ある日、ウィニエルがフィンを連れ、塔へ訪ねて来たので俺はフィンを預かり街までやってきた。 商店街通りでは沢山の出店が軒を連ね、月に一度の市らしく、この地方では珍しい程に人が多く訪れていた。 掘り出し物市と、商店街の入口に横断幕が張られている。 古い書物なんかもあるのかもしれないな。偶然訪れたが、丁度良く市が開かれていて良かった。 「フェインおじさん! あっちにすごい薬草が売ってたよ!!」 「あ、一人でさっさと行くと迷子になるぞ!」 フィンが駆け出して俺が引き止めると、振り返って、 「じゃー、手繋いで?」 「ああ」 小さな手を差し出して、手を繋げという。ウィニエルに似た笑顔で。 これは……可愛い。 つい、顔が綻ぶ。 小さな手が俺の手を握って、ぐいぐいと引っ張っていく。 その後、俺はフィンの後を付いてまわり、へとへとになるまで付き合った。 こんな小さな子供のどこにここまでの体力があるのか感心したぐらい、フィンはタフだった。 日も傾きかけてきた頃、 「そろそろ、帰ろうか」 「うん!」 俺とフィンは街を後にして、塔へと向かった。 途中でフィンが「おんぶして」と言うから、背負ってやる。 塔への帰り道、始めは色々話をしていたが、途中からフィンの声は聞こえなくなった。 その代わりに、背中から小さな寝息が聞こえる。体力を使い果たしたのか、いつの間にか眠ってしまったようだ。 背中が温かい。 それから俺は一人で黙々と歩いたが、それは、一人きりじゃないと実感するひとときだった。 こうして、少しずつ、歩み寄っていけたら。 セレニスの死から時が流れ、その先にこんな幸福があるなんて考えもしていなかった。 あの時、セレニスと共に死ねていたら。 それはそれで幸福だったかもしれないが……。 生きていれば。 生きているからこその幸福。 ウィニエルが俺を死なせないでくれて良かったと、 アイリーンが俺を見守り続けてくれて良かったと、思う。 俺はそんな幸福を噛み締めながら塔へと続く道を歩き続けた。 その一方で、ウィニエルは塔でアイリーンと話し中だった。 「ということはさぁ~、フィンは、彼の生まれ変わりってことぉ?」 ……なに? フィンが誰の生まれ変わりだって? 塔に戻ると、部屋へ入ってきた俺とフィンに気付かない二人は座って何か飲みながら話し込んでいる。 俺は声を掛けず、しばらく聞くことにした。 「いえ……彼の生まれ変わりなのかまでは……ただ、そうだったらいいなぁって私の願望で……」 「いや、それは複雑じゃん!」 俺の目の前には部屋を仕切る壁があり、ここからじゃ二人の表情は見て取れない。 話し声しか聞こえないが、“彼”とは誰なのだろうか。 半分はもう気付いている。 あいつだろう? 「そうでなくても、フィンはグリフィンの名前から取ったんでしょう? フィンは可愛くて大好きよ? けど、このことをフェインが知ったら大変じゃない? 嫉妬深いしさ」 「べ、別にグリフィンから取ったわけじゃ……」 尚も俺に気付く様子もなく、二人は会話を続けている。 「…………」 やはり、グリフィン……。 ウィニエルが以前派遣された……インフォスという世界の勇者。彼女の初恋の相手。 今も尚、彼女の心の中に住み着いて、愛され続けている男。 インフォスを救った後、ウィニエルは地上に残ると約束していたが、それは守られなかった。 彼女は彼と別れ、天界に還ると、彼を想って錯乱状態に陥った。想いが強すぎて自害しかねなかった。 大罪を犯させるわけにいかなかった上級の天使達は彼女を宥め、治療し、封印を施した。 そして、封印された心のまま、彼女はここアルカヤに派遣され、俺と出会い、見事に封印を解いてしまった。 “生まれ変わり” だと、言っていたな。 もう二度とインフォスには降りられないと言っていたから、生きたまま離れ離れなのだと思っていたが、 彼はもう、亡くなっていたのか……。 彼の生死をどう知ったのかはわからないが、そのことについての会話を二人はしていたんだろうと推察した。 「じゃー、何でフィンって付けたのよ?」 「……秘密です」 アイリーンがウィニエルに詰め寄っているようだ。 命名に由来はつきものだが、聞きたくないような気がする。 それに、どちらでもいい。 グリフィンという男は死んでも尚、彼女の中に生き続けている。 俺の中にセレニスが居る様に。 「あ、ずるーい!! ここまで喋っちゃったんだからさ、教えてよ~!」 「……教えません」 ウィニエルは以前のように素直に何でも話してくれるわけではないようで、アイリーンが悔しそうな声を発しながら、立ち上がって陶器のカップに飲み物を淹れている。テーブルの上にそれを置く と、カップからの湯気だけが見えた。ここからはそれしかわからなかった。 「ウィニエルは今でも、グリフィンのことが好きなんだねぇ……」 「え、ええ……それは、まぁ……」 …………、俺の胸がちくりと痛む。 俺がここに居て聞いていることをウィニエルは知らない。 彼女から今でもグリフィンを愛していると、最近は聞いていない。過去の男なのだから。 俺の前で言うわけがない。 心の中に居るのは構わない。 だが口に出されると、どうしてこうも、胸が痛むのだろう。 「まぁ、二人がそれでいいならいいんだけど。他人がどうこう言う問題でもないし……フェインのこと、好きだよね?」 「……はい。好きです……」 …………、…………頬が熱い。 それも最近、聞いていなかった。 ウィニエルは好きだとか、愛しているとか、あまり言わない。 以前の俺達の関係が身体ばかりだったから、その名残なのかもしれない。 気持ちを伝え合うことを俺も、彼女もつい、忘れてしまいがちになる。 グリフィンのことは心の中で、 俺のことは口に出してくれれば、丁度いいんだが、上手くいかないもんだ。 「あ、ウィニエル顔赤くなってるー! 可愛いー♪」 「な、何言ってるんですかっ」 …………、ウィニエル。 君のそういう所が、俺は可愛いと思っている。 アイリーンにからかわれて、ウィニエルが慌てている。 俺の口角が上がるのがわかる。 俺はその表情を見たくて、少し身体をずらして、壁から顔を出して二人を見る。だが、ウィニエルは背を向けていて、アイリーンの表情しか見えなかった。 当人が居ない中でも頬を赤く染めるほど、好いてくれている。 俺はそんな風に、彼女に想われているのだと、再確認する。 だが、この後の会話が俺の嫉妬心に火を点けることになるとは。 「でも、そっかー…… ウィニエルはすごい恋愛してたんだね~」 アイリーンがカップを口に運ぶと、あちち、と舌を出す。 「……すごいかどうかはわかりませんけど…… あの時は本当に辛かったです。でも、あのことがあったからこそ…… 今があるから……」 「……でも、グリフィンへの愛は永遠かぁ…… そのネックレス、ずっと身に着けてるんでしょう?」 アイリーンは背伸びをしながらウィニエルに視線を投げかける。 「…………」 アイリーンの視線にウィニエルは少しはにかんで、静かに頷いた。 そして、首に下げているネックレスに触れる。 今気付いたが、ここから見える位置にある鏡に彼女の表情が映っている。 誰かを想う、愛おしそうなその顔を、鏡越しに見てしまった。 それは一番見たくない顔だった。 …………・、ネックレス? グリフィンから貰ったものなのか? ウィニエル。 何故君はそんな顔でネックレスに触れるんだ? やっぱり、まだ、忘れられないのか? いや、忘れなくて構わない、だが、ずっと身に着けているっていうのは…………。 口に出されるのも、 形で示されるのも、 俺は、嫌なんだ。 わがままだってわかってる。 俺の中にだって、セレニスは居る。 だが、俺は、君にそれを告げたりしないように努めてるつもりだ。 それが暗黙の了解だから。 でも、ウィニエル。 君は、いつも悪びれもせず、それを壊す。 そして、俺はそれに腹を立てる。 「あ、フェイン!」 「え?」 アイリーンが俺にやっと気付いたのか、声を掛けてくる。 その声にウィニエルが反応して、振り返る。 「…………」 ウィニエルは黙ったままだった。 …………至極、気まずそうな顔をして。 俺も黙ったまま、彼女を見つめる。 「…………」 俺の視線に彼女は声をまだ発さない。そして、気まずそうな顔に、少しばかり怯えの表情も見て取れた。 「うわっ……ご機嫌斜めっぽい…… あ、フィン寝ちゃった? 上で寝ようか~、フィ~ン」 「えっ!? あ、アイリーン!?」 アイリーンが冷や汗を掻きながら、俺の背で眠るフィンをそそくさと降ろすと、「ごゆっくり~」と告げて、フィンを連れ部屋から姿を消した。 ウィニエルはアイリーンの素早さに対応できず、ぼーっとこちらを見ている テーブルの上にカップが二つ。 手前にウィニエルが飲んでいたもの、奥がアイリーン。 「な、何か飲みますか?」 声が上擦ったウィニエルが立ち上がって、俺に何か淹れてくれるようだが、そんなことはどうでも良かった。 ウィニエルをこの場から放すわけにはいかない。そうやって逃がすわけにはいかない。 俺はウィニエルの手を包むように重ねた。 「……要らない」 少し無愛想な声を出して、ウィニエルを留めて、先程アイリーンが座っていた場所に俺も座ると、ウィニエルに座るよう視線を交わす。 「そ、そうですか……」 俺の無言の言葉に、ウィニエルは観念したように席に着く。 ウィニエルの手が温かい。 天使だった頃とは違う体温。人間になったことを知ったのは再会してから。 こうして触れていると、本当に人間になったんだと、実感する。 俺達は視線を交わしたまま、しばらく、黙り込む。 君は今、何を考えているんだろうか。 グリフィンを想い続けて、俺に、彼の影を見ているのか? 「……今も……なのか?」 「え?」 「……いや……何でもない、忘れてくれ」 ウィニエルの胸元に光るネックレスが、先程の話の代物。 俺は一瞬だけ、ウィニエルの胸元のネックレスを確認してから視線を逸らす。 確かに、ウィニエルはいつもそのネックレスをしている。 それがまさか、グリフィンから貰ったものだったとは。 そんなに意味のあるものだとは思っていなかった。 今日はどうも、気分が高揚したり、落胆したり、激しいな。 疲れる。 もう、これ以上聞かない方がいいような気がしてきた。 俺は彼女に好かれているのだから、それでいいじゃないか。 「……フェイン、私はあなたを愛しています。それだけじゃ駄目でしょうか?」 ウィニエルが俺に許しを請うように見つめてくる。 そうだ。 俺は彼女にこうして愛されている 今更亡くなってる人物に嫉妬してどうするというんだ。 亡くなっている分、俺は彼に勝つことなどできやしないのだ。 それをわかっているというのに。 だが、歯痒くて。 「……いや……それだけで充分だ……」 そうだ、充分じゃないか。 俺達は今、互いに愛し合っているのだから。 ネックレスの奴は、もう二度と会えない相手なのだから。 ウィニエルが俺から離れてどこかに行ってしまう事もないのだから。 わかってるさ。 わかってる。 「……ところで」 「はい」 俺は一息ついて、彼女を見つめる。 努めて優しい面差しで。 そして、落ち着くために彼女の飲み掛けのカップを手に取って、一気に流し込む。 多少熱いが、大して気にならなかった。 「今日は泊まって行くのか?」 俺は彼女に微笑んで、重ねていた手から手首へと持ち替え、逃がさないようにした。 終始笑顔で、穏やかに。
to be continued…