「ああ、茹蛸みたいだ」 俺はウィニエルの熱い頬を両手で包んで、軽く微笑むように口角を上げた。 するとウィニエルがまだぼんやりしたまま上目遣いに俺を見る。 「……だって……フェインが……ぁ……」 次の瞬間、 「ウィニエル!?」 俺と目が一瞬合ったかと思うと、ウィニエルの首が項垂れ、身体がふら付き俺の胸元目掛けて倒れこんで来る。 「大丈夫か、ウィニエル」 俺は彼女を受け止めて、訊ねてみる。 「…………」 ウィニエルからの返事はない。 気を失った……らしい。 俺は慌てて彼女の額に手を当てる。随分と熱い。気付けばいつの間にか身体も真っ赤だ。長湯し過ぎたか。 「……不味いな、本当にのぼせたらしい……」 ザバァっと、 俺はウィニエルの背中と膝裏に腕を忍ばせ、抱きかかえて、浴槽から一旦上がる。 バスルームの床はひんやりしていて冷たい。 ひとまず、バスタオルが二枚必要だ。一枚は彼女を拭いて、一枚は床に敷く。 そこに彼女を寝かせ、体温を下げる。 そこで気がつけばいいが、気がつかないようなら部屋まで連れて行かないと。 ウィニエルをバスタオルの上に寝かせて、先程身体を拭いたバスタオルをその上から掛けてやる。 「……冷たい水を持ってこないとな」 次にするべきことを考えて、水を飲ませることを思いつき、 「……ウィニエル、少し待っていてくれ」 ひとことそう告げてから俺は台所へと走って向かう。 途中転びそうになったりもしたが、転倒はなんとか回避できた。 台所に着くやいなや俺はすぐ食器棚からコップを手に取ると、途端それを床に落としてしまう。 「あっ!」 木製のコップだったからか割れることはなかったものの、 円筒の取っ手無しのコップはカラランと、小気味の良い音を立てて、食堂の方へと転がっていく。 「コップは後だ! ……はっくしょんっ! 水っ……水指はっ……と」 水指は台所の作業台の上にすぐ見つけることができた。これはガラス製だから落とさないようにしないとな。 そんなことを考えながら俺は水指に水を注ぐ。 水を注ぎ終えると、先程転がっていったコップを拾って軽く洗う。 それからその二点を持ち、バスルームへ向かおうとすると、 「あー、のど渇いたー……って、えっ……フェインっ!?」 目の前に欠伸をしながら台所へと下りて来たアイリーンが俺を見て目を見開く。 「え? アイリーン、ウィニエルがのぼ……」 俺はウィニエルがのぼせたから水を取りに来たと説明しようとしたが、 「きゃーーーー!! 前っ!!」 アイリーンが両手で自分の顔を覆って、突然大きな悲鳴を挙げた。 「え? あっ!?」 そして、“前っ!”という言葉に自分の姿を思い出す。 そうだ、 俺は、今、何も身に纏っていなかった。 タオルを巻くことすら忘れていた。 「ヤダッ! フェイン、早く行ってよっ!」 アイリーンが俺に早くその場から立ち去るよう促す。 「す、すまないっ!」 俺は顔を赤くしながら逃げるようにしてバスルームへと走り出す。 「ちょっともうっ、台所水浸しじゃないっ! ……私は片付けないからね……」 アイリーンの憤った怒鳴り声が後ろの方で微かに聞こえた。 ……すまない、アイリーン。 すっかり忘れていた。 ◇ 俺はバスルームに戻ると、ウィニエルが気がついたのか、俺の方を見ていた。 「……フェイン? 今、アイリーンの声が聞こえましたけど、大丈夫ですか?」 「……ああ、何とか」 アイリーンの声で起きたらしいウィニエルはまだ身体を起こせる状態ではないようだ。 視線だけが俺の姿を追っている。 「……あ、そういうこと……ふふっ」 ウィニエルの傍に俺がたどり着いて腰を下ろすと、彼女が僅かに微笑む。 「ん?」 俺はその微笑に返すように口元を緩めた。 「……だって、フェイン、何も身に着けていないから……」 そう言ってウィニエルは優しく笑う。 「……う。忘れていたんだ、仕方ないだろう?」 俺は気まずくなったが、顔に出さないように持ってきた水指からコップの中に水を注ぐ。 「……どうしてそんなに慌ててたんですか?」 ウィニエルはまだ起き上がれない様子で首を僅かに傾げた。 「慌ててはいない。君が、のぼせて倒れたから、水を持って来ようと思っただけだ」 俺は水を入れたコップをひとまず床に置くと、ウィニエルを抱き起こしてやる。 すると、ウィニエルは自分に掛けられていたバスタオルを手にして、俺の頭にふわりと掛ける。 「……そうですか、でも、髪も身体もまだずぶ濡れ……早く拭かないと、風邪、引きますよ……」 ウィニエルは俺を包むように優しくタオルで拭いてくれる。 「…………」 俺は何も言えず、黙り込んでしまった。 慌てていた、か。 なるほど、俺らしくないが、確かに慌てていたかもしれない。 のぼせくらいで死ぬことはないとわかっていたのに、自分のことなど気にもせずに突っ走ってしまった。 形振りなど構ってられない、そんな余裕はない。 ウィニエルのこととなると、冷静さを欠いてしまう。 俺は、ウィニエルのことをそれ程に大事に思っているんだと、改めて実感する。 「フェイン、どうしました? 肩、随分冷えていますね、もう一度お湯に浸かりますか?」 ウィニエルが俺の肩に触れて訊ねる。 言われてみれば、身体は冷えて、寒い気さえする。くしゃみもしたような。 「……いや、いい。ウィニエルは平気か?」 「はい、床が冷たくて気持ちよくて、もう平気です」 ウィニエルはそう告げると、俺から一度離れ、背中側に回って俺の背の水滴を拭っていく。 「……水、飲まないか?」 俺はコップを背後にいるウィニエルに掲げた。 「あ、はい、いただきます」 ウィニエルは俺からコップを受け取ると、一気に飲み干す。 「……ふぅ、冷たくておいしい! フェイン、ありがとうございます」 俺が後ろを振り向くと、すっかり元通り元気になったウィニエルの嬉しそうな笑顔がそこにあった。 ウィニエルが俺の身体を拭き終えると、床に敷いたタオルの上に戻って、俺の目の前に座る。 「倒れてしまってすみませんでした。私、長湯してしまったようです。急に目の前が真っ白になってしまって……」 「……ああ、仕方ない。少し長過ぎたようだ……ん……?」 そういえば、俺たちは今、互いに何も身に纏っていなかった。 目の前のウィニエルは生まれたままの姿で、恥らうことなく、今俺と会話している。 いつもなら、恥ずかしがって灯りを落とすようにせがむから、暗がりでよく見えない。 さっきだって、泡が邪魔で殆ど見ていない。泡が流れた後は抱き合っていたし、抱き合っていたらよく見えない。 こんな風にゆっくりと全身を見たのはいつぶりだろう。 「……フェイン?」 ウィニエルは首を傾げて不思議そうに俺を見る。 ウィニエルは以前にも増して、綺麗になったと思う。 年齢を重ねた色香なのか、それとも、人間になって得た体温の所為か。 唇の色が天使の頃よりも紅い。陶器の肌も天使の頃より赤みを帯びて、艶っぽい。 彼女の声を聴いたり、匂いを嗅げば抱きたくなる。同時、安らかで穏やかな気持ちにもなる。 俺の心を掻き乱し、落ち着かせ、震わせ、静める。 俺が捉えているはずなのに逆に囚われているような感覚を植えつけられる。 彼女は天使だったはずなのに、悪魔のような誘惑をする。 目が離せない。 「……いや、君は綺麗だなと思って」 俺はウィニエルの頭から下までを視線で追う。 「……ぁ、私も、裸でしたね……」 ウィニエルは俺の視線に気付いて、頬を染めると、手にしたままのバスタオルを胸元で抱きしめ、身体を隠すように身を捩って「えっち」と上目遣いに俺を見つめた。 それを見て、俺は彼女の手を取って、自分の方へと抱き寄せる。 「……フェイン……」 ウィニエルは抵抗することなく、俺の胸に倒れこむように抱かれる。 そして、俺はウィニエルを包むように腕を背にまわした。 「ウィニエル……俺は、君が好きだ」 「……私も、フェインのことが大好きですよ」 彼女の耳元で静かに囁くように告げると、ウィニエルがバスタオルから手を離して俺の首に腕をまわす。 ウィニエルから放されたバスタオルは床に落ちて、素肌が触れ合う。 温かくて心地良いウィニエルの肌。少し冷えた俺の身体に丁度良い。 「……フェイン、大好きです。私は、あなたのものだから……」 ウィニエルの声が俺の耳を擽る様に伝わってくる。 「ウィニエル……」 俺はゆっくりとウィニエルの肩を少し剥がして、彼女の唇に自分の唇を重ねる。 「ん……」 ちゅ、ちゅ、ちゅ、と、小さく啄ばむような口付けをしながら、次第に奥へと舌を滑らせる。 「……ぁ……っ……ふ……」 ウィニエルの頬が再び朱に染まって、呼吸し辛そうに俺の口付けを受け入れていく。 「んんっ……はっ……」 ウィニエルの吐息までも逃がさないように俺は彼女の唇を翻弄し続ける。 「はっ……い、……息苦っ……はぁっ……」 「ン……フ……は……」 俺も少し、苦しい。お互い裸だが、まだ口付けだけなのに変な気分になる。 ウィニエルの甘い吐息だけで、俺はその気になってしまう。 「ぁ……っ……ふぇいん……わた、私……」 「ん?」 ふいにウィニエルがあまりに苦しかったのか、俺の胸を押すようにして手を突っ張ったので俺はキスを一時止める。 「……はぁ……どうした?」 俺は一息吐いてから訊ねる。 「ふぅ……ふぅ……あ、あのっ……私、変になってしまったみたいで……」 ウィニエルは肩で息をして、俺に何かを告げようとしていた。 「ん? 変て?」 「……あの……フェインに、キスされると、あの……あ、あそこが……きゅんって……疼くというか……えと……その…………」 ウィニエルが伏し目がちに言うその声音は段々小さくなって、語尾はよく聞き取れなかったが、変わりに耳が紅くなる。
to be continued…