◇ ……そういえばまだ、昼間だったな。 「……街を歩かないか?」 「ええ、いいですよ」 優しい彼女の微笑みに、結局俺は誘えなかった。 まぁ、いい。 これからゆっくり関係を築いていけば済むことだ。 ……そう自分に言い聞かせるように努めた。 「この通りを抜けた先に、とてもいい風の吹く丘があるんですよ」 「そうか、ならばそこに行こうか」 と、カフェテラスを出てウィニエルが俺の腕を掴む。俺達はまるで恋人同士のように寄り添いながら人々の合間を縫って歩く。 セレニスともよくこうして歩いた。 今隣に居るのはセレニスじゃないが、ウィニエルとこうして歩くと懐かしく思う。 セレニスが居ないという淋しさと、ウィニエルという女性の存在感を同時に感じてはいたが、以前のように苦しくは無かった。 俺の罪が消えたわけじゃないが、時間が経って多少は癒された気がする。 腕から伝わる彼女のぬくもりが、俺が一人ではないということを教えてくれている。 俺のぬくもりが、彼女にもそう伝わるといいのだが。 彼女が地上に降りた理由が俺なら良いのだが、俺達が一度別れている以上、本当の所はわからない。 ただその理由がどうであれ、彼女が天界から一人でやって来たことは事実。 ウィニエル、君は一人ではない。 俺がついているのだから。 まだ、君も罪に苛まれているなら、二人で罪を贖っていこう。 この生命が尽きるまで、共に。 「あ……」 ふと、ウィニエルの視線がこれから向かう先、真正面を捉えて、足を止める。 「どうした?」俺が腕を組む彼女を見下ろすと、 「い、いえ……何でもないんです。あちらから行きましょう」 ウィニエルは頭を振って俺の腕を引き、脇に細い路地を見つけると、そこへ歩みを進めた。 「? あ、ああ……」 俺は彼女の突然の行動を不思議に思いながら引かれるままに歩く。 その一刹那、 「……ママ!」 路地に入り掛けた俺達の背後で、雑踏に紛れ、男児の声が聞こえた。 「……ママ! どこ行くの!? ぼく、ここだよ!?」 路地に入った俺達の背後から先程よりもはっきりとそう聞こえる。 『ママ、待って! ママ!』と、母親を求めるような悲痛な声が俺達に届く。 細い路地に人の姿は殆ど無く、その声は俺と彼女に向けて言い放ったようにも思える。 「……迷子か?」 俺はあまりに必死な声に振り返ろうとしたが、 「……大丈夫ですよ、きっと親が傍にいますから」 と、ウィニエルは歩みを速めた。 『ママ! 行かないで! ママぁ!!』 男児の声は止むことなく、しきりにこちらにママと叫んでいる。 「おい、ウィニエル……あの子泣いてるんじゃないか?」 「……っ……、……私を自分のママと勘違いしているんですよ」 俺の言葉にウィニエルは男児に振り返ることなく唇を噛み締めて、そんなことを告げた。 誰にも優しいはずのウィニエルがどうしてそんなに冷たい言葉を発したのだろうか。少し疑問に思う。 「ウィニエル、あの子の親は居ないようだ。捜して……」 あまりの哀しげな声に俺は歩を進めながら振り返って、路地の入口付近に居る男児を見る。 銀の髪の幼児。 転んだのか、足を擦り剥き、半べそを掻きながらその場にへたり込んでいた。 以前どこかで……? 俺が思い出そうとすると、 『こぉら、こんな所にいたのか。全く、一人で行くなとあれ程……あーあ、また怪我して……』 大通りの人の波から背の高い銀髪の男が現れ、男児を軽く担ぎ上げ肩車をする。 男児と同じ銀色の髪。 ……親子か。 だが、俺が一見した所では、男の髪と男児の髪の毛質がまるで違うように思えた。 男の髪は細く長く緩やかに波掛かり、後ろに束ねてはあるが、路地に吹き込むささやかな風に一部が踊る。一方の男児の髪は真っ直ぐに伸び、男の毛よりも丈夫なのか風を受け流すとしなやかに揺られては直ぐに元に戻った。 顔の形、瞳、鼻、口元、他を見比べても、髪の色以外似た所がない。 別の人間が一見したなら髪の色だけで判断し、気が付かないかもしれないが、俺には何故かそう思えてならなかった。 「だっ……てっ、ママと約束したんだもんっ!!」 男児は鼻を啜りながら俺達の方を見ていた。 「ほら、行くぞ。……ママはこっちじゃない」 銀の髪の男が反転し、大通りへと戻ろうとする。 身体を反転させるその一瞬、男が俺の方を見た気がした。 「やだっ! ママはこっち!!」 「……いいから、戻るぞ。ママにならすぐ会えるから」 肩車をされたまま、俺達の方を向いて拒否する男児を余所に、銀髪の男は大通りへ向かってしまう。二人の姿が大通りの流れに完全に溶けるまで、「ママ! ママ!!」と、母親を求める子供の悲涼な声は続いていた。 「……怪我、大丈夫そうでしたか?」 「ん? あ、ああ……かすり傷のようだ」 「……そうですか、良かった」 ウィニエルはいつの間にか歩みを止めて俺を見上げ、大通り側を振り返ることなく告げ、安堵したように胸を撫で下ろした。 そして、「行きましょうか」と再び歩き出す。 何かおかしい。 どうにも彼女の反応が引っ掛かる。 彼女なら泣いている子供に真っ先に駆け寄りそうなものなのに、振り返りもしなかった。 しかも、表情はそれと相反するように曇らせ、振り切るように歩みを速めて、だ。 それに、俺を見上げた時の彼女の瞳は、涙を今にも溢しそうな程に潤いを帯びていた。 ……どうも引っ掛かる。 「今日はお天気だからきっと気持ちがいいですよ」 「……知り合いだったのか?」 すっかり、元の笑顔に戻ったウィニエルに俺は問う。 「え?」 「……さっきの子供、君を母親と間違えたのだろう? 以前も間違われたことがあるのか?」 「えっ!? え、ええ……そう……なんですよ……」 俺の問いに、彼女は視線を辺りに泳がせてはっきりしない返事をした。 やはり、何か変だ。 もう一度訊いたら答えてくれるだろうか? 「なぁ……」 「……フェインは子供好きですか?」 「ん?」 俺が再び訊ねようとすると、彼女は突然そんなことを言う。 子供か。 そうだな……。 子供は好きだ。 今もセレニスが生きていたなら授かっていたかもしれない。 そうだったら俺はその子を可愛がって、家族三人で穏やかに暮らしていただろう。 ウィニエルとこれから先共に歩むことになっても、そうなることは考え辛い。 彼女が俺の子を産んでくれるとは思えない。 彼女が、 最初の男を忘れられない限り。 セレニスに負い目を感じている限り。 いくら願った所で、俺達には叶わない小さな天使。 それなら、 「……俺達には必要ない」 「……え?」 俺は頭を振っていた。 彼女は俺の答えに敏感に反応して、視線を合わせる。 「……辛くなるだけだ」 俺が見下ろすと彼女は、 「……そう……ですね…………」 と、瞳を伏せ俯いてしまった。 「……ウィニエル?」 「…………」 様子を覗き込もうと、ウィニエルの名を呼ぶ。 だが、彼女は黙り込んで丘に着くまで一言も話してはくれなかった。 一体どうしたというんだ。 俺は君がこれ以上思い詰めないでいいようにと、そう告げただけだというのに。 本当は子供が好きだと言えば良かったのか? そして、罪に苛まれる君に俺の子を産んでくれと無理を言えと。 ――俺達はまだ夫婦でもない。 未来、夫婦になったとしても君が苦しむのをわかっていながらそんなことを言えるわけがないじゃないか。 ……その後、丘に着いても会話はあまり弾まなかった。
to be continued…