きっかけは、偶然だった。 前回ここに来た際に、アイリーンは不在で、彼女の部屋を片付ける手伝いをウィニエルはしてくれていた。 散乱した魔導書を手早く片付けていく。 だが、部屋のそこかしこに置かれた本をフィンに気付かれないように仕舞うというのは無理というもの。 最初は別の部屋で遊んでいたフィンも次第に淋しくなったのか、アイリーンの部屋へとやってくる。 そして片付けが楽しいのか遊び半分でゴミを集めたりしていた。 そのうちにフィンは床に置いてあった魔導書を何気なく手にする。 それをウィニエルはしまったという顔をしながら遠目で見ていた。 ウィニエルは、 手にしただけならまだいいか。 中身を見ても、どうせ読めないのだからいいか。 そんな風に言い聞かせていたんだと思う。 文字は確かに殆ど読めなかった。 けれど、フィンは魔方陣を理解したのか、右手の人差し指を一本、宙を指差して、魔法を唱えてみせた。 すると、フィンの指先から光に包まれた小さな蝶が現れ、部屋の中を周回するように羽ばたいて、 その様子を見ていたウィニエルの髪に留まって、静かに消えた。 『わぁ! すごーい!! 光ってる蝶々が出てきた!!』 フィンの瞳が楽しそうに輝いていた。 そして、ウィニエルの瞳が見開いたかと思うと、不安げに揺らめいて、彼女は何も言わずにフィンのことを見ていた。 そんな一件があってか、フィンは魔導書を気に入ってしまい、俺やアイリーンに読み上げてくれと、せがむようになってしまった。 フィンのお願いに嫌とは言えない。 だが、ウィニエルが嫌だということを進んでするわけにも行かない。 だから俺とアイリーンはウィニエルに訊いてみた。 『フィンに魔導書を読み解くことはするが、危険な魔法は教えない。さっきのように使う魔法がなんであるか理解しないで使わないようにもちゃんと説明する。だから魔導書を読ませることを許可して欲しい』 『……わかりました』 ウィニエルはそう言っていたが、表情は重たかった。 気にしすぎだと思うんだが……。 しばしの沈黙が流れて、その沈黙の原因を作ったフィンが急に立ち上がる。 「僕、将来は立派な魔導士になるんだ!」 空気の読めないフィンは自信満々といった面持ちで自らの小さい胸にとんと、拳で一度叩いてから顎を上げる仕草をする。 「やっぱり、フィンはフェインの子なんですね。こんな難しい魔導書を理解してしまうなんて」 ウィニエルは諦めた様子で俺の方を柔和な瞳で見つめてくる。 「……そうだな。フィンはこれから、修行次第だが、強い魔導士になれる素質はあると思う」 俺はウィニエルには酷だと思ったが、せっかくのフィンの素質を潰すわけには行かず、告げていた。 「うん、私もそう思うよ。ウィニエルには悪いけど、こればっかりは本人の意思に委ねなきゃ」 「……はい、わかっています。フィンの気持ち次第ってこと。そうなるんじゃないかって、思っていたから……」 アイリーンの言葉にウィニエルが憂うように微笑んだ。 ウィニエルにもわかっていたようだ。 俺やアイリーンと付き合っていれば、魔導書に触れないなんて無理に決まっている。 この塔にはジグの残した魔導書が山程あるんだ。 いつか、嫌でもその世界に触れる時がくる。 俺はフィンが俺と同じようにウォーロックになってくれたら嬉しい。 アイリーンもフィンが自分と同じように魔導士になってくれたら嬉しい。 そう思っているんだが……。 「……あ、そろそろ出ないとですね。船に間に合わなくなります」 ウィニエルの表情がいつもの優しい顔に戻ると、部屋にあった壁掛け時計を見て彼女は鞄を閉じた。 「もう時間か……忘れ物はないか?」 俺は立ち上がってウィニエルに近づくと、鞄を手に取る。 「はい」 「あ、私忘れ物!」 俺の問いかけにウィニエルは笑顔で頷く。 だがアイリーンが忘れ物を思い出したらしく、立ち上がって慌てて自分の部屋へと駆けていった。 「先に下に下りてるぞ」 「はーい!」 俺が告げると元気な返事が聞こえた。 アイリーンが部屋に戻っている間に俺とウィニエルとフィンは出入り口まで下りる。 「……今回もあっという間だったな」 俺はウィニエルの鞄を片手で肩の後ろにぶら下げながら階段を下る。後ろにウィニエルとフィンが続く。 「そうですね。楽しい時って、本当に短く感じますね」 「フェインおじさん!」 フィンの手を繋ぎながらウィニエルが応えると、フィンが俺を呼び止めるので、俺は振り返る。 「ん?」 「今度遊びに来たとき、また一緒にお買い物しようね」 ウィニエルに似た可愛い笑顔で、フィンが小指をこちらに差し出した。 「ああ、もちろんだ」 約束だよと、フィンが指切りをする。 その光景をウィニエルが嬉しそうに見つめていた。 確実にフィンとの距離が縮まっている。 俺は手応えを感じていた。 出入り口にはそれからすぐに着いた。 一、二分後にアイリーンがどたばたと、途中「あいたっ!」という声も聞こえて、転んだのかお尻を撫でながら現れる。 「ごめんごめん。ウェスタを忘れるとこだった……」 アイリーンの肩に少し怒り気味のウェスタが乗っていた。 「フェイン、荷物ありがとうございました」 「ああ。残りの本は次に忘れずに持っていくから」 「はい、重くて申し訳ないですが、お願いします」 ウィニエルが頭を下げながら俺から自分の鞄を受け取った。 「それじゃ、行って来るね。フェインもう大丈夫だよね?」 「ああ、平気だ」 アイリーンが冗談めかして俺を窺ってくるので、俺は唇の端を上げて笑ってやる。 「お世話になりました」 「ああ、気を付けて。……アイリーンも」 頭を下げて礼を言うウィニエルに俺は少し心配しながら告げると、アイリーンが何かに気付いたように口を開いた。 「あ、私はついでかぁー、も~やーねっ! ほら、フィン、先行ってようよ。ママすぐ追いかけてくるからさ」 「え? あ、うん。フェインおじさん、またね!」 「あ、ああ……」 アイリーンが僅かに頬を膨らませて、フィンの背を押すようにして港町へと向かって歩き出した。 ウィニエルはあっけに取られて二人を見送っている。 「……置いてかれちゃいました」 瞳を瞬きながら、俺を見上げる。 「……気を遣ってくれたんだろう」 俺は目の前のウィニエルの顔に自分の顔を寄せた。 「え?」 日に照らされていたウィニエルの白い肌に俺の影が掛かる。 「…………」 俺は無防備なウィニエルの唇に軽く口付けを落とした。 「……っ……」 ウィニエルは目を瞑ることを忘れ、驚いた顔をしていた。 「……こういうことだ。別れが惜しいからな」 「……フェイン……はい……」 俺が覗き込むようにウィニエルに告げると、彼女は頬を朱に染めて、小さく頷いた。 そして、 「……フェインも気をつけて来て下さいね。私、楽しみに待ってますから」 と、俺の首に手を回すと、自分の方へと引き寄せるようにして頬にちゅっと軽く口付けをして、優しく微笑んだのだった。 その仕草が可愛くて、俺は、 「……ああ、約束する」 彼女の頬を両手で包んで、今度は深い口付けを交わす。 「ふぇいっ……んんっ……!!」 唇を割って、中へと舌を差し入れ、そこにある甘い舌を絡ませる。 触れた両手の平から彼女の体温が伝わってくる。ウィニエルの頬が熱い。 上気した顔が艶っぽくてまた彼女を欲しくなる。 離れたくないな……。 ウィニエルもそう思ってくれていたら、どんなに幸福なのだろう。 やっぱり、早く、けじめをつけないといけないな。 俺自身も区切りとしてそうしたいし、フィンにもいいはずだ。 それに、 何よりやっぱりウィニエルが心配だしな。 「…………あ、あのっ! もうっ、行かないとっ! 船っ、乗り遅れてしまいますっ」 俺からの深い口付けの隙を見つけ、ウィニエルは唇を離すと、俺の胸を押し返す。 「あ、ああ……そうだったな……つい……」 俺は髪を掻きながら足元に視線を落とした。 「……フェイン、大好きです。私、本当は離れたくない。でも、私はあの場を離れるわけには……」 ウィニエルの言葉に俺が顔を上げて彼女の顔を見ると、瞳に涙を湛えて今にも泣き出しそうな気がしたので、俺はすぐに彼女の頭をぽんぽんと撫でるようにして、微笑んで告げる。 「……ああ、わかってる、またすぐに会える」 「はい」 ウィニエルは俺の言葉に安心したように、涙を溢すことなく、笑顔を見せてくれた。 「それじゃ」 「はい、また」 「ああ」 俺とウィニエルは軽く触れ合うだけのキスを再び交わして、別れた。 ウィニエルがアイリーン達を追いかけるべく、走り出す。 走るのも上手くなった。天使の頃は翼を隠していた時によく転んでいたのに、今じゃこなれたもんだ。 俺はすぐに小さく遠ざかっていくウィニエルが名残惜しくて、その背中をしばらく見つめていた。 本当なら町まで送っても良かったのだが、離れがたくなるからやめて欲しいと言われている。 そしてその分、俺の休みの時間を、身体を休めたり、本を読んだりと有効に使って欲しいということだった。 堕天使を倒してからブレメース島は比較的安全で、夜盗も少なく、この塔から港町までなら危険もそうない。 だからウィニエルは俺に頼ることなくやってきて、帰っていく。 あまりに俺を頼らないから、俺は必要ないのかと不安になったこともあったが、ウィニエルなりの気遣いなのだろうと、自分を納得させた。 ただ、あまりにウィニエルが自立し過ぎていて、俺はそれが少し恐い。 ……俺とウィニエルは、このままがいいんじゃないかと、時々思うことがある。 なぁ、ウィニエル。 君は、どう思っている?
to be continued…
後書き
いつも読んでいただきありがとうございます。
前回更新から二週間ちょい。今月も二回更新出来たらいいな~と思います。
では、次回~!