてきている。
 生温かい風が俺達の間を吹き抜けて。


「んっ……ああっ……」


 緩い液体が混ざり合う音が聞こえる。
 木々の風を撫ぜる音が僅かだが耳に入ってくる。

「あっ……ウィニ……」
「んんっ……フェインっ」

 彼女が俺の頭を抱いて、熱い息を頭皮に漏らした。
 俺はそれを感じながら、べとついた彼女の鎖骨に吸い付き、彼女から与えられる心地よい締め付けと温かさに、天にも昇る至高の快楽へと向かう。

「フェ、イ……い、いっしょ……」
「あ、ああ……」


 一緒に。


 彼女は太腿を軽く痙攣させながら、俺を強く扱いていく。

「っ……あっ……ウィニ……」

 俺の声がくぐもりながら、彼女の胸元に漏れた。

「あぁっ」
「くぅっ!!」

 声の直ぐ後、俺達は互いに震えながらきつく抱き合う。

 二人の声。
 その声はほぼ、同時だったと思う。



◇


 しばらくして。


「……はぁ」

 彼女の口からため息が零れた。

「……疲れたな」

 “それに……”

 付け加えようとした途端、


 ぐぅ。

 とまた腹が鳴る。

「あ……」

 ウィニエルが俺の腹を見る。

 どうにもよく鳴る腹だ。
 一体何なんだ。

 そういえば、今日は朝から本を読み耽っていて朝飯も食べていなかった。

 道理で。

「……腹が減った」

 俺は妙に納得してから告げた。

「ふふっ……そうですね。ん? ……あ、ここは……」

 ウィニエルが辺りを見回し、何かに気付く。

「ああ、もう随分前からだが」

 俺はもうわかっていたから、そう応えていた。

「……森の中……?」

 彼女が告げると闇の中に夜の森が広がっていた。
 森の中奥深く、大木に背を凭れながら座っている俺の膝に彼女は留まったままだったが、繋がりは絶っている。
 彼女の座る俺の太腿の表には彼女のぬくもりが、臀部や太腿の裏側にはに草の感触と冷たい土の感覚がしていた。

 それは先程から感じていた。
 飴玉が床に落ちてからずっと。

「飴が落ちた音であの空間のバランスが崩れたようだ」

「まあ……」

 ウィニエルが口をぽかんと開けて俺を見た。

「戻ってたなら言ってくれればいいのに」

 子猫のように俺に縋り付いて来る。

 どういう術かはわからないが、あの場に不似合いの物の立てた音が弾けた拍子に術が解けるようになっていたようだ。
 それがたまたま彼女の持っていた飴玉だった。

 今日は運がいい。

 堕天使の罠には嵌ったが、彼女に護られていたし、術を解く方法を探す前に解けたし、

 何より、また彼女と過ごせた、繋がり合えた。
 丸一日と言ってもいい。
忙しい彼女が丸一日俺と過ごすなんてあまりないことだ。
 俺への訪問は他の勇者達に比べれば多い方だと、妖精は言っていたが。


「……君は可愛いな」

 俺は彼女の背を強く抱きしめる。

「……あ、あの……フェイン」
「ん?」

「堕天使は……」

「ああ……もう気配を消した」

 彼女が耳元で不安気に訊ねるから俺はウィニエルの頭を撫でながら告げてやった。


「そう……ですか。良かった……見られていたからちょっと気になってたんです」

 ウィニエルは小声で告げる。

「……ん?」
「……フェインって……見られるの平気なんですね……というより……その方が……、…………」

 耳元で話す彼女の語尾がよく聞き取れない。
 怒っているのかはわからないが、少し感情的に声がくぐもっている気がする。

「……どうしたんだ?」
「……いえ……何でもないんです」

 俺が彼女の手首を取り、腕を俺から引き剥がして向かい合うと、カンテラの灯りに彼女の赤い顔が映し出されていた。

「? ウィニエル? どうしたんだ?」

 俺は再び訊ねる。
 彼女は押しに弱いから何度も訊けば応えてくれるはずと踏んで。

「……フェインて、見られてると興奮するタイプなんですか?」
「ん? な、何で?」

 ウィニエルは答えてくれたが、その返答に俺は目を丸くした。

 見られていると興奮?
 どういうことだ?

「……だって今日……痛かったから……いつもより大き……、あっ、いえっ、何でもないですっ!!」

 ウィニエルは言いかけて、俯き掻き消すように激しく頭を何度も振る。


「……っ……」


 彼女の言葉に俺は絶句していた。

 た、確かにいつもより興奮はしていた気がする。
 それが俺自身にまでも影響していたとは。

 彼女の中がいつもよりきつく感じたのはその為だったのか。

 彼女が痛がったのは俺の所為だった。


「……フェイン?」


 黙り込む俺に彼女は真っ直ぐにこちらを見据えてくる。

「……すまなかったな。もう、痛くないか?」

 俺はほんの少しだけ罪悪感を感じていた。

 俺は卑怯者で、罪人だから。
 天使を抱いた罪。
 抱かれた天使も罪になるのかもしれない。

 ならば、出来るだけ。

 出来るだけ彼女には快楽だけを与えてやりたい。
 俺に抱かれることを望んでいるとはいえ、苦痛など微塵も感じさせたくはない。

 時々、矛盾していることもあるが、そう思っている。


「……はい、痛くないです。私は大丈夫ですよ」

 彼女が健気に微笑みながら俺の頬に軽く口付けをする。

「……ウィニエル……」

 俺は再び彼女の背を抱きしめる。

 いつの間にか翼は隠されて、彼女はすっぽりと俺の胸に納まっていた。

 どうしてこうも彼女は俺に甘いのか。
 そして俺は図に乗り、また彼女を抱きたくなる。

 その繰り返しだ。

「……あまり、甘やかさないでくれないか?」

 本当は俺を甘やかしていて欲しかった。
 そのまま、目の前の現実に一人で向かわせないで欲しかった。

 セレニスと共にもう逝くことは出来ない。

 それに、

 恐らくもう、一人では堕天使に立ち向かえはしない。

 だが、俺はウィニエルを愛してはやれないから。


 ……そう言うしかなかった。


「え? 何がですか?」

 ウィニエルの声が耳元に聞こえた。


「あまり甘やかすと、俺は……」


 きっといつか、君無しではいられなくなる。
 都合良く俺に抱かれてくれる君を手放せなくなる。

 堕天使を倒し、天界に還る君を見送っても、天界に還るなの一言も言えないまま。

 手放したくなくなってもきっと言えない。


「……すごく、良かったです。フェイン」

 俺の気迷いを打ち消すように彼女は告げた。

 「え……」と俺が返すと、

「……見られてると思ったら恥ずかしくてしょうがなかったんですけど、私も何だか変に興奮してしまって……」

 続けて、

「……フェインも良かったのでしょう?」

 楽しそうに耳元に囁く。

「ウィニエル!?」

 俺は彼女の言葉に驚いて声を上げた。

 時折彼女は想いも寄らないことを言ってのける。
 無邪気に笑って。

 それに俺は揺られてしまうんだ。

 その後で、


「……けど、やっぱり二人きりの方がいいです」


 今のように二人だけで。


 そう言った気がした。


 ウィニエルが俺の肩に顔を埋め、頬を摺り寄せる。
 子猫のようなその仕草に俺は先程の考えに蓋をした。


「……なぁ、ウィニエル」
「はい?」


「もう、行ってしまうのだろう? 明日、また来てくれるか? 街で待ってるから」


 そうしたら、

 一緒に街を歩こう。
 そして、食事をしよう。

 それから……


「……はい、必ず行きますね」

 頷くように彼女は頬をまた摺り寄せた。


 ぐぅ。


 とまた性懲りも無く俺の腹が鳴っている。

「……ふふっ」

 ウィニエルの肩が微小に震えて、彼女は俺から離れる。


「無事に街に着きますように」


 天使が俺を見下ろし、額に口付けを落とすと、彼女は背に翼を再び現した。
 同時、カンテラの灯りが燃料切れで消えたが、彼女の背後に白い満月が穏やかに、翼を青白く輝かせて照らす。
 そして、瑞々しいその翼を彼女は羽ばたかせ、俺を見つめながら「では、また」と頷くように微笑みながら首を縦に下ろした。


「…………」


 俺は何も言わなかった。
 いや、言葉が出なかった。

 ただ見ているだけだった。

 彼女の足が地面から離れ、宙へと浮く。
 優しい笑みを浮かべながら。

 そして彼女は中空高くまで上がると、その姿を消した。


 ……女神かと思ったんだ。


 俺の全てを許し、慈しみ、包み込んでくれる温かな存在。
 愛することは出来ないはずなのに焦がれてしまう。


 彼女といつか別れる時もそう思うのだろうか。
 何も言えずにそう思うのだろうか。


 ぐぅ。


 ……また、俺の腹が鳴っている。


 なぜ邪魔をする?


「……パンがあったな」


 俺は荷物の中からパンを取り出し、齧った。

end

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後書き

 フェインさん……パン持ってんじゃーん(笑) まぁ、旅をしてるなら食料は持ってるのが当たり前?

 食欲と性欲ってどっちが強いんだろう!? ってお話でした。
 結局どっちかはわからなかったが(笑)
 まぁ、実際は食欲でしょうね。食べ物のない飢餓状態にある時、セックスしようなんて思わんだろ(汗)

 ウィニエルを食べたかっただけ?

 本編第五話の中途付近でしょうか。
 久々にえっちを書いた気がします。愛してるとか好きだとか決して言わない二人ですが、ラブラブな感じに仕上がったかと。

 ちょっと「はぁ?」的な台詞も多々ありましたが、それくらいないとやってられないので、ご愛嬌ってことで。
 小道具多いし、季節が秋~冬だからしょうがないとはいえ、フェインさんくしゃみしすぎ。
 番外編1でもしてましたね。今回は腹の虫…(^^;

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