◇ 「…………」 ある日のことだ。 ウィニエルが移動中の俺を訪ねて来たが、訪れた彼女を目の前に一瞬の間が生まれ、俺の様子に彼女が首を傾げる。 「……フェイン? どうかしましたか?」 「……いや、なんでもない。今日はどうしたんだ?」 初めての出会い以来、ウィニエルは定期的に顔を出すようになった。それなりに依頼もこなし、次第に俺はウィニエルが来るタイミングを掴める様になってきていた。彼女がやって来るのは大体夕刻前、もしくは、夜。気を遣っているのか深夜や早朝にはあまり来ない。 今日は少し遅かったがまぁ、いい。 他にも勇者が居るらしいから、彼女も忙しいのだろう。 約束しているわけでもないのだし、気にしたつもりも無いが…… 「あの、フェイン、一緒に歩いても構いませんか?」 「ん? ああ、構わないが……」 ウィニエルは地上に降り立ち、翼を隠し、歩き始める。 少し歩みがぎこちない。 俺は彼女に合わせるように速度を落とした。 「ウィニエル」 「はい?」 「君はこうして歩くのは初めてなのか?」 「いえ、そうでもないですよ。ただ、翼がないとバランスが上手く取れないみたいです」 俺には元々翼がないから、ウィニエルの足元の不安定さがどれほどのものかわからないが、時々転びそうになることから歩くのが得意でないことはわかる。 「なら翼を出しておけばいいものを」 「いえ、フェインと同じように歩いてみたいのです。それに、地上を歩くと、アルカヤの声が聞こえるような気がして嬉しいんです」 「そうか……。君はアルカヤを救うために来ているのだったな。この世界が好きなのか……」 「はい。ここはとてもいい世界ですね」 ウィニエルの素直な返答に俺は嬉しさでつい顔が綻び、同時胸が疼いた。 「………………」 気のせいだと、俺は胸元で拳を握る。 今の疼きは、何なんだ? ただの、疲れだ。 そういえば、今日は朝から歩き通しだ。 その所為だ。 そう思い込んで、息を「ふぅ」と深く吐き出した。 「フェイン。ほら、大分慣れてきました。こうして少しずつ歩いていれば、いずれちゃんと歩けるようになりますよね!」 いつの間にかウィニエルが俺の前を歩いていて、無邪気に笑って振り返って告げた。 「……ウィニエル、翼が」 慣れてきたから、真っ直ぐすたすたと歩いていたかと思えば、いつの間にか背に翼が現れ、身体のふら付きを整えていただけだった。 「あ」 ウィニエルが気まずそうな顔で上目遣いに俺を見つめる。その様子が可愛く思えて、俺は顔を緩ませながら告げる。 「これではまだ旅などできそうにないな」 「すみません」 にっこりと、彼女は再び翼を隠して歩き始める。 「……昔、あ、前に居た地上界なのですが。こうして、勇者と共に歩いたことがあったんですよ。その時はフェインのように私に合わせてくれたりはしなかったんですけど、でも、とても楽しかったような気がします」 「そうか……」 ウィニエルは笑顔で話すが、俺は彼女の言葉に腑に落ちない点を見つけ、考え込んでしまう。 俺がウィニエルに合わせて速度を落としたことを、彼女は気づいている。だが、そんなことはどうでもいい。その後の、”楽しかったような気がする”とはどういうことなのだろうか。 俺の隣を歩く彼女が微笑んでいるのだから、きっと楽しかったのだと思うが、言葉がおかしい。”楽しかった”で済むはずなのに、そうは言わない。 かといって、そのことを指摘したところで、何がおかしいのか気づきもしないだろう。 言葉の使い方の間違い。 ただの間違いならいいのだが、ウィニエルは以前にも別の世界に派遣されて、その世界を救ったと言っていた。どんな戦いだったのか訊ねれば、直ぐに答えてくれる。だが、訊ねても同じように答えてくれるが、ある一部分の記憶だけ感情がないように聞こえた。 今、同じ、それを感じた。 「ウィニエル、君は……」 前の世界で何かあったのか? 俺に訊けるはずがなかった。 俺も過去を全て話していない。 セレニスのことをウィニエルにまだ言っていない。この旅の理由。俺のどうしても果たさなければならない目的がセレニスにあるということ。 今はまだ言えない。 いや……ウィニエルには言えない。 何故……? 「はい?」 「いや……なんでもない」 「そうですか? 何か訊きたい事があったら言ってくださいね」 「ああ」 笑顔で応えるウィニエルに、俺は言葉を飲み込んだ。 きっと、ウィニエルには言ってはいけないこと。 それを言ってしまえば等しく、俺の過去を晒さねばいけなくなる、そんな気がする。 ウィニエルが訊ねなかったとしても、俺は黙っていられなくなるだろう。 「そういえば、こないだの怪我はもう大丈夫ですか?」 不意にウィニエルが立ち止まり、俺の右腕を引いて肩に触れる。 何日か前の戦闘で、俺は肩を負傷していた。大した傷じゃなかったから彼女の治療を拒み、包帯を巻いていた。 彼女に触れられると、そこが熱くなる。 天使の力がすごいのはわかるが、その熱さが俺はあまり好きじゃなかった。 好きじゃない……というのは適当ではないな。 なんというか、妙な気分になる……、が正しいのか? 禁忌を犯した俺が、許された気分になる。 温かい愛に包まれているような気になる。 今の俺には不要なものなのに。 だが、服越しにでも、彼女の感触が伝わってくる。 ウィニエルが治療を施してないにも関わらず、あの感覚がするから不思議だ。 「ん? ……あ、ああ、もう何ともない」 俺は彼女の手を退かせようと掴む。 「……そうですか、良かった。私、治癒くらいなら出来るので、怪我したら言ってくださいね」 俺の掴んだ手を見ながらウィニエルは安堵したように微笑む。 直ぐに放せばいいものを、俺は、放せずに掴んだままだった。 「……心配かけて、すまないな」 「……いいえ、いいんです。フェインが無事なら」 俺の背に陽の光があるからだろうか、ウィニエルは俺を眩しそうに見上げて微笑む。 「……ウィニエルの手は冷たいんだな……」 俺は彼女の手を放して、彼女を見つめた。 「そうですか? 天使は気温の変化を感じないので、これが普通だと思ってました」 「そうか……それは便利だな。寒い地方でも寒さを感じず、暑い地方でも暑さを感じなくていいとは……」 彼女の常識と俺の常識が合わないと、少し楽しくなる。 天使の彼女には、人間の俺が予想もつかない常識が身についていて、あらゆることを学んできた俺にとっては興味深い事ばかりだ。 「そうですね、どこでもこの服一枚で旅が出来ます」 薄い素材のキャミソールとミニスカートのウィニエルが自分を指差して笑う。 「ははは。その薄着で寒い地方にでも行ったら見ているこっちが寒くなりそうだ」 「え? この服には霊力が宿っているのですよ。……でも、ふふふ。そうですね、寒い地方に行ったときには、何か羽織りますね」 「その時は、このコートを貸そう」 「ありがとうございます」 楽しそうに微笑むウィニエルに、俺も釣られて微笑む。 もう、幾度となくこんな穏やかな時間を過ごしただろうか。 一瞬、セレニスのことを忘れてしまう程に、ウィニエルの笑顔が俺には眩しくて。 「……もう遅い、目的地へはまだ掛かる。今日は戻ったらどうだ?」 俺が薄暗くなった辺りを見回すと、ウィニエルも合わせて同じ行動を取る。 「あ、もうこんな時間ですね。お邪魔しちゃってすみませんでした」 ふわりと微笑む姿に、つい、 「いや、邪魔ではないが……」 ウィニエルを突き放すことは出来なかった。 突き放す理由もない。 俺が愛しているのはセレニスただ一人、セレニスのために旅をしている。 セレニスのための旅の途中、天使に助けられた。 だから、命の恩人に恩返しをしなければならない。 突き放す理由がない。 俺はウィニエルの勇者だから。 彼女が俺を突き放すことがあっても、俺が彼女の勇者である内は、俺が彼女を突き放すことはない。 そして、ウィニエルも俺が勇者である内は突き放したりしない……のだろう。 口に出して確認したことはない。 だが、信頼とでも言えばいいのか……、彼女は俺の望みを叶えるまで突き放すことはないと思うんだ。 漠然としているが、自信はあった。
to be continued…