◇ 「ウィニエル?」 「……ママ? 何で泣いてるの?」 前を歩いていたミカエル様とフィンが立ち止まり、私の方へと向き直る。 気が付けば私の頬に生温かい雫が一滴伝っている。 「ううん、何でもないの。ただ……あなたはパパに似てきたと思って」 「……パパ?」 俯く私の足元にフィンが縋り付いて、私は鼻を軽く啜ってからその子を抱き上げた。 「お……」 ミカエル様が何か言い掛けてやめた。 「……うん。ママの大好きな人」 私はフィンの耳元に囁く。 「……ぼくは?」 「え?」 フィンが不意に私の首に縋り付いて来る。 「……ママの好きな人は、ぼくだけじゃないの? パパなんか……」 首に縋り付く一瞬、フィンの顔を見ると、頬を赤く膨らまして瞳に涙を湛えていた。 フェインのことはまだ、ほんの少ししか話していない。 彼がとても立派な人であるとか、事情があって会えないとか、その程度のことだけ。 彼が亡くなったなんて嘘は吐けない。 嘘でもそれは言いたくなくて。 名前もまだ教えていない。 まだ小さなフィンに事実を全て話すことは難しい。 もう少し、大きくなったら徐々に話していこうと思っている。 アイリーンもそうした方がいいだろうって、後押ししてくれたし。 「フィン……うん。そうね、フィンだけ」 私はフィンの小さな身体を抱きしめた。 フィンが小さいなりに、私のことを考えてくれているのがわかる。 私が淋しそうにしてると、直ぐに駆け寄って寄り添っていてくれる。 小さな手で私を包んでくれる。 いつでも。 あの人に惹かれ続ける私に少しむすっとした顔で、フェインの面影をその瞳に宿しながら。 そして、 「…………」 ミカエル様は何も言わずに私とフィンの様子を見ていた。 表情を窺い見ても無表情で、何を思っているかはわからない。 ただ、「道の真ん中で立ち止まったら危ないぞ」と、フィンを抱く私の背を、人々の流れから遮るように守ってくれていた。 ◇ ――次の日。 今日は、アイリーンが訪ねて来てくれている。 フィンはアイリーンと遊んだ後、疲れたのか、ソファの上で眠っていた。 「ねぇ、ウィニエル。フィンってさ……」 「はい?」 私とアイリーンが向かい合い、紅茶を飲む。 「フェインにそっくりだよね……」 アイリーンは眠るフィンの方をちらりと目をやってから私に告げた。 「……ええ……本当にそっくりで……」 私は相槌を打つようにフィンを見つめながらそう応えたのだけど、 「……ウィニエルはまだ、フェインのことが大好きなんだね」 「え?」 アイリーンの口から笑みと言葉が零れ、私はアイリーンの方へと向き直った。 「フィンにフェインを見てる目、してるよ?」 少し悪戯にアイリーンはほくそ笑み、目を細めて私を窺う。 「……っ……」 私は反論出来なかった。 フィンにフェインを求めることはしてはいけないことなのに、私は時々あの子に彼を探してしまう。 「私的には嬉しいからいいんだけどさ、フェイン、結構重症なんだよね。手に負えないっていうか」 アイリーンはため息混じりにそう告げた。 「ねぇ、ウィニエル?」 「…………」 アイリーンは最近の私の様子に気が付いているのか、フェインのことをしきりに話す。 でも、 この頃やっと仕事にも復帰したって聞いたはずなのに、どうして重症なのだろう? 手に負えないってどういうこと? 彼が辛いなら、今すぐにでも飛んで行きたい衝動に駆られる。 それは人間になってからいつもそう思っていた。 理性とは別の本能の部分で。 けれど、フィンを思ったらそれは出来なくて。 フィンを拒絶されるかもしれない恐れと、責任感のみで彼を縛りたくないから出来なかった。 フェインの様子が変だということは聞いている。 私の所為だということも、わかっている。 それでも、今の私は何もしてあげられない。 何の力も持っていない私が彼に何をしてあげられるというの。 一言の相談もなく子供を産んだ自分勝手な女を、彼は許してはくれないでしょう? 私を少なからず今も想ってくれているのはアイリーンに聞いて知っているけれど、もし彼と再会したら、私はフェインの意のまま。 私は彼に逆らえないから。 そうしたら、フィンはどうなってしまうのだろう。 フェインと居る時、私は女で、 フィンと居る時、私は母親。 正直最近よくわからない。 フィンにフェインを見る度、泣きたくなる。 涙は天界に置いて来たはずなのに。 彼に会いたくて堪らなくなる。 「……そろそろ、会ってもいいんじゃないの? 一人だと大変でしょう?」 「…………」 アイリーンの言葉に私は返事が出来なかった。 「……淋しくないの?」 「…………」 彼女の言葉に私は何も言えずに俯いて振り払うように何度も頭を振る。 「ウィニエルは頑固だねぇ……」 「……ごめんなさい」 「……別に、いいよ。あなたの気が済むまで待ってあげるからさ」 「とりあえずは、効き目あるみたいだしね」と付け加え、アイリーンはカップに添えた私の左手に視線を投げ掛けてから、ふぅと息を吐いた。 左手の薬指に彼から貰った銀の指輪が嵌っている。 以前は右手にしていたけれど、アイリーンが左手に嵌めるものだと言うから、付け替えた。 それ以降、ルディやロクスから結婚の話は出なくなった。 何か特別な意味があるのだろうか。 この指輪が私にとって大切なものだということ以外、私にはわからないのだけど。 「……でも本当、そっくりだよねぇ……ミニフェインって感じ」 あははと笑った後、アイリーンはフィンの元へと向かって床に膝をついて腰を下ろし、眠るあの子の頭を撫でた。 「頑固なところはウィニエル似だね」 「もう、アイリーン!」 アイリーンが悪戯に笑うから、私もフィンの方へと向かう。 「あ、そういえば、フィンて魔法使えるかもよ?」 「え?」 「私は素質があると見てるんだ。もうちょっと大きくなったら魔導士修行させない?」 アイリーンの言葉に私の脈が一瞬強く波打った。 フィンが魔導士? そりゃあ……フェインの血を引いていれば素質はあるかもしれないけれど……。 魔導士になったら、堕天使のいい的になってしまう。 「いえ……フィンは……」言葉を紡ごうとすると、 「フィンね、魔導士になりたいって言ってたよ」 「え?」 「フェインのこと、名前教えてないけどウォーロックだって教えたんでしょ?」 「え、ええ……」 「魔導士になってウィニエルのこと、取り返すんだってさ」 アイリーンは告げながら複雑そうに笑う。 「え……」 「フィンはフェインに敵対心を抱いてるみたいだね~。ママを悲しませる悪い奴だって思ってるみたい。自分が魔導士になればあなたが悲しまなくて済むってさ」 アイリーンは私とフェイン、互いの事情を知っている。 道理でアイリーンが複雑な表情で笑っているわけだ。 私はフェインのことを決して悪く言ったりなんかしていないはずなのに。 悲しいとも、淋しいともフィンに言ったことはないのに。 フィンはそう受け取ってくれていなかったの? 「……フィン……」 「ん……ママ……」 傍らに座る私の手を探るように眠ったままフィンが手を伸ばす。 「…………」 私は黙ったまま、あの子の手を握った。 そして、私とアイリーンは眠るあの子を見守る。 しばらく静かな時が流れて……、 「さてと、私ちょーっと仕事してくるね~。直ぐ戻ってくるから夜泊まらせてよね」 アイリーンが立ち上がって両膝を掃うように叩く。 「ええ」と返事して、私は玄関まで見送るため立ち上がろうとするが、彼女が私の肩を叩いて、そのままでいいと再び腰を下ろさせ、玄関へと向かった。 アイリーンが静かにドアを開け、外に出て行ったことを確認した私は、 「……フェインに会いたい」 眠るフィンの手に頬を摺り寄せて、無意識にそう告げていた。 フィンが魔導士になったら、もっと彼の面影を感じるのだろうか。 面影ばかり追ってしまうのでしょうか。 仕方ないよね。 もう、今更自分から会いたいなどと言えないもの。 この子の為に、私は生きていくと決めたのだから。 フェインへの愛と、フィンへの愛の狭間で揺らぎながら、私は生きていく。 擦り切れそうな想いに気が付かない振りをしましょう。 さぁ、笑って。 私はこの子の母親。 それでもやっぱり、フィンに彼を見るのは仕方ないこと。 希望だけは失わなくてもいいかしら。 頑張っていれば、いつかあなたに会えますか? 「……ママ?」 眠りから覚めた琥珀の瞳に彼を感じながら、私は微笑む。 「フィン大好きよ」 私が微笑むと、小さな身体が私に手を伸ばして抱きついてくる。 温かくて、愛しい。 同時、 切なくて、苦しい。 これは自分勝手な私への報いなのね。 でも、私はそれでいいと思ってる。 フェインを好きなままで居られるから。 フェイン。 あなたを忘れずに済むもの――。
end
後書き
第十話ちょい前くらいのお話でした。書いてて気付いたんですけど、ウィニエルって相当頑固ですね(^^;
最初ミカエル様との話かと思いきやそうでもなかったといふ。
あ、そういえば、フィンの画像があったので載せときます。
↑フィンてこんな感じ。ミニフェイン(笑) 色適当でごめんなさい(^^; ウィニエル頭でかいぞー、と。
三歳ってーとそこまで饒舌に喋らないかもー? って思われるかもですが、私の姪っ子が三歳でペラペラ喋ってたんで、人によるかなぁと。
フィンは完全にフェイン似なので、ウィニエルのどこに似てるんだろうと思ったり。
……もう一人作るか(え)