「……あの」 「ん?」 ウィニエルが俺の手を取ると、手袋を脱がせる。 「ここ、ほつれています。さっき、見つけて。私、直しますから、貸していただけませんか?」 「……あ、ああ。だが、これが無いと」 「……それもそうですね、あ、では、今直しちゃいましょう」 「……ここで?」 「はい!」 ウィニエルはその場に座り込む。ここは森の中、そう深くはないが、そろそろ陽も暮れて野宿の用意が必要だった。 「ウィニエル、自分で……」 「これくらいなら、私でも大丈夫ですよ。力を使わなくても出来ます。あ、フェイン、すみませんが灯りを点けて頂けますか?」 「あ、ああ……」 ウィニエルの突然の申し出に断れず、俺は近くから薪を拾って火を熾した。 明るく燃える焚き火を灯りに、ウィニエルは俺の荷物から裁縫道具を借りると告げてから、探し出してほつれた手袋を直し始めた。 俺は彼女の隣に腰掛ける。 「……フェインの手は温かいですね。フェインは心も温かい人なのでしょうね」 焚き火に照らされた白い肌のウィニエルは穏やかに笑って、手袋に集中している。 「……そうか?」 「……私には、この焚き火が熱いと感じることが出来ませんが、あなたが温かいと感じることはできます」 俺の方に視線を向けることはなく、ただひたすら手元を見ている。 「……ウィニエル……」 「あなたは、きっと、温かい人。だから、何かのためにこんなに辛い旅をしているのでしょう。私はそのお手伝いをしたいのです」 決め付けのような、その物言いは、そうであって欲しいという願いが込められている気がした。 「……君は……」 俺を買い被りすぎている。 だが、彼女にそう思われるのは悪くない。 「あなたの旅の終わりが幸せであってくれたらと、私は願っています」 焚き火の灯りの中の彼女は涙を堪えているのか瞳が揺れていた。 「……俺は……」 「ううん、フェイン、私は皆が幸せになってくれたらいいなって、思うんです。この先の戦いは辛いけれど、でも、きっと平和はやってきて、みんなが穏やかに笑って過ごせるようになる。そうでなければ……私は……」 突然、ウィニエルは手を止めて、俯く。 「ウィニエル?」 「……いえ、すみません。最後のは、何でもありません……ただ……あなたと居ると、不思議な感じがして」 自分でもよくわからない感覚なのか、ウィニエルは首を横に振るう。 「不思議な感じ?」 「……前にも、こんな感じのことがあった気がして。ううん、違う……あの時は……」 ウィニエルの視線が宙を泳ぐ。 「ウィニエル?」 「すみません……あなたと居ると、何か思い出せそうなんです。私、何か忘れている気がして……」 声を掛けると直ぐに俺と目を合わせた。その様子に安堵して、 「そうか……なら、いつでも来るといい。俺で役に立つなら手伝おう」 それが、恩返しになる。 そう思った。 この時は、本当に、そんな気持ちでいた。 「……ありがとう、フェイン。私、ちゃんと思い出せたら、フェインに言いますね」 ウィニエルは不安と安堵が混ざったような何とも言えない表情で俺を見て告げた。 「…………ああ」 俺は少し間を空けて返事をした。 これを聞いたら俺は、俺自身の秘密も話さなくてはいけないのだろうか。 これを聞いたら俺は、後悔するんじゃないんだろうか。 どちらの理由かはわからない。 なぜそうしたのかはわからない。 ただ、 断れない。 拒めない。 何より、時が来たら聞きたいと俺自身が望むのだろうと思って、俺は恐れたんだ。 未来の俺が幸せを望んでいるとは思えない。 ただ、全てが終わるとき、俺は、 一人なのだろうか。 セレニスにも会えなかったら。 天使も俺の前から姿を消し、俺は旅を続けているだろうか。 そうなったとき、俺は、 後悔するのだろうか。 何に。 「……はい、出来ました。フェイン、ありがとう。あなたの優しさはきっと、いつか私の支えになるでしょう」 「え……?」 ウィニエルの言い方がまるで予言のようだったから、俺は驚いて口を開けた。 「私はいつでも勇者達から、学びます。あなた方人間の強さと優しさ、それはこのアルカヤを救う大きな力となる。その力は私の心の支えになります」 「あ、ああ……そういうことか……」 なるほど……と思うと、今度は彼女が、 「え?」 と、首を傾げて訊ねてきた。 「……天使は未来も見えるのか? 見えるのなら、アルカヤはどうなる?」 「……フェイン……、いいえ、ただの勘です。でも、アルカヤはきっと大丈夫」 信じていますから。 真っ直ぐ、俺を見つめたその瞳は“信頼している”と告げていた。 「……ありがとう」 俺はウィニエルから手袋を受け取る。ほつれが上手に直されている。 天使は裁縫も出来るのかと感心してしまう。 「では、また来ますね」 「ああ」 そう言って、俺達はその日は別れた。 ◇ どうしてだろう。 最近彼女がどうにも気に掛かる。 「……まさかな……」 視線の先には文字の羅列。 内容? 考え事をしてるんだ。内容なんて頭に入っているわけがない。 「フェイン? どうかしましたか?」 「……ウィニエルか……ちょっと待っててくれないか」 柔らかい芝生が生い茂った場所に一本の大きな木。 その木陰で木に寄りかかり本を読む俺に、ウィニエルは訪問してきて訊ねてくる。 「はい、その本、この間も読んでいましたね」 俺の傍らに中腰で、様子を窺う様にこちらを見つめる。 「ああ。君にどこまで教えたかな……」 俺は栞を本の間に挟めて、閉じる。 「あ、いえ、お邪魔でしたら、私帰ります」 ウィニエルは俺の様子に立ち去ろうとした。 「いや、いい。退屈し始めていたところだ」 俺は柄にもなく笑ってウィニエルを引き止める。 「そうですか? 今日は、ゆっくり出来ているみたいですね、良かった」 ウィニエルはいつも通り、柔和に笑う。 彼女はどうしていつもこんなに穏やかでいられるのだろうか。その微笑みを見るだけで、こちらは安らげる。天使という生き物は皆こんな者達ばかりなのだろうか。 「ああ、お陰さまで。ウィニエル、話相手になってくれないか」 「はい、私で良ければ」 ウィニエルはうれしそうに俺の隣に腰を下ろした。 今日は、君のことを聞こうと思う。 セレニスのことは話せないけれど、君の抱えている問題を少しでも軽減できたら。 「ウィニエル」 「はい」 「君はこの前、記憶を失っていると言っていたが、何か心辺りはないのか?」 隣に並んで座る彼女を見つめる。 風が彼女の薄い飴色の髪を梳いて、気持ち良さそうに揺れる。 エメラルドの宝石が、俺を真っ直ぐに見ている。 「……いえ……何も……断片的になんです。全てというわけではなくて、所々」 瞳を伏せがちに、彼女は苦笑いを浮かべる。 ウィニエルは俺と違って話さないんじゃなくて、どう話せばいいのかわからないのだろう。 「そうか……だが、それは俺と居ると思い出せるのか?」 なぜかはわからないが、俺と居れば、思い出せそうなのだと言う。 「あ……いえ、そんな気がしただけで……」 何の根拠もない、らしい。 「一つ一つ思い出してみるか?」 「え?」 「順を追って思い出せば、抜け落ちた部分がわかる」 「あ、はい」 俺の提案に、彼女は少し戸惑った表情で答える。 過去を晒すのは嫌なのだろうか。 誰だって、触れられたくない過去はあるということは……俺にもわかっているのにな。 だが、聞きたい。 なぜだろうか、彼女のことを全て知りたいと思う。 ……彼女が不憫だから。 きっとそうだ。 そうに決まってる。 それから、ウィニエルは前に派遣されていたインフォスの話を始めた。 天使の任務は前回が初めてで、最初の頃は失敗ばかりだったらしい。 今の彼女から想像もできない。 今の彼女はどこからどう見ても、天使。立派にやれていると思う。 彼女はしばらく順を追って、一つ一つ話をしていった。 俺はその一つ一つに相槌を打つ。 話の内容によっては、笑顔だったり、眉を顰めたり、頬を膨らましたり、百面相だ。 こんなにも彼女の表情が豊かだったとは知らなかった。 落ち着いた女性というのが、今までの印象だったが、急にウィニエルが可愛く思えてくる。 「……フェイン」 つい、じっと見つめていたのか、ウィニエルが照れたように俯いた。 「ん?」 「……少し疲れました」 話し疲れたのか彼女がふぅと一息つく。
to be continued…