贖いの翼・番外編10:真実の鏡② フェインside

 アイリーンに聞いた話じゃ、リャノは平和そのものだと言っていた。
 特に、ウィニエルが湖に住み始めてから清浄で澄んだ気が増えたとも言っていた。

 それに、彼女の周りには未だに光の守護が付き纏っている。
 人間になった今も天界の守護があるのだろう。

 そんな彼女に魔除けなど必要ない気がするが……。


「以前は右手にしてたんですけど、左手じゃないと効果がないと……アイリーンが」

「…………」


 彼女の言葉に俺は再び黙り込んでしまった。


 彼女はその指輪の意味を知らないのだろうか。


 アイリーンによって右手から左手に嵌め替えられた指輪。
 自分の意思で嵌め替えたわけではない。

 それなら、


「……効果はあったのか?」


 俺は一先ず彼女の様子を探るように訊ねる。

 すると、彼女は「いえ……ただ……」と言葉を探すように口篭った。


「ただ?」

「左に嵌めてから、色んな方々が来なくなりました」


 俺が問い質すと、彼女は素直に答えてくれた。


「え?」


 俺のあっけに取られたような顔に、「あ、もう随分前の話ですよ?」と前置きしてから、彼女は続ける。


「以前は男の方がよく来られてたんですけど、左手に嵌めてから殆ど来られなくなって。困っていたからとても助かりました。でも、本当に魔除けなんでしょうか?」


 ウィニエルは俺の嫉妬深い部分をわかっているのか、話し終えると申し訳なさそうに俺を見つめる。


「ああ、強力な魔除けには違いない」
「は、はぁ……やっぱりそうなんですか……」


 告げた俺は不敵に笑みを浮かべていた。一方のウィニエルは魔力など込められていないことをわかっているのか、納得が行かないような顔をしている。

 魔除け。

 ウィニエルにとってではなく、俺にとっての魔除けだ。

 魔とは俺以外の男。
 見事に魔を寄せ付けないでいてくれたのか。


 ……アイリーンに感謝しなければならないな。

 土産でも買っていくか……。
 何がいいだろう……?


「魔除けじゃなくても良かったんです」
「ん?」


 土産物に考えを巡らせる俺に、ウィニエルが口を開く。


「……私にとってこの指輪が大切なものであることに変わりはないのですから……」


 そう言い終えると、彼女は右手の親指と人差し指で指輪を挟むようにして、愛おしそうにそれに触れた。


「……ウィニエル……」


 ウィニエルの表情に指輪の意味などどうでもいいような気がして、気が付いたら俺は身を乗り出して彼女の手を引いていた。
 手を引かれた彼女は身体をこちらに寄せて、俺が目を閉じると同じように目を閉じる。

「……フェイ……」

 彼女が俺の名を呼び終える間に、俺は彼女の唇を封じてしまった。
 ただ、触れ合うだけの軽い口付けだ。

 二人きりならもっと濃厚なキスの一つでもしたい所だが、多くの人々が居る手前、流石にそれは出来なかった。


「……愛してる」


 ほんの僅かに触れ合った後、俺がそう告げると、


「……っ……」


 ウィニエルは静かに瞳を開き、俺を見つめたまま黙り込んでしまった。

 『どうした?』などと野暮なことは聞かない。

 彼女の頬がみるみる内に赤く染まっていく。惚けたように瞬きを忘れた瞳は潤い小さく振動し、唇も少し開いて何か言いたげに小さく震えている。

 彼女が喜んでくれているのは明らかだった。
 ウィニエルは俺に愛してると言われるとこんな風に感動してくれるのだ。


「な? わかるだろう?」

「は、はい……」


 テーブルに肘を付いて、惚けた彼女を覗き見るように言ってやると、彼女は瞬きするのを思い出したように一度、ゆっくりと目を閉じた。
 その瞳から一粒雫が頬を伝って、そのあともゆっくりと瞬きを繰り返す。

 瞬きをする度に彼女は涙を溢した。

 俺はそれを美しいと思う。


「泣かなくていいんだぞ? ウィニエル」


 俺は彼女の涙をそっと拭ってやった。


「はい……でも、嬉しくて」


 そう告げて、彼女は俺の手を包むようにして、至福の笑みをこちらに向ける。
 泣きながら笑うその顔が、パラソルの日陰にあっても眩しくて、俺には愛しくて堪らなかった。


 愛してる。


 俺のそのたった一言だけで、彼女は幸せを感じるらしい。

 欲のない女性だと、つくづく思う。

 俺を好きだとはいえ俺にあれだけ嫌な思いをさせられて、もっと何か別のものを要求してもいいものを、要求しもしないし、“愛してる”の言葉を言ってくれとも言わない。

 言えば、こんなにもいい笑顔を俺に見せてくれるというのに。


「……もう一度言おうか?」


 俺は彼女の笑顔が見たくて、無意識にそんなことを言っていた。

 だが、
 彼女は、

「……いいえ、何度も言わない方がいいです」

 頭を横に振る。

「何故だ?」と俺が訊ねれば、
「だって、勿体無いから……」と答えた。

「それに、あんまり言われたら嬉しすぎて死んでしまいます」と付け加えて。


「勿体無くなどないが……君が死んでも困るしな……また次の機会にしようか」
「はい……そうして下さい」


 俺が告げると、彼女は俺を見据えて照れ臭そうに笑う。

 その笑顔も俺には愛おしく思えて、眩しすぎた。
 真っ直ぐに見つめる彼女の瞳に、俺は彼女の純粋な想いを見た気がする。

 恐らく彼女は真に純粋な人のだろう。
 身体は天使でなくなっても、心は天使のまま。

 純真無垢な俺の天使。

 天界に還ったはずの彼女が何故アルカヤに居るのか疑問に思ってはいたが、天使としてアルカヤを救った責任を生を終えるまで果たしたいのだという。
 だから湖畔に住んでいるのだと。
 俺は人間になった彼女に一体何が出来るのか、多少の矛盾を感じてはいたが、自分がここに居ることで堕天使は手を出せないはずだからと彼女は言い張った。
 折角俺が堕天使と天竜を倒したというのに、少し心配し過ぎな気もするが、そういう性分なのだろう。
 人間になった彼女に以前の特別な力を感じることはないが、彼女は今でもアルカヤの全てを慈しんでいる。
 俺だけを想っていて欲しいのは山々だが、その想いとアルカヤへの想いが別のものだということくらいはわかっているつもりだ。
 俺はそこまでの大人気の無い人間でもない。

 彼女にはそのままの心で居て欲しいと思っている。


「なぁ、ウィニエル、これからなんだが……」
「はい、何でしょう?」


 俺が話題を変えようと話し掛けると、彼女は笑顔で応える。

 俺は彼女をこれから俺の泊まっている部屋に誘おうかと思っていた。

 再会してからもう、一ヶ月半が経とうとしている。
 週に一度、多いときは三度。
 会えなかった日々を埋め合わせるように俺達はこうして会って話をしている。

 だが、再会してから俺達はあの頃のように関係してはいなかった。
 初めて関係してからあの決戦まで、俺達は言葉に出来ない想いをぶつけ合うように抱き合っていたが、今は想いを素直に言い合えるから、抱き合って確かめ合う必要が無い。

 いや……実際には、俺は彼女を再びこの腕に抱きたくて堪らないんだが、彼女と会う時間が限られていてそれが敵っていない。
 何故かはわからないが、あの頃よりも彼女は多忙らしい。
 俺も多忙だし、ウィニエルが人間になってしまった以上、彼女の生活も尊重しなければならないから、無理強いさせるわけにもいかない。

 それに、俺達に流れてる時間があまりに穏やか過ぎて。

 彼女が何も言ってこないから切り出す口実も掴めないままだ。

 もう一つ。
 誘ってもしそうなっても不安なことがある。


 天使だったから耐えられたのかもしれないということ……。


 きっと今でも彼女の性感帯は変わっていないはず。
 あの頃のように激しくしたら人間の彼女は壊れてしまわないだろうか。


 ……壊してしまいたい気持ちもある。


 だが、大事にしたいんだ。

 今頃になって労るのもどうかしてると言われるかもしれないが、

 かつてセレニスにそう思っていたように、
 今もセレニスを忘れられない分だけ、


 彼女を大事にしたい。

to be continued…

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